「唯一無二の“不思議”な形而上絵画とは」ジョルジョ・デ・キリコ|今月の画家紹介 vol.8
西洋美術の歴史を見てみると、芸術家たちはずーっと「目で見たもの」を描画している。ここから自己の内面と向き合って表現するようになるのが1800年代後半あたりから。その後、1900年代から絵画表現は幻想的で不思議な分野まで進化していく。
そんな「不思議な絵」の走りとなったのが、今回紹介するジョルジョ・デ・キリコだ。今回は彼の経歴を紹介しつつ、デ・キリコの不思議な絵の秘密を解き明かしていこう。
イタリアの画家、彫刻家。(1888年7月10日 – 1978年11月20日)
形而上絵画派を興し、後のシュルレアリスムに大きな影響を与えた。姓は「デ・キーリコ」と表記される場合もある。
ニーチェなどから影響を受けた若年期
ジョルジョ・デ・キリコの肖像 wikipedia
デ・キリコは1888年にギリシャで誕生した。両親はイタリア人だが、父親は鉄道技師だったためギリシャに移住していた。そのときにちょうど産声をあげたというわけだ。
デ・キリコは12歳でアテネ工科大学に入学。そこでデッサンを学ぶことになる。これがキャリアのスタートだ。その後、父親が亡くなってからは17歳でイタリア、18歳からドイツに移住。彼はドイツのミュンヘン美術アカデミーに入学する。
このドイツでの経験が、デ・キリコの作品の背景にある。絵画でいうと『死者の島』で有名なアーノルド・ベックリンから影響を受けた。
《死者の島》第 3版、1883年 アーノルド・ベックリン
この閑散とした雰囲気、言いようもない不安を感じる構図は、まさに初期のデ・キリコの作品に通ずるものがある。
また、マックス・クリンガーの絵画からも影響を受けた。デ・キリコがこの後に創作する幻想的な作風に非常に影響を与えている。マックス・クリンガーはデ・キリコより30歳ほど年上の画家だ。彼の作風も独特な雰囲気がある。
連作《手袋》より 1893年 マックス・クリンガー
あえて構図を崩した表現は、クリンガー自身が夢で見た光景をヒントに描いたからだ。まさにこの考えは、哲学的な部分でもデ・キリコに影響を与えた。
絵画に対しての“考え”という面でいうと、デ・キリコは当時、ニーチェの詩をよく読んでいたそうだ。ニーチェといえば「実存主義」である。ざっくりいうと「神様とか存在しないものに頼るのは、もうやめようぜ」という哲学を普及させた人物だ。
この後にデ・キリコが始める「形而上絵画(けいじじょうかいが)」は、まさにニーチェの考えからヒントを得ている。
唯一無二の“不思議”な絵画作品
この後、デ・キリコは20代前半の時期にミラノ、フィレンツェ、パリなど頻繁に引っ越しをしながら、独自の感性を培っていった。このとき、デ・キリコは精神的に参っていた。神経衰弱に悩まされており、そんななかでニーチェの哲学などに救われていた時期だ。
1911年、23歳でパリに移住してからは、初期の作品を発表している。『神託の謎』『時間の謎』などの作品群だ。このとき、既に“不思議”な描写が多く出ている。
1913年にはアンデパンダン展(無審査・無報酬の展覧会)に作品を出品。ピカソをはじめ、「キュビスム」「シュルレアリスム」の名付け親としても有名なギョーム・アポリネールに注目された。
アポリネールは「デ・キリコは他の画家たちの芸術とは何の共通点もない。完全オリジナルの存在だ」と称賛している。そして、この年にはじめて作品『赤い塔』が売れたことから画商が付き、だんだんと彼の作品は評価されていく。
《赤い塔》 1913年 ジョルジョ・デ・キリコ
またこの年に代表作の一つである『アリアドネ』を制作。「アリアドネが恋人のテセウスによってナクソス島に捨てられる」というを神話をモチーフにした作品で、当時のデ・キリコがパリで抱いていた孤独感を反映している。
《アリアドネ》 1913年 ジョルジョ・デ・キリコ
消失点が定まっておらず、明らかに歪んでいる遠近感。モチーフのサイズ感の矛盾。強烈な光と影のコントラスト、見れば見るほど不思議であり、妙に癖になる。これがデ・キリコの作品の魅力だ。
また1914年には、これも代表作の一つ『愛の歌』を発表した。
《愛の歌》 1914年 ジョルジョ・デ・キリコ
壁に巨大なギリシャ彫刻の頭と外科医の手袋が貼り付けられており、下部には緑のボールがある。奥には蒸気機関車が走っていることから、舞台はリアルなのだが、明らかに異質なモチーフが存在している。夢みたいな絵だ。
この作品から10年後にシュルレアリスム運動が始まる。シュルレアリストたちはデ・キリコのこうした作品をヒントにしていた。そのため、現在ではこの作品が初期シュルレアリスム作品と解釈されている。
形而上絵画の発明
この1914年からヨーロッパでは、第一次世界大戦が勃発。キリコは徴兵されるが、もともと精神的に衰弱することも多く、体力不足とみなされて病院に配属された。このとき、同じ病院で働いていた画家、カルロ・カッラと出会い、2人は自分たちの絵を「形而上的(メタフィジカル)」という言葉で形容し始めた。
「形而上」とは言葉通りの意味でいうと「存在しないもの」という意味だ。先述したニーチェが否定したものを指す。例えば不安・恐怖・喜びなどの感情とか、夢とか、センスとか……こうした神秘的なものを指して「形而上」という言葉でまとめたわけだ。
《予言者》 1914~15年 ジョルジョ・デ・キリコ
