自身の“生きづらさ”を 他者の“光”に変換する – 現代美術作家・スクリプカリウ落合安奈
この作品で表現したものと、1年間の滞在の中で得たもの、そして“なぜつくるのか”を聞いた。
“透明な臓器”に色を与えて、血を通わせたい
展示室に足を踏み入れると、額装された写真作品《ひ か り の う つ わ》が来場者を迎える。さらに奥へ進むと、5台のスライドプロジェクターが「カシャ、カシャ……」と心地よい音を響かせながら、3方の壁に光あふれる写真を投影していく。同じく《ひ か り の う つ わ》と題されたこのインスタレーションには、ルーマニアの季節の移ろい、光、手と手をつなぐ人々、そして土地と記憶をめぐるイメージが浮かび上がる。
本展では、人と時代の流れ、場所、風習といった物事との結びつきから生まれる小さな物語に焦点をあてた、5名の新進作家の作品が紹介されている。その中で《ひ か り の う つ わ》を発表しているのが、日本とルーマニアにルーツを持つ現代美術作家、スクリプカリウ落合安奈である。
QUI編集部(以下、QUI):《ひ か り の う つ わ》は、いずれもルーマニアで撮影されたものだそうですね。ルーマニアに行ったのはどういった理由からだったのでしょうか?
スクリプカリウ落合安奈(以下、落合): 私は日本とルーマニア、2つの国にルーツを持っています。
けれど日本で生まれ育ったため、ルーマニアについてはごく基本的なことしか知りませんでした。外見や名前から「どこの国の出身なの?」と尋ねられることも多いのですが、自分のルーツの国について十分に語れない。そのもどかしさが、いつしか自分の中で“透明な臓器”のように膨らみ続け、息苦しさを感じるようになっていきました。
「スクリプカリウ落合安奈」という本名も、日本社会では長くて読みにくく、生きづらさを覚えることがありました。名前を捨ててルーマニアを切り離して生きるのか。それとも、2つのルーツとともに生きるとしたら、どうすればいいのか。そんな葛藤を、ティーンエイジャーの頃から抱えていました。
それでも次第に、その“透明な臓器”に色を与え、血を通わせたいという前向きな思いが芽生えていきました。「2つの母国にしっかりと根を下ろしたい」そう感じた私は、20代前半に自らの意思で初めてルーマニアへ向かいました。
QUI:ルーマニアを訪れたのは、その時が初めてだったのでしょうか?
落合:幼少期に3度ルーマニアを訪れましたが、自分の意思で訪れたのはこのときが初めてでした。その後も3回ほど滞在しましたが、最大でも2か月程度。こうした短期間の滞在をつなぎ合わせても、自分が手に入れたいと思っていた「土地の手触り感」のようなものは、一生掴めないのではないかと気づいたのです。
そして、1年を通して滞在する決心をした矢先、2020年にパンデミックが起こりました。国境は文字通りの「壁」となり、母国でありながら入国できないという状況に直面しました。さらに、渡航が決まった2022年2月には、ロシアによるウクライナ侵攻が始まり、見通しの立たない状態が続きました。最終的には1か月の延期を経て、同年の12月にようやく旅に出ることができたのです。
ルーマニアで出会った、たくさんの「母たち、父たち」
QUI:1年間の滞在と、それ以前の訪問とでは、どんな違いがありましたか?
落合:最初の3回は、親族にガイドを頼んだり、ある程度頼れる人がいる状態でした。しかし、今回の1年間の旅ではそれがまったくなく、人脈もネットワークもすべてゼロから自分で築かなければなりませんでした。文化も言語も生活習慣も知らない、まるで「赤ちゃんのような状態」から出発しましたが、出会った人たちに本当に育ててもらった感覚があります。
QUI: 東京都写真美術館の展示キャプションには『わたしの中で肥大化した 透明な臓器に 温かい血を通わせ 色を与えたのは (中略) この旅路で出会った たくさんの「母たち、父たち」だった』という言葉があり印象的でした。それはまさに、そのように現地で出会った方々なんですね。
落合:そうですね。旅を終えた後、この経験で自分が得た最も大切なものは何だったのかと考えると、やはりそれは、ルーマニアという土地で、生きるすべを教えてくれたさまざまな人々との出会いだと思います。
「母たち、父たち」とカギ括弧を付けているのは、産みの母親や血縁上の父親といった意味ではありません。生まれたばかりの赤ちゃんから、杖をついた老人まで——出会ったさまざまな人々から、大切なものを受け取り、育ててもらったように感じたからです。
QUI:そうした出会いの中で、特に印象に残っているエピソードはありますか?
