三島有紀子 – 悲しみから生まれるもの
映画の神様がいるとしたら浩市さんが呼んでくれた
— 先ほど佐藤浩市さんにお話聞かせていただいて、ちょっと緊張しちゃったんですけど。
緊張しますよね。わかります、私もしますから。
— 三島監督でもまだ緊張されるんですね。
しますよ。今日どういう感じかなって……
— 探りながら?
はい、もちろんです(笑)。
— それを聞いて安心しました(笑)。さて、『インペリアル大阪堂島出入橋』を拝見させていただいたんですけど、もうとにかくよくて。
嬉しい。ありがとうございます。
—あと、改めて佐藤浩市さんってすごい俳優だなって。この作品は佐藤さんでしか成り立たないんじゃないかと思いました。
それは浩市さんにお伝えくださいました?
— はい。
よかったです。
— 三島監督にとって、佐藤浩市という俳優はどのような存在ですか?
私は50代の頭ですけど、私が子どもの頃からずっと映画の国の住人で、映画とともに人生がある人で。映画を知りつくした佐藤浩市さんと一緒に映画を作りたいという思いはずっとあったので、とても感慨深いものがあります。
今回は、私小説のような作品に私と同じ熱量で向き合って、非常にシンプルな脚本の余白を埋めて、なおかつそこに至るまでの人生を感じさせてくれる。そういうことをやってくれる役者さんは誰なのかと考えた時に、浩市さんにお願いしたいと思いました。3年ぐらい前に原田芳雄さん邸でお会いした時に、浩市さんが「一緒に映画をやろう」と言ってくださったのをいいことに。
— 温めていたんですね。
そうですね。ご一緒に挑んでいただきたいという思いでお願いにあがりました。
浩市さんは、ひとつの言葉に厚みを持たせてくださるんです。名優ってそういうことなのかなって思うんですよね。あと、もちろんお芝居を細かく構築して現場に来られているんですけど、現場で起こること一つひとつにアジャストしていく姿を見て圧倒されました。相手役はもちろんですが、街の風や通り道の息みたいなもの全てにアジャストしていかれるんです。
— 佐藤さん演じるシェフ、川上次郎が自身の人生を独白しながら夜明け前の街を歩き続ける11分40秒の長回し。セリフのない時間も結構長いのに、観ていてずっと惹きつけられちゃうんですよね。
すごいですよね。言葉と言葉の間の余白をどう埋めるのか。あれだけ長いと、役から佐藤浩市さん自身に戻ってしまわないギリギリの生の肉体から発せられる何かが、今まで生きてきた時間を感じさせてくれるんでしょうね。
— 撮影は2回チャレンジされたそうですね。
そうなんです。1日目に撮影した時にあんまりいいと思えなかったんです。で、浩市さんは「そのままもう1回いこうよ」っておっしゃったんですけど、「明日にさせてください」って。暗闇の中から始めてどこまでも続くかに思えた闇のトンネルのような空が白むか白まないかっていう時間帯を狙いたかったんですよね。夜が明けてしまってはまったく意味が変わってしまうので、2日目の同じ時間午前4時16分から用意スタートをかけました。
— 後がない状況で納得のいくものができたというのもすごいです。
2日目はなかなかのプレッシャーですよね。もう後がないので。本番の直前、浩市さんに「命に関わること以外は何が起こってもこのカットは止めません」とお伝えしたら、何拍か静寂があって「わかった」と。そこからの集中力が神々しいくらいで。言った私もとても緊張しましたが、あれだけのベテランでキャリアのある方が、ここまで自分を追い込んでピリピリさせて本番に挑むんでくださるんだって。映画の神様がいるとしたらですけど、ちょっとだけ降りて来てくれたのかなって、浩市さんが呼んでくれたんだろうなって思います。
— 聞いているだけでしびれますね。
しびれます。お芝居は生ものなので、間が全部同じにはならないじゃないですか。本番前はスタッフも含めた全員が何回も自分の役割を反芻しながらずっとシミュレーションをやっていたと思います。信号が多かったので私もあの信号が赤になってこの信号が青になって40秒後によーいをかけて……と、とても厳密なタイミングの始まりでしたし。最後の和田光沙さんとかもう大変ですよ。あそこでお皿が……言えないですけど。
