「ちょっとズレている美しさ」がくれる自由|Masha Popova マーシャ・ポポヴァ
ウクライナ出身のデザイナー、マーシャ・ポポヴァが語る、自分のための服作りから始まった創作の道。経年変化する布、ドレーピングの即興性、そして注目の最新コレクションまで。
「ちょっとズレている」ことが、私たちにくれる自由と創造の可能性について、丁寧に語ってくれた。
Masha Popova 2024AW COLLECTION RUNWAY BACKSTAGE
建築からファッションへ、感情が導いた“ズレ”の美しさ
── マーシャさんは変わった経歴を持っていますよね。服作りを始めたとき、それはあなたにとってどんな意味があったのですか?
マーシャ・ポポヴァ(以下、マーシャ):服作りを「進むべき道」として意識する前に、まず自分のために服を作ってみたいと思ったのが最初でした。私はウクライナで育ちましたが、10代の頃は今のようにたくさんのファッションの選択肢があったわけではなく、当時はファストファッションの店舗すらなかったんです。最初の<ZARA(ザラ)>がオープンしたときは本当に大きな出来事でした。
それまでは、クールな服を探しては古着屋をあちこち巡っていました。そうしているうちに、自分で服を作るというアイデアに惹かれていきました。建築を学んでいたとき、初めて奨学金をもらって、そのお金でミシンを買ったんです。正直に言うと、ちゃんとした服をそれで作ったことはなかったけれど、服作りへの直感的な欲求はそこにありました。
最初からファッション業界の華やかなイメージを追いかけていたわけではなく、「デザイナーになりたい」と夢見て育ったわけでもありません。ただ自然に、時間をかけて流れるようにそうなっていった感じです。…そして今に至る、というわけですね!
── 建築からファッションへ移行された背景には、どんな感情があったのでしょうか?
マーシャ:建築は大好きでした。今でもとてもロマンチックな気持ちで建築を見ています。でも実際に働いてみると、その理想とは少し違っていたんです。建築のプロジェクトって完成までに何年もかかりますし、クリエイティブな判断は自分ではなくクライアントがすることも多くて。作業の大部分はコンピューター上で、すごく制約が多い世界でもありました。
私はもっと即興的で、手を動かしながら実験できるようなものを求めていたんです。新しいアイデアを試したり、気が変わったらすぐに方向転換できたり。ファッションには、そういった自由がありました。より直感的で、素材に触れながら自分の手で作れる世界。そうした柔軟性と即時性に惹かれて、ファッションの道に入りました。
「完璧じゃないから美しい」不完全さに息づく反骨精神と優しさ
Masha Popova 2025SS COLLECTION RUNWAY BACKSTAGE
── マーシャさんの作品に見られる「不完全な美」「反抗的なエレガンス」は、どのようにして生まれたのでしょうか?
マーシャ:私はずっと「不完全さ」に魅了されてきました。布が時間とともにどう変化するのか、色あせ、伸び、使い込まれた感触、そういう経年変化に美しさを感じます。逆に、完璧に整ったものや手を加えられていないものは、どこか命がないように感じてしまうんです。
また、布が体にまとわりつく様子、音を立てて揺れ動く様、そうした「動き」を服の構築に取り入れるのが好きです。もちろんエレガンスは好きですが、それをもっと自由で直感的なかたちで表現したいんです。あえて「少しズレている」感じに魅力があると思うんです。
完璧にプレスされたパリッとした服は、一瞬は美しく見えても、それは長く続かないし、二度と同じようには見えません。その反対にある、柔らかさや記憶、変化を含んだ美しさを、私は大切にしています。
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── その柔らかくて直感的なプロセスが、ドレーピングという手法にも通じているのでしょうか?
マーシャ:そうですね、一番ワクワクするのは「実験性」です。ドレーピングってすごく直感的なプロセスで、スケッチでは思いつかないような予想外の結果が生まれるんです。描くという行為は、すでに存在する何かを参照していることが多いですが、立体で作業しているともっと自由になれます。
素材ごとにまったく違う反応を見せるので、2Dでは得られない感覚があります。布がどう落ちるのか、身体にどう反応するのかをその場で調整できる。そのコントロールと即興性が、私にとってすごく魅力的なんです。
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少女時代の鉄道ヤードと古着文化が、クリエーションの原風景
── 幼少期はウクライナの鉄道ヤード近くで過ごし、古着文化に囲まれて育ったと伺いました。それらの体験が今の創作に与えている影響はありますか?
