アートがひらく、時間の感覚 – 森美術館「六本木クロッシング2025展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」レポート
「六本木クロッシング2025展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」は、3年に1度、日本の現代アートの現在地を“定点観測”するシリーズだ。今回はサブタイトル「時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」のもと、わたしたちの時間感覚を静かに揺さぶる作品が並んでいる。
森美術館で開催中の本展は、2004年から続くシリーズの第8回目となる。3年に1度、日本の現代アートの“いま”を俯瞰することを目的とした展覧会だが、今回はその軸に「時間」というテーマが据えられている。
このテーマには、キュレーターたちの2つの思いが込められている。ひとつは、スピードや効率が優先される現代社会において、深く感じ、じっくりと考える時間を、アートを通して取り戻してほしいという願い。もうひとつは、世界各地で分断が進むいま「時間」という誰もが共有するテーマを手がかりに、他者への想像力や共感の感覚をあらためてひらき直してほしい、という思いだ。
本展に参加しているのは、国籍を問わず日本を拠点に活動する、あるいは日本にルーツをもち海外で制作を行うアーティスト21組。複数の土地や文化を行き来しながら表現を続ける作家も多く「日本の現代アート」を多角的な視点からとらえ直そうとする構成となっている。
「時間」を読み解く4つのまなざし
本展は「時間」という大きなテーマを、「さまざまな時間のスケール」「時間を感じる」「ともにある時間」「生命のリズム」という4つの観点から読み解けるよう構成されている。展示室を進むにつれ、個人的な記憶から歴史、さらには生と死の時間へと、扱われる時間が次第に移ろっていく。
さまざまな時間のスケール:個人の経験と普遍的な事柄をつなぐ
最初の展示室には、絵画や巨大な陶芸作品、テキスタイル、ガラス彫刻など、複数のアーティストによる多様なメディアの作品が並ぶ。「さまざまな時間のスケール」と題されたこのセクションでは、ひとりの人間の個人的な経験と、より普遍的な事柄との関係性を探究する作品が紹介されている。

展示風景:「六本木クロッシング 2025 展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」森美術館(東京)2025-2026年
壁面を覆う複数のテキスタイル作品と、床に広がるカラフルな糸巻き。沖潤子の作品は、母や祖母が残した布や、古い衣服など、誰かの生活の痕跡が刻まれた素材に、途方もない量の刺繍を重ねたものだ。緻密な一針一針の集積は、やがて抽象画のようなイメージを立ち上げていく。

沖 潤子
展示風景:「六本木クロッシング 2025 展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」森美術館(東京)2025-2026 年
刺繍という手仕事に費やされた膨大な時間、その布をかつて身につけていた人の人生の時間、そして、いまこの作品を見つめている自分自身の時間。それらが、静かに重なり合ってくる。
普段は意識することのない大きな時間のスケールのなかに「わたしの時間」もまた流れていることを、ふと立ち止まって実感させてくれるセクションだ。
時間を感じる:時計では測れない時間
次のセクションでは、時計で測る時間から距離を置き、身体で感じる時間や、制御しきれない偶然の時間に焦点が当てられている。
A.A.Murakamiの大規模インスタレーション《水中の月》では、樹木のような彫刻からシャボン玉がこぼれ落ち、水面で跳ねては霧とともに消えていく。暗闇の中、霧や光、泡といった儚い素材がライトに照らされ、幻想的な風景をつくりだしている。

A.A.Murakami《水中の月》2025年
スチール、アルミニウム、カスタムロボティクス、カスタム濾過システム、泡、水、AI制御ロボティックシステム
407×807×485 cm
AIを活用して作られている作品でありながら、その動きには制御しきれない偶然性が含まれる。その様子は、桜の花が風にあおられて散っていく光景のように、自然のリズムと向き合っているかのような感覚をももたらす。その幻想的な光景に思わず息をのみ、普段よりもゆっくりと時間が流れるようにも感じられる作品だ。
六本木駅の出入口を作品として再現したのは、2人組の日本人アーティスト ズガ・コーサクとクリ・エイトだ。そのユニット名は「私のやっていることなんて図画工作やで」「作っているっぽい人というイメージで、クリエイト」といった軽やかなやり取りから生まれたという。

