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森山未來 – 俳優という不完全な存在

Jul 17, 2024
森山未來が考える、俳優の特殊性とは。
最新の主演映画『大いなる不在』では、認知症を患った父の謎を探る、俳優の男を演じた。

森山未來 – 俳優という不完全な存在

Jul 17, 2024 - FILM
森山未來が考える、俳優の特殊性とは。
最新の主演映画『大いなる不在』では、認知症を患った父の謎を探る、俳優の男を演じた。

情熱と信念が通った映画作りができた

本作への出演は、近浦監督が直接、森山さんのオフィシャルサイトからオファーしたことがきっかけとなったそうですね。

そうですね。今の映画の作り方って、インディペンデント映画に関して言うといろんな形があると思っていて。

映画作りの形も多様化していますよね。では特に驚きはなく?

はい。監督のプロフィール写真が舟の上でサングラスをかけていて、いかつい印象があり、最初は少し胡散臭くも感じたのですが(笑)。

近浦監督と実際に会って話してみていかがでしたか?

映画を撮るために自分で映像制作会社を立ち上げて、その資金を使って映画を作りたいという話を聞いて、とても興味が湧きました。クリエイティビティ面もビジネス面もどちらもしっかり担保できるような映画製作をしたいという意識がしっかりある方だったので、僕も非常に前のめりになりました。そういう考えで立ち上がる映画には、どんどん関わっていきたいと思っていたので。

― 映画が作られる背景にまで関心を持つようになったのはいつからでしょう?

映画に関わらず、クリエーションの現場に対しては以前からずっと意識を持っています。スタッフとコミュニケーションをとりながら一緒に作っていくことを大事にしているので。いろんな経験を重ねて、30代になってからは自分でプロデュースする作品も多い中、自分と同じスタンスで一緒に映画を作りたいと言ってくれる人がいるというのはとても嬉しいことですよね。

―  近浦組の現場の空気感はいかがでしたか?

すごく徹底していると思いました。いわゆる“インディペンデント映画はこうあるべきだ”という、監督の信念が強くあって。その信念を元にキャスティングやスタッフィングをされている。「こうしたらこうなった」というよりも、「こうじゃなきゃダメなんです」としっかりとイメージを持って現場を作られていたので、情熱と信念が通った映画作りができたように感じます。

初めて脚本を読んだときの印象もお聞きしたいです。

設計図としては面白い作りになっているけれど、どういう風に読み解けばいいのかが掴みづらいと最初は感じました。時系列も入れ替えられていて、(藤竜也さん演じる)父が認知症だからこそ生まれる妄想的なミスリードも散りばめられていたので。しかし大きな理由としては、(自身が演じた)卓というキャラクターを理解することが難しかったからなのだと思います。

どのように難しかったのでしょう?

脚本には、出来事や行動などについてが書かれていますが、 卓がどういうモチベーションでその行動をしているのかが見えづらかったんです。どういう風に卓はこの映画の中の物語を歩いていけばいいのかと。行間や余白はたくさんありましたが、それをどう読み取ればいいのかが難しかったですね。

なるほど。

監督とコミュニケーションをとりながら理解していきました。対話をしていく中で自分からも提案をして、少し変わっていった部分もあります。

話をしていくうちに、この作品は監督自身のパーソナルな経験から生まれている物語で、その部分を脚本の中にかなり落とし込んでいるということがわかってきたんです。監督の立ち振る舞いや考え方は、卓を演じるうえでかなり参考にさせてもらったような気がしています。

 

俳優のように虚構の世界に寄り添う

父親の陽二と再会したことで、卓の内側で静かな変化が起こっていくように感じました。陽二の認知症とはどのように向き合っていたのでしょうか?

