下手になるほど自由な気持ちが湧き出してくる。美術家・横尾忠則、88歳の新たな挑戦 – 世田谷美術館「横尾忠則 連画の河」レポート
前日の自分は他人、新たな「連画」のシリーズ
本展で横尾忠則が試みたのは、和歌の上の句と下の句を複数人で分担して詠みあう「連歌」になぞらえた「連画」だ。
横尾は前日に自身が描いた作品を他人の絵のように眺め、そこから発想を膨らませて次の作品へとつなげていったという。一貫した自身のアイデンティティから解放され、変幻自在な自己と出会い続ける。その繰り返しを大きな「河」になぞらえ、64点でひとつの作品として提示される。
美術家・横尾忠則とは
1936年、兵庫県西脇市に生まれた横尾忠則は、日本を代表する美術家の一人だ。グラフィックデザイナーとしてキャリアをスタートし、ポップアートやサイケデリックの影響を受けたポスターや装丁で注目を集めた。
その後、ニューヨーク近代美術館のパブロ・ピカソの個展に衝撃を受けたことをきっかけとした1981年の「画家宣言」より、絵画の世界へと活動を移し、以後、ヴェネチア・ビエンナーレやサンパウロ・ビエンナーレなど、国際的な舞台でも高く評価されてきた。2012年には神戸に横尾忠則現代美術館が、2013年には香川県・豊島に豊島横尾館が開館。グラフィック、絵画、インスタレーション、文章執筆と、その表現は多岐にわたる。
自由に描き続ける事への挑戦
今回のシリーズの起点となったイメージは、1970年に故郷・西脇で同級生たちと並んで写った一枚の記念写真だった。撮影したのは写真家・篠山紀信。横尾はこの写真をもとに、1994年に《記憶の鎮魂歌》という作品を描いた。そして約30年後の2023年、この写真に再び向き合うことで、「連画」は動き出した。展覧会はこの《記憶の鎮魂歌》からスタートする。写真の中では同級生たちからひとり離れた位置にたつ横尾だが、本作の中では亀の姿として描かれている。
《記憶の鎮魂歌》 / 横尾忠則(1994年) 世田谷美術館「横尾忠則 連画の河」展 展示風景
続く展示室では、それを起点に描かれた64点の新作が続く。展示室に入り、まず圧倒されるのはその作品のサイズだ。今回の作品群は、150号というサイズを中心に構成され、高さは1.8Mを超え、幅も2.3M近くある作品が壁一面に並んでいる。
今回のシリーズの制作が始まったのは、2023年3月。東京国立博物館での個展「寒山百得」展を終えた横尾は、「自由に描いていたつもりが、自由人というテーマにとらわれてしまった」と気づいたという。次はテーマすら持たず、自由に描いた作品で個展を開きたいといった純粋な衝動が、新たな創作へとつながった。
世田谷美術館「横尾忠則 連画の河」展 展示風景
序盤では、鉄道や川、鉄橋、そして同級生たちといった、起点となる写真に登場したモチーフを、赤・青・黄のシンプルな三原色で構成し、様々なタッチで描いている。1作品目では、上も下もない絵にしようと、途中からカンバスの上下を入れ替えて描くなど、長い時間をかけて新たな描き方を試行したそうだ。
そうした作品が数点続いたところで、画中の川の中には小さな筏が登場し、次の作品からはモチーフが大きく変化していく。今度は記念写真の登場人物たちが大きな筏に乗って川下りをはじめる。この頃、横尾はまだ制作に悩み、日記には「3ヶ月間まったく描けなかった」とも綴られていたという。
世田谷美術館「横尾忠則 連画の河」展 展示風景
作品の中には、横尾のピンクガールシリーズの作品で、城のお堀で泳ぐ女性を描いた《お堀》からモチーフが引用されているものもみられ、これまでにも、自身の作品や過去の著名な作品からモチーフを引用してきた横尾の作品の特徴が表れている。こうした引用はこの後の作品にも度々登場する。
迷いも勢いもそのままに…約2年間を時系列どおりに並べた展示
今回の展覧会では、基本的に制作順に作品が並べられている。制作の時間をなぞるように鑑賞していくと、横尾の「連画の河」の旅を追体験するようにも感じられるのではないだろうか。制作に悩み筆が止まりかけた痕跡も、逆に勢いよくイメージが流れはじめるようすも、そのまま残されている。何枚か類似したモチーフの作品が続くこともあれば、何らかのきっかけでモチーフががらりと変わることもある。
世田谷美術館「横尾忠則 連画の河」展 展示風景
例えば、続く展示室では、作品は「河」のイメージから離れ、画面も色鮮やかで賑やかになっていく。当時、横尾のアトリエを訪れた人が、そこにあった作品の1枚を観てメキシコをイメージしたという言葉をきっかけに、メキシコのイメージがふくらんでいったそうだ。画面の中の人物も、当初描かれていた同級生から、ピカソやデュシャン、デ・キリコ、マン・レイといった美術史上の巨匠たちへと変化したり、コルク栓のような頭をもった抽象化された人物のイメージなどへと変化していっている。
