オルタナティブであるという意思。高橋淳|PLUGデザイナー
1982年東京生まれ、新潟で育つ。2009年、TシャツブランドとしてPLUGをスタート。2015AWからはコレクション形式で発表。KARASU名義でも活動する。
兄から受けたカルチャーショック
生まれたのは東京なんですがすぐに引っ越して、物心つく前から新潟で育ちました。小学校に入学したころから、兄の影響で絵を描くようになって。『ドラゴンボールZ』『幽遊白書』『スラムダンク』など当時人気のあった漫画を自由帳に模写して、同じクラスの友だちに見せたりしていました。
兄はいまイラストレーターをやっているんですけど、絵だけでなくてカルチャー全般においてすごく影響を受けました。たとえば僕が中学生のころに兄は高校生で、スマッシング・パンプキンズ(The Smashing Pumpkins)やビョーク(Björk)などを聴いて、NHKで『映像の世紀』っていうドキュメンタリーを観ていたこと。京都の大学に進学した兄が帰省するときには20471120とかスーパーラヴァーズ(SUPER LOVERS)とか流行りのブランドを着ていたこと。そして、そんな兄に対して当時の僕は服装で認められたいってのがあって、東京に行くたびにハデなアイテムを買っていました。いま考えるとすごくダサかったとは思うんですけど(笑)。
中学、高校、そしてファッションの道へ
ファッションの原体験は中学2年生のころ。宮﨑から転入生がやってきたんですが、その彼が中学生にしてヴィヴィアン(Vivienne Westwood)やアンダーカバー(UNDERCOVER)、マルジェラ(Maison Martin Margiela)とかハイブランドを着ていたんですよ。音楽もモンド・グロッソ(MONDO GROSSO)とかフィッシュマンズ(Fishmans)、ピチカート・ファイヴ(PIZZICATO FIVE)とか渋谷系のようなのを聴いてて。彼からいろんな情報を教えてもらい、洋服や音楽など“オシャレ”というものに興味を持つようになりました。彼は中学卒業を機に宮崎に戻ってしまったので2年ぐらいしか一緒にいなかったのですが、その影響は大きかったですね。
その後、中学卒業と同時に僕が心の病気になっちゃって、受かっていた高校を1年間休学することになってしまったんです。結局1年たっても快方に向かわなかったので、リハビリの意味も込めて通信制の高校に入りました。卒業してからも症状は重く、2年ぐらいぷらぷらしてたんです。そんなとき父親にシルクスクリーンプリントを教えてもらって、刷ってみたらすごく感動して、Tシャツブランドをスタートすることにしました。2009年ぐらいだったと思います。手刷りする瞬間はいまでも興奮しますね。
当時は長野の病院に月1回通っていたんですが、その時に長野ストリートスナップ(Nagano.Street.Snap.)っていう団体を立ち上げた若い子たちと知り合いました。2013年にはその団体が長野で会場を借りて、渕上寛さん、青柳文子さん、河野貴之さんとかをスペシャルゲストに招いてファッションショーをやろうって企画を立てたんです。僕はPLUGとしてそのイベントに参加させてもらって、そのことがブランドをちゃんと続けてみようと思うきっかけになりました。それからWEB販売をしたり、いまはなきラフォーレ新潟の即売会に参加したり、セレクトショップに売り込んだり……。展示会ってものがあるんだ、ルックブックってものがあるんだってことも、このタイミングでやっと知りました。
自由な感性で、個性的な服を生み出す
PLUGってブランド名は「服と人、人と人をコネクトする」みたいな想いを込めてつけたんですが、ありふれたネーミング過ぎて実はちょっと後悔しているんです。WEBで検索してもウチは出てこないですよね……。ただでさえ名前が高橋淳(たかはしじゅん)だから、アパレル業界ではけっこうハードル高いんで(笑)。
好きなブランドはバナル シック ビザール(banal chic bizarre)。デザイナーの中川瞬さんは長野出身でシルクスクリーンでプリントしたTシャツをお店に卸すところからスタートし、原宿で自分のブランドの直営店を開くまでになったんですね。勝手にシンパシーを感じてて、もちろん作っている服もかっこいいから昔はけっこう買っていました。
僕は服飾の学校を出たわけでもなく、基本的な知識も欠如していますが、個性的なものを生み出すってことだけは自信があります。重要なのは人の目に留まるような、他と違うものを作ること、オルタナティブであること。制約とかテーマに縛られず、日常的に生まれてきた好奇心や感情、インスピレーションに従って自由に作る方が自分にあってるのかなと。
とくに思い入れのあるコレクションは、初めてルックを撮影した2015AW。そのときに作ったパイピングブルゾンは好評で、いまでもコレクションに加えることがあります。撮影の指示なんかも初めてだったからすごく苦労したんですけど、苦労したときの方が記憶に残りますよね。
あと印象に残っているのは、2018SSと18-19AWでモデルをしてもらったHanaka Horiさん。着てもらったときに自分の服がすごく映えて驚きました!
ファッションの土壌がない地方でブランドをやることに厳しさを感じることもありますが、できるだけ多くの人にPLUGを知ってもらいたい。そしてなにより、デザインすることを楽しみ続けることが僕の目標です。
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