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理性と狂気、光と闇——戦争と聴覚喪失が呼び覚ました“最後の古典巨匠”フランシスコ・デ・ゴヤ|今月の画家紹介 vol.25

Feb 28, 2026
難解な解説が多くとっつきにくいアートの世界。有名な画家の名前は知っているが、なぜ評価されているのかはいまいち分かっていない方も多いことだろう。この連載では「有名画家の何がすごかったのか」を、アーティストを取り巻く環境とともに紹介していく。

今回のアーティストはフランシスコ・デ・ゴヤ。日本では「怖い絵」の代表格として一気に知名度を高めた画家だ。華やかな宮廷画家として成功を収めながら、なぜ彼は人間の暗黒面を描き続けたのか。

理性と狂気、光と闇——戦争と聴覚喪失が呼び覚ました“最後の古典巨匠”フランシスコ・デ・ゴヤ|今月の画家紹介 vol.25

Feb 28, 2026 - ART/DESIGN
難解な解説が多くとっつきにくいアートの世界。有名な画家の名前は知っているが、なぜ評価されているのかはいまいち分かっていない方も多いことだろう。この連載では「有名画家の何がすごかったのか」を、アーティストを取り巻く環境とともに紹介していく。

今回のアーティストはフランシスコ・デ・ゴヤ。日本では「怖い絵」の代表格として一気に知名度を高めた画家だ。華やかな宮廷画家として成功を収めながら、なぜ彼は人間の暗黒面を描き続けたのか。
Profile
フランシスコ・デ・ゴヤ

スペインの画家。(1746年3月30日 – 1828年4月16日)
ディエゴ・ベラスケス同様、宮廷画家として重きをなし、スペイン最大の画家と謳われる。西洋ではゴヤは最後のオールド・マスターと呼ばれている。

宮廷画家への階段と、突然の聴覚喪失——成功の絶頂から暗黒へ

ヴィセンテ・ロペス・ポルターニャ《フランシスコ・デ・ゴヤの肖像》1826年 プラド美術館所蔵

フランシスコ・デ・ゴヤは1746年、スペイン北東部アラゴン地方のフエンデトードスで、鍍金(めっき)師の次男として生まれた。その後、画家を志すも王立アカデミーの試験には2度も落選してしまう。

フランシスコ・デ・ゴヤ《ジョセファ・バイエウの肖像》1814年頃 プラド美術館所蔵

しかし1773年に師の妹ホセーファと結婚したことで転機が訪れる。義兄のコネクションにより、1775年から王立タペストリー工場で下絵描きの仕事を得たのだ。17年間で約42点のデザイン画を制作し、この地道な仕事がゴヤを王室の目に留めることになった。

フランシスコ・デ・ゴヤ《パラソル》1777年 プラド美術館所蔵

フランシスコ・デ・ゴヤ《デコイを使った狩猟》1775年 プラド美術館所蔵

1786年、40歳でカルロス3世付き画家に任命され、1789年には宮廷画家となった。これにより、ゴヤはスペインを代表する画家としての地位を確立する。

しかし、栄光の絶頂で悲劇が訪れる。1792年、46歳のゴヤは原因不明の重病に襲われ、完全に聴覚を失った。この聴覚喪失は、彼の芸術を根底から変える決定的な転機となる。音を失った世界に閉ざされた画家は、次第に内面へと向かい、人間の暗黒面を凝視するようになるのである。

啓蒙思想と聴覚喪失が生んだ批判精神、権力の虚飾を暴く二重の視点

1790年代後半、ゴヤは《裸のマハ》を描いた。西洋美術史上「神話や寓意という口実なしに描かれた最初の等身大女性裸体画」とされる作品である。神話の女神ではなく、こちらを真っ直ぐに見つめ返す現実の女性。その視線には恥じらいも媚びもない。1814年には本作をめぐり、スペイン異端審問所で釈明を求められることとなる。

フランシスコ・デ・ゴヤ《裸のマハ》1797年-1800年頃 プラド美術館所蔵

さらに衝撃的だったのが《カルロス4世の家族》である。

フランシスコ・デ・ゴヤ《カルロス4世の家族》1800年 プラド美術館所蔵

表向きは王族の威厳を示す集団肖像画である。しかしその実態は、痛烈な権力批判でもあった。画面中央に陣取る女王マリア・ルイサの表情はどこか傲慢に映り、国王カルロス4世は間の抜けた印象を与える。ある批評家はこの作品を「宝くじに当たったパン屋夫婦のようだ」と評した。

ゴヤはこの作品で「権力が生み出す虚飾」そのものを批判したのだ。豪華な衣装も、きらびやかな勲章も——それらはすべて、中身のない権力を覆い隠すための仮面に過ぎない。ゴヤはその仮面を剥ぎ取り、権力者たちの空虚な本質を白日の下に晒したのである。

驚くべきは、この絵が王室から正式に依頼された作品であったという事実だ。すなわちゴヤは、依頼主である権力者たちを、その目前で鋭く風刺してみせたことになる。なお、画面左奥にはイーゼルの前に立つゴヤ自身の姿が描き込まれている。あたかも「この光景を、私はすべて見ている」と静かに宣言するかのように。

フランシスコ・デ・ゴヤ《ゴドイ・コモ・ジェネラル》1801年 サンフェルナンド王立美術アカデミー所蔵

そもそも、なぜゴヤは、このように社会に対して批判的な視点を持ち続けることができたのか。まず挙げられるのは、時代背景である。ゴヤが宮廷画家に任命された1789年、フランスではフランス革命が勃発した。啓蒙思想が王権神授説を揺さぶり、理性と自由が叫ばれる時代だった。

