『はじまりの赤』伊藤亜和 ー わたしが赤を選ぶ日
inouiの赤は、自分と対話するための色。
それは、感情の温度であり、記憶の手ざわりであり、
ときに言葉にならなかった“私” の声でもある。
この「赤」をめぐって、文筆家が物語をつづってゆく。
ひとりひとりの中に宿る、“赤の理由” を探す言葉たちが、
誰にも見せなかった感情の記憶を、
そっと浮かび上がらせてくれるかもしれない。

分厚い唇を、身体の内側にキュッとしまい込むように隠す。高校生までの写真に写った私は、たいがいそんな表情をしていた。
私はこの唇が大嫌いだった。自分の顔の下半分に横たわっているこの大きな唇。口角が上げにくいせいで、なんだかいつも不機嫌に見えるし、まるで変な生き物が顔に張り付いてるみたいだと思っていた。女子高生が着けるような薄いピンクのリップなんて似合わないし、コンシーラーでどうにかできるボリュームでもない。

テレビの女優や、雑誌に出ているモデルたちはみんな色白で、髪はサラサラ、私みたいな子はどこにもいない。みんなが人気者をお手本にしてどんどんかわいくなっていく隅で、何もかもが違う私は、きれいになることをほとんど諦めていた。せめて唇だけでもどうにかできないだろうかと鏡の前でにらめっこを続け、やっと発明したのがこの表情。こうしていれば、誰にも見られずに済む。私は笑ったり話したりすることを引き換えに、口をつぐんで嫌いなところを隠すことを選んだ。そうやって黙っていたら、そのうち本当に誰とも話せなくなってしまった。私はひとりぼっちになった。

ある日、放課後になんとなくデパートの化粧品売り場を眺めていたら、深い赤色のリップが目に入った。自分とは関係のないものだと思っていちどはそこを通り過ぎようとしたが、不意になかにいるスタッフのお姉さんと目が合って、私は思わず立ち止まった。ディスプレイされたものと同じ色の唇が、私を見てわずかに微笑む。
きれいな人。彼女には、私が見えていた。私はこの世界の“かわいい”から仲間外れで、透明人間みたいに、いないことにされているのに、彼女は私だけを見て微笑んでくれていた。本当は、私だって知ってほしかった。私がここにいるってこと、誰にでもいいから気づいてほしかったのだ。私はどれだけ努力しても彼女みたいにはなることはなれないと思う。だけどそれでも、私はなにかになれるだろうか。
吸い寄せられるように、おそるおそる店に入った。「きっとお似合いですよ」と言われたその赤いリップをひとつ、唇と一緒に隠すように家に帰った。

鏡の前に立ち、素顔の上にゆっくりと赤を引く。死んだように乾いていた唇が、鏡の中で命を吹き込まれて、見たことのない美しさで輝きだしていた。深い赤は私の浅黒い肌にしっかりと馴染んでいて、まるでその日、私の顔ははじめて全部のパーツを手に入れたみたいだった。こんなにきれいな形をしていたなんて、知らなかった。いままでいらないなんて思っていて、ごめんね。涙が出そうになりながら、唇を撫でるように何往復も塗り重ねる。私はたった今はじまったのだ。誰でもない私が、今日やっとはじまったのだ。

唇に赤を乗せるとき、私はいつもはじまりの記憶を思い出す。はじめて「私を見て!」と言いたくなったあの感情には、赤いアンダーラインが真っ直ぐに引かれている。生きているかぎり、私は私をやめることはできない。この唇で私は大きく笑い、言葉を話す。私にはお手本がいない。前を走ってくれる人がいない。だけど進もう。なにがあるのか教えてほしい。誰とも違うコントラストで、私の赤は私の肌と、まだ足跡のない道を踊る。

私みたいな子、きっとどこにもいないでしょ。
伊藤亜和(いとう・あわ)

1996年横浜市生まれ。文筆家。学習院大学 文学部 フランス語圏文化学科卒業。noteに掲載した「パパと私」がX(旧Twitter)でジェーン・スー氏、糸井重里氏などの目に留まり注目を集める。著書に『存在の耐えられない愛おしさ』(KADOKAWA)『アワヨンベは大丈夫』(晶文社)「私の言ってること、わかりますか」(光文社)。

「生まれ持ったものが、あなたを最も美しくする。インウイ」をブランドメッセージに、「個」を大切にしながら自分が持って生まれた魅力を活かす自分とメイクの新たな向き合い方で気持ちまで豊かになれるメイクを提案しているメイクアップブランドです。


左から:リップ 06、チーク 04、リキッドファンデーション 04、ルーセントプライマー
other items
ルースパウダー、コンシーラー 03、ハイライター 02、アイライナーリキッド 02、マスカラ 01、アイブロウパレット 01、アイブロウペンシル 01 / すべてinoui

左から:リップ 08、アイズ 01、チーク 04、リキッドファンデーション 04
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ルーセントプライマー、ルースパウダー、コンシーラー 03、ハイライター 02、アイライナーリキッド 02、マスカラ 01、アイブロウパレット 01、アイブロウペンシル 01 / すべてinoui
STYLING CREDIT
black dress ¥78,100 / Mame Kurogouchi(mamekurogouchi.com)
lace top ¥165,000 / KANAKO SAKAI(KANAKO SAKAI info@kanakosakai.com), bra stylist’s own
- Model / Author : Awa Ito
- Photography : Kei Matsuura(STUDIO UNI)
- Makeup : Nobuko Yamada(Shiseido)
- Hair : Yuko Terada(Shiseido)
- Styling : Rieko Sanui(ende)
- Text : Kaori Sakai(QUI/STUDIO UNI)
- Art Direction : Makiko Higuchi (QUI/STUDIO UNI)
- Produce : Shun Okabe(QUI)