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絵画を光のなかへ解き放った、“光の画家”ウィリアム・ターナー|今月の画家紹介 vol.32

Sep 17, 2026
難解な解説が多くとっつきにくいアートの世界。有名な画家の名前は知っているが、なぜ評価されているのかはいまいち分かっていない方も多いことだろう。この連載では「有名画家の何がすごかったのか」を、アーティストを取り巻く環境とともに紹介していく。

今回のアーティストは、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー。19世紀イギリスのロマン主義を代表する風景画家であり、「光の画家」とも呼ばれる人物だ。彼は自然を写し取るのではなく、自然を成り立たせる光と大気そのものを描こうとした。今回は、イギリス最高の画家とも呼ばれるターナーの生涯を紹介する。

絵画を光のなかへ解き放った、“光の画家”ウィリアム・ターナー|今月の画家紹介 vol.32

Sep 17, 2026 - ART/DESIGN
難解な解説が多くとっつきにくいアートの世界。有名な画家の名前は知っているが、なぜ評価されているのかはいまいち分かっていない方も多いことだろう。この連載では「有名画家の何がすごかったのか」を、アーティストを取り巻く環境とともに紹介していく。

今回のアーティストは、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー。19世紀イギリスのロマン主義を代表する風景画家であり、「光の画家」とも呼ばれる人物だ。彼は自然を写し取るのではなく、自然を成り立たせる光と大気そのものを描こうとした。今回は、イギリス最高の画家とも呼ばれるターナーの生涯を紹介する。
Profile
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー

19世紀イギリスのロマン主義を代表する風景画家。(1775年4月23日 – 1851年12月19日)
光や大気、自然の移ろいを大胆な色彩と表現で描き、近代絵画への道を切り拓いた。

理髪店の息子、14歳でアカデミーへ

ウィリアム・ターナー《自画像》1799年頃 テート・ブリテン蔵

ターナーは1775年、ロンドンのコヴェント・ガーデンにあるメイドン・レーンで生まれた。父ウィリアムは理髪師だった。母メアリーは精神疾患をもち、息子の世話を十分にできる状態ではなかった。ターナー自身も、学校教育をほとんど受けていない。

つまり、当時のイギリス美術界において、これ以上ないほど「持っていない側」からのスタートだったのだ。だが父は、この子に何かがあると早くから気づいていた。息子が10歳になる頃には、店の窓に絵を並べて客に見せていたという。

1789年、ターナーは風景画家トーマス・モルトンに弟子入りする。当時の風景画家の仕事は、特定の場所を念入りに再現する「名所絵」の制作だった。

こちらはモルトンの作品である。これが、いわゆる「名所絵」だ。これ以上ないほど均整の取れた構図が素晴らしい。

トーマス・モルトン(子)《ケンブリッジ、キングス・パレード》1798〜1799年 イェール英国芸術センター蔵

モルトンのもとで1年ほどの修業を経て、ターナーは14歳でロイヤル・アカデミー附属美術学校に入学する。翌年、わずか15歳で水彩《ランベスの大司教宮殿の眺め》がアカデミーの展覧会に入選した。

ウィリアム・ターナー《ランベスの大司教宮殿の眺め》1790年 インディアナポリス美術館蔵

15歳のターナーによるこの作品は、当時のアカデミーの価値観に対して驚くほど刺さっている。ざっくりいうと、当時は「お堅い絵」が評価されていた。これはイギリスもフランスも同じだ。新古典主義寄りで、動きは抑えめ。色より線。要は「うるさくない絵」が正義とされていた時代だ。

初期のターナーの絵は、ご覧の通りまったく派手ではない。しかし、すべての線が真っ直ぐ引かれ、バランスの取れた構図が美しい。静かで、写実的で、教養の引用がきいている。これはモルトンのもとで培ったものだろう。

その後、21歳で初めて出品した油彩《海の漁師たち》は、月光の海を描いた劇的な一枚で、批評家に絶賛された。「18世紀の画家たちが海について語ってきたことの総まとめだ」とまで評された一枚だ。

ウィリアム・ターナー《海の漁師たち》1796年 テート・ブリテン蔵

小さなボートと荒れ狂う波。暗い雲の切れ間からは、スポットライトのように灯りが差している。それでいて、決してわざとらしくない。「人間の儚さ」と「自然の崇高な力」が、これ以上なく対比されている。

古典主義的な静謐さと、バロック主義的なダイナミックさ。つまり、18世紀どころかそれ以前の歴史も踏まえたうえで、あらゆる要素が詰まっている。見れば見るほど傑作だ。

この作品が絶賛されたあと、ターナーは1799年、24歳でアカデミー準会員となり、1802年には26歳でアカデミー正会員となった。この26歳という年齢がどれほど異例なのか、当時の顔ぶれと並べてみると分かりやすい。

そもそもこの制度は、若手が勢いで駆け上がれるようにはできていない。正会員に欠員が出ると、その翌年の2月に準会員のなかから後任を選ぶ。つまり、誰かが死ぬか引退するまで席は空かないのだ。要は順番待ちの列である。同じ1802年に正会員となったジョン・ソーンは48歳。その5年前、1797年に選ばれた動物画家のソーリー・ギルピンにいたっては63歳だった。

