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山西竜矢 – 演出家としての武器

Jun 18, 2021
自身初の長編映画『彼女来来』の監督・脚本を手掛けた山西竜矢。演劇ユニット ピンク・リバティ代表として舞台を主戦場とする山西が、映画と演出にかける思いについて訊いた。

山西竜矢 – 演出家としての武器

Jun 18, 2021 - FEATURE
自身初の長編映画『彼女来来』の監督・脚本を手掛けた山西竜矢。演劇ユニット ピンク・リバティ代表として舞台を主戦場とする山西が、映画と演出にかける思いについて訊いた。

演出が向いているのかもしれない

— 山西監督にとって映画『彼女来来』が初の長編ということですが、今作を撮るきっかけは?

過去にも短編作品は何本か撮っていて、演劇も映像も観てくださっていたMOOSIC LAB (ムージック・ラボ)の主催の直井卓俊さんから「映画を撮ってみない?」とお声掛けいただいて企画を出しました。

— 映画を撮るということが先に決まったんですね。演劇をベースに活動されている監督にとって映画とはどのような存在ですか?

自分の中で演劇と映画は別のものではあるけど、根っこでは同じものととらえています。もちろん数え切れないほどいろんな面で違うんですけど、思想のようなものを物語にのっけてお客さまに見ていただくという点では同じで。入れる器が違う感覚というか。

— プレゼンテーションが違うだけ。

そうですね。演劇も映画も、役者がいて台詞を言う点に関しては間違いなく同じなので。ただ、がっつり長編映画をやるのは初めてで、演出方針はあっても落とし込み方が難しかったです。分からないことは聞いてまわって、スタッフの力をすごく借りました。演劇を作るときと使う筋肉が明らかに違うなと。

© 2020 she_rairai

先日松居大悟さんも取材させていただいたのですが、演劇の演出をされている方で映画も撮るという方が増えているように感じます。演劇の演出のノウハウは、映画にも使えるんですね。

演出って雑に言うと「どう見せるか」ということだと思うので、共通しているところはありますよね。ただ、僕は映像の知見がないので「こんな感じにしたいんだけど、どうやったらそう見えるかな?」とカメラマンの米倉(伸)くんをはじめとしたスタッフに相談して、かなり力を借りて決めていってたんですけど。

いま演劇も映画もやるという人が多いのは、技術が進歩して、ジャンルを超えてもものづくりに関わりやすい環境になっているということも大きいのではないでしょうか。そういった意味では自分は恵まれた時代にいる気がしていて。

— 近年ではエッセイを書かれることもありがますが……。

編集の方に「書きたかったら、書いてみる?」と言っていただけて、お願いしますと。最近は、少しでも求めていただけたらやる、という意識を大切にしています。もちろん自分が興味のあること、やってみたいことなのが前提ですが。

— 求められることについてどう感じますか?

ありがたいです。ただいろいろやっていくほどに、やれることが狭まってきている感覚もあります。役者もやってたし、その前はお笑い芸人もやってたし、いろんなことをやって自分のことが分かってきて、沢山のことができるわけじゃないな、と。最近になって、ようやく自分には演出が向いているのかもしれないと思うようになりました。

— 演出が向いているというのは、周りから求められているという意味で?

というより、つらくないんですよね。僕、すごく偉そうに見られるんですよ(笑)。怖い人に見られることも多いし、悪く言いづらい空気があるみたいで。良くも悪くもナメられづらいというか。それは僕が根本的に偉そうな精神性の人間だからかもしれないんですけど……(笑)。それが俳優をやっているときにはコンプレックスで。マイナスなんで、偉そうに見えるって。

でもそれって演出側に回ると武器になるなって。僕は(キャストやスタッフに)プレッシャーをかけたいタイプではなくて、比較的なごやかな方だと思うんですけど、そうすると「顔恐いのに意外とええ人やな」とか、思ってもらえやすいみたいで。得なんです(笑)。自分の欠点と思っていた偉そうな性質が、演出という役目になら長所として変換できることがやっているうちに分かってきたんですよ。だから、大変さはあっても、演出をしているときの方が楽なんですよね(笑)。

— なるほど(笑)。

自分らしくあることが楽な場所にいるっていうのは、健康的なことだと思うんですよ。

© 2020 she_rairai

 

男一方からの視点でなく人間関係の話にしたかった

— 『彼女来来』を観ている間、行定勲監督のコメントにもあったのですがやはりカフカや安部公房などが頭をよぎりました。作品の着想点について教えていただけますか?

