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中里唯馬 – 表現することを否定しない

Mar 14, 2024
2016年よりパリ・オートクチュールファッションウィークでコレクションの発表を続けるブランド「YUIMA NAKAZATO」を手掛ける中里唯馬。彼が映画『燃えるドレスを紡いで』で対峙した、衣服の最終到達点とは。そして、未来のファッションはどこへ向かうのか。
自身が信じるファッションの力、そして知られざるパリ・オートクチュールの世界についてなど、ファッションデザイナー・中里唯馬がいま表現に向かう姿勢に迫った。

中里唯馬 – 表現することを否定しない

Mar 14, 2024 - FASHION
2016年よりパリ・オートクチュールファッションウィークでコレクションの発表を続けるブランド「YUIMA NAKAZATO」を手掛ける中里唯馬。彼が映画『燃えるドレスを紡いで』で対峙した、衣服の最終到達点とは。そして、未来のファッションはどこへ向かうのか。
自身が信じるファッションの力、そして知られざるパリ・オートクチュールの世界についてなど、ファッションデザイナー・中里唯馬がいま表現に向かう姿勢に迫った。

衣服の未来を考えていくことが重要

映画『燃えるドレスを紡いで』は、ファッション業界が抱える課題がテーマのドキュメンタリーでしたが、エンターテインメントとしてもすごくおもしろかったです。ファッション業界が舞台でありながら、誰もが自分事として受け止められる作品だと思いました。服を着て生きている全員に観てほしいですね。

それはとてもうれしい感想です。ありがとうございます。

― 関根光才監督とはどういった出会いから?

あるプロジェクトでたまたまご一緒して、撮影現場で話していると、社会的なことへの意識であったり、ものづくりやデザイン、アートへのリスペクトが強かったり、自分とさまざまな感覚が重なり合うなという直感がありました。また別の機会に雑談をしているときに、衣服の最終到達点を見たいという話をしました。

― 衣服の最終到達点。

要は捨てられてしまったあとに衣服がどうなっていくのかという。私は以前から日本のリサイクルセンターなどに足を運んで見学していて、服がどうやって終わっていくのかを観察することでデザインのヒントが見えてくることもあると考えました。

そして関根監督に、世界には衣服が大量に廃棄されているスポットがあるという話をしたら、それを映画にしたらおもしろいんじゃないかと盛り上がって。リサーチしていたら、ケニアに最大の廃棄量が集まっているらしいということを知りました。

衣服が大量に廃棄されている現場を見にいくことと同時に、気候変動によって雨が降らなくなってしまった地域に、今も暮らす人々が同じケニアにいらっしゃるということを知り、それぞれの場所で暮らす人々が今何を考えているのか話を聞かせてもらいたくて、その両方を体感する旅になりました。

― 部族の方たちが着ていた装束がすごく素敵でしたよね。

最初にゴミの山を見て、もう服を作らないほうが良いのではないかという絶望的な気持ちになったんです。そのあと砂漠に行くと、水や食べ物が本当に限られている地域で、今も家畜と共にすごくシンプルな暮らしをしている人たちがいました。

とても過酷な環境の中でも、祈りだったり、想いだったり、歴史や文化の象徴だったりと、情緒的なものが宿ったカラフルなビーズの装飾をまとっている姿がとても印象的でした。それを見て、人はこういうものをまといたいという根源的な欲求があるんだなと。

それはもしかしたら一方的な受け止め方だったかもしれませんが、自分がファッションをデザインする意味を肯定してもらえるような感覚もあり、絶望から立ち上がる力をもらえたんですよね。

映画『燃えるドレスを紡いで』

― 中里さんが信じる、ファッションの力とはなんでしょう?

衣服は、性別や、社会的な階層、職業、それぞれの地域固有の文化や歴史といったさまざまな要素が連なり合って形になっていて、それがまた時代の価値観とともに変化し続けていく。たとえばこれまでは男性のための衣服だったものを、女性が違和感なく着るようになったり。そのような変化の大元をたどっていくと、ある1人のデザイナーによる提案だったりすることがあるんです。

そうやって世の中の価値観をより自由に変えてきた側面こそ、ファッションデザインの力のひとつではないでしょうか。だから個人的には、偉大なデザイナーたちが脈々と歴史の1ページを重ねてきたパリという場所で、日本人のデザイナーとしてどんな1ページを加えられるかということを意識しています。自分がデザインに関わる時間の中で、何かひとつでも新しい価値観やマスターピースとされるものを生み出すことができたらという夢があります。