参考文献として、認知症についての本を読みました。その本の中に書かれていて、最初から最後まで僕の中に残り続けたのは「認知症の方と関わるためには、俳優のように認知症の方が作り上げる虚構の世界に寄り添うことが重要である」という文章。まさにそれに尽きるなと感じました。

― 俳優のように寄り添う。まさに卓の職業は俳優ですよね。

これまでの卓の歴史や経験を踏まえると、母と父との関係などの影響で、どこか自分のことを俯瞰視するような生き方になっていったんだろうなと感じたんです。だからこそ彼は俳優業と親和性を持つことができた。状況を俯瞰的に捉えるがあまり、妻の前でも自分の感情をあまり出すことなく、踏み込まなかったり、踏み込まれなかったり、といった形で関わってきていて。

そんな生き方が知らぬ間に身についてしまってきたと。

突発的に起こった事件を機に、卓は父の認知症に向き合うことになるのですが、父は会うたびに違うことを話している状態で。その状況に翻弄はされるのですが、卓に俯瞰視する癖みたいなものがあるのだとすると、初めのうちは自分の中に立ち上がる感情も意識的に閉じ込めていたというか、見ないようにしていたのではないかと想像ができます。

陽二の施設で説明を受けるシーンなどにも表れていたような気がします。どこか壁があるというか。

陽二は物理学者でゴリゴリの理論武装人間でしたが、認知症を患ったことによりどんどん武装が剥がれていく。そしてもう感情しか残っていないような状況になって、最終的に(原日出子さん演じる再婚相手の)直美という存在に行き着く。理論武装人間だった父がダイレクトな感情に到達するのと並行して、卓の中にも新しい感情が見つかったのではないかと。

卓の中で何か響くポイントがあった。

虚構の中へ主体的に向かっていけるのが俳優業の可笑しみだとも思うので、父の虚構でもあり卓個人の物語であるそれらに、卓はどんどん入り込んでいったんだろうなという感じがします。シンプルに「このシチュエーションが面白い」と当初は感じた可能性もあるだろうし。

俳優として。

はい。近浦監督自身が経験した事実を、フィクションも含めて脚本に起こそうと思ったことと同じように、卓もこのシチュエーションを客観的に面白がった可能性もあるのではないかと思いました。そこからは、距離感の取り方ですよね。

と言いますと?

卓にとって自分事として感情のみで関わったら、突き放して終わりだったのかもしれない。でも、俳優業をやっているからこそ、この素材を面白いかもしれないと感じて、リサーチしようとしてもおかしくないなと感じたんです。

 

“人間とは何か”を知りたい

森山さん自身は、俳優として卓の行動や言動が“わかる”感覚はありましたか?

俳優業は、一個人の実生活ではできないようなことが短期間ですが経験できるんです。例えば普通に生きていたらやることがなかったボクシングを体験できるなんて、すごく面白いじゃないですか。やっぱり肉体を通して、あるいは何かを読むことによって入ってくる経験や知識があり、それによって出てくる感情も変わったりするわけですから。非常によくわかるというか、自分自身がその面白さや可笑しみをわかっているからこそ、それを卓にトレースしていったとも言えます。

映画の中で俳優という職業を演じることは、難しかったのでは?

みなさんが俳優業にどういうイメージを持っているのかはわかりませんが、俳優が俳優を演じることよりも、作り手が俳優を描こうとすることが難しいんだと思います。そういった部分で、初期の脚本では最初のワークショップの描写に引っかかりはありました。ただのカンファレンスや、旧時代的なワークショップにも見えてしまったので。

その俳優がどういうメンタルで俳優業をやっているのか、そのワークショップに取り組んでいるのかを見せるシーンになっているんですが、メンタルの部分ってなかなか拾いづらいものですし、メソッドやスタンスが人それぞれ本当に違う。俳優は、このおかしな世界の作り手でもあるし、媒介者でもある。そして、主体的な存在でもあるので。

面白いですね。

ある意味“不完的な存在”でなければならないので、映画の中での描き方はきっと難しいのだと思います。描きようによってはすごく誤解を招いてしまうこともある。もちろんどんな仕事も、それぞれに特殊性はあると思いますが。

森山さんは映像業界に関わらず、さまざまなアーティスト、表現者と関わることが多いですが、現代の表現のあり方や可能性をどう捉えていますか?

