池松壮亮 – 映画とはなにか、人間とはなにか







正直ここまでやるのかと完成を観て驚きました
― 前回は2022年に、ドラマ『オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ』シーズン2についてインタビューさせていただき、主に共演者のすごさについてお聞かせいただいたのですが、今回は『THE オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ MOVIE』を軸に、より池松さん自身にフォーカスしてお話を伺いたいです。まず、映画化の話を聞いたタイミングはいつでしたか?
当然シーズン2の後ですけど、いつ本格的な話になったのかはっきりとは覚えていません。ただシーズン1の後にはもう「いつか映画に」という話はうっすらと聞こえてきていたと思います。この作品に関わっている人たちはみんな、どこかでいつかそうなるだろうと予測していたようには思います。
― では実際に映画化が決まったときは、驚きというよりいよいよ来たかという感覚で?
そうですね。やっぱりオダギリさんが作っているものですし。ドラマのスタッフもほとんどが普段映画をやっている人たちで、いつでもそのときが来ればという感じだったと思います。

― ドラマのシーズン1で広げた風呂敷が、シーズン2では少しずつ収束されていき、映画ではいよいよすべての謎が回収されるのかと思いながら観ていたら……とんでもない作品でしたね。
ハチャメチャでしたよね。
― ハチャメチャでした。
オダギリさんがたくさん悩まれているのを近くで見てきましたが、正直ここまでやるのかと完成を観て驚きました。本を読んだときもびっくりしていたんですが(笑)。
― オダギリ監督の脳内から純度高く取り出されたような映画だと感じました。
オダギリさんが持つ映画に対する美意識やこだわり、自分が思う「映画とはなにか」ということが作品に結集しています。映画というフォーマットの中で、人や人生や世界というものを、この作品を使って一度解体し、組み立て直したような作品だと、僕自身は思っています。
― 人や人生や世界を?
あらゆる芸術の根底には、「人間ってなんだ」ということがはらまれているものです。もちろん映画にも。そこにオダギリさんがとびっきりの愛嬌と滑稽さ、自由さや独創性、芸術的な心を持って挑戦したことで、物語も次元も超えて、挑戦的という枠さえも飛び越えて、このような作品が出来上がったのではないかと思っています。
― オダギリ監督の前作、『ある船頭の話』との振れ幅にも驚いたんですけど、人間を撮るということ、生きるということを突き詰めるところは一貫しているのかもしれませんね。
映画というもの、表現というものを底知れず追求されてきた先の答えとして、オダギリジョーという人の足跡が深く刻まれた二作だと思います。

― 池松さんはドラマから引き続き、警察犬オリバーのハンドラー・青葉一平を演じられましたが、本作にはどんなモチベーションで挑まれましたか? これまでの作品と心構えの違いがあれば教えてください。
まずはこの奇妙な世界の住人になれることを楽しむこと。そしてこの作品の底に流れる人生の無情や哀しみ、可笑しみをどう捉えていくか、そこにジョイフルな瞬間をどれだけ添えられるか、そのようなことを考えていたと思います。またこのシリーズを映画から観ていただける方もいらっしゃるでしょうから、一平とオリバーの関係性を少ない時間でしっかり見せること。そうしたことがテーマでした。
今回は出番も多くないので、最終的にどんな作品になるのか、観客の皆様と一緒にこの作品の完成を待とうという客観性もありました。
― 本シリーズには初登場、映画出演は8年ぶりとなる深津絵里さんとの掛け合いも最高でした。深津さんとは初共演でしたか?
初めてでした。もうなにもかもすばらしかったですね。オリバーの世界に深津さんがいるのがすごいし、変でおもしろいし。
― 序盤から、本当に吹き出してしまったシーンもありました。
素敵ですよね、しびれましたね。久しぶりにしびれました。短い時間でしたが共演させてもらい、オリバーの世界で同じ住人であれた時間はとても幸せなものでした。