その列を、貴族出身でもない理髪師の息子、ターナーが26歳で追い越した。32歳では教授にも任命されている。

順調すぎるエリートが、イタリアで変わる

ウィリアム・ターナー《トラファルガーの戦い、1805年10月21日》1822〜1824年 国立海洋博物館蔵

繰り返すが、この頃のターナーの絵は、驚くほどアカデミー好みだ。写実的で静か。そして、色彩よりも描写の精度で見せる。当時のアカデミーが理想としたのは、躍動を抑えた古典的な画面だった。彼はその審査基準を的確に押さえていた。

言い換えれば、若いターナーは「評価する側が何を上手いと呼ぶか」を先に理解していた。この器用さは、客商売の家に育った人間の勘だったのかもしれない。実際、彼は商才にも長けていた。1804年には、画商を介さず自分の絵を売るための私設ギャラリーを開いている。

一方で、人前に立つのは苦手だった。31年間アカデミーに在職しながら、担当した講義はわずか12回。しかも「声が小さすぎて生徒が内容を聞き取れなかった」という記録も残っている。

そんな彼にとって決定的な転機となったのが、1819年、44歳のときのイタリア旅行だ。ルネサンス以来の美術の中心地であるイタリアは、イギリス画家たちにとって長く憧れの地だった。ターナーもその例外ではない。

明るい陽光と色彩に触れた彼は、とりわけヴェネツィアを愛した。生涯で1819年、1833年、1840年と3度この街を訪れ、多くのスケッチを残している。

ウィリアム・ターナー《ヴェネツィア、ドガーナとサン・ジョルジョ・マッジョーレ》1834年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵

この旅を境に、彼の関心は「何が描かれているか」から「画面のなかで光と大気がどう働くか」へ移っていく。事物の輪郭は次第にあいまいになり、ほとんど抽象に近づく作品も現れ始めた。

「銃をぶっ放していったよ」コンスタブルとのライバル関係

ウィリアム・ターナー《雨、蒸気、速度――グレート・ウェスタン鉄道》1844年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵

さて、そんなターナーの逸話のなかで最も有名なのが、1832年のロイヤル・アカデミー展で起きた出来事だろう。

彼が出品したのは《ヘルヴートスライス――「ユトレヒト市」64号、出航》。灰色を基調とした静かな海景で、現在は東京富士美術館が所蔵している。日本で観られる一枚だ。

ウィリアム・ターナー《ヘルヴートスライス――「ユトレヒト市」64号、出航》1832年 東京富士美術館蔵

その隣に掛けられていたのが、ジョン・コンスタブルの《ウォータールー橋の開通、1817年6月18日(ホワイトホール階段より)》だった。コンスタブルが10年以上かけて仕上げた大作で、赤と金がふんだんに使われた華やかな画面である。

ジョン・コンスタブル《ウォータールー橋の開通、1817年6月18日(ホワイトホール階段より)》1831〜1832年頃 テート・ブリテン蔵

新古典主義的な作風で知られていたターナーに対し、コンスタブルはロマン主義的な作風で知られていた。1歳違いの2人は、今でも西洋美術史で語り継がれるライバル関係にある。そんな2人の作品が隣同士に配置された。

一般公開前の最終調整の場で、ターナーはこの並びを見た。そして、明らかに自分の絵のほうが地味であることに気づいた。このままではいけないと感じたターナーは、親指で赤い絵の具を画面中央にそっと置いたのである。

その様子を見て騒然とする周囲に、彼は「ただのブイだよ」とだけ答えたという。しかし、この赤の一点によって画面は引き締まり、展覧会の話題をさらったのはターナーのほうだった。

コンスタブルはのちに「ターナーがここに来て銃をぶっ放していったよ」と語っている。このエピソードだけで、ターナーの天才ぶりがよくわかる。

そして「光の画家」へ

ウィリアム・ターナー《青白い馬に乗る死》1825年頃 テート・ブリテン蔵

そして1839年、彼は代表作《戦艦テメレール号》を発表する。

ウィリアム・ターナー《戦艦テメレール号》1839年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵

トラファルガーの海戦で活躍した戦艦が、解体のために蒸気船に曳かれていく場面だ。画面左の青白い船体と、右に沈む夕日の赤。役目を終えた英雄の最後の航海が、時代の交代そのものとして描かれている。

晩年に向かうにつれ、ターナーの画面から場所の特定性は薄れていく。描かれるのは眼前に広がる風景ではなく、もはや心のなかの風景に近い。

例えば、1842年の《吹雪――港の入口沖の蒸気船》では、蒸気船はぼんやりとした塊にすぎない。画面を占めるのは巨大な波と水しぶき、そして吹雪という自然のエネルギーそのものだ。あんなにバランスの良い新古典主義的な作品が、徐々にロマン主義的になっていくのである。