落合:今回の展覧会のメインビジュアルにもなっている、ごはんの写真を撮影したときの出会いが特に印象に残っています。チーズパスタのようなルーマニアの家庭料理の写真ですが、旅の初めに住まわせてもらったアパートで撮影したものです。
ルーマニアに到着し、まず最初に住む予定のアパートに向かうと、80代くらいの知らないおばあさんが突然家にいて「誰?!」とびっくりしました。笑
そのおばあさんと同じ屋根の下で暮らすことになったのですが、言葉はほとんど通じず、困ることもたくさんありました。
ところが、ごはんの時間になると、「マーサ(食事)!」と呼びに来てくれたんです。私は食事を自分で作ったり買ったりしようとしていましたが、そんなことは関係ありませんでした。生きてきた時代も場所も、文化も異なる、日本から急に来た言葉の通じない私のために、ごはんを作ろうと思ってくれる——その気持ちに心が大きく揺さぶられました。
そして一緒に食卓を囲んだとき、窓からそのごはんに光が差し込み、その瞬間を撮影したのがあの一枚です。言葉で表現するのは難しい感覚ですが、旅の始まりとして、とても印象的な体験でした。
記憶と重なる光の表現
QUI:今回の《ひ か り の う つ わ》をはじめ、落合さんの作品では「ひかり」が重要なモチーフになっていますね。
落合:世界を旅したり、カメラを使うようになって、地球上で国によって光がこんなにも違うのかと驚いたんです。
さらに、光には二面性があると感じています。ひとつは、国と国の間に存在する距離を映し出すものとしての光。もうひとつは、人間が作った国境や境界線とは関係なく、すべての場所に平等に降り注ぐものとしての光です。私はこの性質に、とても深い興味を抱いています。
QUI:今回のインスタレーションでは、35mmフィルムとスライドプロジェクターを仕様されていますね。今の時代にあえてアナログなメディアを使う理由は何でしょう?
落合:カメラを使い始めた頃、最初はデジタル撮影の技術も身につけようとしました。しかし、フィルムとデジタルには圧倒的な差があることに気づいたのです。私が大切にしている、身体性や、写真を通してその場に観る人を連れて行く感覚を表現するには、フィルムの方が適していると感じました。
スライドプロジェクターを使用したのも、アナログのフィルムに焼き付けて持ち帰ったルーマニアの光の質感や空気感を、そのまま映し出したいと思ったからです。
QUI:スライドプロジェクターは、中のフィルムを回転しながら投影し、ループするので、その動きも印象的でした。
落合:作品の中には「季節の巡り」「命の巡り」といった意味や、人と人が手を取り合って輪になる写真や詩もあり、円環のイメージが重なっているという部分もあります。
この作品は、私自身の経験をモチーフとして制作していますが、できれば何周も観ていただいて、鑑賞者の想いや記憶がこの旋回の中に重なっていくことを願っています。そういう意味でも、プロジェクターの旋回する動き自体が、作品にとって重要な要素となっています。
多くの人に開かれた表現を探して
QUI:落合さんにとって「作品をつくること」は、どういった意味を持っていますか?
落合:その時々で意味は変わると思いますが、私にとって作品をつくることは、「社会と繋がる唯一の手段」であり、社会を理解するための方法でもあります。
そして最も大きな出発点は、自分の「生きづらさ」から始まっているということです。制作を通じて、それを他者と共有することで、自分一人では解決できない社会の構造的な問題に気づくこともありました。
差別や偏見の構造、コミュニティの中で異なるものを排除する動物的本能のようなものについて考えたり、世界を旅してさまざまな文化や考え方に触れたりすることで、自分自身の価値観を鍛えていきます。それはまるでらせん状に上へ登りながら、その輪が徐々に広がっていくイメージで、私にとって「作品をつくること」とはこういう感覚でもあります。
実際、作品を観た方からは、今まで知らなかった社会の問題に目を向けるきっかけになった、あるいは自身の葛藤を解消する方法を探す視野が広がった、といった言葉をいただくこともあります。
作品の出発点は自分がミックスルーツとして生きてきた経験と、それを取り巻く社会構造への問いかけです。それを通して観る人ひとりひとりのさまざまな痛みや苦しみに思いを巡らせるきっかけになり、多くの人に開かれた作品になってほしい——そんな思いがあります。
QUI:個人の葛藤から、作品を観た多くの人とも接続していく…という感じでしょうか?
