作るのは、⽇常を特別にしてくれる服。原まり奈|old honey デザイナー
2013年バンタンデザイン研究所スタイリスト学科在学中にoldhoney を⽴ち上げ。翌年ファッションデザイン学科X-SEED に編⼊。バンタンとPARCO が主催するAsia Fashion collectionで受賞し、2015 年2⽉にNY Fashion Weekでコレクションを発表する。ドラマ「ファーストクラス2」への⾐装提供やsuperfly、ゆずなどアーティストの⾐裳も⼿掛ける。
きっかけは、地元の古着屋さん
私の家は両親ともにデパートで働いていて、⼦供の頃から洋服のデザイン画みたいなものが家にあったんです。その裏に落書きしたり、デザイン画を真似て描いたりしていました。けど、教育に厳しい家庭だったので、ずっと勉強、勉強。⼤学に⾏きなさいっていうのが教えで、⾼校もエスカレーター式の付属校に通っていたんです。
でも⾼校2年⽣のとき、このまま4 年間⼤学に⾏っていいのかなって、ちょっと疑問を抱いてしまって。料理とか美術とか、いろんな⽅向で好きなものを探した⽅がいいんじゃないかと進路を迷いはじめていたんですね。ちょうどその頃に出会ったのが、地元の蒲⽥にある古着屋さん。6 畳ぐらいの⼩さなお店だったんですけど、そこに集まる⼤⼈たちもすごいステキで、どっぷりハマってしまって(笑)。
洋服が好きなんだなって⾃覚してから、服飾系の学校に絞って体験授業に参加するようになりました。そのひとつがバンタンデザイン研究所。⾼校⽣が集まって、3 ⽇間かけて雑誌のスタイリングを組むという体験授業だったんですが、たまたま私たちのチームが⾦賞をいただけたんです。その団結⼒とかやりがいみたいなことに感動しちゃって(笑)。それで進路を決めたんです。
スタイリングから、服を“作る”ことへ
ブランド⽴ち上げはバンタンの在学中。でも私、はじめはデザイン学科じゃなくてスタイリスト学科⼊学なんです。⾃分が洋服を作れるなんて思ってなかったので。縫う授業も少しはあったんですが、既製服をちょっといじるくらい。いまのブランドにリメーク系が多いのは、そういう理由もありますね。多分、⼀からは作れなかったんじゃないかな。
授業の中に撮影実習があったのですが、その中で、私はみんなより“作っていること”が多いことに気付いて。何かを⾜さないと気が済まないというか、フリルとかレースとか装飾が好きだったんですね。そういう作り込みのクオリティに対して評価をもらえていたこともあって、⾃分の洋服をお店に置きたいという気持ちが徐々に⽣まれてきたんです。その頃、私服を全部⾃分で作ったものにするとか、ちょっとアピールをしている時期でもあって。そうしたら、知⼈にお店を出す⼈がいるから、服を置いてみない?と声を掛けてもらって、それで急いでブランド名を決めて…というスタートでした。
デザインを⼀からたたき込んだX-SEED 時代
それが19 歳のときで、1 年⽣の終わりとか2 年⽣のはじまりぐらい。周りのみんなはスタイリストのアシスタントに⾏く時期だったんですが、私は現場に⾏く代わりにずっと服を作っていました。それで、スタイリスト学科を卒業するタイミングで、同じバンタンのデザイン学科X-SEED に編⼊することになったんです。
X-SEED は、⼤学でいう⼤学院みたいなところ。デザイン学科出⾝の優秀な⼈が集まるプロ育成コースだったので、スタイリスト学科出⾝者にとっては完全にアウェーでした。服作りはそこで⼀から学ぶわけで、講師のナカアキラさんには「⼤丈夫か?」みたいに⼼配されていましたね。Asia Fashion collection*も、X-SEED ⽣だったら通過するのが当たり前という空気だったのですが、なにしろ私は⾚ん坊みたいなものなんで(笑)。でも無事に通ることができたのは、たぶん⾯⽩さだったと思うんです。分かってないからの⾯⽩さ。スタイリスト科出⾝だったから、トータルのコーディネートで⾒せられたというのもあったのかもしれません。キャスティングなんかも含めて、トータルのセンスを認めてもらえたのかと。
本当、X-SEED の1 年間はとにかくがんばりました。リメークはしちゃいけないと禁じられ、パターンとか⽣地とか、とにかく基礎からたたき込んで。つらかったけど、あの経験がなかったら今も服作りを続けてはいなかったと思います。ブランドのコンセプトもはじめてそこで考えたし、そもそもブランドをやることの意味さえちゃんとわかっていなかったですから。
*バンタンとPARCO が主催しているコンペティション。審査に勝ち残ったブランドは、ニューヨークでランウェイデビューを果たす。
気分を上げてくれる、特別な服でありたい
いまのコンセプトは当時と少し変わって、「⽇常に特別を添える服」としています。私、普段old honey の洋服着ないんですよ。古着が好きっていうのももちろんあるんですけど、コンセプトにあるとおり、“特別な服”なんです。⾛ったりできないし、⽇常に着るには、ちょっとおしゃれ過ぎる。もちろんそれを調整することもできるんですけど、そうするとブランドらしくなくなってしまう。
すごく印象的なお客さまがいて。その⽅、old honey ⽤のクローゼットを設けてくださってるんです。「原さんのお洋服は他の服とは違う所に掛けたいし、服って脱ぎっぱなしにしちゃうときもあるけど、old honey の服はそうはできない」っておっしゃってくれて。すごく幸せだなって思いました。⽇常化していく服ももちろんあると思うんですが、⾃分がブランドをやっていく中で、少し背筋が伸びるような、気分を上げてくれるような服を作っていきたいと思うんですよね。
変わらないハンドメイドへのこだわり
old honey の強みは、やっぱりハンドメイドの部分だと思うんですよね。最近はファクトリーにお願いするものもありますが、全体の半分くらいは⾃分の⼿を⼊れるものを残しています。何百着も⼿縫いでやったり(笑)。いつか、クチュールラインを作りたいとも思っているんです。old honey の商品名は「60℃」とか「43℃」とか数字になっているんですが、それは装飾性や、特別度を数値化したもの。今まで最⾼「77℃」までいったかな。
いつか完全に⼀点物で、すごくドレッシーなものを作りたいので、「80℃」以上はその時のためにとっておいています。「100℃」なんて作れたらいいですよね、ウェディングドレスとか。1 年以上かけて作ることになりそうだからいまはむずかしいけど、楽しみにとっておこうと思っています。
10 代という若さで⾃⾝のブランドをスタートさせた原さん。今後の展望を伺うと「おばあちゃんになったら花屋さんになりたい」という意外な答えが。花とold honey の服は、⽇常に特別を添えるという意味で似た意味を持っているのかもしれない。
あなたにとってファッションとは?
「古い友達。固執していないし距離感保っているけど、絶対変わらない関係性。連絡とらなくても⼤丈夫、みたいな(笑)」
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- Text : Midori Sekikawa
- Photography : Hiroaki Ubukata