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感性が生み、家庭機が織り上げるニット。島根由祈|YUKI SHIMANEデザイナー

Apr 18, 2019 - FASHION
名門セントラルセントマーチンズ美術学校を卒業し、若干27歳で自身のニットウェアブランドを立ち上げた島根由祈。留学時代に得たものやブランドに込めた想い、ニットへのこだわりなどをきいた。
Profile
島根由祈(しまね・ゆき)
YUKI SHIMANEデザイナー

2014年、ロンドンのセントラルセントマーチンズ美術学校 BAニットウェアデザイン卒業。 在学中よりロンドンベースのブランド、Meadham KirchhoffやErdemにて経験を積む。 帰国後、AKIKOAOKIにてアシスタント、ニットウェア制作を担当。 2016年秋より自身のブランド活動をスタート。

やわらかくて芯がある、ニットみたいな女性

コレクションに着手するときは、最初はイメージ集めからスタートします。映画だったり、絵画だったり、本だったり、毎シーズン全然違う。ちゃんとしたテーマを設定するというよりは、全体のイメージから女性像みたいなものを描き出して、自分の中で3カ月ぐらいかけて固めていく感じですね。

ブランドのコンセプトに「しなやかで自由な女性のためのニットウェア」と書いているんですが、ニットって糸を編むことで“面”に変化していくので、バキバキになることがないんですよ。ニットのしなやかでやわらかい部分と、それでもこれができるまでに100段くらい編まなきゃいけないとか、そういう見えない手間みたいなところで、芯を感じさせる。YUKI SHIMANEの女性像は、ニットそのものからイメージされています。

 

山縣良和さんに背中を押され、セントマーチンズへ

高校卒業後、文化学園大学の服装造形学部に進学して、服作りの基礎を学んでいたんですが、クラスメイトがみんな布を手にして「イメージ湧く」って言ってる中、私ぜんぜん湧かなかったんですよ(笑)。ある布を買って作るだけではなんとなく物足りないというか、もっと素材構築からやりたくなってしまって。ちょうどそのとき、講師でいらしていたのがwrittenafterwardsの山縣良和さん。山縣さんが「ここのがっこう」をはじめられた大学2年のとき、1期生として参加しました。

セントマーチンズ出身の方とはじめて触れ合ったのが山縣さんだったんですが、「僕の学生時代の作品だよ」と言ってみせてもらったのが、段ボール!?みたいな。私の知っていたファッションは何だったんだろう、学校で2年間何をやっていたんだろうくらいの衝撃を受けたんです、本当に。話を聞くうちにどんどん興味が出てきてしまって、「セントマーチンズ行きたい」って山縣さんに言ったら、「行けばいいじゃん」って(笑)。すごい当たり前のように「行けばいい」って言ってくれる人がいて、背中を押された感じでしたね。

 

退路を断った留学で、本格的にニットを学ぶ

それから留学について真剣に調べていたとき、セントマーチンズの面接官が1年に1回、日本で面接するっていうのがあって、それに合格。休学して1年間だけ行くか、完全に辞めてもうずっと向こうにいる覚悟で行くかってなったときに、休学だとちょっと保険を残しているような感じがしたので、学校辞めて行っちゃおうって。

向こうに行ってまず1年間はファンデーションコースというのに入って、「ファッション」「現代アート」「グラフィック」「ジュエリーメイキング」の4つを一通り学びました。その後希望を出して専攻を決めるんですが、生徒1,000人ぐらいいる中でファッションを希望する人が80パーセントぐらい。まずそこでふるいに掛けられるんですね。私はファッションを専攻できて、そこからさらにニット科を選びました。卒業生のショーを見たり、先生と相談しながら、ニットが一番自由で面白そうだと思ったので。

やっぱり、素材から作れるっていうのが一番の魅力でしたね。ちょっとプラモデルみたいな感覚って言うんですかね(笑)。平面を立体にしていくじゃないですか。結構そのマインドで楽しんでいるところはあるかもしれないです。

 

セントマーチンズで出会った家庭用編み機という相棒

この機械、セントマーチンズのニット科の先生から譲ってもらったものなんです。家庭用編み機(家庭機)って言って、1970年代くらいの日本ではすごく流通していたそうなんですが、いまは機械自体がもう製造していなくて、修理もどうしようみたいな状況。でもイギリスではいまでもネットオークションとかで流通していて、それを先生がメンテナンスして譲ってくれるんです。

