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森美術館「ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」レポート – 誰もが直面し得る「地獄」のような苦難を表現を通じて乗り越え続けた女性アーティスト

Oct 22, 2024
20世紀を代表する最も重要なアーティストの一人、ルイーズ・ブルジョワの展覧会が、六本木の森美術館で開催されている。六本木ヒルズにある巨大な蜘蛛の彫刻を見たことがある方も多いだろう。日本では1997年の横浜美術館以来の大規模な個展となる本展では、彼女が98年の生涯を通じて表現し続けた、人間関係への葛藤と複雑な感情があらわれ、現代を生きるわたしたちの感情にも訴えかけてくるような作品群を総覧できる。

森美術館「ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」レポート – 誰もが直面し得る「地獄」のような苦難を表現を通じて乗り越え続けた女性アーティスト

Oct 22, 2024 - ART/DESIGN
20世紀を代表する最も重要なアーティストの一人、ルイーズ・ブルジョワの展覧会が、六本木の森美術館で開催されている。六本木ヒルズにある巨大な蜘蛛の彫刻を見たことがある方も多いだろう。日本では1997年の横浜美術館以来の大規模な個展となる本展では、彼女が98年の生涯を通じて表現し続けた、人間関係への葛藤と複雑な感情があらわれ、現代を生きるわたしたちの感情にも訴えかけてくるような作品群を総覧できる。

ルイーズ・ブルジョワとは

ルイーズ・ブルジョワは、1911年、パリ生まれのアーティスト。タペストリーを扱う商業画廊を営む家庭で育った。支配的な父親の存在と母親の介護など、家族関係が幼い頃の彼女に深い罪悪感や恐怖心を植え付け、その後の芸術活動に大きな影響を与えるようになる。

自身の版画作品《聖セバスティアヌス》(1992年)の前に立つルイーズ・ブルジョワ。ブルックリンのスタジオにて。
1993年 撮影:Philipp Hugues Bonan 画像提供:イーストン財団(ニューヨーク)

ソルボンヌ大学やパリ国立高等美術学校で学んだ後、1938年にアメリカに移住。ニューヨーク近代美術館やテート・モダンでの個展をはじめ、世界的に評価されるアーティストとなった。特に女性アーティストとしての先駆的な地位を築き、2010年に98歳で亡くなるまで活躍した。

本展の副題「地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」は、ブルジョワの作品に登場する言葉。二度の大戦や家族との離別といった多くの困難を乗り越えた先に、軽やかさとブラックユーモアも含んだタイトルは、彼女の人生と芸術世界を表しているようだ。

展覧会はテーマ別に3章で構成される。また章と章の間では「コラム」として象徴的な初期の絵画と彫刻を年代順に紹介している。

母親との複雑な関係と見捨てられることへの恐怖

第1章「私を見捨てないで」は、ブルジョワが幼少期から抱いてきた「見捨てられることへの恐怖」がテーマとなっており、特に彼女の母との関係に焦点が当てられている。

会場に入ると、さまざまな身体のパーツを表すような複数の彫刻と、3面プロジェクションで複数の言葉が映し出されるインスタレーションが展開される。

ジェニー・ホルツァー《ブルジョワ×ホルツァー プロジェクション》 2024年
Installation view: Louise Bourgeois: I have been to hell and back. And let me tell you it was wonderful., Mori Art Museum, Tokyo, 2024
© The Easton Foundation/Licensed by JASPAR, Tokyo, and VAGA at Artists Rights Society (ARS), New York, 2024.

「ワード・アート」というスタイルで知られるアメリカの美術家 ジェニー・ホルツァーによる本作は、ブルジョワが残した日記や詩を用い、映像で再解釈したものだ。

身体のパーツがバラバラにされたような彫刻は不安定な精神性を表す。また彼女の言葉の中には病気や障害、感情の葛藤といった要素が織り交ぜられ、ブルジョワの複雑な精神所帯が表現されている。

続く展示室では、彼女の最も有名なモチーフのひとつである「蜘蛛」を扱った彫刻作品《かまえる蜘蛛》が展示されている。巨大な足の一本が約200キロもあり、圧倒的な迫力を持った作品だ。

ルイーズ・ブルジョワ《かまえる蜘蛛》2003年 所蔵:イーストン財団(ニューヨーク)
Installation view: Louise Bourgeois: I have been to hell and back. And let me tell you it was wonderful., Mori Art Museum, Tokyo, 2024
© The Easton Foundation/Licensed by JASPAR, Tokyo, and VAGA at Artists Rights Society (ARS), New York, 2024.