— 紅白のけん玉チャレンジみたいなプレッシャーが。
そうそう。みんながしびれながら集中してくれたっていう、本当にその賜物ですよね。監督なんて別に何もできないので。これをやるんだって決めたことと、後は「よーい、スタート」をかけたら覚悟を決めて全員を信じ切るっていう、それが私の仕事かなって。本当によいチームにめぐまれました。
役者として求められる想像力と反応力
— 佐藤浩市さんはキャリアでいえば40年以上にわたって第一線で、映画は110作品以上、ドラマも含めると数え切れないほど出演されていますよね。
本当に芝居を知りつくしているんです。だから、最初はワンカットも無理だろうっていうふうにおっしゃったんですよ。たとえば我々が映り込んだり、街灯が多いので我々の影が浩市さんの背中に出たり、プロフェッショナルとしてはあってはいけないことが起こってしまう。そんな中で自分が11分40秒を持たせて人生を感じさせなきゃいけないということが、どれだけ難易度が高いことかを心の底からわかってらっしゃるので。
— でも「無理だろう」と言われても諦めることはなかった。
この作品に関しては、もし我々が映り込んでもオッケーとしますとお伝えして。あとはどれだけ大変かっていうことに「そうなんですよね」と共感を示しながらも、「無理ですよね」とだけは絶対に言わないようにしました。
— 佐藤さんが素晴らしい俳優だというのは間違いないんですけど、三島監督が一緒に仕事をしたいと思う俳優の条件はなんですか?
まずは、とにかく作品をよくするためにはどうしたらいいか、その目的に対して絶対に裏切らないこと。あとは、役者としての想像力と反応力です。
— 想像力っていうのは、その役がどういう人間なのかという?
そうです。朝起きて目覚まし時計を止める人なのか、iPhoneを止める人なのか、その後に顔を洗うのか、冷蔵庫を開けて水を飲むのか、その人の長い人生とこの1日を本当に繊細に想像するということです。
— すごい負担ですよね。
大変だと思います。役者さんってこの世にいない人間を1人生むわけじゃないですか。それが嘘になるとすべてが嘘になってしまうので。インペリアルっていう洋食屋さんで、あんなふうに生きてきた男が1人いたんだなって思ってもらわないといけなくて、「あ、佐藤浩市さんだ」って思われたら……
— 終わりですよね。あんなに有名な役者さんなのに、スクリーンに映っているのは佐藤浩市さんではないですもんね、やっぱり。
そうなんですよ。川上次郎になっている。
— 反応力というのは?
想像をしてきて、なおかつ相手のお芝居に対して役としてきちんと反応をする。自分だけの芝居をしないということです。
— ちゃんとコミュニケーションが成り立つような。
感情のコミュニケーションって言うんですかね。言葉のコミュニケーションではなくて。例えば「嫌い」って言葉で「好き」っていう感情を投げられたら、それに対して役として返せるかという。
— 難しいですね。
お客さんには、伝わった時に伝わったっていう反応を返さないとわからない。発する側が「好き」ってことがバレないように「嫌い」と言ってるっていうのは、受け手のリアクションで見せなきゃいけないんですよ。セリフじゃなくて。
— そうか。それで、お客さんは言葉の裏にある好意を察することができるんですね。
はい。でも何より大事なのは、最初に言った作品に対して絶対に裏切らないということですね。スタッフも同じです。そしたら、みんなでいろいろ一緒に悩んで工夫できると思うんです。出航したら決してもう誰もこの船を降りることはできないんで、だから一緒に漕ごうよっていう。
悲しいことがなかったら映画なんて必要ない
— 映画って大きなクルーで動くものですけど、そこに面白みを感じていますか?