俳優が表現の責任に関与しないことで失われてきたものがある
― 『オリバーな犬、 (Gosh!!)このヤロウ』はコロナ禍の最中、2021年に始まり、結果として5年にわたる長期シリーズとなりました。他には『シリーズ・横溝正史短編集』の金田一耕助も2016年から現在まで続けられていますが、シリーズもので演じることの難しさや魅力はありますか?
当然そこには、時間の経過があるわけじゃないですか。自分自身にも、観ていただく人の中にも。人生と一緒で、役や物語をアップデートしていけること、育てていけること、それはやっていて非常に楽しいですし、貴重なものだと感じます。現実をフィクションに反映させていくことが、シリーズものだからこそより持続的に可能になるように思います。
― 過去の出演作、今回であればシーズン1を観返すことも?
観返しました。さほど参考にはならなかったんですけど(笑)。……あまりにも作品世界が変化してしまっているので。それが今作の面白さなのですが。逆に映画を観て、ドラマシリーズに戻ってもらうことは面白いのではと思っています。
― でも、一平が所属する鑑識課のゆるい空気感やおなじみのくだりは残っていて、「いつもの」という感じもありつつ、新しいものになっているところがすごくおもしろかったです。
ありがとうございます。少しでも多くの方にこの作品を気に入っていただけたら幸せです。

― シリーズ全体を通して、オダギリ監督だからこそ集まった豪華なキャストも注目ポイントですが、池松さん自身が出演作を選ぶ際に重視する部分は何でしょう?
まずは出会いです。どういう人に出会って、どういう人と一緒にものづくりをして、どういう時間を体感するのか。
その上で、作ったものを人に観てもらわなければいけないということ。そこで少なからず社会的な影響がついてくるということ。観客とどんな対話ができるのか、どんな時間を過ごしてもらうことができるのかが重要になってくるかなと思います。
― 作品を観てもらうことや社会的な影響にまで、俳優は責任を持つべきだと思いますか?
当然責任があると思っています。
― 撮影終了後は往々にして、作品は俳優の手を離れちゃうじゃないですか。そこで自分が意図しない方向に行ってしまう危険性もありますよね。
そうですね。集団芸術というのは少しずつ責任の分散が起こるものです。俳優というのも、作品に関与できる範囲があります。ですが一方で、表現というものの重要性と危険性を重視せず、そこに関与しない、あるいはそこに執着しない、この世界はそういう俳優の形を大量生産してきてしまったのではと思います。そのことによって失ったものがたくさんあると思っています。
もちろんそうなったことは俳優の責任だけではありません。たとえると、関与しないということは、投票しないということだと思います。たとえ現実が変わらない小さな一票でも、投票するくらいの責任は持つべきではないでしょうか。だれかの2時間や2,000円を頂いて、作品たちが社会的影響を及ぼしながら時代を作ることの一つとなること。文化となってそれを浴びながら育っていく未来の子たちがいること。お仕事だから、で成立するのであれば、子供たちのほうがよっぽど周囲や未来を見据えているように思います。

映画に関してモチベーションが下がることはほとんどない
― 池松さんはよく、ストイックだと評されますよね。最近だと『白鍵と黒鍵の間に』のピアノ、『ぼくのお日さま』のスケート、『シン・仮面ライダー』や『ベイビーワルキューレ』のアクションなど、技能的にも大変な作品が多い印象です。責任感があるからこそ突き詰められるのでしょうか?
そのことに責任を感じたことはありません。そうした役を演じる上で当たり前のことで、時間が許される範囲でやっています。苦ではありませんし、役へのアプローチとしての時間がわかりやすいのでむしろ楽です。好きだから、ただそれだけのことなんです。
― 映画作りのどこが好きなんですか?
全部好きですよ。大変なことは山ほどありますけど、現場での時間、作品準備をしている時間、誰かと一緒にそれを体感していく時間がやっぱり好きですし、そうしたことが自分に合っているんだと思います。
― それでもストイックだねとは言われますよね。
言われがちではあるかもしれません。ただ、自分にとっては、たとえばピアノを半年練習したことが、「がんばりました」という話ではなく、むしろ「あと半年ください」という感覚なんです。何故なら演じた役は10年以上ピアノと向き合ってきた人ですから。
役を演じるにあたって、時間がない中ででき得る限り必要なことをやっているというだけで、いまでも悔いは残ります。なので、自分の中では特別なことではないですし、そうしたことを宣伝などでペラペラ喋ることも好みではありません。
― やりたくてやっているだけ。
はい。作品や役との出会いによって、知らなかったことを学び、人や自分と対話を重ね、演じることでひとつの形にしていくこと。それをもっともっと良くしていきたい。もっともっと良いものを届けたい。そのことのモチベーションが下がることって、映画に関してほとんどないんです。


