セレクトショップの次なる視線 | モードの悲劇 北田哲朗 & ヤナ・ダーメン
トレンドをとらえたブランド、趣味や嗜好性が表れた服、目利きがキャッチした 新世代のデザイナーなど、コンセプトが明確なショップであるほど、 ファッションに対する美意識は店内の品揃えからも一目瞭然だ。そんなショップを訪れるファッションフリークが気にしているのは、 常に新しい刺激を提案してくれるオーナーやバイヤーの次なる動向や関心。
今回は<obsess(オブセス)>デザイナーの北田哲朗さんと<JUICE(ジュース)>デザイナーのヤナ・ダーメンさんが墨田区旧玉ノ井の私娼窟跡地にオープンした「モードの悲劇」でお話を伺った。
1985年生まれ。2007年に杉野ドレスメーカー学院パターンメイキング専攻を卒業後、テーラーに就職。同時に表現集団dinnerの一員として自身のブランド<obsess(オブセス)>を立ち上げる。2011年に渡英し、Kei Kagamiの元で2年間アシスタントを務め、デザイン、ドレーピング、パターン、カッティング、ソーイング、シューズの製作等、多岐に渡って携わる。帰国後は、テーラーやブランドのサンプル製作、アーティストの衣装制作などに従事し、2023年に「モードの悲劇」を立ち上げる。
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@modenohigeki
1991年ドイツのオーバーハウゼン生まれ。2013年にLondon College of Fashion のパターンメーキング専攻を卒業し、翌年には同校のウィメンズウェア専攻を卒業する。2014年に来日し、東京を代表とする複数のブランドのサンプル製作に携わりながら服作りを学ぶ。2016年には<TakahiroMiyashita.The Soloist(タカヒロミヤシタザソロイスト.)>でアシスタントを経験すると同時に、アーティストの衣装製作やキャンペーンでのテーラリングを行う。2018年に自身のブランド<JUICE(ジュース)>を立ち上げ、2023年に「モードの悲劇」を立ち上げる。
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服を服として扱わない人には服を売らない
— 取材では必ず質問されると思いますが「モードの悲劇」というショップ名にはどのような想いが込められているのでしょうか。
北田:「想い」というとちょっと大げさで、どちらかというと本能的に出てきた名前です。
ヤナ:「モードの悲劇」というワードそのものはパッと出てきたものではありますけど、私たちにはファッション業界へのモヤモヤとした思いがずっとあったので、ちょっとした皮肉ですね。
北田:根底にあるのはそこです。僕たちはずっと自らの手で0から服を作ってきましたし、作るだけではなく接客販売の経験もあります。その他にも一言では説明できないほどの様々な仕事をしてきました。ファッション業界の表も裏も目にしているだけに、そこに対する気持ちも強いです。クリエーションに対する扱いだったり、それこそ金銭的なことだったり。
ヤナ:ファッション業界のクリエイターは、他の職業の人と同じように扱われないことが多く、単に趣味で活動しているだけだと誤解されることが多いです。それは私たち作り手からしたら「悲劇」そのものです。
北田:ファッションから離れようと考えたことなくはないですが、気付いたらショップまで持ってしまって、自分たちで引くに引けない状況にしてしまっていることも悲劇的ではあるんですけどね(笑)。デザイナーは服が作れない、職人は多くを語らない、暇そうな販売店員とか、そんなイメージを持たれがちじゃないですか。そんな風潮の中うまくやられてしまっていた結果がある。だから「残念だけど僕たちは違うよ」という気持ちでオープンさせたのが「モードの悲劇」です。
— ショップ名にもなっているのでお聞きしたいのですが、おふたりにとって「モード」の定義はなんでしょうか。
北田:答えにくい質問をしてきますね(笑)。新しいや古いではなく、ファッションにおける『今』が僕にとってのモードです。アーカイブが『今』の気分のときもありますし、NOWである2024年のファッションが『今』ということもあります。
ヤナ:「モードの悲劇」にはブランドの年代物アイテムもありますが、それはヴィンテージだから置いているというわけではなくて私たちが感じている『今』にフィットしているからです。取り扱っている理由が「希少だから」になってしまうと、それは単なるコレクターですからね。
