不在の身体に目を向ける、執着と仮固定 – 「MARTIN MARGIELA AT KUDAN HOUSE」レポート
マルタン・マルジェラ日本初の大規模個展
九段ハウスは、1927年竣工の旧山口萬吉邸を活用した歴史的建築だ。会場は4フロアを一方通行の順路に沿って進む形式で、靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて邸宅に上がる。1部屋につきおよそ1作品ずつ、その作品のための部屋であるかのように展示されている。
まず、入口から階段にかけて現れる《Grey StepsⅠ& Ⅲ》は、階段をモチーフに木製パネルとカーペットによって構成された作品。実際の階段のそばに置かれることで、騙し絵のような感覚を誘うこの導入は、感覚を揺らがせていくこれからの鑑賞体験の予告のようでもある。
本展の会場で印象的なのは、九段ハウスの特徴的な壁や床、家具の一部が白いビニルシートで覆われている点だ。歴史的建築の個性を隠しながらも、その輪郭や質感を強く意識させる演出は、マルジェラがこれまで向き合ってきた「匿名性」という感覚と響き合っているようにも感じられる。
主催者であるギャラリストの原田崇人(rin art association)は、本展を観るうえで重要な概念として「オブセッション(執着)」と「仮固定」という2つのキーワードを挙げた。
「執着」は人間をときに苦しめるものでもあり、その感覚はマルジェラが繰り返し向き合ってきた髪の毛というモチーフにも表れている。その一方で、世界も人も固定されたものではなく常に変化し続ける「仮固定」のような状態の存在であり、完成形に見えるものさえ変化の途中にある。そうした二つの感覚は、作品にも会場全体の設えにもにじんでいる。
身体の痕跡と「オブセッション(執着)」
本展では、髪や爪、トルソ、家具を覆うカバー、彫刻の型など、身体の痕跡を思わせるモチーフが繰り返し現れる。
とりわけ強い印象を残すのが、マルジェラが特に執着を示しているという「髪の毛」を用いた作品群だ。《Asian Black Head》はアジア人の肌色を思わせるシリコンの頭部に、人毛が一本一本植え付けられた作品。前後も左右もないその佇まいからは、つややかな美しさの魅力と不穏さが同時に感じられる。髪は美の象徴であると同時に、ときに不穏さやおぞましさも帯びる。その二極性にマルジェラは長く惹かれてきたという。
《VanitasⅡ》では同じく髪の毛を用いた4つの作品が、黒からグレー、そして白へとグラデーションのように並ぶ。そこには老いを否定するのではなく、時間の経過そのものに美しさを見いだそうとする視線がある。髪色の変化は単なる見た目の変化ではなく、それぞれの人生や記憶、時間の蓄積を想像させる。
身体の断片というモチーフは爪を用いた作品にも受け継がれている。《Black Nails Model》では白いビニルシートで覆われた食卓の上に、艶やかな黒い陶器の爪が5枚並ぶ。それは食器メーカーの職人たちによって制作されたもので、日用品でも工芸品でもあり、彫刻のようにも見える。
さらに地下に展示されている《Nail Clippings》では、巨大化され砕けた赤い付け爪が薄暗い空間に置かれている。美しく整えられるはずの爪が、ここでは砕けた断片として提示される。髪も爪も本来は身近で私的なものでありながら、身体から離れた瞬間にまったく別の存在へと変わる。
「仮固定」の世界と視点のゆらぎ
今回の展示で、マルジェラ自身が特に気に入った空間だと語ったのが、《Dust Cover》のある部屋だ。革張りのソファと、そのそばに置かれた同様の質感を持つ大きな塊。これは家具に埃がかからないようにかけるダストカバーをモチーフにした作品で、中に何が入っているのかは見えない。しかし重要なのは中身ではなく、カバーが生み出すドレープや輪郭、そのシェイプそのものだという。何かを隠しているにもかかわらず、隠されたもの以上に表面に現れた形が美しい。見えないことが想像を呼び、覆われていることがむしろ存在感を強めている作品だ。
地下へ進むと、《Mould(S)》と《Torso》のシリーズが続く。ルーヴル美術館で目にした彫刻の「鋳造型」に興味を持ち、作品化したという《Mould(S)》は、本来なら完成品のための「裏方」であるはずのものに光を当てる。その型から生まれた《Torso》では、人の身体の断片(トルソ)がシリコンや石膏など、手触りや温度感の異なる素材によって形を与えられ、さまざまな肌の色で提示される。ここでも正面や裏は固定されず、どの角度から見てもよいものとして置かれている。完成された身体ではなく、断片化された身体、そしてその正解のない見方。そうした姿勢は、彼の表現に通底する感覚とも響き合っているように見える。
終盤には、唯一の映像作品《Light Test》が大きなスクリーンで展示される。女性の後ろ姿がゆっくりと回転し、顔が見えそうで見えないまま時間が流れていく。ついに顔が明かされるかと思った瞬間、今回のキービジュアルにもなっているデオドラントのボトルのコマーシャルが差し込まれる。期待を巧みに裏切るこの構成が、見ることへの欲望そのものを浮かび上がらせる。
なお、会場を出た先にあるミュージアムショップでは、本展のために制作された作品集のほか、Tシャツや着物、ポストカードなどが並ぶ。作品集は展示作品を一点ずつ小冊子としてまとめ、それらをひとつのセットに仕立てた、本展ならではの特別な構成となっている。
マルタン・マルジェラの問いかけ
本展の主催を務めた原田崇人は、来館者に向けて次のように語っている。
「マルジェラの作品には共通する問いかけがある。それは「執着」と「仮固定」です。
例えば髪の毛は、美しさの対象にもなれば、おぞましさの対象にもなり得る。そうした二面性をどう捉えるかは、物事の見方や、幸せを何によって定めるかという感覚によって変わってくる。そうした意味でマルジェラは、すべての物事の見方を変えてくれる重要なアーティストだ。彼からの問いかけに対して、急がず心地よく、自身で答えを探してみてほしい。」
マルジェラは、アートに軸足を移した後も、なお私たちの身体や感覚、ものの見え方に問いを投げかけている。九段ハウスという邸宅を歩きながら作品に向き合うとき、私たちは自分が何を美しいと感じ、何に不穏さを覚え、何を見たいと望んでいるのかを、そっと問われることになる。静かで親密であり、感覚を揺さぶる展覧会だ。
開催概要
展覧会名:MARTIN MARGIELA AT KUDAN HOUSE
会期:2026年4月11日(土)〜2026年5月5日(火・祝)
開館時間:10:00〜19:00(最終入場18:00)
※2026年4月29日(水・祝)のみ最終入場16:00、閉館時間17:00
会場:九段ハウス
住所:〒102-0073 東京都千代田区九段北1-15-9
観覧料:一般 2,500円(税込)
ウェブサイト
Instagram:@martin_margiela_at_kudan_house
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クレジット
キービジュアル:Pierre Anton
- Text : ぷらいまり。
- Edit : Seiko Inomata(QUI)