大前提としてカフカや安部公房が好きっていうのはあって、作るときに『砂の女』とかはイメージしました。でも一番最初の着想は、ふっと自分の恋人が違う人になっていても意外と受け入れてしまうんじゃないかということ。物語全体のことでいうと、僕は恋人に「きみだけだよ」的なことをけっこう言うタイプなんですよ。

— はい。

今の恋人にも言ってるし、前の恋人にも前の前の恋人にも言ってたしって考えたときに、それって気持ち悪いなと。でもこれは僕だけじゃなくて、言葉は違えどみんなやっちゃうことなんじゃないかって。たとえば歴代の恋人に同じ料理を振る舞ってみたり、どこか似ている人を好きになったり、ある種の「言わんほうがええあるある」みたいなことを映画としてやれたらおもしろいなと考えました。

そしてみんなの中でその気持ち悪さがなんとなく流されているのは(昔の恋人と新しい恋人の)あいだに時間があるからだと思ったんです。今の恋人がいなくなることと新しい恋人が現れることをがっちゃんこしてみたらどうなるだろうということと、ふっと恋人の顔が変わるというイメージが絡み合って『彼女来来』ができました。

— なるほど。いわゆる不条理ものでシリアスな印象も受けましたが、演出としてコメディに振ろうとは考えませんでしたか?

考えなかったんですよね。先ほども話に出たのですが僕はもともとお笑いをやっていて、今もお笑いが大好きなんですが、笑える方向に振り切ることで気配のようなものが失われることがもったいない気がして。あと、(シリアスな雰囲気でも)笑ってくれる人は笑ってくれるんじゃないかなと思ったのもあります。

© 2020 she_rairai

— 現実的にはあり得ないとされるシチュエーションだからこそ、ナマっぽい感じを積み重ねているというか、丁寧に演出されているように感じました。

恋人が入れ替わるということ以外はできる限り嘘を排除したかったというか、起こりうる範囲で抑えたいなっていうのはすごい意識しましたね。観ている方が「この状況になったらこうなってもしょうがないかもな」と思えるようなラインに物語があるように。あとわかりやすいドラマチックな出来事で物語が加速するということをせず、2人がただ一緒にいるだけの時間をちゃんと見せたいなという思いはありました。

— 終盤にかけて物語が収束していきますが、あのラストシーンは最初から想定していたのでしょうか?

最初の脚本ではあのラストシーンじゃなかったんです。ざっくり言うと、主人公である紀夫の目線でラストをむかえる脚本になっていました。僕は男性なので、必然的に男性としての目線で物語を着想しているんですけど、突き詰めて考えた時に女性側から見ても同じようなことが起こっているよなと思って。一方からの視点でなく双方向な人間関係の話にしたかったので、最後はマリの視点に行き着いて終わって欲しいと考えて、撮影に入る少し前にはいまの脚本になっていました。

© 2020 she_rairai

 

映画で、もっとやれることがある

— メインキャストの前原滉さん、天野はなさん、奈緒さんの起用についてお聞かせいただけますか?

前原くんと天野さんとはもともと親交があって、信頼できる役者さんだということは分かっていました。

ある打ち上げで前原くんと一緒になったとき、彼がすごく場を盛り上げていたんですけど、打ち上げが終わった後に他の人が見えないところでしんどそうにしているのに気がついて。素敵な人やなって一気に好きになって(笑)。(前原滉さんが演じた)紀夫は、軽薄そうな人が演じると物語自体が違う見え方になってしまうと思うんですが、前原くんならそうはならないなという確信がありました。

天野さんは浮遊感がある女優さんで、マリにはぴったりだと思いました。なかなか他にいない質感を持っている人なので、彼女に合う役があったら声をかけたいとずっと思っていて。

