絵画を光のなかへ解き放った、“光の画家”ウィリアム・ターナー|今月の画家紹介 vol.32
今回のアーティストは、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー。19世紀イギリスのロマン主義を代表する風景画家であり、「光の画家」とも呼ばれる人物だ。彼は自然を写し取るのではなく、自然を成り立たせる光と大気そのものを描こうとした。今回は、イギリス最高の画家とも呼ばれるターナーの生涯を紹介する。
19世紀イギリスのロマン主義を代表する風景画家。(1775年4月23日 – 1851年12月19日)
光や大気、自然の移ろいを大胆な色彩と表現で描き、近代絵画への道を切り拓いた。
理髪店の息子、14歳でアカデミーへ
ターナーは1775年、ロンドンのコヴェント・ガーデンにあるメイドン・レーンで生まれた。父ウィリアムは理髪師だった。母メアリーは精神疾患をもち、息子の世話を十分にできる状態ではなかった。ターナー自身も、学校教育をほとんど受けていない。
つまり、当時のイギリス美術界において、これ以上ないほど「持っていない側」からのスタートだったのだ。だが父は、この子に何かがあると早くから気づいていた。息子が10歳になる頃には、店の窓に絵を並べて客に見せていたという。
1789年、ターナーは風景画家トーマス・モルトンに弟子入りする。当時の風景画家の仕事は、特定の場所を念入りに再現する「名所絵」の制作だった。
こちらはモルトンの作品である。これが、いわゆる「名所絵」だ。これ以上ないほど均整の取れた構図が素晴らしい。
モルトンのもとで1年ほどの修業を経て、ターナーは14歳でロイヤル・アカデミー附属美術学校に入学する。翌年、わずか15歳で水彩《ランベスの大司教宮殿の眺め》がアカデミーの展覧会に入選した。
15歳のターナーによるこの作品は、当時のアカデミーの価値観に対して驚くほど刺さっている。ざっくりいうと、当時は「お堅い絵」が評価されていた。これはイギリスもフランスも同じだ。新古典主義寄りで、動きは抑えめ。色より線。要は「うるさくない絵」が正義とされていた時代だ。
初期のターナーの絵は、ご覧の通りまったく派手ではない。しかし、すべての線が真っ直ぐ引かれ、バランスの取れた構図が美しい。静かで、写実的で、教養の引用がきいている。これはモルトンのもとで培ったものだろう。
その後、21歳で初めて出品した油彩《海の漁師たち》は、月光の海を描いた劇的な一枚で、批評家に絶賛された。「18世紀の画家たちが海について語ってきたことの総まとめだ」とまで評された一枚だ。
小さなボートと荒れ狂う波。暗い雲の切れ間からは、スポットライトのように灯りが差している。それでいて、決してわざとらしくない。「人間の儚さ」と「自然の崇高な力」が、これ以上なく対比されている。
古典主義的な静謐さと、バロック主義的なダイナミックさ。つまり、18世紀どころかそれ以前の歴史も踏まえたうえで、あらゆる要素が詰まっている。見れば見るほど傑作だ。
この作品が絶賛されたあと、ターナーは1799年、24歳でアカデミー準会員となり、1802年には26歳でアカデミー正会員となった。この26歳という年齢がどれほど異例なのか、当時の顔ぶれと並べてみると分かりやすい。
そもそもこの制度は、若手が勢いで駆け上がれるようにはできていない。正会員に欠員が出ると、その翌年の2月に準会員のなかから後任を選ぶ。つまり、誰かが死ぬか引退するまで席は空かないのだ。要は順番待ちの列である。同じ1802年に正会員となったジョン・ソーンは48歳。その5年前、1797年に選ばれた動物画家のソーリー・ギルピンにいたっては63歳だった。
その列を、貴族出身でもない理髪師の息子、ターナーが26歳で追い越した。32歳では教授にも任命されている。
順調すぎるエリートが、イタリアで変わる
繰り返すが、この頃のターナーの絵は、驚くほどアカデミー好みだ。写実的で静か。そして、色彩よりも描写の精度で見せる。当時のアカデミーが理想としたのは、躍動を抑えた古典的な画面だった。彼はその審査基準を的確に押さえていた。