いろんな価値観の人間がいろんなことを思っているわけで、毎回本当に自分は向いてないと思うぐらい大変なんですけど。でも自分の考えていることだけが画になってしまうと、私の人生しか感じられない狭いものになってしまう。いろんなスタッフが絡んで、こういうふうに思ったからこう撮った、こういう明かりを当てた、こういう音で構築した、っていうのが同じ方向に向かって積み重なっていくことで、未知の世界が化学反応でどんどん生まれていく。そうすると、最終的に深く重層的で大きな画になっているっていうのが面白いですね。
あと浩市さんもおっしゃってたけど、うまくいった時って言葉を交わさないんです。ちょっとバンドのライブに似ていると思うんですけど、カットをかけて「いけたね」っていう目線のやり取りをする時っていうのは、他では得られない喜びがあります。
— いいですね、楽しそう。
楽しいです、ぜひ。でも相当大変です。本当大変です。
— 大変なことの方が多いですか?
こんな大変なことをなんでやってるんだろう?って毎回思います。
— それに対してご自身の中で答えはありますか?
結局、こういうものを作りたいっていう衝動じゃないですかね。その衝動の芽が出た時に、誰も摘めないっていうか、自分でさえ摘めないんです。
— それは監督の個人的な性質としてでしょうか? 人間やりたいと思っても「面倒くさい」ってなっちゃうことって多々あると思うんですけど。
そういう時は勝手に枯れていくんじゃないでしょうか。
— 衝動の芽が。
お金が集まらないとか、キャスティングがうまくいかないとか、いろんな障害があるんですけど。そのたびに衝動の芽がちょっとずつ摘まれたとしても、なぜかまた芽が出てくるので「しょうがない、やるしかない」って。
— 諦めることを諦めるんですね。
あと最近、浩市さんがブルースのCDを出されたんですが、私ブルースが大好きなんですよ。中学校の時にはアメリカ民謡クラブっていう、ブルースの歴史を教えてもらってブルースをみんなで歌うみたいなクラブに入ってまして。
— ちょっと珍しいですね。
珍しいですよね。ブルースを歌うのは悲しいことがあるからだっていうB.B.キングの言葉があるんです。これが自分の映画作りに通じているものがあって、悲しいことがまったくなかったら映画なんて必要ないんじゃないかなと。でも、辛いことや悲しいことがあるから作ってしまうし、観に行ってしまう。音楽だったり、映画だったり、絵画だったり、芸術っていうものはすべてそうなのかもしれないですね。
— ああ、なるほど……自分事なんですが、つい先日に近しい人を亡くしまして。それで、今日のインタビューに向けて『インペリアル大阪堂島出入橋』をもう1回拝見したんですけど、最初に観たときと感じ方が全く変わっちゃって。喪失の物語であることを強く感じられて、より身につまされるものがあったんですね。今のお話を聞いて、そういうことなのかなっていうのはちょっと思いました。
まさに喪失の物語ですからね、この映画は。喪失の先に光みたいなものを手繰り寄せられるのかもしれないし、どうなんだろう、みたいな。
— 最後には救いが感じられるなと思いました。
人生は続きますからね。
— そうですよね。
終わらない。
母親がハンバーグを食べたいと言って生まれた映画
— 『インペリアル大阪堂島出入橋』って実話がベースですよね?
うちの母親がインペリアルのハンバーグを食べたいって言って、私の幼馴染の二代目店主にハンバーグを作ってもらって、母親が食べて喜んだっていうことが本当。それ以外は創作です。
— じゃあ、佐藤さんのモノローグで語られる年譜もフィクション?
完璧に違うわけではないですけど。東京の帝国ホテルで修業をして、だからインペリアルっていう名前を付けたっていうのは本当ですね。
— 建物が取り壊されるところはドキュメントの映像が使われていました。
はい。インペリアルが取り壊されるっていうので、それまでに絶対撮ろうと。そして店主からデミグラスソースは作り続けてるって聞いて、それはひとつの小さな光なんじゃないかと感じたことで、脚本を書き始めました。だから、デミグラスソースを最後に味わうっていうのが、非常に大きいことだったんですね。私にとっては。
— 佐藤さんの手にデミグラスソースがついて……
あれは本当に偶然だったんですけどね。台本の初稿は手についたデミグラスソースを舐める。で、セリフが「味わう」。でもそんなにうまいこといかないよねということで、ソースのついたフライドポテトにしようってなったんですけど。本番で奇跡的にデミグラスソースが手についたんです。浩市さんも、それを見つけた時にいろいろ思うことがあったっておっしゃっていました。
— ああ、いいですね。脚本・監督にクレジットされている三島豊子さんっていうのは?