マーシャ:古着文化は、私の物の見方を大きく形づくってくれました。普通のお店のように、すでにストーリーやコンセプトが整えられているわけではなくて、古着屋では自分でストーリーをつくる必要があるんです。雑多なアイテムの中から、自分なりに価値や面白さを見出して、それをどう組み合わせるかを考える。当時はファッション雑誌も手に入らなかったので、そうやって、見る目や直感が自然と養われました。
あと、鉄道の車両基地のすぐそばで育ったのも大きかったです。そこが私たちの遊び場でした。金属の上に登ったり、油やガソリンのにおいをつけて帰ってきたり(笑)。全然キレイな環境じゃなかったけど、質感があって、荒々しさと自由さがあった。言葉では完全に説明できないけれど、今の私の「女性らしさ」の表現の中にも、その粗さやむき出しの感覚がある気がします。
── 確かに<Masha Popova>のコレクションにリンクしているように感じます。先ほど仰っていたファッション雑誌が手に入らなかったことも、今の自由な表現につながっていると思いますか?
マーシャ:それは確実にあると思います。雑誌が手に入らなかったからこそ、既存の価値観にとらわれずに、自分だけの「ファッションの言語」をつくる必要がありました。ちょっと変わっていたかもしれないけど、すごく直感的で、自分なりに見つけた古着やアイテムをどう活かすかを考えていました。
その後、ファッションを学び始めてからは、アーカイブや書籍、雑誌といったあらゆる資料に突然アクセスできるようになって、ちょっとしたカルチャーショックでした(笑)。でも、その衝撃やギャップこそが、今の自分の表現の中にも息づいていると思います。
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最新コレクションに込めた「静かな反抗」と「想像の中の自由」
── 最新の2026年春夏コレクションについてこっそり教えてください。今回はどんなストーリーや感情を込めたのでしょうか?
マーシャ:まだ正式にはリリースしていませんが、パリでプレセールスのショーを行ったばかりです。このコレクションが表現しているのは「明晰夢(ルシッドドリーム)」のような感覚です。実際にはどこにも行けていないけど、頭の中だけでバカンスに出かけているような。たとえば、暑い都市に閉じ込められていて、そこから逃れるように空想する、架空の旅をイメージしています。
全体的に少しノスタルジックで、日差しに色褪せたような雰囲気が漂っていて、どこか夢の中のような、少し非現実的な世界になっています。「本当は行っていない旅」を思い出しているような、不思議な感覚を込めています。
── その中で特に注目してほしいアイテムや加工はありますか?
マーシャ:たとえば、「濡れた水着の上からふわっと羽織った服」のような質感を意識して、海から上がってすぐの、まだ体が濡れている感じをそのまま布に残したような洋服があります。
また、デニムのドレスやジーンズには、「砂浜に置かれていたかのような風合い」を表現しました。布に砂がついたような質感を、フロック加工でリアルに再現しています。とても触覚的で、少し不気味なほどリアルです。
私が特に気に入っているのは、「砂の上に座ったときに残る跡」を模した加工です。布にうっすらと記憶のような跡が刻まれていて、日焼けしたような、幻影のような印象を与えます。
── マーシャさんの表現において大切にしている“反抗”や“希望”の感情については、どう表現されていますか?
マーシャ:このコレクションにおける「反抗」は、とても静かなものです。声高な主張や攻撃性ではなく、むしろ「ささやかな詩のような抵抗」と言えるかもしれません。完璧さや即効性を求める風潮に抗って、「ちょっとズレている」「感情的すぎる」ようなものをあえて選ぶことにしました。
そして、「希望」はその夢のような感覚の中にあります。劇的な逃避ではなく、感覚的な小さな逃げ道。暑い街の中で、ふと頭の中だけで旅を思い描く。そういう、想像の中の自由。懐かしいけど、決して悲しくはない。想像すること、夢見ること、それ自体に小さな喜びがある。そんな「想像の中の希望」を大切にしています。
物語を縫い込む、マルジェラで感じた“ファッションの本質”
Masha Popova 2025SS COLLECTION RUNWAY BACKSTAGE
── ジョン・ガリアーノ期の<Maison Margiela(メゾン マルジェラ)>でインターンをされていましたね。当時、ご自身の価値観と何か違和感を感じることはありましたか?