ズガ・コーサクとクリ・エイト《地下鉄出口 2》
展示風景:「六本木クロッシング 2025 展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」森美術館(東京)2025-2026年
奥行きまでリアルに表現された空間だが、近づいてみると背景や点字ブロックは段ボール、階段のタイルは新聞紙、看板はパッケージフィルムなど、身近な素材で構成されていることに気づく。誰もが小学生の頃に体験した「図画工作」の時間を、思わず思い出してしまうのではないだろうか。

ズガ・コーサクとクリ・エイト《地下鉄出口 2》(部分)
展示風景:「六本木クロッシング 2025 展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」森美術館(東京)2025-2026年
足元に転がるタバコのパッケージなどのゴミや落ち葉は、実際の駅の出入口から拾い集められたものだ。フィクションとして組み立てられた風景のなかに、ほんのわずかに現実が混ざり込み、日々何気なく通り過ぎてしまう日常の一場面が「確かにそこにあった時間」として、静かに留められているように感じられる。
ベルリン在住のアーティスト 和田礼治郎による作品《MITTAG》は、正方形の2枚のガラスのあいだに、琥珀色のブランデーが満たされた作品だ。地上53階からの眺望が広がるガラス張りの展示室において、ガラス内部に引かれたブランデーの水平線と、外の風景に広がる地平線とが重なり合う。

和田礼治郎《MITTAG》2025年
ガラス、真鍮、ブロンズ、ブランデー
238×212×79 cm
展示風景:「六本木クロッシング 2025 展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」森美術館(東京)2025-2026年
制作協力:SCAI THE BATHHOUSE, Tokyo
台座に用いられているのは、ぶどうの枯れ木から型を取ったブロンズである。ぶどうが実り、発酵し、蒸留されていくまでに費やされた長い時間。そのブランデー越しに目にする、刻々と変化する一日の風景のサイクル。そして、いまこの瞬間に窓の外を眺めている自分自身の時間——異なるスケールの時間が、ひとつの水平線の上で静かにつながっていくように感じられる。
ともにある時間:他者やコミュニティと時間を共有する
「ともにある時間」のセクションでは、歴史的な時間と現在とを結びつける作品が並ぶ。ここで紹介されるアーティストたちはスタジオを離れ、他者やコミュニティとともに制作を行っている。
北澤潤の《フラジャイル・ギフト・ファクトリー》で展示されているのは、11m×8mという巨大な、竹と布でつくられた飛行機型の凧だ。日本軍が1942年のジャワ侵攻の際に使用した戦闘機「隼(はやぶさ)」が、その後インドネシアの独立戦争で再利用されたという歴史に着想を得ている。

北澤 潤《フラジャイル・ギフト・ファクトリー》
展示風景:「六本木クロッシング 2025 展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」森美術館(東京)2025-2026年
インドネシアに暮らす北澤は、現地の凧職人たちと協働し「隼」を竹と布による巨大な凧として蘇らせた。戦闘機であった「隼」は、空を舞う凧となり、人びとが見上げる存在へと姿を変えていく。その布には、日本統治時代の情景や人びとの証言が、インドネシアのろうけつ染め「バティック」の技法によって描かれている。

北澤 潤《フラジャイル・ギフト: ミニ・ドキュメンタリー》
展示風景:「六本木クロッシング 2025 展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」森美術館(東京)2025-2026年
現地の人の証言を集め、ワークショップで模様を描き、多くの手によって空へと浮かび上がらせる——飛行機というモチーフを通して、国と国の歴史、コミュニティ、そして個人の記憶に光を当てた作品だ。
生命のリズム:ひとりひとりの持つ時間
最後のセクション「生命のリズム」では、人間やもの、場所がそれぞれのリズムで時間を刻んでいる様子が静かに浮かび上がる。
マレーシア出身のアーティスト シュシ・スライマンは、10年以上にわたり広島県尾道市と母国を行き来しながら制作を続けてきた。《瓦ランドスカップ》は、尾道が抱える空き家・廃屋の問題に向き合った作品で、廃屋から集めた1,500枚以上の瓦と、自身の言葉を組み合わせたインスタレーションである。

