ジャック・オーディアール – 人は生まれ変われるのか
公開に先駆けて来日したフランスの名匠、ジャック・オーディアール監督へのインタビュー。
ある種の生きたパラドックスであるキャラクターに惹かれた
─ 『エミリア・ペレス』は、麻薬カルテルのリーダーが性別移行を遂げるとともに、犯罪スリラー、ミュージカル、トランスジェンダー、クィアロマンス、シスターフッドとさまざまなジャンルへと変容する映画ですね。あなたは、いつも新鮮なアプローチで異なるジャンルやフォルムの映画に挑戦してきたように思いますが、何があなたを映画へと駆り立てるのでしょうか。
仰る通り、私は毎回、異なったジャンルに取り組まずにはいられないのです。同じことを二度やってもつまらないだけなので、違うものにしなければならない。私にとって、それはほとんど実存的な問題と言えるかもしれません。
ずっと関心を惹きつけられ続ける題材でないと、作品として長く関わることはできません。責任をかけて集中して取り組むに値する主題にとことん取り組みたいのです。そのふたつの理由から、常に新しい映画に挑戦しているのだと思います。
─ あなたは、自分に課せられた制約を超越しようとする人物を常に描いてきました。その意味では、ジェンダーも生き方も変えるエミリア・ペレス(実際にトランスジェンダー女性であるカルラ・ソフィア・ガスコン)は極めてジャック・オーディアール的な主人公だと言えます。なぜこの主人公に惹かれたのでしょうか。
この物語は、ボリス・ラゾンの小説『Écoute』からヒントを得ているのですが、もし私がその小説の中で女性になりたいと望む麻薬王のキャラクターを見つけていなかったら、決してこのようなアイデアを思いつかなかったでしょう。
なぜ強く興味を惹かれたのかと言えば、このキャラクターがある種の生きたパラドックスだからです。最初は最もマッチョで、最も性差別的な世界に属する残忍な人物でした。でも、実は暴力と悪、男らしさの象徴だった人物が、対極の慈悲と善良さ、女性らしさの側に立つ願望を内包していて、女性になることを望んでいるというのが面白いと感じました。
そして、乱暴な男社会の中にいた人物が、果たして性別適合手術を受けたら生まれ変わることができるのだろうか、それまで犯してきた残虐行為に終止符を打つことができるのだろうかという問いかけを行うことに興味を抱いたのです。

© 2024 PAGE 114 – WHY NOT PRODUCTIONS – PATHÉ FILMS – FRANCE 2 CINÉMA
─ 本作は、ポリティカルなミュージカルと言えるかもしれません。アメリカでトランスジェンダーやメキシコが社会秩序に対する存在的脅威として見なされてしまう時代に、現代の社会問題を陽気なミュージカルで扱うことにはどのような意味がありましたか。
以前から私は、メキシコの社会的状況に関心を持っていました。メキシコでは、行方不明者が12万人ほどいて、年間3万件を超える殺害事件が発生しています。どうしてこんな異常なことが起こるのだろうか。この社会問題については、多くの映画やドキュメンタリーが作られ、多くの記事が書かれてきました。しかし、部外者の私たちには馴染みがなく、必ずしもすべてを把握できるわけではありません。このような深刻な問題に真正面から真剣に取り組んでも、もしかしたらそこから何も学べない可能性もある。
そこでアプローチを変えて、歌や音楽を用いたミュージカル調にした方が、より心に残るものになるかもしれないと私は思ったのです。例えば、トロイア戦争、トロイアの城壁の下でのアキレウスとヘクトールの戦いを、単なる2人の荒くれ者が互いに殴り合うように語れば散文的で面白みを欠いたものになりますが、もしそれが『イーリアス』や『オデュッセイア』といったホメロスの叙事詩のように歌われるならば詩的になる。今回、ミュージカルを用いたのは、それと似た手法なのです。ホメロスの領域のように手を加えて芸術性を高めることで、トランプの戦争も語ることができると思います。
─ これまでも『預言者』(2009)、『ディーパンの闘い』(2015)、『ゴールデン・リバー』(2018)、『パリ13区』(2021)とフランス語以外の言語に取り組んできましたが、今回はスペイン語ですね。異なる言語への音楽的な関心や探求が、あなたをミュージカルへと導いたのでしょうか。