北田:今の目線で見ても魅力的だと感じた服がたまたま何十年も前に作られていたというだけで、現代のファッションとして素晴らしい提案ができると思うからそのアイテムをショップに置いているんです。だから収集だけを目的にしていたり、服をお金のように扱う人には売りたくない、とはっきりと言い続けています。服を服として扱わない人には売らないです。
—「モードの悲劇」ではオンラインをやられていないですが、それはコレクターには売らないという方針とも関係していますか。
北田:オンラインはどんな人がどんな目的で購入したのか、その服がなぜ必要なのかわからないじゃないですか。だからできるだけやりたくないんです。
ヤナ:一度でもショップに訪れて服を購入された方にはオンラインでも対応しているんです。「モードの悲劇」は海外のお客さんもいますから。私たちもショップでちゃんとお話をして、その方のことを理解できていればオンラインで販売することも抵抗はないです。
北田:本当に例外ですけど、過去に一度だけショップに訪れたことがないお客さんにオンライン販売をしたことがあるんです。
ヤナ:海外の方だったので、「ショップには行けないけれど、どうしても売ってほしい」と熱いプレゼンテーションをしてきたお客さんがいました(笑)。
北田:プレゼンテーションの熱量がすごかったし、その人がどんな人なのか十分に伝わってきたのでOKしました。
— こちらを訪れるお客さんはおふたりのファッションへの思いに共感する方がやはり多いのでしょうか。
北田:多いです、そんな中でも元々はファッションが好きだからこの世界に飛び込んできて、昔はバリバリやっていたという人が多いです。アーティストやクリエイター、ブランドショップの店員とか。
ヤナ:ファッションが大好きだったはずなのに嫌いになったという方も。ただ、一方で「モードの悲劇」を訪れたことでもう一度ファッションをやりたくなったという声もあるんです。
北田:オアシスのような場にはなっているかもしれないです。
— 他とは対極的な場に店を構える「モードの悲劇」がオアシスのような場であるという例えは納得できます。そもそも、元私娼窟であった玉ノ井というエリアはラビラントとも呼ばれ、惹かれると抜け出せなくなるようなイメージもあります。
北田:イメージとして重なるというのは本当に偶然です。ショップの場所も元遊郭である玉の井にこだわったわけではないですから。内装も好きなようにDIYがやれること、金銭的なことなど無理なく自分たちの条件に一致するエリアを探していたら墨田区のこの場所でした。最初は青山でのオープンも考えていたぐらいです。
— 「モードの悲劇」の少しダークな雰囲気に惹かれているQUIとしては、表通りの青山ではなく裏路地の玉ノ井で良かったと勝手に思ってしまいます。
ヤナ:裏路地でこその「モードの悲劇」という意味ではこの物件を知り合いが紹介してくれたのも巡り合わせでしょうし、この場所に辿り着いたのも偶然であり必然だったかもしれないですね。
北田:そういう偶然性はよくあって、僕たちはBjörkの日本公演に<obsess>の衣装提供を含め、それ以外の衣装のフィットも管理するテーラーを務めたのですが、それは僕らの活動をよく知る<KEISUKEYOSHIDA(ケイスケヨシダ)>のデザイナー吉田くんの紹介がきっかけでした。Björkの幼馴染でありスタイリストのEddaが吉田くんのショーを見て、相談をしたようです。そこからの繋がりで、私たちはBjörkが着用していた<Hussein Chalayan(フセイン チャラヤン)>のペーパースーツをスタイリストから譲り受け、ショップで販売をしていました。「モードの悲劇」を作ったことでの巡り合わせ、出逢いというのは本当に多いと感じています。
まだ魅力に気づかれていないような服ほど惹かれる
— 「モードの悲劇」のアイテムラインナップはどのような感じでしょうか。
北田:僕の<obsess>とヤナの<JUICE>そして<モードの悲劇>のオリジナルアイテムが基本です。そこを中心に同ブランドのリファレンスとして所有していたものや、私たちの目線で気付いた価値のある服をジャンルレスに1点ずつ丁寧に扱っています。古着はこの時期にはこんなアイテムをこれだけの数だけ仕入れるというのは決めていなくて、一般的な買い付けとは別物かもしれません。
— 買い付けが別物というのは?