奈緒ちゃんは、直接一緒にやったことはなかったんですが、いろんな映像作品を通して素晴らしいお芝居をされる方だとは知っていて。出演シーンは少ないけど難しい役だったので、信頼できる方にお願いしたいと思ってお声かけしました。あと、天野さんと奈緒ちゃんはもともと友だちで、一度、僕が所属している劇団の芝居を見に来てくれたときに、二人が並んでいた印象が強く残っていたんです。全然違うんだけど、どことなく似てるなって。

© 2020 she_rairai

— 3人とも役にすごくはまっていました。そしてヴァイオリン独奏による劇中音楽も印象的でしたね。

今作では2人の女性とか、恋愛の光と影とか二面のものがモチーフになっているのですが、ヴァイオリンって不穏な音と幸せな音が両極端にあって、穏やかな音の中にも不穏さが感じられたり、不穏であっても落ち着く音にも聞こえたり。それが映画の世界観にも合うんじゃないかなと思って、Vampilliaのヴァイオリニスト・宮本玲さんをご紹介いただき、ご一緒させていただきました。

— 音楽の制作はどのように進めたのでしょうか?

僕が音楽にさほど明るくないこともあって、共通言語がない状態だったので、最初のすり合わせに時間がかかりました。すごく向こうに寄り添ってもらって、迷惑をかけたと思います。最終的に映像を観ながらインプロみたいな形式で演奏をあててもらって作っていったので、音楽と映像でセッションしている感じはありましたね。素晴らしい楽曲を作っていただいて、感謝しています。

— 初の長編が完成して、今後も映画をやっていきたい気持ちはありますか?

むしろ映画にもっと力を入れていきたいと思いました。演劇でやりたかったけれどできなかった演出とか、映画だったらもっといろいろやれることがあるなと。もちろん演劇でしかできないことはありますし、これからも演劇をやってはいくんですけど。

© 2020 she_rairai

— 将来の目標はありますか?

目標ってあまり考えたことがないんですが……おもしろいものを作り続けたいってことでしょうか。欲をいうとそれを観た人が元気になるなり、いい意味で絶望するなり、ささやかでも生活の栄養になりたいなとは思います。

— 『彼女来来』はそういった面では達成できていると感じていますか?

自信があるところも、もっとできたなと反省しているところもありますが、長編一作目としてはすごく満足しています。周りのみんなのおかげで作れて、いまもみんなが広めようとしてくれている。恵まれた作品だなと思います。

— 映画は作って終わりじゃないですもんね。

そこはちょっとびっくりしました。演劇だと作りました、本番です、終わりですというのがもう少しはっきりしてるんですけど、もうずっとこの映画のこと考えてるやんって(笑)。いままでなかった経験で、それもまたおもしろいです。

 

Profile _ 山西竜矢(やまにし・たつや)
1989年、香川県生まれ。同志社大学卒。劇団子供鉅人への客演参加を機に、2014年より劇団員となる。俳優として舞台・映像で多数の作品に出演する傍ら、脚本・演出について独学で学び、16年に代表をつとめる演劇ユニット『ピンク・リバティ』を旗揚げ。本格的に脚本・演出業を開始する。翌17年には脚本・監督した短編映画「さよならみどり」が第6回クォータースターコンテストでグランプリを受賞、昨20年には執筆したエッセイが日本文藝家協会「ベスト・エッセイ2020」に選出されるなど、以降、ジャンルレスに活動の場を広げている。

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FEATURE
Passing through — starring Hana Amano
Jun 16, 2021

 

 


 

Information

映画『彼女来来』

2021年6月18日(金)より、 新宿武蔵野館ほかロードショー

ある日、彼女が別人になった

監督・脚本:山西竜矢
音楽:宮本玲(Vampillia)
出演:前原滉・天野はな・奈緒 ほか

『彼女来来』公式サイト

© 2020 she_rairai

  • Photography : Maho Hiramatsu
  • Art Direction : Kazuaki Hayashi(QUI / STUDIO UNI)
  • Edit&Text : Yusuke Takayama(QUI / STUDIO UNI)

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