QUI

ART/DESIGN

「子どもの目で世界を描き続けた“自由”の画家」ジョアン・ミロ|今月の画家紹介 vol.18

May 28, 2025
難解な解説が多くとっつきにくいアートの世界。有名な画家の名前は知っているが、なぜ評価されているのかはいまいち分かっていない方も多いことだろう。この連載では「有名画家の何がすごかったのか」をアーティストを取り巻く環境とともに紹介する。

今回のアーティストはジョアン・ミロだ。難解に思われがちな現代美術の中でも、彼の作品は、「何が描かれているのかわからない」と戸惑わせる一方で、どこか無邪気で親しみやすい魅力を放ち続けている。点や線が宙を泳ぎ、星や鳥といった記号が自由自在に踊るキャンバス。その背後には、戦争や社会の混乱、個人の葛藤を超えて「自由」と「想像力」を希求し続けた画家の揺るぎない信念がある。ここではミロの波乱に満ちた生涯と、絵筆を通じて切り開かれた表現世界を、紹介しよう。(ジョアン・ミロ《Horse, Pipe and Red Flower》 1920年 / 出典:フィラデルフィア美術館)

「子どもの目で世界を描き続けた“自由”の画家」ジョアン・ミロ|今月の画家紹介 vol.18

May 28, 2025 - ART/DESIGN
難解な解説が多くとっつきにくいアートの世界。有名な画家の名前は知っているが、なぜ評価されているのかはいまいち分かっていない方も多いことだろう。この連載では「有名画家の何がすごかったのか」をアーティストを取り巻く環境とともに紹介する。

今回のアーティストはジョアン・ミロだ。難解に思われがちな現代美術の中でも、彼の作品は、「何が描かれているのかわからない」と戸惑わせる一方で、どこか無邪気で親しみやすい魅力を放ち続けている。点や線が宙を泳ぎ、星や鳥といった記号が自由自在に踊るキャンバス。その背後には、戦争や社会の混乱、個人の葛藤を超えて「自由」と「想像力」を希求し続けた画家の揺るぎない信念がある。ここではミロの波乱に満ちた生涯と、絵筆を通じて切り開かれた表現世界を、紹介しよう。(ジョアン・ミロ《Horse, Pipe and Red Flower》 1920年 / 出典:フィラデルフィア美術館)
Profile
ジョアン・ミロ

スペインの画家。(1893年4月20日-1983年12月25日)
ミロはパリでシュルレアリスムの運動に参加したことから、シュルレアリストに分類されるのが通例だが、ミロの描く人物、鳥などを激しくデフォルメした有機的な形態、原色を基調にした激しい色使い、あふれる生命感などは、古典的・写実的描法を用いることが多い他のシュルレアリストの作風とは全く異なり、20世紀美術に独自の地位を築いている。

バルセロナ育ちの少年から画家への転身

Joan Miróの肖像写真写真:カール・ヴァン・ヴェクテン(Carl Van Vechten)、1935年6月13日撮影
出典:イェール大学図書館、カール・ヴァン・ヴェクテン・コレクション

1893年4月20日、スペイン・カタルーニャ州バルセロナの旧市街ゴシック地区に誕生したジョアン・ミロは、金細工師で時計職人だった父ミゲル・ミロと、手工芸に長けた母ドロレス・ファラーのもとで育った。

幼い頃から絵を愛し、7歳からカタルーニャ語学校と並行してドローイングを学び始める。しかし、家族の意向で商業学校に進学。卒業後は銀行に勤めるも、ストレスから1911年に重度のうつ病と腸チフスを併発し、南部モンロッチ村で療養を余儀なくされた。

その療養生活の中で、ミロは自然との対話に心を救われた。空の青さ、風に揺れる草、山羊の無心な姿で感じた色彩は、彼の感性に深く刻まれた。療養後、家族の反対を振り切ってバルセロナの美術学校へ転入。さらに私塾で写生やデッサンを学び、療養体験を絵画表現に昇華させていった。

1918年、25歳でダルマウ画廊にて初の個展を開催。キュビスムやフォーヴィスムの影響を色濃く残す初期作品は保守的な批評家に「落書きのようだ」と酷評されたが、これがミロに「既成概念をぶち壊し、自由な表現を追求する決意」を与える転機となった。

Vincent Nubiolaの肖像ジョアン・ミロ《Portrait of Vincent Nubiola》 1917年
出典:Wikipedia

この頃制作した《Portrait of Vincent Nubiola》や《Siurana》、そしてキャンバス一面に色彩をあざやかに塗り広げた《Nord-Sud》などは、後に「カタルーニャ・フォーヴィスト期」と呼ばれ、色面と筆触への探究が始まった時期として注目されている。

La casa de la palmeraジョアン・ミロ《La casa de la palmera》 1918年
出典:Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofía

パリとシュルレアリスム、そして表現の拡張

1920年、27歳のミロは前衛芸術の都パリに身を投じる。ここで詩人アンドレ・ブルトンや画家アンドレ・マッソンらシュルレアリストたちと交流し、「夢」と「無意識」の領域を絵画で表現する発想に深く共鳴した。

この時期から大きく作風が変化したことからも、シュルレアリスムの関心の高さがうかがえる。シュルレアリスムは、まさに既成概念を取り払った偉大な運動だ。「意識」がある以上、人は行動が制限される。