仰る通り、今まで私が話すことのできない異なる言語でもいくつか映画を作ってきましたが、それらを通して、私は台詞の音楽性に基づいて仕事をするのが好きだということに気づきました。母国語の場合は、台詞の細部に執着しすぎてしまうときがありますが、外国語の場合は、言語そのものの響きが持つ音楽性により集中できるような気がするのです。
本作は、ミュージカルなので歌も扱っていますが、たとえスペイン語がわからなくても、そのような言語の音楽性への感性が確かに働いたのかもしれません。もともとスペイン語の歌には、完全には理解していなくとも、ジプシーの歌やミサなどを通して触れてきましたし、スペイン語圏には偉大な詩人がたくさんいるので、音楽性や詩的な感覚に優れている印象を持っていました。

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─ 本作には、サンローラン・プロダクションが共同制作として携っています。そのクリエイティブ・ディレクターであるアンソニー・ヴァカレロは、あなたを「フランスの最高の独立系映画監督の一人」と讃えていました。彼らとのコラボレーションが作品にどのように働いたか教えてください。
アンソニー・ヴァカレロとは、映画の共同制作者としてプロフェッショルな関係を築きました。サンローランが衣装を提供してくださったことで、彼らが責任を負っている範囲において、芸術的貢献を果たしてくれたと思います。登場人物たちの衣装、特にリタ役のゾーイ(・サルダナ)とジェシー役のセレーナ(・ゴメス)の衣装には、あらゆる場面で変化を遂げていることがわかるような雰囲気のものをそれぞれ選んでいただきました。
─ アメリカ、イギリス、カナダでは、Netflixが本作の配給権を獲得しました。本年度アカデミー賞に最多12部門13ノミネートを果たしましたが、Netflixで配信されたことは国際的な評価において効果をもたらしたと思いますか。
配給権をNetflixが獲得したことによって、評価に何か効果があったかどうかは、わかりません。ただ、Netflixの計画は『エミリア・ペレス』をオスカーに連れて行くことでした。オスカーのために、彼らは非常に強力で大規模なキャンペーンを打ってくださいました。それによって、多くのノミネーションにつながったことを実感しています。
─ 一方で、フランスでは映画館の興行を守るために配信への規制が強いと伺います。
フランスに関しては、製作会社のパテ(Pathé)と配給の契約を個別に結んで、資金面から協力していただきました。仰るように、フランスでは映画館の興行を守るという映画界全体のスタンスがあります。パテの目標は劇場で映画を公開し、観客のみなさんに映画館に足を運んでもらうことでした。そのスタンスでパテと契約をしています。

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いかなる恋愛も異なる見方をせず、すべて平等であるように描く
─ 以前、『パリ13区』でインタビューした際、「女性を描くために女性脚本家を招いた」と明かしてくれましたが、今回も引き続きレア・ミシウス(『ファイブ・デビルズ』(2022)監督)が脚本協力として参加していますね。謝辞にも彼女の名前がありますが、本作ではどのように関わったのでしょうか。
実は、『エミリア・ペレス』の脚本を書くにあたって、「オペラ」「ミュージカル」「スリラー調フィクション」の3つのバージョンを別々に用意しました。そのフィクション版の脚本を書いてくれたのが、レアでした。結局、それは採用には至りませんでしたが、コラボレーションではあったので、クレジットの中に名前を入れさせていただきました。
(ほかに脚本協力としてクレジットされている)ニコラ・リヴェッキも同様で、何幕かに分かれた構成であるオペラ版の脚本を彼は手伝ってくれました。そのように何かしら関わってくれた人は、クレジットに名前を入れています。
最終的に映画になったミュージカル版の脚本は、私がプロットと初稿を書いた後、劇中の楽曲を手がけてくれたミュージシャンと一緒に仕事を始めるタイミングで、脚本家のトマ・ビデガンが加わってくれたことで完成に至りました。