また、彼は鍍金師の息子という平凡な家庭の生まれである。宮廷画家という特権階級の内部にいながら「よそ者」としての視点を失わなかったのだ。

戦争の惨禍、命をかけて真実を記録した版画の衝撃

1807年、ナポレオン率いるフランス軍がスペインに侵攻した。ゴヤはマドリードに留まり、表面上は中立を保ったが、内面では激しい葛藤が渦巻いていた。それは1814年に制作された《1808年5月3日、マドリード》に結実する。

フランシスコ・デ・ゴヤ《1808年5月3日、マドリード》1814年 プラド美術館所蔵

暗闇の中、銃殺隊の前で両手を広げる白いシャツの男。処刑される人々の顔は恐怖に歪み、対照的に銃を構えるフランス兵たちは顔が見えず、まるで非人間的な殺戮機械のようだ。

この作品が革命的だったのは、戦争を英雄譚としてではなく、純粋な暴力として描いた点にある。さらに容赦がないのが、版画連作《戦争の惨禍》(1810〜1820年制作、1863年出版)である。全82枚の版画には、戦場での残虐行為、飢餓に苦しむ市民、山積みにされた死体が描かれている。

フランシスコ・デ・ゴヤ《戦争の惨禍/34:一本のナイフのために》1810-1820年頃 プラド美術館所蔵

この版画シリーズはフランス軍だけでなく、スペイン側の暴力も容赦なく描いている。さらにブルボン王朝やカトリック教会をも批判した。つまり、戦争という行為そのものを告発したのである。当時のスペインでは、王権批判も教会批判も、異端審問や投獄の対象となった。この版画を公表すれば、命さえ危うかったはずである。そのため本作は、彼の死後35年を経た1863年まで出版されなかった。

それでもゴヤは描き続けた。誰に見せるためでもなく、ただ「真実を記録する」ために。聴覚を失った画家にとって、描くことだけが世界に抗する唯一の手段だったのだろう。

黒い絵、そして「見ることの勇気」という遺産

フランシスコ・デ・ゴヤ《ボルドーのミルク売り娘》1827年頃 プラド美術館所蔵

1819年、73歳のゴヤはマドリード郊外に別荘を購入し、そこに隠居した。なぜ彼は宮廷を離れたのか。1814年、ナポレオン戦争が終結し、復位したフェルナンド7世は自由主義者への激しい弾圧を開始した。ゴヤが期待していた改革は次々と潰され、スペイン憲法は廃止される。戦争中に権力と教会を批判していたゴヤの思想とは真逆の方向へと進んだのである。

さらに1820年、スペインで自由主義革命が起きるが、わずか3年で鎮圧された。ゴヤの周囲の自由主義者たちは次々と逮捕され、処刑された。もはやマドリードに留まることは、命の危険を意味していた。つまり心身ともに疲弊しきっていたのである。

ゴヤは1820年から1823年にかけて別荘の壁に直接14枚の壁画を描いた。今日では《黒い絵》と呼ばれるこれらの作品は、暗く、不気味で、悪夢のような光景に満ちている。

フランシスコ・デ・ゴヤ《魔女の夜宴》1820年-1823年 プラド美術館所蔵

最も衝撃的なのが《我が子を食らうサトゥルヌス》である。
暗闇の中、狂気に満ちた目を見開き、血まみれの子どもの身体を貪る老人の姿。その異様さと恐ろしさは、一度目にすれば決して忘れられない。

フランシスコ・デ・ゴヤ《我が子を食らうサトゥルヌス》1820年-1823年 プラド美術館所蔵

ゴヤはこれらの絵を、誰かに見せるつもりはなかった。それは純粋に、自らの内面と向き合うための営みだったのだろう。1824年、78歳のゴヤは政治的弾圧を逃れ、フランスのボルドーへ亡命する。そして1828年4月16日、82年に及ぶ波乱の生涯を閉じた。

ゴヤが遺した「見ることの勇気」という強靭な誠実さ

ゴヤはかっこいい。これに尽きる。彼の作品は単なる「怖い絵」ではない。
宮廷画家として王族に仕え、彼らから報酬を受け取りながら、協会も含めてその醜さを容赦なく描いた。当時は異端審問も激しかった時代だ。そんななか戦争の惨禍を目の当たりにして、誰もが口を閉ざす中、版画に刻み続けた画家だ。

現代の私たちも、様々な「権力」に取り囲まれている。政治権力、経済権力、組織の論理、見えない同調圧力。「空気を読め」「波風を立てるな」「黙っていれば安全だ」。こうした圧力の中で、多くの人は自己検閲を続けがちだ。

だからこそ、ゴヤはかっこいい。彼は地位も名声も命さえも危険にさらしながら「見たものを、見たままに描く」という芸術家としての誠実さを貫いた。単なる反骨精神ではなく、人間の尊厳を守るための抵抗だったともいえる。

ゴヤが「最後の古典巨匠」と呼ばれるのは、技法の革新だけではないと思っている。権力に対する、芸術家のあり方を身をもって示したことは偉大だ。だからこそ彼の作品を単なる「怖い絵」として消費するのはもったいない。権力の虚飾を暴き、戦争の狂気を告発し、人間の闇を直視する——その勇気こそが、ゴヤの絵の魅力なのだ。

  • Text : ジュウ・ショ
  • Edit : Seiko Inomata(QUI)

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