北田:古着の卸し業者などからまとまった数を買い付けるのではなくて、自分たちが「モードの悲劇」に置きたいと思ったアイテムをスタイリストやアーティストなど、個人の方に直接交渉して譲ってもらっています。
ヤナ:私たちは周囲を見回して、自分たちにとって自然なアプローチをとることにしています。私たちの周りの友人や仲間のほとんどはクリエイティブな分野に携わっているため、未知の領域に手を出すのではなく、彼らにアプローチするのが理にかなっています。
北田:仕入れる物の状態が良くなかったとしても価値を感じた服はリメイクもします。レザージャケットなどは表革のエイジングは絶妙でもライニングがボロボロということもあり、その場合は裏地を張り替えます。ですがお直しをして元の状態を再現したいわけではないので、元のデザインを損なわない範囲で手を加えることもあります。このボタンにしたら元のデザインがさらに良くなると感じれば付け替えますし、ステッチがデザインの要だと感じたら、ステッチが美しく見えるように縫い直します。ある意味、ロマンチックに聞こえるかもしれませんが、これらを理由に私たちが選んだ品物は当然、適切な持ち主によって選ばれると信じています。
— おふたりが惹かれるのはどんな服でしょうか。
ヤナ:人の人生や過程の痕跡が見える服。そういう意味で老化しているモノが好きです。例えば日焼けしているアイテムや狙ってできたものではない、その服を日常的に着ていたからこそ生まれたようなナチュラルな痕跡であればあるほど。日焼けした服を魅力的に感じる人がどれだけいるかはわかりませんが、他の人が見向きもしないようなディテールに惹かれることは多いです。
北田:まだ気づかれていないような魅力を発掘したい、発信したいというのはヤナとは共通している部分です。Instagramやショップのタグでアイテムについて自分たちの言葉で解説していますが、その服への思いを丁寧に言語化することは服で溢れた現在では特に必要な手段だと思っています。
ヤナ:リメイクをするのも「こうアレンジすれば多くの人がこの服の魅力に気づいてくれるはず」という考えからです。ちなみに、売れ残ったら自分が着たいといつも思っています(笑)。
北田:無意識でも惹かれる服というのは、大前提として自分たちが着たいと思う服ですね。
— 「自分たちで着たい」、「誰かに着てほしい」と思えるような服との出逢いがなければずっと入荷がないなんてことも?
北田:あり得ることですね。ただ、お客さんは季節などに合わせて服を探しに来ると思うので、そこはショップとしての役割が果たせるように考えてはいます。
— ショップのラインナップを自分たちのブランドの服だけにしなかった理由はあるのでしょうか。
北田:<obsess>の背景には、<JUICE>の背景には、こんなカルチャーがあるんだというのを伝えたかったからです。自分たちの世界はここにあります、と。「モードの悲劇」に古着として僕たちの私物を置いているのもそういう理由からです。
ヤナ:リファレンスピースも出していますが、それも私たちのバックボーンを知ってもらうためです。
「声」が集まる場所でありラボラトリーでもある
— 質問の答えから北田さんとヤナさんのファッションに対する考え方はどれも一致しているように思えます。おふたりはどのようなファッションを通ってきたのでしょうか。
ヤナ:私のファッションの入口はサブカルチャーで、学生の頃にファッション誌で取り上げられているスタイリングに疑問を抱いていました。私にはサブカルチャーの要素をすくい取っただけの表現のように見えてリアルに感じられなかったんです。パンク、ゴス、ハードコアシーンを内側から経験してきた者として、私が初めて服のリメイクやグッズの制作を始めたとき、ハイファッションという媒体を通して表現する価値のあるものが存在することに気づきました。
— 15歳から服作りのキャリアがスタートしていたんですか。
ヤナ:服作りについてきちんと学んだのは日本に来てからです。ドイツからロンドンの大学に進学したのですが、そこではデザインについては学びましたが服作りについては詳しく教えてくれませんでした。本当に質の高い服を作るなら感性を磨くだけではダメだと思い、モノづくりに勤勉で真面目な日本で勉強しようと思ったんです。
— 北田さんのキャリアはテーラードからですが、それは服の構造を根本から理解したかったからでしょうか
北田:当時はそんな思いはなく、漠然とテーラーの世界は自分にとって輝いて見えていました。テーラードにはとにかく決まりが多く、その全てが自分にとっては未知で楽しかったです。ただ、テーラードからスタートしましたがクラシックを極めようなんて考えは全くなかったです。テーラードができるようになってもTシャツが作れるわけではないので、幅広い経験を積んで完全な新しいものを作りたいという気持ちが強かったです。初期の頃はコンセプチュアルな物を制作することに傾倒していた時期もありましたが、現在は自分の作ったものは自分の手から離れて欲しいという思いから、プロダクトに集中しています。
ヤナ:テーラードだけに固執すると他への柔軟性が損なわれることはあるかもしれないですね。枠にハマりすぎるというか。
— 服を作ることも、ショップを運営することも、どちらもご自身を表現する手段だとは思いますがその二つに違いはありますか。
