炎の画家・ゴッホが画壇に与えたインパクト – ポーラ美術館「ゴッホ・インパクト―生成する情熱」レポート
展覧会の見どころ。“受け継がれる情熱”を多角的に検証
本展は以下の観点から、ゴッホの影響を紐解いていく。
・情熱/受難(=パッション)の画家
・ニッポンにおけるインパクト ― 『白樺』から巡礼まで
・ゴッホ×現代 ― わたしたちが奏でるゴッホの変奏曲
それぞれが時代、地理、表現の視点から、ゴッホという存在の多層的な“生成”を明らかにしていく。
また展覧会のサブタイトルに掲げられた「生成する情熱」について、担当学芸員の工藤弘二氏は次のように説明した。
「アーティストは他者の表現をただ受け取るだけでなく、それを自らの表現へと昇華させることで新たな作品を生み出す存在です。そのプロセスを示すために『受容』ではなく『生成』という言葉を選びました。本展では、芸術家たちがゴッホの作品をどう内面化し、自らの創作の糧として各時代でどのように表現を更新してきたのかを、歴史的な視点からたどります。」
まさに各章を追いながら、ゴッホという画家がどう後世の画家たちに影響を及ぼしたかを紹介する展覧会だ。
情熱/受難(=パッション)の画家
芸術の都パリで、新印象派による点描技法をはじめとした新しい絵画の潮流に触れたゴッホ。37歳でこの世を去るまで探求し続けた独自の様式と劇的な生涯が、20世紀初頭の芸術運動にどのような影響を与えたのかがまず冒頭で紹介される。
マティスやヴラマンクらによるフォーヴィスム、ドイツ表現主義のブリュッケの画家たち……彼らの原点にゴッホの「強烈な筆致」と「色彩の対比」があったことが丁寧に検証されている点に注目だ。
ジョルジュ・スーラ《グランカンの干潮》1885年 油彩/カンヴァス 66.0 x 82.0 cm ポーラ美術館
出品作《アザミの花》(1890年、ポーラ美術館蔵)には、そうしたゴッホの晩年の情熱が凝縮されており、まさに“生きた筆触”そのものだ。
フィンセント・ファン・ゴッホ《アザミの花》1890年 油彩/カンヴァス 40.8×33.6 cm ポーラ美術館
工藤学芸員によると“passion”には「情熱」と「受難」の二つの意味があるという。ゴッホの人生そのものと作品はこの2つを体現したものだ。その筆触、色彩、表現手法は可視化された“情熱”であると同時に“受難”の軌跡でもある。
そんなゴッホの“受難”と、それによって生まれた作品を追体験できるパートになっている。
ニッポンにおけるインパクト ― 『白樺』から巡礼まで
続くセクションでは、明治末から大正・昭和にかけて日本にゴッホがどのように紹介され、受容されたかが紹介されている。
特に目を引くのは文芸誌『白樺』による紹介。1911年刊行の文芸誌『白樺』第2巻第10号に掲載された《包帯をしてパイプを銜えた自画像》モノクロ図版は、児島喜久雄らの翻訳評論を通じて、日本の若手洋画家に大きな衝撃を与えた。

岸田劉生は太い輪郭線や残された筆致を自身の自画像(1912年)に取り入れ、斎藤与里、清宮彬らが結成した「ヒュウザン会」の画家たちによる作品にもゴッホの影響が色濃く見られる。
岸田劉生《外套着たる自画像》1912年(明治45) 油彩/カンヴァス 41.1×31.8 cm 京都国立近代美術館

精神性と共鳴する形でゴッホが“日本的に理解”されていった過程がわかる流れになっている。
また、戦前の画家・前田寛治や里見勝蔵らによる「オーヴェール巡礼」の様子も紹介。その後、第二次世界大戦を経て、1953年日本橋・丸善での「生誕百年記念ヴァン・ゴッホ展」では1日1万人を動員し、大衆的なゴッホ・ブームを巻き起こした記録もある。
前田寛治《ゴッホの墓》1923年(大正12) 油彩/カンヴァス 50.0×60.5 cm 個人蔵