シュシ・スライマン《瓦ランドスカップ》2025年
展示風景:「六本木クロッシング 2025 展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」森美術館(東京)2025-2026年
長い時間、雨風にさらされてきた瓦の色合いそのものが、作品のリズムを形づくっている。また、問題意識を提示するにとどまらず、本作の制作過程において、崩れかけた屋根の修復そのものにも貢献しているという。
展覧会の最後を飾る木原共の《あなたをプレイするのはなに? ─ありうる人生たちのゲーム》は、AIが生成する「架空の誰か」の一生を、ゲームとして体験できる作品だ。
統計データにもとづくさまざまな属性の人物からスタートし、人生の岐路となる局面でプレイヤーが選択を行う。その決断に応じて、AIが現実社会の側面を反映したフィクションの物語を生成していく。

木原 共《あなたをプレイするのはなに? —ありうる人生たちのゲーム》2025年
展示風景:「六本木クロッシング 2025 展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」森美術館(東京)2025-2026年
最初に「どう生きたいか?」を入力することで、たとえ自分とはまったく異なる属性の人物であっても、どこか自分の将来と重なるような感覚が生まれてくる。
このゲームでは、2回まで選択をやり直すことができ、選択を変えることで結末もまた変化する。選択の先にある生き方と死に方をトータルで見渡したとき、自分にとって最も幸福な人生はどれなのか——「架空の誰か」を通じて、人の一生というスケールのなかで、自身の価値観をあらためて確認させてくれる作品だ。

木原 共《あなたをプレイするのはなに? —ありうる人生たちのゲーム》(部分)2025年
展示風景:「六本木クロッシング 2025 展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」森美術館(東京)2025-2026年
人やものそれぞれに持つ固有のリズムが重なり合い、いま目の前にある「現在」がかたちづくられている。その感覚がこのセクション全体を通じて感じられる。
本展を巡り終えるころには、仕事に追われる時間も、家族と過ごす時間も、ひとりで趣味に没頭する時間も、それぞれの人が持つ時間のリズムが交差する、かけがえのない時間に思えてくるかもしれない。
サブタイトルの「時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」は、インドネシアの詩人サパルディ・ジョコ・ダモノの詩からとられた一節だ。人生には必ず終わりがあると知りながら、恋に落ちたり、何かに夢中になっている瞬間には、この時間が永遠に続くと信じてしまう——そんな矛盾をはらんだ人間の感覚へのまなざしが、そこには込められているという。
「時間がない」と毎日を忙しく駆け抜けている人ほど、この展覧会で一度、自分以外の「時間」のリズムに目を向けてみてほしい。それは、自分だけの「時間」を静かに見つめ直すきっかけになるかもしれない。
【開催情報】
展覧会名:六本木クロッシング2025展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠
会期:2025年12月3日(水)~2026年3月29日(日)
会場:森美術館(東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー53階)
開館時間:10:00~22:00(火曜日のみ17:00まで)※最終入館は閉館の30分前まで
※ただし、12月30日(火)は22:00まで
休館日:会期中無休
観覧料(消費税込):
・一般:平日 2,000円(オンライン 1,800円)/土日祝 2,200円(オンライン 2,000円)
・学生(高校・大学):平日 1,400円(オンライン 1,300円)/土日祝 1,500円(オンライン 1,400円)
・シニア(65歳以上):平日 1,700円(オンライン 1,500円)/土日祝 1,900円(オンライン 1,700円)
・中学生以下:無料
※日時指定予約制、オンラインチケット導入。空きがあれば事前予約なしで当日入館可。
※同時開催プログラムも鑑賞可能。
※2025年12月29日(月)–2026年1月2日(金) は、[ 土・日・休日]料金
お問い合わせ:Tel: 050-5541-8600(ハローダイヤル)
URL:www.mori.art.museum
- Text / Photograph : ぷらいまり。
- Edit : Seiko Inomata(QUI)

