過去のクチュールコレクションから、デザイナーズファッションの“創造性“を探求する|Maison Margielaの名作「コームドレス」
記念すべき第1回は、メゾンマルタンマルジェラの2009年スプリングクチュールコレクションの作品、⓪ライン『アーティザナル』のコームドレスについて考察する。
1980年代〜2000年代初頭のデザイナーズアーカイブを収集して、独自の解釈でキュレーションしている、ファッションの美術館型店舗を運営。SNSでは独自のファッション史考察コラムを投稿。メディアへの寄稿や、トークショーへの登壇など、活躍の場を広げている。
メゾンマルタンマルジェラの転換期に発表されたコームドレス
まず2009年とは一体どのような年なのか。この年はメゾンマルタンマルジェラにとって、1989年のブランド設立から20周年のアニバーサリーイヤーであると同時に、創業者であり初代デザイナーのマルタンマルジェラが退任した、転換期と言える重要な年。そんな特別な年に発表されたアーティザナルのコレクションには、マルタンマルジェラというファッションデザイナーの現代アート的思考や、脱構築的なクリエイションを存分に感じられる作品が全面的に打ち出されたのではないかと、私自身はそう捉えている。
その中でも、特に目を引いた作品がこちらのコームドレス。生活用品の『櫛』を素材として、チェーンに一つ一つ留めながら、ドレスの形状に構築していった、常識的に考えると従来の『衣服の固定観念』では理解できないような作品だ。ただ寄せ集めのアッサンブラージュ的な構築方法ではなく、しっかりとした線対称のセパレート、そして、美しいグラデーションによって、一見『櫛』であることを忘れてしまうほど、ドレスとして完成度の高い作品だ。
そこで、マルタンマルジェラのコームドレスの背景には、どのような『意味』が隠されているのか、あくまでもわたしなりの観点で、考えてみる。
シュルレアリスム的発想における“置き換え”という視点
まず、マルタンマルジェラの作品を捉える上で、重要なキーワードが『シュルレアリスム(※)』。シュルレアリスムとは、1924年フランスの詩人アンドレ・ブルトンによって打ち出された『シュルレアリスム宣言』以降、アートのみならず、文学や政治にまで影響を与えていった20世紀の重要な動きだ。
シュルレアリスム以前に起きたダダの運動によって生まれた否定や破壊のなどの思想と、心理学者で精神科医のフロイトによる無意識の発見やリビドー論などが、後にシュルレアリスムに繋がっていったとされている。無意識領域、幻覚など、人間の欲望からなる狂人的発想は、日常と非日常を連結させ、現実の世界に未知の創造物を、次々と生み出したのだ。
1936年サルヴァドーレ・ダリ(以下:ダリ)の作品『引き出しの街 擬人化されたキャビネットのための習作』をベースに作られたエルザ・スキャパレリ(以下:スキャパレリ)『デスク・スーツ』は、ファッション領域において、シュルレアリスムが表現された、代表的な作品だ。
衣服であるスーツに、デスクの引き出しをデザインとして落とし込むことで、日常と非日常を交錯させることが可能となる。また、スキャパレリとダリの代表作である『靴帽子』は、通常は足で履くための靴を、帽子にすることで、役割の置き換え(通称:デペイズマン)に成功している。この置き換えの視点こそが、シュルレアリスム的な発想において、非常に重要なのである。
※1 シュルレアリスム:20世紀初頭にフランスで生まれた芸術運動で、夢や無意識の世界を表現することを目指し、現実と非現実の境界を曖昧にする表現が特徴。不条理で奇妙なイメージや状況を描き出し、視覚的な驚きや混乱を引き起こす手法を多く用いられる。シュルレアリスムは、絵画だけでなく、彫刻、映画、文学など、多岐にわたる芸術分野に影響を与えたと言われている。
マルタンマルジェラが目指した『まだ見たことが無い服』の創造
では、マルタンマルジェラのコームドレスに視点を戻してみる。ドレスの構造としては、通常は髪を整えるための道具であるコームを、ドレスの素材に置き換えていることがわかる。コームが醸し出す日常と、ドレスに置き換えてしまう非日常が交錯することで、このコームドレスがシュルレアリスム的思想の元に、創造された作品なのだと、推察することができる。
ただ単に、衣服の素材ではないコームを、アップサイクルして作っただけではなく、そういったシュルレアリスムの思想を元に、生み出された作品だという観点で見れば、如何にマルタンマルジェラ本人期のアーティザナル作品が、現代アートとして評価されていることに納得ができる。
自身のファッションデザイナーとしてのラストシーズンに、存分にエゴが発揮されたアーティザナル作品には、マルタンマルジェラの無意識領域における、夢で見たような非現実的なイメージを、現実化し、『まだ見たことのない衣服』を創造したかったに違いない。作品を観ながら、そうやって想像するだけで、ファッションというフォーマットが如何にアート的に進化してきたのかを理解することができる。
改めて、マルタンマルジェラによるアーティザナル作品の創造性は、ファッションという極めて現実的な物質を一度無効化させ、別の物質へと変換させてしまう不思議な魅力があり、この説明の付かない不思議な気持ちを、アーカイブコレクターの人たちは、共感し合い、語り合い、後世に伝えていくのだろう。
Archive Store
1980年代〜2000年代にかけてのデザイナーズファッションに着目し、トレンドの変遷を体系化して独自の観点でキュレーションしている美術館型店舗。
創造性溢れるアート作品から社会背景を感じられるリアルクローズ作品まで、様々なデザイナーズアーカイブを提案している。
“アーカイブ”とは作品に込められた意味や時代の印(しるし)であり、そこから読み取れるストーリーが人から人へと伝わっていくことで、後世に記録や記憶として残っていく。
Archive Storeでは、アーカイブ作品を見て、触れて、着て、言語化してもらうことで、ファッションを学問として楽しんでもらえることを目指している。
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