光石研 – 夢中になれること
趣味に、仕事に、人生に、どう向き合うことが幸せなんだろう。
等身大の言葉たちがきっと、読む人それぞれに気づきを与えてくれる。
苦しかったけど楽しかった
― 光石さんの2冊目となるエッセイ集『リバーサイドボーイズ』、少年時代の空気感から、お酒やタバコとの付き合い方、仕事や健康まで、おじさんだったら共感できる部分が絶対にある作品でした。1本1本が短いので、酒の肴として、ちょこちょこつまむように読んでいくと最高ですよね。
ありがとうございます。
― そして、若い方にもぜひ読んでほしいなと。きっと新鮮に感じる部分、ためになる部分もいっぱいありますし、世代によっても全然違う読み方ができると思うので。書いているときには、どんな読者を想定していましたか?
もともと西日本新聞の連載だったので、まずは九州の人が読むだろう。ということは、僕の九州時代の話を書いたほうが良いなと。
最初に同級生のことが頭に浮かんだので、じゃあ彼らに向けて書こうと思いました。だから同級生たちにはたくさんリサーチしましたね。「あそこのお店の名前、なんだっけ」とか。
― 当時の記憶だけでなく、ちゃんと裏も取って。
だから同級生の名前もいっぱい出てくるんです。彼ら彼女らがくすりと笑ってくれるようなことを書こうと思っていたかもしれません。
― 読んでいると勝手にみんなと友達になったような、光石さんのことをちょっと知ったような気になっちゃいました。
いやいや、うれしいなあ。
― 昔の話だけでなく、コロナの話とか、青山真治監督が亡くなった話とか、時代性もすごく感じました。「こういうことを書いてくれ」という、具体的なテーマの指定はありましたか?
なかったですね。とにかくなんでも良いから書いてくれと。九州のことだけでなく、最近のことも書いてくださいと言われたぐらいで、特に具体的なオーダーはなかったかな。
― 逆に難しそうです。
そうなんですよ。最後はネタがなくなってきて。
― そもそも以前から文章を書く習慣があったんですか?
全然なくて、学生時代の作文と、あと映画のチラシ用の推薦文ぐらい。こうやってまとめて書いたのは初めてなんですよね。前作の『SOUND TRACK』ではインタビューも入っていたので。今回は本当に自分で全部書きました。
― 書く習慣がなかったのに、エッセイの連載を引き受けたのはなぜでしょう?
「書くのもおもしろいかもな」と興味を持ったのがひとつと、あとはコロナの影響が大きかったですね。コロナで仕事が止まって、大袈裟にいうと「俳優業とは」ということまで考えていたタイミングだったから、自分にも新しくできることがあるのかなと思って。
― 最初からいきなり書けたんですか?
そうですね。まずは(自身のデビュー作である映画)『博多っ子純情』ネタから書き始めました。自分でも何度も読み返して、何度も修正しながらですけど。
― 新聞ということもあって、文字数もきっかり厳密ですもんね。
それが難しくて。でも楽しかったですよ。苦しかったけど楽しかったです。
― 全体的に口語調というか、親しみやすさが感じられる文体でした。
堅苦しくはなりたくなくて、そもそもこういうふうにしか書けないので。自分が口語調で書いたかどうかもわかってないですから。
― すごいなあ。
すごくない。すごくないですよ、全然。
― 執筆環境は、パソコンですか? 手書きですか?
タブレットです。原稿用紙の表示に縦書きできるアプリを入れて書いていました。
― 外付けのキーボードをつないで?
いえ、画面を直接タッチして。でも(キーボードの表示スペースに隠されて)画面が半分ぐらいになっちゃうでしょ。それで書いてたの。画面を縦にしたら原稿用紙のスペースが大きくなるって知らなかったから、ずっと横にしたまま。途中で気づいたんですが。
― タブレットで書くのは大変なのでは?
いまだに慣れないのでそうですね。でもマネージャーさんが外付けのキーボードをつなげて使っていたから、次の原稿を頼まれたら買いに行きます。
― たまに若い世代で「スマホだけで小説1本書いちゃいました」みたいな人もいますけど、近しいものがありますね。エッセイには、スマホは早めに持ったというエピソードも書かれていましたけど。
携帯は遅かったけどスマホは遅れちゃいけんと思ってね(笑)。
あの街が嫌で出ていったのに戻っていく
― 西日本新聞での連載は、2021年から2023年の足掛け3年。書籍化にあたって、改めてお読みになった感想はいかがでしたか?
自分の出演したドラマや映画もそうなんですけど、僕あんまり観ないんですよ。1回は必ず観るんですけど、自分が映っていると照れくさくてね。それと一緒で、自分が書いたものって、何度も読むもんじゃないなと思って。本になって1回はパラパラと読みましたけど、それからあんまり開いてないです。
― 恥ずかしいということは、それだけ素直に書かれたということなんでしょうね。
それもあるかもしれません。
― お気に入りのポイントはありますか?
