PROTOTYPES 2026年春夏コレクション── 大衆文化を再編集し、共同体を問い直す実験
<PROTOTYPES>は、現在<GUCCI(グッチ)>のデザイナーであるデムナ・ヴァザリアの<VETEMENTS(ヴェトモン)>時代の右腕として活躍したローラ・ベハムとカラム・ピジョンによるデュオブランド。
近年、日本でも取り扱い店舗が増え、業界内での注目度も高まっている。
デムナが大衆的なアイテムをラグジュアリーへと翻訳し、権威への挑発や皮肉を前面化させたのに対し、<PROTOTYPES>は同じく大衆文化を素材としながら、それを単なる批評に留めず、人々のつながりを組み替える象徴へと昇華させている。

彼らが一貫して提案してきたのは「大衆文化の再編集」だ。永世中立国スイス・チューリッヒを拠点とする彼らは、当事者ではなく観察者としての距離を保ち、文化の断片を“翻訳”する立場をクリエイションの核に据えている。既存の衣服や記号をアップサイクルし、再解釈することで、「ありふれたもの」を別の文脈へと置き換えていく。その素材として選ばれてきたのが、フットボールシャツやワーキングクラスの装い、英国やヨーロッパの伝統柄といった、出自や属性が明確な記号である。
26SSコレクションは「In Loving Memory of British Culture」と題された。大衆文化の再編集という手法を引き継ぎながら、今回はそこに儀式的な構造を重ね、文化と人々の関係をあらためて立ち上げようとする試みが見られた。会場となったのはロンドン中心部、Hyde Parkに位置するSt John’s Church。教会という、人々が集い同じ価値や記号を共有する場は、その意図を象徴的に補完する装置として機能している。
こうした試みの背景には、近年のヨーロッパが直面している問いがある。Brexitによる「自国とヨーロッパ」の揺らぎ、移民・難民をめぐる「自国文化と多文化」のせめぎあい、そしてウクライナ侵攻によって浮かび上がった共同体の境界の脆さ。いま、「人は何によってつながるのか」という問いが、現実の問題として突きつけられている。

その問いに対し、<PROTOTYPES>はファッションを通じて応答する。ブランド名が示す通り、そのコレクションは一種の社会実験でもある。フットボール文化の引用もその一つだ。ヨーロッパではナショナルチーム以上にクラブへの帰属意識が強く、地域単位での対立がアイデンティティを形成してきた。しかしそれは同時に排他性を前提とする構造でもある。<PROTOTYPES>はそうした前提をずらし、記号の意味を別の方向へと開いていく。

その他のルックにもその態度が明確に表れていた。ホーズ(タイツ)は本来フォーマルや規律を象徴するが、ここでは暴動用のギアのように転用され、権威そのものを揺さぶる装置となる。ディアンドルやヘルメット型バケットハットは、中世や民族に紐づく服飾を現代へ引き寄せることで、その帰属を曖昧にし、誰もが扱えるかたちへと開いていく。

フラッグドレスは、“境界”を象徴する旗を反転させ、「Everyone’s welcome」と掲げることで、国家だけでなく「英国文化とは誰のものなのか」という前提そのものを揺さぶる。さらに千鳥格子やチェックといった伝統柄は、階級や血縁に結びついていた意味を切り離し、より開かれた記号へと変換されていた。英国のストリートとワーキングクラスを象徴してきた<Reebok>のClassic Leather、Workout Plus、DMXへのオマージュもまた、その延長線上にある。
ショーの終盤では棺桶を運ぶ演出が行われ、英国文化や権威の“死”が強く示唆された。しかしそれは終焉ではなく、新たな関係性を生み出す契機として提示されている。


<PROTOTYPES>の面白さは、既存の文化や記号を批評することに留まらず、それらを別の文脈へと置き換えることで、「誰がどのように属しているか」という前提を可視化し、問い直している点にある。
今回のランウェイでは、教会という空間と宗教儀礼の演出の中で、人々が集い、同じ記号を共有することで生まれる一体感が作り出された。そこで信仰の対象は神から文化へと移し替えられ、権威ではなく包摂を拠りどころとする姿勢が浮かび上がる。それは、既存の価値体系を問い直すニーチェ的な価値転換の試みとも重なる。
権威を揺さぶり、境界を問い直す<PROTOTYPES>の試みは、ポスト資本主義と呼ばれる時代において、ファッションが果たし得る役割を示している。そこには、服が単なる消費物ではなく、思考のきっかけとなり得る可能性が確かに宿っている。
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- Text & Edit : Yusuke. Soejima(QUI)









