憧れの存在と、その先にあるもの。スタイリスト 橘昌吾
1991年京都府生まれ。千葉県育ち。文化服装学院スタイリスト科を卒業後、2015年より活動を開始。 ミュージシャン、タレント、ルックブック、ショー、写真展等のスタイリングやディレクション、展示会やポップアップショップの空間演出 にも携わっている。
はじまりは、好きなバンドのアーティスト写真
アーティスト写真ってあるじゃないですか。昔から音楽が好きで、いろんなミュージシャンを見てたんですけど、あるとき、好きなバンドの佇まいみたいなものが、急にあか抜けたと感じた写真があったんですね。何が変わったんだろうと考えて、あぁ服か、と。それでその人たちが着てる服が気になりはじめて、売ってるお店を調べたり。
それが高校2年のときだったんですけど、僕ずっと部活で野球をやってたんで、私服を着る機会なければ、別に興味もなくて。ちょうど修学旅行があったから、そのための服を買おうくらいの気持ちで原宿に行ったんです。メンバーが出入りしてるって店に行ってみたくて。
それで行った店がUTILITY。オーナーの浜中さんにいろんなことを教えてもらううちに、ファッション面白いなと思ってどんどんのめり込んでいった。(詳しくは対談記事へ)さっきのアーティスト写真が変わった話は、スタイリストの技術があったからなんだって知って、そんなに面白い仕事があるのかって気付いて。どうやったらスタイリストになれるか調べて、文化服装学院のスタイリスト科に入学したんです。
学校に入ってみると、周りの学生とぜんぜん会話が成り立たないんですよ。僕なんにも知らなかったんで。Diorとか化粧品のブランドだと思ってましたからね。もうそのレベル。これはヤバイと思って、ファッション用語とかブランドをひたすら調べて、ノートに書き出して勉強するというのを必死にやりました。知識がないと話もできないし、説得力もないですから。その勉強ノート、たぶん14、5冊あるんじゃないかな(笑)。卒業後、縁のあった方の紹介でアシスタントとして働きはじめました。
人生終わった…、と思うほどの挫折から
約2年くらいかな、アシスタントやってたんですけど。本当に休みもなければ、寝る時間もないときがあって、疲労がたまっていって。当時の自分は精神的にも肉体的にも弱い部分があって、夢を抱けなくなってたんですよね。普通に歩いてるとき、原因不明の涙が流れてきたりとか(笑)。で、ある撮影の帰りに、ついに駅で倒れちゃって。単に過労だったんですけど、それを機会に辞めさせてもらうことにしたんです。そのときは、マジで人生終わったと思って、本当にへこんでました。
それから1年くらいは、カレー屋とかボウリング場とか、深夜のカラオケとか新聞配達とか、興味のあったバイトをいろいろやって…。もう一度本腰入れてスタイリストとしてやってみよう、ちょっともがいてみようと思ったのが2015年。ちょうど浜中さんのブランドが5周年で、ルックのイメージを変えて撮影してみようという話になって、そのタイミングで出会ったのが、フォトグラファーの高橋優也なんです。
本当にすごい写真撮るやつで、人間としても共感できる部分がいっぱいあって。出会ったとき、これはチャンスかもしれないと思った。それから二人で作品撮りをするようになって、インスタにアップしていったら、どんどん人が集まるようになったんですよね。
憧れの存在をスタイリングするいま。そしてこれから
いちばんの転機は、やっぱりUVERworldの衣裳をやらせてもらえるようになったこと。最初に話した「好きなバンド」って実はUVERworldのことなんですよ。
高橋優也と一緒に、最終的には誰を撮りたいか、誰をスタイリングしたいかという話になったとき、僕はすべてのきっかけになったUVERworldにぜったい辿り着きたいと言って。そのときすでに、浜中さんを通じてメンバーの数人とは知り合っていたんですが、僕がファンであることは伏せていましたし、スタイリングをさせてもらえるような関係性ではなかった。でも奇跡のような幸運が重なって、ボーカルのTAKUYA∞さんに声をかけてもらうことができたんです。
メンバーには、自分の弱さからアシスタントを辞めてしまった過去のことも素直に話して、そういう部分も込みで受け入れてくれた。スタイリストになるきっかけをくれた人のスタイリングに、一部ですが関わらせてもらえるようになって、ひとつ大きな夢は叶えることができたので、あとはこれまで出会った方々に恩を返していきたいと思います。アシスタント時代お世話になった師匠に、2018年のカウントダウンジャパンの現場で5年振りに挨拶が出来たというのも、自分の中ではかなり大きかったですね。
これからはスタイリングだけでないもっと広い視野でいろんなことをディレクションしてみたいと思っています。スタイリストでそこまでするの?みたいなところまで。
極論言うと、たとえ自分ができなくても、その能力を持った人を連れてきて一緒に仕事ができれば、それはもう自分の能力だと思うんですよね。とにかくいろんな人と知り合って、その力をつないでいけるように、いまは自分の幅を広げていきたいと思っています。
- text : Midori Sekikawa
- Photography : Yasuharu Moriyama