ヤナ:ブランドとショップでは役割は違いますからね。ショップは日々の出来事に反応する私たちの「声」として機能していると言えるでしょう。それは、ときどき作品を発表するだけのブランドでは表現が難しいことです。
北田:今すぐに発したいことをSNSでタイムリーに投稿できるのがショップの自由なところです。ブランドの場合はブランディングがあるので、思いついたことを何でもというわけにはいかないです。メッセージを発信するにしてもそこに違いはありますね。
「モードの悲劇」のインスタグラムで紹介されている1930年代のボロショーツ。
— 「モードの悲劇」を始めたことで、自分たちの服作りに変化などはありましたか。
北田:自分たちの服を選んでくれる方とショップで接するようになったので、服を作るときは良くも悪くもその辺りを意識するようにはなりました。以前はそれがなかったので自分の感性を率直に落とし込んだ作品に近かったかもしれないですけど、今はここまで攻め込むとリアルクローズではないなと考えるようになったり、駆け引きのバランスは考えます。
ヤナ:このアイテムをこっちの生地に乗せ替えたらあのお客さんに刺さりそうって思うこともあるので、「モードの悲劇」がラボラトリーのようになっています。ファッション好きがどのような反応をするかまずは一着作ってみようとか。そんな実験的なことができるのも自分たちのショップがあるからこそですね。
— 「モードの悲劇」でやりたかったことは実現できていますか。
北田:やりたいことはできていますよ。
ヤナ:むしろやってみたいことが次々と生まれていて、追いつけていないです(笑)。アーティストとコラボレーションをもっとやっていきたいです。ここでしか見ることができないようなものを作りたい。
北田:お互いの作品を認め合えるような相手との共作をどんどんやっていきたい思いはありますね。インスタで見せている「モードの悲劇」はありのままの私たちを表現しているつもりなので、それを見て訪れるアーティストの方は最初から意気投合しやすいです。ショップを始めてから本当に素敵な出会いが増えています。
ヤナ:新しいことに挑戦しようとしている若いクリエイターともここでディスカッションしあったりすることもあります。その延長で「モードの悲劇」をうまく使えればと考えています。
— この場所からこれまでに見たことがないような掛け算がきっと生まれるでしょうね。最後になりますが「モードの悲劇」はセレクトショップでしょうか。
北田:どうなんでしょうね(笑)。
ヤナ:カルチャーショップということにしておいてください(笑)。
北田哲朗とヤナ・ダーメンがリコメンドする3ブランド
<モードの悲劇>
「ショップのオリジナルブランドです。ファッションフリークはもとより、ここの歴史や建物に興味があるという方も多く訪れるので、デザインも尖っていなくて値段も抑えた、誰もが買いやすいアイテムとして作ったスウェットのセットアップです。こちらはセミオーダーなのでカラーが選べて、体型に合わせてサイズの調整も行なっていますので、買う楽しみと出来上がりを待つ楽しみがあります。受注販売なのでシーズンに関係なくいつでも購入は可能です。」
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<JUICE(ジュース)>
「韓国製のヴィンテージベルベット生地で仕立てた<JUICE>のトップスです。デットストックの生地などを収集するのが趣味で、一枚一枚のテキスタイルの個性や表情を活かしたアイテムを作り出すことが好きなんです。こちらは柔らかな裏地をアクセントに加えて、ベルベットの強さと裏地の持つ繊細さの組み合わせにフォーカスしました。」
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<SOPHIA KOKOSALAKI(ソフィア ココサラキ)>
「残念ながら、2019年に他界したギリシャの女性デザイナーのブランドで、どうやって着るのかと思うぐらい超ロングのスカートです。ジャージーですがヘビーウエイトで、その生地の贅沢さ一目惚れして買い付けました。ファスナーもオリジナルで、細かいこだわりも気に入っています。SNS映えしないようなデザインも個人的に好きです。」
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@sophiakokosalaki
モードの悲劇
<obsess(オブセス)>のデザイナー北田哲郎と<JUICE(ジュース)>のデザイナーヤナ・ダーメンの2人が2023年に墨田区旧玉ノ井の私娼窟跡地にオープンしたショップ。2人のブランドやオリジナルアイテムのほか、希少なブランドのアーカイブなどを取り扱う。
〒131-0031
東京都墨田区墨田3-12-5
(夏季の間のみ) 15:00-20:00 (通常)14:00-19:00 定休日:火曜日・水曜日・木曜日
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- Photograph : Kaito Chiba
- Text : Akinori Mukaino
- Edit : Miwa Sato(QUI)