戦後の“ゴッホ・ブーム”とされる大回顧展の様子を含め、ゴッホに心を動かされた日本人の物語も豊富に取り上げられている。
ゴッホ×現代 ― わたしたちが奏でるゴッホの変奏曲
本展のクライマックスとなるのは、森村泰昌、福田美蘭、桑久保徹、フィオナ・タンといった現代作家による“ゴッホの変奏曲”だ。
森村泰昌による《自画像の美術史(ゴッホ/青い炎)》は、自らゴッホに扮し、その存在を“演じる”ことで芸術家のアイデンティティに迫ったセルフポートレート作品。時代を超えた問いを投げかけてくる。
森村泰昌《自画像の美術史(ゴッホ/青い炎)》2016/2018年(平成28/30)
アーカイバルピグメントプリント/カンヴァス 65.0×54.5 cm ポーラ美術館
copyright the artist, courtesy of ShugoArts
森村は6点のゴッホにまつわる作品を手がけてきたが、すべてを一堂に展示するのは初めてとのことだ。
また同氏は「歴史は過去のものが単に置き換えられて新しいものが生まれる『スクラップ&ビルド』だけではない。むしろ何らかのかたちで“引き継がれていく”ものがある。そして、その継承のなかにこそ“歴史”というものが浮かび上がってくるのではないか——そんなことを、今回の展覧会で強く感じた」と語った。

福田美蘭の《冬―供花》は、ゴッホの花の絵画《薔薇》を引用して、親しい人の喪失を表現した作品。震災の記憶も重なる。視覚と記憶が交差する空間に、観る者は思考を委ねることになる。
福田美蘭《冬-供花》2012年(平成24) アクリル/カンヴァス 181.8×227.4 cm 豊田市美術館
そして桑久保徹の《フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホのスタジオ》では、想像上のアトリエが重厚に描かれ、フィクションと歴史が融合するような独特の世界が展開される。
桑久保徹《フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホのスタジオ》2015年(平成27) 油彩/カンヴァス 181.8×227.3 cm 個人蔵 ©Toru Kuwakubo, Courtesy of Tomio Koyama Gallery
展覧会の締めくくりを飾るのは、オランダを拠点に制作活動を行うフィオナ・タンによる映像と写真のインスタレーション《アセント》だ。公募で集まった約4000枚の富士山にまつわる写真を素材にした映像作品では、撮影年代や撮影者、解像度の異なる記憶の断片が重なり合い、一つの「富士山」像を紡ぎ出している。
フィオナ・タン《アセント》2016年 2部構成:HDインスタレーション(16:10) 5.1サラウンド・サウンド 77分(ループ);写真インスタレーション(151枚) ベルナール・ビュフェ美術館 展示風景:ポーラ美術館 Photo: Ken Kato
本展はゴッホ自身の作品を鑑賞するだけでなく、その創造性によって引き起こされた芸術的連鎖と表現の“生成”を重層的に体感できる構成だ。
各章が時代と地域を超えてつながり、「生成する情熱」の全貌を浮かび上がらせると同時に、ゴッホイヤーにふさわしい再発見の機会となっている。箱根の自然とともに、その激動の軌跡をぜひご覧いただきたい。

会期:2025年5月31日(土)〜11月30日(日)※会期中無休
会場:ポーラ美術館(展示室1・2・3)
所在地:神奈川県足柄下郡箱根町仙石原小塚山1285
開館時間:9:00〜17:00(最終入館16:30)
入館料:大人 2,200円、大学・高校生 1,700円、中学生以下無料
主催:公益財団法人ポーラ美術振興財団 ポーラ美術館
公式サイトはこちら
▼「衝動のままに生き続けた“炎の人”」フィンセント・ファン・ゴッホ|今月の画家紹介 vol.5
- Text : ジュウ・ショ
- Photograph : Kei Matsuura(STUDIO UNI)
- Edit : Seiko Inomata(QUI)