「蜘蛛」は子どもたちを保護し餌を与える「守護者」の面と、その餌を与えるために獲物を捉える強い「捕食者」の二面性を持ち、ブルジョワにとっては、母親という存在を象徴するようなモチーフとなっている。

背後には、ブルジョワが70年代にニューヨークで行ったパフォーマンス作品《宴/ボディ・パーツのファッションショー》のようすが大きく投影される。パフォーマンスアーティストのスーザン・クーパーは、“母が私を捨てた”という内容を歌い、蜘蛛の彫刻作品とあわせ、母親に対する複雑な心情を描き出されるインスタレーションとして展開される。

ルイーズ・ブルジョワ《胸と刃》1991年 個人蔵(ニューヨーク)
Installation view: Louise Bourgeois: I have been to hell and back. And let me tell you it was wonderful., Mori Art Museum, Tokyo, 2024
© The Easton Foundation/Licensed by JASPAR, Tokyo, and VAGA at Artists Rights Society (ARS), New York, 2024.

ところで、こうした「見捨てられる」ことへの恐怖はどこから生じているのだろうか?

ルイーズ・ブルジョワがまだ10代の頃、彼女の母親はスペイン風邪による長期の合併症に苦しみ、子どもであるブルジョワが母親の介護を続けてきた。子どもと母親の役割が逆転した状態で10代を過ごした後、ブルジョワが20歳のとき彼女の母親が亡くなった。自分を守ってくれる人がいないという感覚が、見捨てられることへの恐怖の一因となったようだ。

ルイーズ・ブルジョワ《カップル》2003年 個人蔵(ニューヨーク)
Installation view: Louise Bourgeois: I have been to hell and back. And let me tell you it was wonderful., Mori Art Museum, Tokyo, 2024
© The Easton Foundation/Licensed by JASPAR, Tokyo, and VAGA at Artists Rights Society (ARS), New York, 2024.

ネガティブな感情を作品化し昇華する

第2章「地獄から帰ってきたところ」は、不安や罪悪感、嫉妬など、ネガティブな感情が作品となって昇華されるシリーズが紹介され、こちらでは特に父親との関係に目が向けられている。

ルイーズ・ブルジョワ《シュレッダー》1983年 個人蔵(ニューヨーク)
Installation view: Louise Bourgeois: I have been to hell and back. And let me tell you it was wonderful., Mori Art Museum, Tokyo, 2024
© The Easton Foundation/Licensed by JASPAR, Tokyo, and VAGA at Artists Rights Society (ARS), New York, 2024.

彼女の「見捨てられる」ことへの恐怖のもうひとつの要因は、彼女の父親との関係にもあったようだ。ブルジョワの父親は感情的な性格で、家族に対して横暴にふるまったという。1914年に第一次世界対戦が始まると、彼の兄が戦死したのち、徴兵された父親は家族を残して戦争に向かい、負傷して自宅へと戻った。

さらに、ブルジョワの家庭教師との不貞関係を続けるといった父親の行為に、彼女は父親への不信感を募らせ、トラウマになっていったそうだ。

展示室には、巨大な防火扉や金網を用いた小さな部屋のような作品が並び、監獄のような息苦しさも感じる。《罪人2番》は、1枚約200~250kgほどもある重厚な扉の中に小さな椅子と鏡が置かれた、反省を促す部屋のような作品だ。

ルイーズ・ブルジョワ《罪人2番》1998年 所蔵:イーストン財団(ニューヨーク)
Installation view: Louise Bourgeois: I have been to hell and back. And let me tell you it was wonderful., Mori Art Museum, Tokyo, 2024
© The Easton Foundation/Licensed by JASPAR, Tokyo, and VAGA at Artists Rights Society (ARS), New York, 2024.

ブルジョワは、90年代頃からこうした小部屋のなかにさまざまな要素を入れ込んだ「セル」という作品シリーズを制作し、苦悩や恐怖といったテーマを追求してきた。本作はその代表作のひとつだ。

また、彼女の別の代表作のひとつである《父の破壊》も、印象的な作品だ。

ルイーズ・ブルジョワ《父の破壊》1974年 所蔵:グレンストーン美術館(米国メリーランド州ポトマック)
Installation view: Louise Bourgeois: I have been to hell and back. And let me tell you it was wonderful., Mori Art Museum, Tokyo, 2024
© The Easton Foundation/Licensed by JASPAR, Tokyo, and VAGA at Artists Rights Society (ARS), New York, 2024.

曲線的な突起物で覆われた赤い空間の中にはテーブルのようなものが置かれ、テーブルの上には骨や肉片を想起させるようなオブジェが並んでいる。これは、彼女が“父親を食べてしまう”ようすを表現した作品だ。父親との確執に対し、食べることによってそれを消化し、一心同体化しようとする、複雑な思いが感じられる。

ルイーズ・ブルジョワ《無題(地獄から帰ってきたところ)》1996年 個人蔵(ニューヨーク)
Installation view: Louise Bourgeois: I have been to hell and back. And let me tell you it was wonderful., Mori Art Museum, Tokyo, 2024
© The Easton Foundation/Licensed by JASPAR, Tokyo, and VAGA at Artists Rights Society (ARS), New York, 2024.

