ANREALAGE「SCREEN」が描く、変わる自分を映す“近未来の衣服”
パリでは30年後や50年後を想起させるSF的な構成が印象的だったが、東京では5〜10年先を見据えた、より現実味のある近未来像へと再構成された。
森永氏が描く近未来の東京
デザイナーの森永邦彦氏は、「5年後、10年後にストリートに実際に現れていそうな人」をイメージしたと語っている。LEDテキスタイルを用いた服は、気分や環境に応じてデザインが変化する“可変的な衣服”として提案された。
森永氏が着想源のひとつに挙げたのは、20世紀初頭に広告看板を身体に掛けて街を歩いていた“人間広告”という存在。身体がそのまま情報を発信する媒体になるという発想は、衣服の役割を拡張するヒントになったという。
コンセプトとなった“スクリーン(screen)”は二面性を持った言葉だ。
英語の“screen”には「画面」だけでなく「遮るもの」という意味もある。つまり、服が“スクリーン”になるということは、情報を表示するだけでなく、意図的に情報を隠すことも選択できるということだ。その点で、この服はこれまでの衣服よりも、はるかに“自分の意思”を反映しやすい。
LEDに文字やグラフィックを表示することで、感情を伝えるインターフェースとなる可能性を秘めているが、服が自分の気分に応じて変化するという発想は、もはや突飛なものではなく、現実的な感覚として受け入れられるだろう。
東京のファッションフリークたちの“編集力”の高さによって、森永氏の言うように、5年後、10年後には“可変的な衣服”は自己表現の選択肢になり得るのはないだろうか。
東京は、音楽、アート、アニメ、スポーツなど多様なジャンルを横断しながら、自分なりの感性でスタイルを編集する力に長けている。
日々情報をアップデートし、編集するという感覚が浸透しているからこそ、新しいことが取り入れられやすい。
環境によって変化するアイデンティティ
さらに、SNSやゲームにおけるアバター文化の浸透によって、リアルと仮想の境界はますます曖昧になっている。現実の自分と仮想空間の“もうひとりの自分”を行き来する日常では、自己像や自己表現がひとつに定まらないことが当たり前になりつつある。
「SCREEN」の柄や色が状況に応じて変わる構造は、こうした時代の感覚にも近い。
アバターのスキンを切り替えるように、場面や気分に応じて服の表情を変えられるこの衣服は、ひとつのスタイルに縛られない“可変的な自己”を前提としているのだろう。
近年、職業や性別、外見といった枠組みも以前より柔軟になり、異なる「自分」を場面ごとに使い分けることが自然になってきているのではないだろうか。
今回のショーでは、Snow Manのラウールがモデルとして登場した。
アイドルとしての顔とファッションモデルとしての顔が同時に成立する彼の姿は、文脈によって意味を変える現代的なアイデンティティの象徴といえるだろう。彼は「SCREEN」が持つ“多様な状態を受け入れる柔軟性”を体現していた。
<ANREALAGE>が提示するのは、「自分とは何か」を定義する服ではなく、「今の自分」をその都度アップデートして映し出すような衣服の未来である。
<ANREALAGE>は、変化を前提とする衣服を通じて、東京という都市の柔軟な感性を具体化した。
未来の衣服は、着る人の感情や意志に応じて姿を変え、自己と他者の関係を再構築するメディアとなっていくだろうか。「SCREEN」が描くその可能性は、これからのファッションに新たな想像力を与えてくれた。
- Photograph : Kaito Chiba
- Movie : Toma Uchida
- Text & Edit : Yusuke Soejima(QUI)