ウィリアム・ターナー《吹雪――港の入口沖の蒸気船》1842年 テート・ブリテン蔵

この作品を描くために、彼は「マストに4時間縛りつけられて嵐を観察した」という逸話が残っている。67歳のときのことだ。

発表当時、この作品の評価は散々だった。「石鹸水と水漆喰で描かれたようだ」とまで書かれている。確かに、それまでのターナーの作品を知っている者が見たら、あまりの変化を受け入れられないかもしれない。まして、当時は新古典主義的な作品が主流だった時代である。

ではなぜ、67歳の男が嵐のなかへ出ていったのか。海の形を正確に写すためではない。彼が持ち帰ろうとしたのは「あの場に立った人間の身に何が起きるか」という体験そのものだった。

この目的意識がはっきりと言葉になっている記録がある。晩年に近づき、ほとんど光だけの画面になった《ノラム城、日の出》について、ターナーは「ひとつの印象を呼び起こすことが肝心なのだ」と言った。印象派が生まれる30〜40年前の発言である。

ウィリアム・ターナー《ノラム城、日の出》1845年頃 テート・ブリテン蔵

正確に描くことでも、美しく描くことでもない。ターナーが最後に考えていたのは「見た人の内側に、ひとつの印象を起こすこと」だった。だから情報は徐々に削られた。はっきりとした風景は邪魔になり、次に事物が邪魔になり、最終的に光だけを鑑賞者に提示した。

1851年12月19日、ターナーはチェルシーの小さな家で息を引き取る。76歳だった。「私は無に帰る」という言葉を残したと伝えられている。

印象派の誕生よりずっと前に「印象」を見出した男

ウィリアム・ターナー《湖に沈む夕日》1840年頃 テート・ブリテン蔵

では改めて、ターナーの何がすごかったのか。私は、絵画を「上手さ競争」の枠から解放したことだと思っている。

晩年期のターナーは、自然をそのまま再現するのではなく、自然を成り立たせているエネルギーのほうを描いた。光や大気、水といった形を持たないものを主役に据え、画面から輪郭が消えていった。

もちろん、ターナーは上手い。若くして天才的な技術力を手にした。しかし、最後に描いた作品は、それまでのキャリアをすべて超越したものだった。

「目に見えるもの」ではない。「目の前に立ったときに、自分の内側で起きたこと」の価値を信じたのである。この試みは、のちの画家たちに引き継がれた。モネやピサロは1870年、ロンドンで死後のターナーの作品に触れている。

そして1874年に印象派が生まれ、徐々に絵画は「目の前のものを上手く描く」ことではなく、「目に見えないこと」を表現するようになっていく。

クロード・モネ《印象・日の出》1872年 マルモッタン・モネ美術館蔵

しかし現在は、また「上手さ競争」になっているように思う。バズりやすい「スーパーリアリズム」が、とても流行っている。一方で、難解かつ抽象的な現代アートは「誰でもできるじゃん」「よくわかんない」と軽視される。その言葉を見るたびに「いやいや、そういうことじゃない」と強く思う。

確かに、写真のように描ける技術はすごい。でも「すごい」で終わる。不思議なもので、上手ければ上手いほど、具象に近づくほど、こちらには感動する余地がない。「すごい」で終わって、その先の人生には何も残らない。

その点、ターナーが特にキャリア後半に描いた抽象的な「光」には、キャンバスを超えて、私たちの哲学にまで影響を及ぼす力がある。見えないからおもしろい、という芸術の根源に迫ってくるのだ。

さて、そんなターナーの大回顧展が、2026年10月から東京・上野にやってくる。会場に行ったら、まずは何の予備知識もない状態で一枚の前に立ってみてほしい。マストに縛られた話も、赤いブイの話も、いったん忘れていい。

まっさらな状態で、目の前に見える「光」が自分の身体に何を起こすか。それを確かめる場所として、これ以上の展覧会はそうそうない。

【作品を見るなら・・】
展覧会名:テート美術館 ターナー展――崇高の絵画、現代美術との対話
会期:2026年10月24日(土)-2027年2月21日(日)
会場:国立西洋美術館
住所:〒110-0007 東京都台東区上野公園7-7
開館時間:9:30-17:30 金曜・土曜日は20:00まで(入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日、11月24日(火)、12月28日(月)-2027年1月1日(金・祝)、1月12日(火)
※11月23日(月・祝)、2027年1月11日(月・祝)は開館
※2027年1月12日(火)-2月21日(日)の期間、国立西洋美術館 常設展は閉室

観覧料(税込):
一般 当日券2,400円/前売券2,200円
大学生 当日券1,500円/前売券1,300円
高校生 当日券1,100円/前売券900円
中学生以下無料

主催:国立西洋美術館、テート美術館、朝日新聞社、テレビ朝日
巡回:2027年3月13日(土)-6月27日(日)、大阪中之島美術館
問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル)

公式サイト:https://turner2026-27.exhibit.jp/
Instagram:@turner2026_27

  • Text : ジュウ・ショ
  • Edit : Seiko Inomata(QUI)

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