──『パリ13区』の際には、ゲイだからと区分けすることなく恋愛を描く意識についても伺いました。本作でもレズビアンのロマンスも、エミリアがトランスであることも誰からも問題視されません。そのように表象することは重要なことでしたか。
もちろんです。今回もいかなる恋愛も異なる見方をせず、すべて平等であるように描くことを心がけました。
─ トランスジェンダーの映画でこれまで印象に残っているものはありましたか。
チリ映画の『ナチュラルウーマン』(2017)は素晴らしかった。とてもいいエンディングだったことを覚えています。

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─ 劇中での主人公の変遷は、あたかもキリストに重ねられているように感じました。彼女は救世主へと変容し、遂には神格化されるほどの偶像へと超越していきます。エミリア・ペレスという人物の物語を語る上で、キリストや聖書の意識はあったでしょうか。
メキシコには、もともとチンピラだったヘスス・マルベルデという民間信仰の聖人がいるのですが、キリスト教というよりも、実は彼からヒントを得ました。彼は、20世紀初頭にマフィアのボスだった一方で、富める者から盗んでは貧しい者に施し、処刑後に聖者として崇められるようになったと言い伝えられ、現在では、マフィアや若者を中心に信仰を集める聖人と化しているのです。
メキシコには多くの独自の聖人がいて、彼らの礼拝堂があるのですが、そのような文化が興味深いと思いました。エミリアの像を掲げて民衆が行列をなすシーンは、宗教行列のようにマルベルデの銅像が運ばれる姿からインスピレーションを受けて生まれたものでした。
【下記の回答には、物語の結末に触れる記述が含まれています】
─ しばしばトランスジェンダーが悲劇的な運命を迎える物語は批判されますが、本作の場合は、必ずしも性別移行がその原因となったり、ホモフォビアに苦しめられる姿を描いたりしているわけではないように思います。
あまり意識したことがありませんでしたが、この映画における悲劇的な運命については、すべてが性別移行前のマニタスからつながっています。リタを除いて、その正体は世界中の誰も知りませんが、私にとって、抗争の果てに非業の最期を遂げるあの人物は、エミリアであるとともに、マニタスなのです。なので、トランスジェンダーのキャラクターを殺すことが⽬的だったわけではなく、犯罪に手を染め、麻薬取引をしていた悪党のマニタスが、それまで犯してきた悪業の報いを受けることを描きたかった。性別適合手術を受けたからといって、全くの別人になったわけではない。ナルコ(麻薬密売人)はナルコであるということなのです。
Profile _ Jacques Audiard(ジャック・オーディアール)
1952年4月30日、フランス、パリ生まれ。父親は脚本家で、叔父はプロデューサーという映画一家に育つ。大学で文学と哲学を専攻した後、編集技師として映画界に携わるようになる。その後、1981年から脚本家としての活動を開始し、1994年に『天使が隣で眠る夜』で映画監督デビュー。同作でセザール賞を3部門受賞し、続く『つつましき詐欺師』(96)でカンヌ国際映画祭の脚本賞を受賞した。カンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリを受賞した『預言者』(09)、同じくカンヌでパルム・ドールを受賞した『ディーパンの闘い』(15)、ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞に輝いた『ゴールデン・リバー』(18)などがある。
Information
映画『エミリア・ペレス』
2025年3月28日(金)新宿ピカデリーほか全国公開
監督・脚本:ジャック・オーディアール『君と歩く世界』『ゴールデン・リバー』『パリ13区』
出演:ゾーイ・サルダナ、カルラ・ソフィア・ガスコン、セレーナ・ゴメス、アドリアーナ・パス
制作:サンローラン プロダクション by アンソニー・ヴァカレロ
配給:ギャガ
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- Text : Takuya Tsunekawa
- Photography&Edit : Yusuke Takayama(QUI)