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【BEHIND THE RUNWAY】YOHEI OHNOが過去の記憶を辿ることで掴んだ未来への希望 |Rakuten Fashion Week TOKYO 2024S/S

Sep 22, 2023
Rakuten Fashion Week TOKYO 2024S/Sの最終日、9/2(土)に行われた<YOHEI OHNO(ヨウヘイ オオノ)>のランウェイショー。2024春夏コレクションでは大野氏が自身のパーソナルな記憶や思い出、心情と向き合うことを通して見出した未来への新たな希望を表現した。QUIでは、ランウェイのバックステージに潜入。フォトグラファー広瀬正道のバックステージ写真とともにレポートをお届けする。

【BEHIND THE RUNWAY】YOHEI OHNOが過去の記憶を辿ることで掴んだ未来への希望 |Rakuten Fashion Week TOKYO 2024S/S

Sep 22, 2023 - FASHION
Rakuten Fashion Week TOKYO 2024S/Sの最終日、9/2(土)に行われた<YOHEI OHNO(ヨウヘイ オオノ)>のランウェイショー。2024春夏コレクションでは大野氏が自身のパーソナルな記憶や思い出、心情と向き合うことを通して見出した未来への新たな希望を表現した。QUIでは、ランウェイのバックステージに潜入。フォトグラファー広瀬正道のバックステージ写真とともにレポートをお届けする。

8月28日から9月2日にかけて行われたRakuten Fashion Week TOKYO 2024SS。最終日である9月2日に行われた<YOHEI OHNO>のショーはガラス張りの自然光が降り注ぐ会場、CARATO71で行われた。

<YOHEI OHNO>の2024春夏コレクションのテーマは”NEW TOWN NEW CAR”。
これまでのインダストリアルでモダンな印象から一変、どこか懐かしさを感じつつも新鮮かつ革新的なクリエイションに、同ブランドの画期的瞬間だと感じた。というのも今回のコレクションでは初めてデザイナー・大野氏が自分の内側に目を向けて、過去の思い出や記憶、心情からコレクションを生み出している。

大野氏が帰郷した際に見つけた家族のアルバムをきっかけに「弱点」だと語る幼少期の家族との思い出と人生の大半を過ごしてきた平成という時代に焦点を当てた。

「日本に向けたコレクションをしたい」と語った大野氏。それはランウェイのスタートと同時に流れた合唱曲からもその思いを感じ取れた。会場に入ってすぐ目の前に現れる螺旋階段から、音楽と共にコツコツと音を立てて降りてくるファーストルック。降り立ったのはラグビーボールを模した芸術作品のようなフォルムのドレスを着用したモデルだ。洗練された空間とインパクトのあるルックそしてそれとは対照的な、地獄の中にいるかのようなモデルの表情に衝撃が走る。特有の野暮ったさを残した「ローカルな何か、そして記憶の中にあるどこか懐かしいものに興味があった」と話してくれた彼のコレクションはそのキッチュな風合いを残していた。学生時代の部活動を想起させるトップスや誰しもが一度は見たことがあるであろうスポーツブランドをオマージュしたドットのドレス、野球のスパイクを想起させるバッグはその既視感からか一度見ただけで愛着さえも感じる。

合唱曲からDavid Bowieの「The Hearts Filthy Lesson」へと曲も変わって続くルックは、ツヤツヤと輝く光沢感のあるドレスだ。ギャザーを寄せて素材の質感を楽しみつつ、目玉のデザインが遊び心を感じさせる。そこから追究される素材の切り返しやスリット、アシンメトリーなデザインが美しいトップスは動きによって生じるドレープに女性のしなやかさ、そしてヘルシーな肌の露出に逞しさと強さを感じた。

そしてなんといっても、最後に登場した4体のルックは<YOHEI OHNO>24春夏コレクションを象徴するものとして見た人の記憶に残ったに違いない。

これを語るには、まずはコレクションノートに綴られた大野氏の言葉を読んでいただきたい。

「このコレクションを説明するために必要なことなので書くが、家族との思い出はあまり良いものではないかもしれない。家族の中での私は口数が少なく、正直な気持ちや考えを話すことが今も難しい。居心地の良くない実家から離れたいというのが、東京に行くことを決めた理由の1つだった。 私の実家は、愛知県の桃花台(とうかだい)ニュータウンという住宅街の中にある。一軒家での暮らし向きの良い生活を求めて家族が移住する、郊外に開発された街で生まれ育った。 15年以上前に上京して以来、帰郷するたびに感じるのは、その後何かが発展するわけでもなく徐々に寂れていく故郷への喪失感や「ニュータウン」という名前への皮肉、家族をそこに残したまま1人自由に生きている自分自身への後ろめたさだった。 ところが私自身の家族や故郷に対する印象とは裏腹に、初めて見た幼少期のアルバムに写っていたのは、幸福で、今までずっと忘れていたかのような希望に満ち溢れた家族写真だった。「失われた30年」に差し掛かる前の、初期の平成が思い描いた理想的な庶民の家族のように見えた。 私はいつも「夢のある創作がしたい」と考えている。私にとっての夢とはそこに「漸進」することができるだけで、決して手の届かないものだと思っている。 テスラのcybertruckを初めて見たときに、まさに何か、大きな人類の夢に向かって漸進していくようなデザインだと思った。YOHEI OHNOの創作にも勝手ながらどこか繫がりを感じた。 アルバムの中で見た、もはや本当だったかも分からない、希望に満ちた家族との記憶の世界も同じように、二度とそこにたどり着けないある種の夢なのではないかと思えた。」

これらのルックの誕生には『思い出せない父の車』と『テスラ社のcybertruck』という2台の車の存在がある。「ただ1つだけアルバムの中で見つけられなかったのは、家族でそれに乗ってよく出かけたり、旅行に行ったりして思い出深いはずの父の車。郊外の『ニュータウン』での家族生活を象徴するはずの父の車がもうぼんやりとしか思い出せない。」そう語った父の車には居心地が良くなかったと話す家族に対する「個人的な記憶」あるいは、現代に感じる「失われつつある希望」へのメタファーが込められている。一方で「テスラのcybertruckを初めて見たときに、まさに何か、大きな人類の夢に向かって漸進していくようなデザインだと思った。<YOHEI OHNO>の創作にも勝手ながらどこか繋がりを感じた。」と話し「人類の夢」や「スタイリッシュな未来」を象徴する存在としてcybertruckを挙げた。

2台の車を通して相反するとも捉えられる想いを前に、大野氏は「遠く離れた未来は遠く離れた過去のようにも見える。同じように、漸進するだけで到達できない夢は、二度と取り戻せない美しい過去のようにも見える。」と語る。

傷ついていた過去をたどることで夢のある創作や新しい希望を生み出していけるのではないかと考えた彼は、取材の冒頭で「かましてやろうと思った」と一言。その言葉に込められた想いは魂が震えるくらいに真っ直ぐで純粋なもの。受難や困難と語った自身のパーソナルな過去の思い出を赤裸々に表現し、そこから見出した新たな未来への希望は日本のファッション業界を力強く前へと進めてくれるに違いない。

 

YOHEI OHNO 2024SS COLLECTION RUNWAY

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