落合:制作をはじめた当初は、「それは単にあなたの問題でしょう?」と、うまく届かないことも多く、試行錯誤を重ねていました。しかし、10年以上にわたって作品を発表し続ける中で、どうすれば多くの人の心に届き、またさまざまな捉え方が可能な作品になるのかが、少しずつ見えてきたように思います。
これからも、作品や旅を通じた出会いによって自分を拡張し、自分の価値観を問い続けること。そして、自分の「当たり前」が他者にとっての「当たり前」ではないという違いを受け入れ、理解し、尊重する方法を探り続けること——そうした営みを、これからも続けていきたいと考えています。
QUI: これからの活動も楽しみにしています。来年、大阪のThe Third Gallery Ayaで、個展『ひ か り の う つ わ』も開催されるそうですね。また、2026年の春には、初の写真集が赤々舎から刊行されると伺いました。
落合:ルーマニアの季節のひと巡りの旅を、自分の中からどんどん抜け落ちていってしまう前に形にとどめたくて、写真集の形にすることと、本を書きたいという気持ちが強くあったんです。
写真は言葉にならないものを伝えられるのと同時に、やはり一枚一枚の写真の裏側にあった物語や出会いも、作品とは別の形で形として残したいですし。この一年の旅は、人生で最初で最後だと思っているので、形に残したいと強く思っています。
QUI:観た人が自分の体験と接続して考えられるような写真の表現と、唯一無二の体験の文章、どちらも興味深いです。落合さん、ありがとうございました。
落合安奈
美術家。1992年埼玉県 生まれ。
日本とルーマニアの 2 つの母国に根を下ろす方法の模索をきっかけに、「土地と人の結びつき」というテーマを持つ。国内外各地で土着の祭や民間信仰などの文化人類学的なフィールドワークを重ね、近年はその延長線として霊長類学の分野にも取り組みながら、インスタレーション、写真、映像、絵画などマルチメディアな作品を制作。「時間や距離、土地や民族を越えて物事が触れ合い、地続きになる瞬間」を紡ぐ。
公式サイト
Instagram:@ana_scripcariu_ochiai
総合開館30周年記念 遠い窓へ 日本の新進作家 vol.22
開催期間:2025年9月30日(火)~2026年1月7日(水)
会場:東京都写真美術館
住所:〒153-0062 東京都目黒区三田1丁目13−3 恵比寿ガーデンプレイス内
時間:10:00-18:00(木・金は20:00まで)※1月2日(金)は10:00-18:00開館
休館日:毎週月曜日(月曜日が祝休日の場合は開館し、翌平日休館)、年末年始(12月29日~1月1日)
公式サイト
Instagram:@topmuseum
出品作家
寺田健人:1991年沖縄県生まれ
スクリプカリウ落合安奈:1992年埼玉県生まれ
甫木元空:1992年埼玉県生まれ
岡ともみ:東京都生まれ(現在、岡山県と二拠点)
呉夏枝:1976年大阪府生まれ
個展『ひ か り の う つ わ』
開催期間:2026年4月4日(土)〜5月2日(土)
会場:The Third Gallery Aya
住所:〒550-0002 大阪府大阪市西区江戸堀1丁目8−24 若狭ビル 2F/4F
公式サイト
Instagram:@thethirdgalleryaya
初の写真集刊行
出版社:赤々舎
刊行予定:2026年春
公式サイト
Instagram:@akaakasha
- Text : ぷらいまり。
- Photograph : Kei Matsuura(STUDIO UNI)
- Edit : Seiko Inomata(QUI)