このころから自身の作品にも「形而上」という言葉を用いてタイトルをつけるようになる。以下は『偉大な形而上学者』という作品だ。
《偉大な形而上学者》 1917年 ジョルジョ・デ・キリコ
このような1917年までの形而上的な作品群を描いていた時期は、デ・キリコのキャリア最盛期だ。
シュルレアリストとの決別
一方でパリでは第一次世界大戦を受けてダダイズムが流行していた。これは「考えることなく、感覚に従って作品を作る」という思想の芸術運動だ。「合理的過ぎるから戦争が起きたんじゃないか!」という反発で、非合理、反資本主義、不条理を信条として生まれた運動である。
そのメンバーであり、のちにシュルレアリスムを立ち上げるアンドレ・ブルトンは、あるときバスの車内からギャラリーに飾ってあるデ・キリコの作品を見つけて、思わずバスを降りて見にいったという。
「シュルレアリスム宣言」発表の頃のアンドレ・ブルトン
ちなみに、のちにシュルレアリストのメンバーとして活躍するイヴ・タンギーも、まったく同じ体験をした。デ・キリコはダダイズム、シュルレアリスムの思想を持っていなかった。しかし、不条理かつ幻想的な形而上的作品は、シュルレアリストの目指す作品像に近かったわけだ。
そんな中、デ・キリコはシュルレアリストたちと会うことになる。はじめは互いに認め合っていたが、徐々に仲が険悪となった。
根本の思想が違ったのだ。シュルレアリスムの思想とは、フロイトの哲学をもとにしたものである……と書くとややこしく聞こえてしまうが、シンプルに書くと「自身の無意識を直視すること」だ。シュルレアリスムとは、厳密にいうと芸術運動ではなく思想である。
例えばブルトンは「とにかく速く詩を書くことで無意識の言葉を出す」という“自走筆記”という手法を用いた。また有名なサルバドール・ダリはキャンバスの前であえて眠り、まどろみの光景を絵に落とし込んでいた。
一方で、デ・キリコは無意識とかフロイトとか、そんなことは考えていなかった。ただ一瞬の“啓示”をもとに作品を生み出した結果、幻想的な作品になっただけなのだ。デ・キリコとしては「俺の作品を勝手にシュルレアリスムの枠に入れるなよ」という印象なのである。
また、デ・キリコの作品の一部は、ブルトンがギャラリーから買い上げて所蔵していた。またそのうえでブルトンが「シュルレアリスムのもとになったのはデ・キリコの作品だ」と発表していた。このこともデ・キリコのフラストレーションを高めていた。
そのため、デ・キリコとシュルレアリストは決別することになる。とはいえ史実を見ると、シュルレアリスムの出発点はデ・キリコの形而上絵画なので、今でも「デ・キリコはシュルレアリストだ」と記載されることもある。ただ、両者はまったく違う。
形而上絵画を超えられなかったキャリア後半
デ・キリコは1940年代からまったく違う形で作品を発表し始める。ルーベンスから影響を受けたクラシカルなスタイルに移行していくのだ。ただ、これらの作品はまったく評価されなかった。
結局、デ・キリコは収入のためにも、形而上絵画的な作品を発表せざるを得なかった。自分の過去作品ばかり評価されることに、デ・キリコは怒っており「あえて自分の作品の贋作をつくる」というトリッキーな反抗をしている。
しかしデ・キリコがすごいのは、晩年まで多作だったことだ。精力的に活動しつつ、1978年に90歳で亡くなった。
デ・キリコのキャリアの黄金期は、20代~30代の形而上絵画の時代だ。このときの“不思議”な作品は、間違いなく1900年代以降の西洋美術シーンの幅を広げた。
シュルレアリストだけでなく、様々なアーティストに影響を与えている。アンディ・ウォーホルは影響を受けたことを公言している。
映画監督・ミケランジェロ・アントニオーニはデ・キリコの絵画のような画面を採用しているし、ジャズピアニストのセロニアス・モンクは彼の絵をジャケットに起用している。デヴィッド・ボウイのMVもデ・キリコの作品の影響を受けたものがある。
日本でいうと、大ヒットPS2ゲームの『Ico』のジャケットはデ・キリコの作品をベースに描かれた。
Ico カバー – EU+JP
《無限のノスタルジア》 1912~13年 ジョルジョ・デ・キリコ
今でもあらゆるアーティストを魅了しているのは、デ・キリコの作品が圧倒的にユニークだからだ。冒頭に「デ・キリコはどのカテゴリにも属さない画家だ」と書いたが、まさに彼のオリジナリティこそ、他のアーティストには真似できない才能なのである。
【今作品を見るなら・・】
展覧会名:デ・キリコ展 Giorgio de Chirico: Metaphysical Journey
会期:2024年4月27日(土)から8月29日(木)
休室日:月曜日、5月7日[火]、7月9日[火]~16日[火]
※ただし、4月29日[月・祝]、5月6日[月・休]、7月8日[月]、8月12日[月・休]は開室
開室時間 9:30~17:30、金曜日は20:00まで(入室は閉室の30分前まで)
会場:東京都美術館(東京・上野公園)
住所:〒110-0007 東京都台東区上野公園8-36
公式サイト:https://dechirico.exhibit.jp/
お問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル)
- Text : ジュウ・ショ
- Edit : Seiko Inomata(QUI)