例えば「猫」というお題があった際、人は意識的に四つ足の獣を描く。これはこれまで得た「猫」のイメージがある以上、その限界を越えられないからだ。

しかしシュルレアリスムは何が起きても「現実」とみなす超現実主義である。そのため「意識」というフィルターを外して、「無意識」にあるイメージを表に出そうとした運動だった。例えば提唱者のアンドレ・ブルトンは考えるより早く言葉を書く「自動筆記」という手法を確立した。

まさミロが望んだ「自由」と相性がいい運動だったわけだ。

Horse, Pipe and Red Flowerジョアン・ミロ《Horse, Pipe and Red Flower》 1920年
出典:フィラデルフィア美術館

しかしミロはグループへの正式参加をあくまで拒否し、「自由な画家」であり続ける道を選んだというからすごい。

1923~24年にかけて制作された《The Tilled Field》や《Catalan Landscape (The Hunter)》では、背景に平坦な色面を敷き、そこへ三角や曲線、斜線といった抽象化された記号を配置。まるで暗号のように人物や動物が読み解かれるこの「夢の絵画」シリーズは、ミロのシュルレアリスム期の代表作となった。

自動筆記(オートマティスム)的手法を用いながらも、スケッチブックに残る詳細なドローイングからは緻密な構想がうかがえる。

The Tilled Fieldジョアン・ミロ《The Tilled Field》 1923–1924年
出典:ソロモン・R・グッゲンハイム美術館

1924年、ミロは「絵画の暗殺(assassination of painting)」を宣言する。その背景には、ブルジョワ芸術への強い嫌悪があった。彼はブルジョワ芸術が富裕層によるプロパガンダなど宣伝手段として利用されていると考え、既成の形式を破壊する必要があると感じていたのだ。

具体的には、当時すでにフランスで確立していたキュビスムに対し、「彼らのギターを壊してやる」とピカソの《ギター奏者》を名指しで非難したと伝えられる。これは政治的にも人気を博していたピカソの芸術の「盗用」を攻撃する意図が込められていた。

キュビスムや写実へのアンチテーゼを鮮明にしたミロは、キャンバスを裏返し、コルクや羽根を貼ったミニマルなコラージュ《Spanish Dancer》を発表。また、粘土を用いた彫刻、陶芸、リトグラフと表現の媒体を次々に拡張していった。

この時期、パリのバレエリュス団から依頼を受けて舞台美術を手がけるなど、ジャンルを横断する創造性を発揮。画面上に閉じ込められない「自由」を、彼はあらゆる技法で追い求めた。

戦争と社会との対話—「星座」から公共空間へ

1936年にはスペイン内戦が勃発。労働者・農民・社会主義者・アナキストなどが構成する多彩な連合軍である「共和派」と国民軍による武力衝突が勃発する。

共和国政府支持を表明したミロは、1937年パリ万博スペイン館の壁画《The Reaper》を制作し、ファシズムへの怒りをぶつけた。

The Reaperジョアン・ミロ《The Reaper》 1937年
出典:Wikipedia

続く第二次大戦では、フランス北部ヴァランジュヴィルへ一時避難し、1940~41年に23点からなる《Constellations》シリーズを発表。深い藍色の夜空に浮かぶ星や鳥、人型の記号が詩的に舞うこの作品群は、混迷の時代における「希望」への讃歌として高く評価された。詩人ブルトンは後に、このシリーズを題材に詩集を刊行している。

L'Étoile matinaleジョアン・ミロ《L’Étoile matinale》 1940年
出典:Fundació Joan Miró

戦後、ミロは国際的評価を確立。1954年ヴェネツィア・ビエンナーレ版画大賞、1958年グッゲンハイム国際賞を受賞。1966年と1969年に来日し、東京都美術館で展覧会を開催したほか、大阪万博ガス館の陶板壁画《The Laughing Woman》を制作している。

1973年、80歳を超えたジョアン・ミロは《Burnt canvas》シリーズを発表し、絵画そのものを破壊することで創造と消失という二律背反を示した。

彩色したキャンバスを刃で切り裂き、ガソリンをしみ込ませたうえで燃やすその行為は、商業主義に塗れた芸術を更新しようとする痛烈なパフォーマンスであり、最期まで既成概念への挑戦を続けた証となった。

1983年12月25日、マジョルカ島の自宅でジョアン・ミロは90年の生涯を閉じた。自身の最後の仕事となったスペイン観光局のロゴデザインは、太陽と星をモチーフにした温かみのある象徴に満ちている。

ミロが問いかける「自由と想像力」

ジョアン・ミロの人生を追いながら、私が最も心を打たれたのは、その揺るぎない「自由への執着」だ。幼少期の自然体験から、商業主義や既成概念への反抗、戦争という激流の中でもなお「自由」を追い求めた画家だった。

ミロがここまでの名声を得た理由は、単に画家として優れた技術を持っていたからではない。彼の姿勢は、まさに「アーティスト」として世界を明らかにする力に満ちているといえる。既存の枠に収まらない革新的な精神は、子どものような無垢さがある。

いま、上手な画家はたくさんいる。そして過度に派手なスキャンダルを起こす画家も増えた。しかし、ミロのような「心の底から自由を求める画家」がどれだけいるだろうか。

「表現への無垢さ」を保つこと自体がとんでもない才能だったのだ。

【今作品を見るなら・・】
「ミロ展 Joan Miró」
日時:2025年3月1日(土)~7月6日(日)
時間:9:30~17:30、金曜日は20:00まで(入室は閉室の30分前まで)
休館日:月曜日
場所:東京都美術館
住所:〒110-0007 東京都台東区上野公園8-36
公式サイト

  • Text : ジュウ・ショ
  • Edit : Seiko Inomata(QUI)

NEW ARRIVALS

Recommend