― 未来に向けたクリエーションに魅力を感じる一方で、ケニアで出会った衣服の起源を感じさせる装束にもすごく惹きつけられるものがありました。

衣服の根源についてずっと調べていたので、動物の皮と皮をつなぎ合わせてまとっているのを見たときにはすごく感動しました。数万年前から針と糸という非常に原始的な道具で服を作っていて、それが今に至るまで変わっていないというところにすごくロマンを感じますよね。

― それを目的に見に行ったわけではなかったんですね。

はい。話していたら「こういうのあるよ」って出してきてくれて、「これだ!」と。ようやく会えたという感覚でした。

映画『燃えるドレスを紡いで』

― 中里さんがファッションの力を感じた原体験はなんでしたか?

小学生のときにお下がりでもらったちょっと良い服を着て学校に行ったら、すごい褒められたんです。そのときに、衣服には暑さ寒さを防ぐだけじゃない何かがあることを直感的に知ったんですよね。

だからこそ、私はこれから人が何を着ていくべきかについて、すごく興味があるんです。服も時代に合わせて更新していく必要があるので、自分もそこに何かしら貢献できたらと思っています。

― おもしろいですね。衣服の未来はどうなっていくんでしょう。

それは本当にわからないんですけど、たとえば日本が洋装化して去年で150周年だったそうですが、たった150年でこんなにダイナミックに変わるんだと感じます。そして戦後の60〜70年前には家庭で服を作っていた時代があって、でもいまや服は買うのが当たり前ですよね。

そう考えると、今から数十年後には全く違う風景になっていることもあり得ると思います。そうであれば、どんな未来が理想なのかを今からみんなで真剣に考えていくことが非常に重要だと思っています。

映画『燃えるドレスを紡いで』

 

人は何かを表現することでこそ生きていられる

映画の終盤、中里さんが「人間が表現をしたり、何かを生み出したりする行為自体を否定することはやめようと思った」と語っていたのが強く印象に残りました。なぜ人は作るのか、なぜ表現せずにいられないのか……中里さん自身が表現を続ける理由はなんでしょう?

作ったり表現したりすることで救われるんです。

― それは、自分自身がですか?

そうですね。

― 劇中でコレクションを作っているときは、かなりつらそうでしたけど。

何かを生み出すという行為は、どうしてもある種のつらさや困難を伴うことは避けられないと思います。でもケニアで出会った部族の方たちが身につけていたビーズの装飾を見て、人は合理的に生活するというだけでは生きていけない生き物なんだなということを表しているように思ったんです。

人は何かを表現することでこそ生きていられる部分があると思いますし、困難と同時に好奇心が掻き立てられるということもいえるのではないでしょうか。

― なるほど。

あとはケニアでゴミの山を見ていると、人がものを生み出す力というものはとてつもないと感じました。そしていまやゴミは宇宙にまで広がりつつある。人が何かを創り出したり表現すること自体を否定するのは違うのではないかと思いました。

だからといって、その行為によって何かを傷つけてしまったり、負荷をかけ続けてしまったりすることも同時に違うと思います。この両方に意識を向け続けていくことがまずは大切だと思います。

― ドローンなども駆使して撮影されたゴミ山の映像には圧倒されました。

ゴミ山の規模感は映像で伝えることができますが、実は、映像で表現しきれない異臭がそこにはあるんです。ケニアには焼却炉がなく、衣食住全てのゴミが1つの場所に集まっている。そのために、生ゴミの腐敗臭と太陽の熱で自然発火したプラスチックが燃える異臭が混ざり合って飛び込んでくるんですね。何事も、現場に行かなければわからないことがあるというのを痛感しました。

映画『燃えるドレスを紡いで』

― ケニアでの映像も強烈でしたけど、東京に戻ってから描かれるパリコレの準備や裏側もすごくおもしろかったです。毎シーズン、基本的にあんな感じなんですか?