『リバーサイドボーイズ』というタイトルです。前作の『SOUND TRACK』というタイトルも気に入ってて。僕、昔からグループ名をつけたり、会社の名前をつけたりするのが、なぜかものすごく好きなんです。友達3人ぐらいで集まると、「名前つけようよ」となる。名刺を作ったり、ロゴを考えたり、Tシャツを作ったり。
今回の『リバーサイドボーイズ』。これは田舎が近いでんでんさんや野間口(徹)くん、(鈴木)浩介くんたちとご飯に行ったとき、ホルモンを食べながら「俺たちはやっぱり北九州といえども小倉の人とも違うし、福岡といえども博多の人とも違うよな」という話をしていて。僕らが住んでいた街に遠賀川(おんががわ)って川が流れているんですけど、それで僕が「この4人、リバーサイドボーイズだね」と。「良い名前やね」とかみんなで盛り上がって(笑)。
本を作ることになったとき、九州のことを書いているからその名前が良いなと思って、みんなに「タイトルで使って良いですか」とお伺いを立てました。
― ユナイテッド・アローズとのコラボで、「リバーサイドボーイズ」のTシャツも作られていましたよね。
そうそう。本とは別件なんだけど。去年ぐらいから進めていたら、だいたい本の発売と同じぐらいのタイミングになって。
― 西日本新聞での連載ということもあり、九州への愛を強く感じました。九州出身の方って、地元愛が強いイメージがありますよね。たとえば本書に対談が収録されているリリー・フランキーさんもそうですけど。
そうなんですよ。みんなあの街が嫌で出ていくくせに、東京にいるとものすごく好きになって、だんだん戻っていくんですよね。
― いつからですか? 地元が良いなと感じられるようになったのは。
50歳ぐらいのころに同窓会をやったんです。30年ぶりぐらいにみんなで会ったときにすごい盛り上がって、それからでしょうか。
― 良いですね。今でも九州、よく行かれますよね。
九州の仕事は断らないので。九州に行くと、忙しいんですよ。食べなきゃいけないものや、会わなきゃいけない人がいっぱいいるので。
― お父さんもまだご健在だと書かれていました。
今年でもう92かな。でもまだ元気で。
― ちょっと破天荒というか、個性的というか。
そうなんですよ。困ったもんで。
― 困ったもんですか?
男の子って父親と対抗してしまうところがあったりするじゃないですか。その仲裁に入る母親がいないと、うまく調和されないというか。だから今でも喧嘩ばっかりしてますよ(笑)。それだけ親父も元気だってことだから良いんだけど。
― ご自身がお父さんから受け継いでいるなと思う部分ってないですか? 僕自身、歳を重ねるごとに父親に似てきているような気もしていて。
仕事以外の趣味が多いのは父もそうだったから、その影響はあるかもしれません。でも母親は、そんな父親を支えていた頑張り屋さんで、辛抱強くてね。僕はそういうところも3割ぐらいは受け継いでいるんじゃないかなと思ってるんですけどね。
おふざけの延長でのお芝居
― QUIは20代、30代の若い読者が多いのですが、芸能生活46年、62歳を迎えた光石さんから、若い方へのヒントとなるようなことを引き出せたらと思っていて。
僕なんかヒントになるようなことはなにもないですよ。僕が若い方からいろんなことを教えてもらいたいぐらいで(笑)。
― 本にも若者が師匠だと書かれていました。
はい。俳優さんでもそうですけど、今の若い人ってマルチにいろんなことをやってらっしゃるでしょ。それは本当に良いことだと思う。僕なんかやりたくてもやれなかったことがいっぱいあるから。
― 近年の光石さんは、俳優業にとどまらず、幅広い領域で活躍されているイメージがあります。
やっと今になってそれが許されるようになったんだなと。時代も含めて。
― 俳優を目指す方への奥義や秘事についても書かれていましたが、結局は自分がやれることをちゃんとやるということしかないんですよね。
ないですよ。
― とはいえうまくやっていける人と、挫折して終わってしまう人、その差はどこでつくんでしょうね。
わからないけど、僕はおふざけが大好きだったから。その延長でのお芝居だと思ってるんですよ、いまだに。
― おふざけ?