また、別の展示室では、ポール・ゴーギャンの「タヒチの女たち」をモチーフにした作品が続く。こちらも、当時、雑誌の連載でタヒチでの思い出を書いたことをきっかけに描いたものだそうだ。作品のなかには、円、矩形、三角形といったシンプルな図形も、シリーズを通じて繰り返し登場している。
世田谷美術館「横尾忠則 連画の河」展 展示風景
しりとりのようにモチーフを引き継ぎながら続いていく作品群には、はっきりとしたテーマの区切りはないが、展示室ごとにおおよそ同じモチーフを扱った作品が並び、その中で作品を見比べていくのも面白いだろう。
展示の中では、横尾のスケッチブックも展示されている。そこには、新聞記事のスクラップや、作品の構想が描かれ、日々気になった話題をモチーフに作品が描かれている様子が見受けられる。また、展示された作品と見比べると、当初の構想から変化してきた様子が感じられる作品もある。
世田谷美術館「横尾忠則 連画の河」展 展示風景
巨大な壺の登場、無意識のイメージから生まれる作品群
展示終盤、突如大きな「壺」のモチーフが登場し、繰り返し描かれるようになる。横尾自身も「面白いでしょう。なんで壺なのか、僕、本当にわからないんだよ。」と言ったという。
《大壺登場》 / 横尾忠則(2024年) 世田谷美術館「横尾忠則 連画の河」展 展示風景
だが、これまでに観てきた連画の作品を見返していくと、作品のタイトルやモチーフに何度か「壺」が登場している。また、壺は水を蓄える器であり、川の流れも連想させる存在だ。自由に描きつづけることで、そうした無意識の中にあったイメージが取り出されてきているのかもしれない。
世田谷美術館「横尾忠則 連画の河」展 展示風景
エドゥアール・マネによる《草上の昼食》、ドミニク・アングルによる《泉》など、ここでも歴史上の絵画からの引用も複数みられる。
今回の展覧会のメインビジュアルにもなっている作品《ボッスの壺 / Bosch’s Jar》のモチーフも、ヒエロニムス・ボスの《快楽の園》という絵画に登場する、川の中に逆さに刺さっている男性のモチーフから引用したものだそうだ。その足を広げた形は、横尾の「Y」でもあり、Y字路のYと見ることもできる。自身の作品と名画、さまざまな作品から引用されたモチーフで新しい作品がつくりだされている。
《Self-Portrait》 / 横尾忠則(2025年) 世田谷美術館「横尾忠則 連画の河」展 展示風景
展覧会の最後は、《Self-Portrait》という自画像の作品で締めくくられる。常に自分は何者なのか、自分はどこから来たのか、どこに行くのか、ということを問い続け、描き続けてきた横尾の現在のまなざしが見て取れる作品だ。
「絵を描くことにはとっくの昔に飽きている」、それでも試行錯誤は続く
展覧会の挨拶で、横尾は「年齢とともに、絵は下手になる一方です」、思い通りに描けないジレンマを抱えながら、それでも「下手になると、今度は、下手でいいんだっていう、自由な気持ちが湧き出してくるんですよね」と語った。
(左)横尾忠則氏 (右)本展キュレーター 塚田美紀氏
横尾が画家に転向するきっかけとなったパブロ・ピカソは、晩年に「この歳になって、ようやく子供のような絵が描けるようになった」と発言したと伝えられる。本展覧会で、筆の迷いも勢いもそのままに時系列どおりに展示された作品群を観ていくと、「自由に描く」ということは、第一線で活躍し続けるアーティストにとっても、それほどまでに難しいものなのかという驚きも感じられるのではないだろうか。
横尾は、「3,4歳の子どものころから絵を描いていますから、もう絵を描くことにはとっくの昔に飽きているんです。」とも語った。それでも、テーマを持たずに自由に描き続けるという新たな創作にチャレンジし、試行錯誤しながらも精力的に創作をつづけるようすが伝わってくる展覧会だ。横尾忠則の現在地をぜひ会場で目撃してほしい。
「横尾忠則 連画の河」
会期:2025年4月26日(土)〜2025年6月22日(日)
会場 :世田谷美術館
住所 :157-0075 東京都世田谷区砧公園1-2
時間:午前10時~午後6時(入場は午後5時30分まで)
休館日:毎週月曜日
世田谷美術館 展覧会詳細ページ
Instagram:@setagayaartmuseum
- Text / Photograph : ぷらいまり。
- Edit : Seiko Inomata(QUI)