言い換えれば、若いターナーは「評価する側が何を上手いと呼ぶか」を先に理解していた。この器用さは、客商売の家に育った人間の勘だったのかもしれない。実際、彼は商才にも長けていた。1804年には、画商を介さず自分の絵を売るための私設ギャラリーを開いている。
一方で、人前に立つのは苦手だった。31年間アカデミーに在職しながら、担当した講義はわずか12回。しかも「声が小さすぎて生徒が内容を聞き取れなかった」という記録も残っている。
そんな彼にとって決定的な転機となったのが、1819年、44歳のときのイタリア旅行だ。ルネサンス以来の美術の中心地であるイタリアは、イギリス画家たちにとって長く憧れの地だった。ターナーもその例外ではない。
明るい陽光と色彩に触れた彼は、とりわけヴェネツィアを愛した。生涯で1819年、1833年、1840年と3度この街を訪れ、多くのスケッチを残している。
この旅を境に、彼の関心は「何が描かれているか」から「画面のなかで光と大気がどう働くか」へ移っていく。事物の輪郭は次第にあいまいになり、ほとんど抽象に近づく作品も現れ始めた。
「銃をぶっ放していったよ」コンスタブルとのライバル関係
さて、そんなターナーの逸話のなかで最も有名なのが、1832年のロイヤル・アカデミー展で起きた出来事だろう。
彼が出品したのは《ヘルヴートスライス――「ユトレヒト市」64号、出航》。灰色を基調とした静かな海景で、現在は東京富士美術館が所蔵している。日本で観られる一枚だ。
その隣に掛けられていたのが、ジョン・コンスタブルの《ウォータールー橋の開通、1817年6月18日(ホワイトホール階段より)》だった。コンスタブルが10年以上かけて仕上げた大作で、赤と金がふんだんに使われた華やかな画面である。
新古典主義的な作風で知られていたターナーに対し、コンスタブルはロマン主義的な作風で知られていた。1歳違いの2人は、今でも西洋美術史で語り継がれるライバル関係にある。そんな2人の作品が隣同士に配置された。
一般公開前の最終調整の場で、ターナーはこの並びを見た。そして、明らかに自分の絵のほうが地味であることに気づいた。このままではいけないと感じたターナーは、親指で赤い絵の具を画面中央にそっと置いたのである。
その様子を見て騒然とする周囲に、彼は「ただのブイだよ」とだけ答えたという。しかし、この赤の一点によって画面は引き締まり、展覧会の話題をさらったのはターナーのほうだった。
コンスタブルはのちに「ターナーがここに来て銃をぶっ放していったよ」と語っている。このエピソードだけで、ターナーの天才ぶりがよくわかる。
そして「光の画家」へ
そして1839年、彼は代表作《戦艦テメレール号》を発表する。
トラファルガーの海戦で活躍した戦艦が、解体のために蒸気船に曳かれていく場面だ。画面左の青白い船体と、右に沈む夕日の赤。役目を終えた英雄の最後の航海が、時代の交代そのものとして描かれている。
晩年に向かうにつれ、ターナーの画面から場所の特定性は薄れていく。描かれるのは眼前に広がる風景ではなく、もはや心のなかの風景に近い。
例えば、1842年の《吹雪――港の入口沖の蒸気船》では、蒸気船はぼんやりとした塊にすぎない。画面を占めるのは巨大な波と水しぶき、そして吹雪という自然のエネルギーそのものだ。あんなにバランスの良い新古典主義的な作品が、徐々にロマン主義的になっていくのである。
この作品を描くために、彼は「マストに4時間縛りつけられて嵐を観察した」という逸話が残っている。67歳のときのことだ。
発表当時、この作品の評価は散々だった。「石鹸水と水漆喰で描かれたようだ」とまで書かれている。確かに、それまでのターナーの作品を知っている者が見たら、あまりの変化を受け入れられないかもしれない。まして、当時は新古典主義的な作品が主流だった時代である。
ではなぜ、67歳の男が嵐のなかへ出ていったのか。海の形を正確に写すためではない。彼が持ち帰ろうとしたのは「あの場に立った人間の身に何が起きるか」という体験そのものだった。
この目的意識がはっきりと言葉になっている記録がある。晩年に近づき、ほとんど光だけの画面になった《ノラム城、日の出》について、ターナーは「ひとつの印象を呼び起こすことが肝心なのだ」と言った。印象派が生まれる30〜40年前の発言である。