― 本作で一平は自身のハンドラーとしての適正に思い悩んでいましたが、池松さんにとって俳優は天職ですか?
自分の天職だと思ったことはない、正しく言うと考えたことがないです。自分の人生において大きな部分を占めている、いま与えられている幸せだという実感はありますが、じゃあそれが天職かと聞かれると。これは私の天職です、と答えられる人がいたとするならば、それは天職ではないかもしれません。
天職とは自ら感じるものではなく、周りが使う言葉なのではないかなと思います。天職でも天職じゃくても僕にとってはどちらでもよく、目の前に楽しくて一生懸命取り組めるものがあって、もっともっとと思い続けていられるものがある。それだけでじゅうぶんです。でも、一平がハンドラーは自分の天職か、と考えているのはかわいくて好きです。
― 自分には別の道があったかもと想像することはありませんか?
もうないですけど、昔はありました。何か別のものに出会っていたら、それはそれで、のめり込みやすい気性が別の方向に向かっていたかもしれません。たまたま映画に出会って、たまたま俳優に出会って、それが性に合っていたし、そうなるように自分自身を変化させてきたのだと思います。
― ただ純粋に、与えられたものを一生懸命やっていると。
そう思っています。

― 以前のインタビューでは「俳優は誰もができるものだと思う」とおっしゃっていましたが、それでも俳優として一線でやり続けるための適性や条件を挙げるとしたらどんなことが考えられますか?
資格があったり、明確に必要な技能があるわけではないですし、そこには点数がつくわけでもありません。不思議なんですよ、俳優って。
僕自身の考えは、俳優の才能とか適性って基本的にあんまり信じていなくて、それは時代が決めるもので、人が求めるものは、簡単にひっくり返るものじゃないですか。でもほんのひと握り、そんな次元を超えて演じ続ける人たちがいる。そのことに興味があります。
俳優としてどれだけこの時代に人気があったり、上手いと言われる人がいても、それは時代の概念と、その時代の人々の認識によるもので、なので才能は当てにならないと思っています。
― それはそうでしょうね。
たとえば赤ちゃんが大きなスクリーンに10秒映ることと、俳優が懸命に演じて10秒映ること、その豊かさってまったく別のところにあって、実は人の目を強く引くのは前者だったりするものです。人間の演じる能力や技術は形容し難いことで、だけど誰もが生きる上で少なからずやっていること。極端に言えばそこにカメラや脚本があるか、ないかの違いだと思っています。だからこそやろうと思えば、そしてそれを魅力的に映そうとする者さえいれば、誰でもできると思っています。
ただ俳優に限らずなんでも、続けることが大変ですよね。どういうモチベーションを持って続けられているのかは人それぞれですが、何かしらあると思います。そこに共通した適性があるかと言われると難しいですけど。
― 今回オダギリ監督のもとに集まった俳優たちは、全員続けている人たちですよね。
そうですね。オダギリさんという人は、何にも迎合しないんですけど、実は人に対してものすごく優しくて、情が深くて、責任感が強くて、それを表に出さない。決してひけらかさず、むしろ真逆のことで塗り固めるような、真っ当に複雑な表現者で。
そんなオダギリさんの作り出す奇妙な世界に、オダギリさんの芯の部分を知っている、あれだけプロフェッショナルで愉快な表現者たちが沢山集まるということは、深く納得がいくというか、理解できるところがあります。

Profile _ 池松壮亮(いけまつ・そうすけ)
1990年7月9日生まれ、福岡県出身。2003年『ラスト サムライ』でスクリーンデビュー。以降、映画を中心に数々の作品に出演し国内外での評価を高め、数多くの映画賞を受賞している。近年の主な出演作に、『斬、』(18/塚本晋也)、『宮本から君へ』(19/真利子哲也)、『ちょっと思い出しただけ』(22/松居大悟)、『シン・仮面ライダー』(23/庵野秀明)、『白鍵と黒鍵の間に』(23/冨永昌敬)、『ぼくのお日さま』(24/奥山大史)、『ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ』(24/阪元裕吾)、『本心』(24/石井裕也)、『フロントライン 』(25/関根光才)など。また、26年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、豊臣秀吉役を演じることが発表されている。
Information
映画『THE オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ MOVIE』
2025年9月26日(金)公開
脚本・監督・編集・出演:オダギリジョー
出演:池松壮亮、麻生久美子、本田翼、岡山天音、黒木華、鈴木慶一、永瀬正敏、佐藤浩市、嶋田久作、宇野祥平、香椎由宇、吉岡里帆、鹿賀丈史、森川葵、髙嶋政宏、菊地姫奈、平井まさあき(男性ブランコ)、深津絵里
映画『THE オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ MOVIE』公式サイト
© 2025「THE オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ MOVIE」製作委員会
- Photography : Yoshitake Hamanaka
- Hair&Make-up : Ayumi Naito
- Text&Edit : Yusuke Takayama(QUI)