もともとはきっと、絵を描くことも医療も建築も区分されたものではなかったはずで。そしてそれらは全て、“人間とは何か”を知りたいという欲求から生まれているのだと想像しますが、今ではそれがどんどん細分化されていると感じています。でも映像や舞台であれ、アートであれ、年齢や老い、病であれ、それらを通して見えてくるものってきっとひとつなんです。

全て、同じものから生まれていると。

突き詰めれば同じ心理に向かって動いているのに、他の人が聞いてもわからないような専門用語的な会話で成立する世界には、そもそも僕は興味がないんです。

でも、今の人間の世界において、言語は非常に重要なツールになっている。

はい。

僕自身はこれまでも身体や音楽も含めた「言語」を使ってどうコミュニケーションを取るのかということを考えてきたし、これからも変わらずに意識し続けていくんだと思います。どんな場所やどんな環境で生きている人たちとも。

では最後に、本作をご覧になる方にメッセージをいただけますか?

この作品は、韓国や北米でも配給が決まっているみたいですし、日本のみなさんも観ておいた方がいいと思いますよ(笑)。

ー 映画だからこその見せ方や組み立て方がとても面白い作品でした。

ある種、ベタな作品かもしれませんが、だからこその強さがあるなと。かなりいろんな要素が入れ子になっているので。マトリョーシカ感がすごいです。

どんどん複合的に見えてくるものがありました。

でも実は、どこを向いても同じ話をしている感じもするんです。卓と(妻の)夕希も、卓と父も、父と直美さんも、直美さんと妹さんも、直美さんと息子も。

そうですね。そうしていろんなことが積み重なっていく終盤はとても心に響きました。特に卓が手紙を読むシーン。

あのシーンは、個人の経験として卓が変化したシーンでもあるけれど、どこかで卓が陽二を理解しようとする想いによる行動でもあるんですよね。そしてきっと、その構造こそが大事だったんだろうなと思います。

 

Profile _ 森山未來(もりやま・みらい)
1984年、兵庫県生まれ。5歳から様々なジャンルのダンスを学び、15歳で本格的に舞台デビュー。2013年に文化庁文化交流使として、イスラエルに1年間滞在、Inbal Pinto&Avshalom Pollak Dance Companyを拠点にヨーロッパ諸国にて活動。「関係値から立ち上がる身体的表現」を求めて、領域横断的に国内外で活動を展開している。俳優として、これまでに映画賞を多数受賞。ダンサーとして、第10回日本ダンスフォーラム賞受賞。東京2020オリンピック開会式にてオープニングソロパフォーマンスを担当。2022年より神戸市にてArtist in Residence KOBE(AiRK)を設立し、運営に携わる。主な映画作品に、『モテキ』(11/大根仁監督)、『苦役列車』(12/山下敦弘監督)、『怒り』(16/ 李相日監督)、『オルジャスの白い馬』(20/竹葉リサ、エルラン・ヌルムハンベトフ監督)、『アンダードッグ』(20/武正晴監督)、『犬王』(22/ 湯浅政明監督)、『シン・仮面ライダー』(23/庵野秀明監督)、『山女』(23/福永壮志監督)、『ほかげ』(23/塚本晋也監督)、『iai』(24/マヒトゥ・ザ・ピーポー監督)などがある。ポスト舞踏派。
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shirt ¥38,500 / YUKI HASHIMOTO (Sakas PR 03-6447-2762), skirt ¥66,000・pants ¥46,200 / COGNOMEN (Sakas PR 03-6447-2762)

 


 

Information

映画『大いなる不在』

2024年7月12日(金)より、テアトル新宿、TOHOシネマズ シャンテ他にて全国順次公開

出演:森山未來 真木よう子 原日出子 / 藤竜也
監督・脚本・編集:近浦啓

映画『大いなる不在』公式サイト

©2023 クレイテプス

  • Photography : Hidenobu Kasahara
  • Styling : Mayumi Sugiyama
  • Hair&Make-up : Kohji Kasai(UpperCrust)
  • Art Director : Kazuaki Hayashi(QUI)
  • Text : Sayaka Yabe
  • Edit : Yusuke Takayama(QUI)