本章には《無題(地獄から帰ってきたところ)》という、展覧会のタイトルのもとになった作品も展示されている。1973年に亡くなった彼女の夫、ロバート・ゴールドウォーターの使っていたハンカチに刺繍を施した1996年の作品だ。この作品もまた、夫の死による痛みを作品によって乗り越えているようだ。

苦悩のなかから希望を見いだし、芸術として表現し続けた生涯

第3章「青空の修復」では、ブルジョワが人生の苦難を乗り越え「サバイバー」として家族や過去とのバランスを取り戻そうとする作品が紹介されている。

Installation view: Louise Bourgeois: I have been to hell and back. And let me tell you it was wonderful., Mori Art Museum, Tokyo, 2024
© The Easton Foundation/Licensed by JASPAR, Tokyo, and VAGA at Artists Rights Society (ARS), New York, 2024.

彼女が晩年に制作したのは、濡らした紙の上に絵の具を垂らして描く「ウェット・オン・ウェット」という手法で制作した滲みの美しい絵画作品だ。花や家族、妊婦といったモチーフが壁一面に並ぶ。

ルイーズ・ブルジョワ《家族》2007年 個人蔵(ニューヨーク)
Installation view: Louise Bourgeois: I have been to hell and back. And let me tell you it was wonderful., Mori Art Museum, Tokyo, 2024
© The Easton Foundation/Licensed by JASPAR, Tokyo, and VAGA at Artists Rights Society (ARS), New York, 2024.

これらの作品の中で、花などのモチーフは5つずつ描かれている。「5」という数は、彼女の実家であり、また自身の築いた家族の人数だ。本展の他の作品でも繰り返し登場し、思い入れのある数字であることが伺える。

巨大な彫刻作品《蜘蛛》は、第2章で紹介された「セル」シリーズにもつながる作品で、小部屋を蜘蛛が守り、その中には香水瓶や時計、メダルといった彼女の持ち物が収められている。彼女の記憶の中の家を蜘蛛が守っているようだ。

ルイーズ・ブルジョワ《蜘蛛》1997年 所蔵:イーストン財団(ニューヨーク)
Installation view: Louise Bourgeois: I have been to hell and back. And let me tell you it was wonderful., Mori Art Museum, Tokyo, 2024
© The Easton Foundation/Licensed by JASPAR, Tokyo, and VAGA at Artists Rights Society (ARS), New York, 2024.

その周囲には、美しいタペストリーの作品が並ぶ。ブルジョワの母はタペストリーの修復を行っていたが、蜘蛛が巣を紡いで編む姿は、母親がタペストリーを修復する姿とも繋がっているようだ。

本展の最後には、小さな彫刻作品《トピアリーIV》が展示されている。樹木の形をした人物像の右肩には傷があり、そこからは新たな枝と実が生まれようとしている。

ルイーズ・ブルジョワ《トピアリーIV》1999年  撮影:Christopher Burke
© The Easton Foundation/Licensed by JASPAR, Tokyo, and VAGA at Artists Rights Society (ARS), New York

ブルジョワが過去の記憶の中で苦悩しながらも、希望を見出そうとする姿勢を表現している。2010年に98歳でなくなるまで、自身の感情と記憶を芸術として表現し続けた彼女の姿勢を表現した作品だ。

ルイーズ・ブルジョワ《ママン》1999/2002年 所蔵:森ビル株式会社(東京)

本展を観ると、ルーズ・ブルジョワの作品の中には憎しみとともに愛があり、不信感の裏にそれでも人を信じたいという思いなど、相反する感情や考え方が共存するようにも見える。

フェミニズムのアーティストとも称されたルイーズ・ブルジョワだが、彼女は生前にフェミニスト・アーティストと形容されることに抵抗を持っていたと、本展の企画監修を行ったイーストン財団のフィリップ・ララット=スミスは述べた。それは、男女の完全な平等を絶対的に信じており、作品の中で扱っている問題は「女性」としての問題ではなく、「人間」の問題と考えていたからだそうだ。

こうした思いを根底に、相反する感情が共存する彼女の作品の複雑さは、時代や国、性別も超えて、現代のわたしたちの感情に訴えかけてくるのかもしれない。

 

ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ
会場:森美術館 (六本木ヒルズ森タワー53階)
住所:東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー
会期:2024.9.25(水)~ 2025.1.19(日)
時間:月・水~日10:00~22:00(最終入館 21:30)火10:00~17:00(最終入館 16:30)
※ただし9月27日(金)・9月28日(土)は23:00まで、10月23日(水)は17:00まで、12月24日(火)・12月31日(火) は22:00まで
※最終入館は閉館時間の30分前まで
※展覧会会期以外は閉館しています。会期はこちらをご確認ください。
公式サイト

  • Text / Photograph : ぷらいまり。
  • Edit : Seiko Inomata(QUI)

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