パンチングシートという模様の指示が入ったシートをセットすると、その柄に編み上がるんですよ。電気もなにも使わない。すごい機械。まずは方眼紙に模様の下絵を描き起こして、それに従ってパンチングで穴を開けるんです。この穴を開けるためだけの道具があったりして。

家庭機でニットを作っているブランドはほとんどないし、技術的にできないこともあるんですけど、私はやっぱり作ることが好きだから、これで作ることは続けていきたいんです。

 

結果よりプロセス重視の教育スタイル

セントマーチンズの教育は、結果重視じゃなくプロセスやコンセプト重視。日本の学校って「きれいに縫えてるね」とか、「ここのパターンきれいにできたね」とか、できたものベースで評価すると思うんですけど、向こうでは「あなたの考えがすごく反映されてるね」みたいな、どうしてこうなったのかを見られましたね。

だからある意味何でもありで、「ちょっと服を作る気分じゃなかったので、絵を描いてきました」でもOK。ただ、単に絵を描くじゃダメで、こういう思いがあって描いたというプロセスが問われる。あなたのスタイルを教えてください、という教育だったので、そこはすごく面白かったし、いまもその学びが生かされていると思います。

 

AKIKOAOKIのアシスタントからブランド立ち上げへ

イギリスにいたのは、学校に通っていた4年間と、インターンとして働いていた1年間の計5年。ビザが切れてしまって日本に戻ってきてから、AKIKOAOKIを手伝うことになりました。青木さんとは「ここのがっこう」の同期で、セントマーチンズにも同じタイミングで入学したんです。1年間アシスタントをやってから、自分のブランドを立ち上げました。

スタート時はYeti(イェティ)という名前で10代後半〜20代前半くらいの若い女性に向けたニットを作っていたんですが、ちょうど3シーズン終わったくらいで、自分も歳を重ねてきたこともあり、もう少し仕事に着ていけるような服も作ってみたいと思うようになってきたんですよね。

 

ブランド名YUKI SHIMANEへの想い

それが、ちょうどいまのアトリエがある台東デザイナーズビレッジ*に入居するタイミングとも合って、いいきっかけだと思い、ブランド名を自分の名前に変更したんです。名前出すのって、一つの覚悟じゃないですけど、下手なことはできないというか。だからもっと自分のクリエイションを全面に押し出して行けるかなって。前のブランド名は架空だけどイェティという生き物の名前だったので、ちょっとペットを育てるような感覚があったんです。でも、自分の名前となると、どうしても自分事になる。そういうところではかなり意識が変わったと思います。

台東デザイナーズビレッジは私が手伝っていた頃のAKIKOAOKIも入っていましたし、縁のある場所。いろんなジャンルのクリエイターさんが入居されているので、会えば「忙しいですか」とか話をしたり、あそこに資材屋さんがあるとか情報交換をしたり。忙しいときはアトリエで深夜まで作業するときもあるんですが、同じように電気が付いている部屋があると、あぁみんなもがんばってるんだなって励まされたりします。ここで活動できて、本当によかったなって思います。

*台東デザイナーズビレッジ:ファッションやデザイン分野の起業を支援する台東区が運営する施設。数多くの若手クリエイターが入居している。

 


 

「家庭機っていいながら、けっこう音がうるさいんですよね」と笑いながら、このアトリエでは周囲に気を使わなくて済むから嬉しいと話す島根さん。スタイリングの幅が広がるようにと、最近のコレクションでは布帛アイテムも展開しているが、今後も自身の手で作る家庭機のニットラインは継続していくという。

 

あなたにとってファッションとは?

「隠すのに、隠さないもの」

高校時代に読んだ鷲田清一さんの文章が印象的だったという島根さん。「例えば青い服を着ていたら、今日は青が着たくて選びましたっていう意思表示じゃないですか。服で身体を隠しているのに、その意志は表現している。それが面白いなってすごく思ったのが、そもそも服飾の道を目指したきっかけだったんです」

 

その他のデザイナーインタビューはこちら

  • text : Midori Sekikawa
  • Photography : Mitsuo Abe

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