正確に描くことでも、美しく描くことでもない。ターナーが最後に考えていたのは「見た人の内側に、ひとつの印象を起こすこと」だった。だから情報は徐々に削られた。はっきりとした風景は邪魔になり、次に事物が邪魔になり、最終的に光だけを鑑賞者に提示した。
1851年12月19日、ターナーはチェルシーの小さな家で息を引き取る。76歳だった。「私は無に帰る」という言葉を残したと伝えられている。
印象派の誕生よりずっと前に「印象」を見出した男
では改めて、ターナーの何がすごかったのか。私は、絵画を「上手さ競争」の枠から解放したことだと思っている。
晩年期のターナーは、自然をそのまま再現するのではなく、自然を成り立たせているエネルギーのほうを描いた。光や大気、水といった形を持たないものを主役に据え、画面から輪郭が消えていった。
もちろん、ターナーは上手い。若くして天才的な技術力を手にした。しかし、最後に描いた作品は、それまでのキャリアをすべて超越したものだった。
「目に見えるもの」ではない。「目の前に立ったときに、自分の内側で起きたこと」の価値を信じたのである。この試みは、のちの画家たちに引き継がれた。モネやピサロは1870年、ロンドンで死後のターナーの作品に触れている。
そして1874年に印象派が生まれ、徐々に絵画は「目の前のものを上手く描く」ことではなく、「目に見えないこと」を表現するようになっていく。
しかし現在は、また「上手さ競争」になっているように思う。バズりやすい「スーパーリアリズム」が、とても流行っている。一方で、難解かつ抽象的な現代アートは「誰でもできるじゃん」「よくわかんない」と軽視される。その言葉を見るたびに「いやいや、そういうことじゃない」と強く思う。
確かに、写真のように描ける技術はすごい。でも「すごい」で終わる。不思議なもので、上手ければ上手いほど、具象に近づくほど、こちらには感動する余地がない。「すごい」で終わって、その先の人生には何も残らない。
その点、ターナーが特にキャリア後半に描いた抽象的な「光」には、キャンバスを超えて、私たちの哲学にまで影響を及ぼす力がある。見えないからおもしろい、という芸術の根源に迫ってくるのだ。
さて、そんなターナーの大回顧展が、2026年10月から東京・上野にやってくる。会場に行ったら、まずは何の予備知識もない状態で一枚の前に立ってみてほしい。マストに縛られた話も、赤いブイの話も、いったん忘れていい。
まっさらな状態で、目の前に見える「光」が自分の身体に何を起こすか。それを確かめる場所として、これ以上の展覧会はそうそうない。
【作品を見るなら・・】
展覧会名:テート美術館 ターナー展――崇高の絵画、現代美術との対話
会期:2026年10月24日(土)-2027年2月21日(日)
会場:国立西洋美術館
住所:〒110-0007 東京都台東区上野公園7-7
開館時間:9:30-17:30 金曜・土曜日は20:00まで(入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日、11月24日(火)、12月28日(月)-2027年1月1日(金・祝)、1月12日(火)
※11月23日(月・祝)、2027年1月11日(月・祝)は開館
※2027年1月12日(火)-2月21日(日)の期間、国立西洋美術館 常設展は閉室
観覧料(税込):
一般 当日券2,400円/前売券2,200円
大学生 当日券1,500円/前売券1,300円
高校生 当日券1,100円/前売券900円
中学生以下無料
主催:国立西洋美術館、テート美術館、朝日新聞社、テレビ朝日
巡回:2027年3月13日(土)-6月27日(日)、大阪中之島美術館
問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル)
公式サイト:https://turner2026-27.exhibit.jp/
Instagram:@turner2026_27
- Text : ジュウ・ショ
- Edit : Seiko Inomata(QUI)