短い期間で制作しなくてはならないため、どうしてもトラブルはつきものです。しかし、関根監督との信頼関係がなければ、トラブルもそうですし、そこで生じる感情の起伏などをカメラの前に曝け出す事はできなかったと思います。

ケニアで重すぎる課題を受け取ってきていたので、これをコレクションに落とし込むことなんてできないんじゃないかなと思いながら観ていましたが、形になってくると天才だなと感動しました。

実はケニアに行く前にすでに用意していたコレクションがあったのですが、あの体験をしたあとにそれが良いと思えなくなってしまい、大きく方向性を変えました。美しさに対する自分自身の価値観が大きく変わったのかもしれません。そのこともあって、いつもより制作時間が限られてしまったため、大きく負荷がかかってしまいました。

映画『燃えるドレスを紡いで』

 

自分なりの哲学をきちんと言語化して伝えていく

― パリコレクションやファッションウィークと言われても、ファッション業界外の多くの方がよく理解できていないと思うんですが、その中でもさらにオートクチュールとなるとまったく縁遠い世界になりますよね。オートクチュール(高級仕立服)とプレタポルテ(高級既製服)で、ショーの意味合いは一緒なんですか?

本質的には非常に近いと思うんですけど、車にたとえるとオートクチュールはF1のようなものかもしれません。今の時代の最高峰の技術や、あらゆるものを駆使して最速の車を作って競い合う。ファッションにおいてオートクチュールは、今の時代における最先端の美しさとはなにかを定義して、世の中に投げかける場所だと私は思っています。

―もし 誰も見てくれなくても作り続けますか?

それは創り出す動機が見つけられず、手を止めてしまうかもしれません。オーディエンスからのリアクションは大きなモチベーションです。

映画『燃えるドレスを紡いで』

― 中里さんは現代美術作家のようでもありあますよね。現代美術では、なぜ作るのか、なぜその手法なのか、全てにおいて「なぜ」というところを突き詰めていく必要があるじゃないですか。中里さんは思考を言語化することができて、クリエーションにも感性だけでなく左脳的な部分を強く感じました。

ヨーロッパでデザイン教育を受けてきたのも影響しているかもしれません。まさに「なぜ」というのを常に問われて、デザインをロジカルにプレゼンテーションしていくことを訓練させられるんですよね。自分なりの哲学、デザイン論をきちんと言語化して伝えていく必要があるんです。

― アントワープ王立芸術学院で叩き込まれた。

はい。美術大学の中にファッション科があるので、デザイン自体がアートと同じような捉え方なんでしょうね。

― アントワープで学んだことで一番強く記憶に残っていることは?

やはり、「なぜ」という問いを、答えられないところまで聞かれ続けることでしょうか。それに対する答えを探していくうちに、おぼろげに自分自身の考え方の輪郭が見えてきます。

また、結果にどのようにたどり着くのか、その方法論が大切で。自分には何があるのか、自分の価値とは一体何なのかを問われたり、自分独自の方法とは何かを考えたりしていくのは、とても重要な学びの機会でした。日本のファッション教育では、技術的な訓練を徹底的にすることがスタートになりますが、ヨーロッパでは哲学的な部分を固めることがスタートなんですよね。全然違う組み立て方でファッションに向き合っているのは印象的でした。

― 若いデザイナーに、ひとつアドバイスをいただけますか?

過去に縛られないということ。世の中の激しい変化に応じて、ビジネス形態も変化せざるを得ない状況の中で、過去のデザイナー像に縛られて模倣してもなかなか難しいでしょう。どんどん新しい手法を試すほうが理にかなっている気がしています。

 

Profile _ 中里唯馬(なかざと・ゆいま)
2008年にベルギー・アントワープ王立芸術アカデミーを卒業し、2009年自身の名を冠したブランド「YUIMA NAKAZATO(ユイマ ナカザト)」を設立。2016年7月、日本人では森英恵以来2人目となるパリ・オートクチュールウィークの公式ゲストデザイナーに選ばれ、継続的にパリで作品を発表。近年は、オランダ出身の気鋭振付家ナニーヌ・リニング(NanineLinning)によるボストン・バレエ団の新作バレエ『ラ・メール』(LaMer)の衣装デザインを手がけ、また先日、日本人デザイナーとして初となるフランス・カレーでのソロエキシビションも発表された。
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Information

映画『燃えるドレスを紡いで』

3月16日(土)より、K‘scinema・シネクイント他にて全国順次公開

出演:中里唯馬
監督:関根光才(『生きてるだけで、愛。』『太陽の塔』)
プロデューサー:鎌田雄介
撮影監督:アンジェ・ラズ
音楽:立石従寛
編集:井手麻里子
特別協力:セイコーエプソン 株式会社Spiber
制作:GENERATION11
配給:NAKACHIKA PICTURES

『燃えるドレスを紡いで』公式サイト

  • Photography&Text : Yusuke Takayama(QUI)

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