マーシャ:当時はまだ学生で、あくまでインターンとして参加していました。でも正直に言って、今まで働いたどの場所よりも、ガリアーノ時代の<Maison Margiela>は私の価値観に一番近かったと思います。
── それはとても興味深いですね。具体的にはどんな部分で共鳴を?
マーシャ:「クラフトへの敬意」や「ストーリーテリング」、「服そのものの芸術性」に重きが置かれていたことですね。それは、私がずっと大切にしてきた価値観と重なっていました。もちろん、やり方やディテールの違いはあっても、大きな違和感はなくて。むしろ、「ナラティブ(物語)や感情が、ファッションの中にちゃんと存在していていいんだ」と気づかせてもらった、大きな経験でした。
自分たちのリズムで、“巨大なファッション”とは違う地図を描く
Masha Popova 2025SS COLLECTION RUNWAY BACKSTAGE
── 少人数でブランドを築いてこられた中で、今後の成長についてどのように考えていますか?
マーシャ:本当に、最初はゼロからのスタートでした。資金もなく、スタジオすらなかったところから始めて、小さなスペースを借りて、販売もSNSも生産も全部ひとりでやっていました。聞こえはロマンチックかもしれませんが、正直、長く続けるには無理があります。すべてを自分でこなしていたら、クリエイティブなことをする時間がなくなってしまいます。
今もチームはすごく小さいですが、これからは特に「ビジネス面を任せられる人」を迎えたいと思っています。私は戦略家ではないので、今までは「商品が共鳴してくれたから」ここまでやってこられただけで、明確なビジネスプランがあったわけではないんです。
私にとっての「成長」は、ただ大きくなることではなく、「実験や探求の余地を増やすこと」。もっと自由に表現の幅を広げて、ブランド全体の世界観を深めていけたらと考えています。
── 業界の現実的な要求やシーズン制との向き合い方について、どうバランスをとっていますか?
マーシャ:これは本当に難しい課題です。特に今は、業界全体が厳しい状況にあって、昔ながらの卸売モデルも信頼できなくなっています。アメリカやヨーロッパでは不況のムードが強くて、「もっとシンプルに」「ミニマルに」といった要望がバイヤーから来ることも増えています。
でも、それって私たちの言語ではないんですよね。私たちのブランドに来てくれるお客様は、そういう「静かなベーシック」を求めているわけではありません。そうした流行に合わせようとすると、自分たちらしさを失ってしまいます。
だから私は、「自分たちのビジョンを貫くこと」が何より大切だと思っています。たとえ短期的には難しくても、長期的には、それが信頼とブランドの軸になると信じています。
Masha Popova 2025SS COLLECTION RUNWAY
── 以前他誌のインタビューでシーズン制に縛られず、自分たちに合ったリズムで活動する可能性についても語られていましたね。
マーシャ:シーズンごとの発表やコレクションショーのサイクルって、特に小さなブランドにとっては本当にプレッシャーになります。リソースのほとんどが1回の発表に吸い取られてしまって、チームを育てたり、新しいプロセスを探求したりする余裕がなくなってしまいます。
いったん立ち止まって、「このブランドにとって本当に意味のあるリズムは何か?」と問い直すことが必要だと思うんです。たとえば、「数を絞って焦点を定めたリリースにする」「もっと親密な形で見せる」あるいは、「デジタルでの表現に力を入れる」などを検討する必要があります。
「ファッション業界の巨大プレイヤーたち」と同じ土俵で競う必要はないと思っています。自分たちに合ったやり方、自分たちの構造を築くことの方がずっと大事なことです。
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「侘び寂び」と「手作業」、感性が響き合う場所・日本への憧れ
── マーシャさんのコレクションには、「手仕事」や「解体と再構築」といった美学が見受けられ、日本文化に通じる独自の価値観が感じられます。
マーシャ:私の作品に込めたディテールや手作業のプロセスに、日本のお客様が深く共鳴してくださっているのを感じて、とてもありがたく思っています。
文化的な面で、私がもっとも強く惹かれているのは「侘び寂び」という考え方です。完璧でないもの、儚さや未完成な状態の中に美を見出すという概念。それは、私がずっと作品で表現してきたことそのものだと思うんです。
西洋文化では、「美しさを時間の中で止めて保存する」ような考え方が主流で、「劣化しないもの」への執着がある気がします。でも、侘び寂びはむしろ、変化や壊れやすさ、一時性を受け入れます。そうした考え方には、とても深い力を感じます。
Masha Popova 2025SS COLLECTION RUNWAY BACKSTAGE
── 以前QUIで展開した特集「ファッション業界人が注目しているブランド図鑑」では<Masha Popova>の名前も上がっていました。現在日本のファンからの関心が高まっていることについて、どんなお気持ちですか?
