遠くて近くてやっぱり遠い、大切な人がくれた歌。映画『ドンテンタウン』
2つの世界が交錯する不思議な映像体験
あるときソラは新居の押入れで、前の住人が残していったらしい大量のカセットテープを発見する。テープには、贋作画家として生計を立てるトキオ(笠松将)の「心の声」が吹き込まれていた。
テープの中のトキオの世界とソラの現実の世界が、時を超えて静かに交錯していく。曇り空の下でカセットテープがつなぐ、交わるはずのなかった2人の交流を枠にとらわれず自由に浮遊するような映像表現で描く。
新進気鋭の映画監督、ミュージシャン、俳優を多数輩出する音楽と映画の祭典「MOOSIC LAB(ムージック・ラボ)」の、2019年長編部門作品として制作された本作(以前QUIで取り上げた『左様なら』もここから生まれた)。監督は今回が初の長編となる井上康平。約60分のコンパクトな映画だが、初の長編とは思えないほど、独自の表現方法をすでに確立させている印象さえ受ける。ふわふわした時間軸の中を漂いながら、すんなりと私たちを物語の中の世界観に引きずり込んでいく仕掛けは見事だ。
意のままに弄ばれているようでありながらも、心地よい小さな驚きと発見の連続に、そして登場人物たちの内面の変化をしっかりと切り取る丁寧な演出に、いつのまにか心を奪われてしまう。今後目が離せない注目の監督の1人になりそうだ。
いま観ておくべき俳優、笠松将
『ドンテンタウン』は、主にソラの視点で物語の中に誘導されていく。ソラの心情と同期した映像のなかに突然、圧倒的な存在感をもってトキオが現れる。2人の世界は不思議な温度で交錯していくが、どこまで近づいても、トキオとの間には超えることのできない隔たりが残されている。
ソラの目線で描かれることで、巧妙にマスキングされながら、完全には理解することのできない存在としての他者性を残したトキオの姿が、作品に深みと奥行きを与えている(もしも逆に、つねにトキオの視点で描かれていたとしたら、まったく異なる空気の作品になっていただろう)。
そしてそんな奥行きのある魅力の大部分は、まぎれもなくトキオを演じた笠松将自身の魅力にあるだろう。彼の何気ないひとつひとつの表情が、観る者の目を掴んで離さない。名作と呼ばれる映画の共通点の1つに「この時のこの人でなければこの作品は考えられない」という点が挙げられるが、まさにトキオはいまの笠松将でなければならなかったと言える。
主演を務めた『花と雨』(2020年、土屋貴文監督)での胸を突き刺すような演技も記憶に新しいが、本作でも彼の持つ独特の“危うさ”が物語の中のトキオに圧倒的な命を吹き込んでいる。とにかく笠松将はいま観ておくべき俳優だ。
『ドンテンタウン』
2020年7月17日(金)よりアップリンク吉祥寺ほか全国順次公開
これは、晴れが似合わないあなたとわたしの物語。
監督:井上康平
音楽:菅原慎一
出演:佐藤玲 、笠松将、山本亜依、松浦祐也 ほか
©2019 osampo/MOOSIC LAB
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- Text : Masayoshi Yamada