子供のころ、刑事物の真似をしたりするじゃないですか。僕はそこでみんなが楽しんで笑ってくれたことがものすごくうれしくて、その延長で今もお芝居をやっているんですよね。ただ楽しいこと、夢中になることが好きだから。
誰しも、カブトムシをずっといじっていたら日が暮れていたというようなことがあったと思うんです。大人になってもそうやって夢中になれることがあると良いですよね。
― 光石さんにとっては、そのひとつがお芝居だったと。
はい。この本を書くときも本当に夢中で書いていたから。気づいたら夜中になっているようなこともたくさんあった。夢中になれることを見つけけること、見つかったなら絶対にやったほうがいい。それは若い人に言いたいです。3つあるんだったら3つともやりなさい。4つあるんだったら4つあったほうが良いよって。ダメだったらまわりの大人に「やめろ」って言われるから、そこでやめりゃ良いじゃんって。
― 本書を読ませていただいて感じたのが、光石さんは「まわりのおかげ」という気持ちが人一倍強いですよね。何事も自分の手柄じゃなく。
本当にずっとそうなんですよ。今回も「俺だけの手柄!」っていうのは、『リバーサイドボーイズ』って名前をつけたことぐらい。誰も褒めてくれないけど(笑)。
― 事務所(鈍牛倶楽部)やマネージャーのサポートについても書かれていました。
若い頃は事務所の力がないとお仕事がいただけなかったので、それは大きかったですよね。あとは、僕自身が全部「こうだ」と決めるのでなく、マネージャーさんに決めてもらうことも多いです。やっぱり自分の好きなものばっかりだと幅が広がらないから。
― 光石さんといえば、ファッションについてもお聞かせいただきたいです。やはり根っこにあるのは今もアイビーでしょうか?
子供の頃に、お兄ちゃんたちがアイビーファッションをしていたのがかっこよくて、それから『POPEYE』とかが創刊され始めて。当時は14歳ぐらいだから、ものすごく刺激を受けました。
― 直撃世代ですね。
あれに載っているものがすべてだと思ってたから。それからずっと、とにかく流行りものには目を向けてきましたね。
― ファッション遍歴を振り返って、迷走してたなという時期もあったり?
バブルの頃、80年代にDCブランドが流行ったんです。ギャルソンとかヨウジとかニコルとか、いわゆるデザイナーズブランドが。僕もラフォーレ原宿に行って、買って着てました。
― 意外です。真っ黒とかも?
でもやっぱりトラディショナルな柄が好きで、アイビーっぽいアイテムを買っていましたね。いきなり真っ黒でスカートを履くようなことはしてないです(笑)。
― やっぱりスタイルが一貫しています。
そうなんですよね。1回好きになるとしつこいから。
― 連載時の挿絵は小林泰彦さんが手掛けられたそうですね。へビアイ(ヘビーデューティーアイビー)を提唱したイラストレーターの大家です。
僕はずっと、小林さんが描くイラストの格好をしたくて。すごく影響を受けてきたんですよ。
― 光石少年が知ったら驚くでしょうね(笑)。
それはもう。僕自身、子供の頃からあんまり成長してないんで。
― お仕事が順調になるにつれ、金銭的にも余裕が出てくると思うんですが、お買い物も豪快になってきたり?
いや、僕そんなにお金もらってないですよ(笑)。でも最近、頭痛がひどくて2日ぐらいベッドにいたんですよ。そうするとそこで買わなくてもいいものまでいろいろ買ってしまったということはありましたね。
― インターネットでもお買い物されるんですね。
はい。でも全部、中古ですよ。普段は悩んで厳選してから買うんですけど、そのときは頭も痛いし「もう良いや、買っちゃえって」。あと5つ届くはず。
― 届くのが楽しみですね。では最後、『リバーサイドボーイズ』をこれから読む方へのメッセージで締めさせてください。
ぜひ若い方にも読んでいただいて、「おじさんってこうなんだ」って、おじさんの取説として使ってもらえるとうれしいですね。
― 少なくとも光石さんのくすぐりポイントはわかるかもしれません。
確かに(笑)。光石研の取説になっていますので、どうぞよろしくお願いします。
Profile _ 光石研(みついし・けん)
1961年、北九州市生まれ。高校在学中の78年に映画『博多っ子純情』のオーディションを受け、主役に抜擢されて俳優デビュー。以降、映画やドラマなど映像作品を中心に活躍している。2022年に初エッセイ『SOUND TRACK』をPARCO出版より刊行。12年ぶりの単独主演映画『逃げきれた夢』は第76回カンヌ国際映画祭 ACID部門へ正式出品、第33回日本映画プロフェッショナル大賞主演男優賞を受賞した。
Instagram
shirts / Scye (Masterpiece and Co. Showroom 03-6407-0117), pants / SCYE BASICS (Masterpiece and Co. Showroom 03-6407-0117), shoes / Paraboot (Paraboot AOYAMA 03-5766-6688)
Information
光石研『リバーサイドボーイズ』
北九州の黒崎で育ち、『博多っ子純情』のオーディションを受けて主演デビュー。世界の名監督に愛される俳優・光石研が書いた青春、俳優業、プライベート……ソウルあふれるエッセイ集。コロナ禍で撮影がストップした2021年から2023年まで西日本新聞に連載したエッセイを再構成して「思い出の街への撮り下ろし紀行」と「リリー・フランキーさんとの地元トーク」を収録。軽快な語り口にのって読み進めるうちに、いつしか心はリバーサイドへ。光石さん流、俳優業の極意も明かしている。
ご購入はこちら
Amazon
- Photography : Nobuko Baba(SIGNO)
- Styling : Satsuki Shimoyama
- Hair&Make-up : Chiho Ohshima
- Art Director : Kazuaki Hayashi(QUI)
- Text&Edit : Yusuke Takayama(QUI)