母親です。母親がハンバーグを食べたいと言って生まれた映画ですし、この作品の編集をしている時に母親が倒れて意識不明になったんです。で、駆けつけて「実家の近くでこんな映画を撮って、佐藤浩市さんと一緒に映画作ったで」っていう話をしたら意識が回復したんですよ。
— すごい!
その話をプロデューサーにしたら、これはもうクレジットしなきゃいけないなと入れてくれたんです。あの役・豊子さんについても創作の部分が大きいのですが、そんなこともあって脚本・監督のところに名前を並べさせていただきました。
— 私小説っていう表現をされていましたけど、親孝行でもありますよね。
親孝行なのかな? それよりも普通に生きてくれた方が親孝行かもしれませんけど。
— いやいや。ハンバーグも食べて喜んでいただけたそうですし。
ハンバーグは喜んでくれましたねぇ。そういうのって、エンターテイメントなのかなと思うんです。そこに特別な時間が流れている。だからそのハンバーグみたいにこの映画がみなさんに喜んでもらえるような特別な時間になれば…心のハンバーグになってくれたらいいなって思いながら作ってました。
— ちなみにインペリアルさんのその後は?
インペリアルは取り壊されて、今は新しいお店をどこかで開けないか場所を探してるそうです。再開する時が来たら私も食べに行きたいなって。
— 次は開店で1本撮らないんですか?
撮りましょうか。また浩市さんやってくれますかね?
— 短編は当分いいやっておっしゃってましたけど。
もういいやって(笑)? 今度は長編でご一緒したいです。
— ですね。楽しみにしています。
Profile _ 三島有紀子(みしま・ゆきこ)
大阪市出身。18歳からインディーズ映画を撮り始め、大学卒業後NHKに入局。「NHKスペシャル」「トップランナー」など市井の人々を追う人間ドキュメンタリーを数多く企画・監督。03年に劇映画を撮るために独立しフリーの助監督として活動後、『しあわせのパン』(12年)、『ぶどうのなみだ』(14年)と、オリジナル脚本・監督で作品を発表。同名小説を上梓した。企画から10年かけた『繕い裁つ人』(15年)は、第16回全州国際映画祭で上映され、韓国、台湾でも公開。その後、『少女』(16年)は第29回東京国際映画祭JAPANNOW部門正式招待、『幼な子われらに生まれ』(17年)では第41回モントリオール世界映画祭で審査員特別大賞に加え、第41回山路ふみ子賞作品賞、第42回報知映画賞では監督賞を受賞し、2018NY JAPAN CUTSのNEW YORK PREMIERE FEATURE SLATEで上映、韓国・台湾でも公開。2022年3月9日より、最新作『Red』(仏題『Red(THE HOUSEWIFE)』 )のフランス劇場公開が決定している。
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Information
映画『MIRRORLIAR FILMS Season2』
2022年2月18日(金)より順次公開
監督:Azumi Hasegawa、阿部進之介、紀里谷和明、駒谷揚、志尊淳、柴咲コウ、柴田有麿、三島有紀子、山田佳奈
出演:板谷由夏、片岡礼子、駒谷由香里、佐藤浩市、サンディー海、柴咲コウ、しゅはまはるみ、Joyce Keokham、細田善彦、永野宗典、中本賢、藤谷理子、松本まりか、矢部俐帆、山崎樹範、山田孝之
©2021 MIRRORLIAR FILMS PROJECT
- Photography : Kenta Kikuchi
- Hair&Make-up : Chika Horikawa
- Art Direction : Kazuaki Hayashi(QUI / STUDIO UNI)
- Text&Edit : Yusuke Takayama(QUI / STUDIO UNI)