マーシャ:本当に、心から嬉しいです。正直なところ、日本でこれほど認知いただいている実感はなかったのですが、今はとても感謝しています。
日本の方々は、素材感やプロセス、ディテールへの感受性がとても豊かで、だからこそ、このつながりが「本物のもの」だと感じられるんです。表面的なトレンドではなく、深いレベルで共感してくれている。そのことが、本当に励みになっています。
── そう仰っていただけて日本のいちファッションファンとして非常に嬉しいです。将来的に、日本の職人やショップとのコラボレーションも視野に入れていますか?
マーシャ:はい、もちろんあります。実は、まだ一度も日本に行ったことがないんです。でも、ずっと行ってみたい場所の一つで、常に心の中にあります。
日本と私の作品との間には、確かなつながりがあると感じているので、現地のショップやクリエイターとのコラボレーションや日本でのコレクション発表など、機会があればぜひ実現させたいと思っています。
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辛い現実から逃げず、違う風景を描くことで静かに抵抗する
── 故郷ウクライナでは、戦争が長引いています。ファッションを「視覚的なメッセージ」として捉えたとき、現在の社会情勢や政治状況とのつながりを感じることはありますか?
マーシャ:私は、「今の世界を直接的に反映しよう」と意図して服作りをしているわけではありません。むしろ、私にとっての制作は「夢のような風景」を描くようなものです。
でも、私はウクライナ出身で、戦争はずっと続いていて、それは日常と切り離せない現実です。どこにいても、その感覚は自分の中に常にあります。だから作品にも、無意識のうちにその影響は染み込んでいるかもしれません。
ただ、それは「状況を直接的に語る」のではなく、「別のものを創り出す」ことでのささやかな抵抗を表しています。優しさをもって、現実とは違う風景を描くこと。それが私なりの静かな抵抗なんです。
物語を服で語るという夢、もう一度向き合いたい建築への道
── 現在ファッションで創作表現を行っていますが、他のメディアでの自己表現に興味はありますか?
マーシャ:はい、これはすぐに答えられます。私は「映画の衣装デザイン」をやってみたいです。それも広い意味ではファッションかもしれませんが、「物語を服で語る」という点に、ずっと惹かれています。映画というシネマティックな世界の中で、衣服がストーリーを補完するような役割を果たすこと。それって、とても魅力的だと思うんです。
それと、建築もやっぱりまだ心の中にあります。私は建築を学んでいたので、いつかまた戻りたい気持ちはあります。ただ、それは人生のもう少し落ち着いたタイミングが良いかなと。建築には長い時間が必要ですし、人生のテンポが少しスローになったときに、もう一度向き合いたいと思っています。
Masha Popova 2025SS COLLECTION RUNWAY BACKSTAGE
<Masha Popova(マーシャ・ポポヴァ)>の服は、単なるファッションではなく、変化と記憶、ズレと実験のなかに宿る「静かな詩」のようだ。デザイナーのマーシャ・ポポヴァが持つ繊細さと力強さは、そのまま作品に映し出され、私たちに「完璧じゃなくていい」と語りかけてくれる。
その声に耳をすませることで、私たちもまた、別の風景を想像できるのかもしれない。
Masha Popova
Web:https://masha-popova.com/
Instagram:https://www.instagram.com/mashapopovap/
- Interview & Text : Yukako Musha(QUI)



























