壁から服まで、「楽描き」するアーティスト。AZI|RAKUGAKIデザイナー
1981年東京生まれ。2004年東京造形大学卒業。グラフィティを中心としたアーティスト活動を行い、2007年からは自身主催のイベントでライブペインティングをスタート。その後もフェスなど活躍の場を広げ、アーティストへの衣裳提供を機に服作りをスタートさせる。2016年RAKUGAKIを立ち上げ。
子供の頃から絵を描くのが好き
僕はもともと洋服のブランドをやっていたわけじゃなくて、服との関わり合いは、ブランドとのコラボでグラフィックを描いたり、衣裳を作るというところからスタートしたんです。それまでずっとグラフィティをやっていて。と言っても、15年くらい前までほぼ仕事にはならなかったですけどね(笑)。ここ10年くらいですかね、ストリートの文化が根付いてきて、グラフィティが仕事として成立するようになってきたのは。
子供の頃から絵を描くのが好きで、遊びと言ったらお絵描きとサッカーくらい。ファミコンもない家だったんで。あと、小学校に入ってからは親に書道をやらされていました。すごいイヤだったんですけど(笑)。サッカーは途中でやめちゃったんですが、絵を描くことだけは好きでずっと続けていました。
高校生になったとき、ちょうどヒップホップブームだったんです。みんなDJやるとか、ラップやるとか、ダンスやるとか、そういうやつはいっぱいいたんだけど、グラフィティやる人はいなくて。マニアックすぎて(笑)。でも、あんなでかい壁にでかい絵を描けるの、かっこいいじゃないですか、男の子的に。けど実際は、やりたいけどスプレー高くてムリで(笑)。大学に入って、お金使えるようになったらやろう、って。
それで美大に入ったんですけど、大学では全然関係ないプロダクトデザインを専攻してたんですよね。トランスポーテーションっていって、車とかバイクとか、電車をデザインする科(笑)。けど、学校とは別でグラフィティはやっていて、在学中1カ月ロサンゼルスに留学させてもらったんです。本場を見てないのにやってるって、急にダサイなと思ってきちゃって。
自作自演のイベントで“描く場”を作る日々
僕誰かに教えてもらうのイヤだったんで、見よう見まねで我流で描こうとしてたんですけど、全然うまく描けなくて。だからこそ面白くなってはまってしまったのかもしれません。その頃日本では、グラフィティはほとんど仕事にならなかったし、そもそも描ける場所がなかった。けど、友だちのDJはどんどん有名になったりして。ひとりDJバトルの大会で世界2位になったやつがいて、そいつのCDジャケットを描いたときに、はじめて自分の絵が世の中に広がっていく実感があったんです。でもすごくニッチだったから、もっと広げられる手はないかなと考えて。それでライブペインティングという手法を思いついて。
とはいえ、ライブペイントする場所もないんですよ(笑)。だから自分で企画しちゃえばいいやと思って。DJやラッパーの仲間はたくさんいたんで、その出演者の中に自分も混ぜて、クラブで自作自演のイベントをやって。24〜26歳くらいかな、3年間くらいやり続けていたときにひとつ転機があったんですね。
Appleストアで突然イベントの出演が決定
友だちがAppleストアでMacの修理をお願いしたとき、たまたまデスクトップが僕の描いた絵で、外国人のエンジニアがこれ誰が描いたの?ってきいてきたんですよ。僕ちょうど一緒にいたんで、自分が描いたんだよと。そしたらイベント担当の人を呼んできて、Appleの全国のイベント出てくれって言われて。仕事になっちゃったんです、急に。
Appleで仕事すると、人の見る目が変わってくるんですよね。落書きがアートに変わるというか。それが27歳くらいのとき。それでも全然メシは食えないんで、これ以上に自分をプロモーションするためにどうすればいいか考えて、フェスに出ようと。クラブのイベントで集められるのが500人くらいだとしたら、フェスなら1万人じゃないですか。
音楽関係の衣裳提供からはじまった服作り
それでフェスに出るようになってからは、僕のことを見た人がAKB48の衣裳のペイントやイラストを描いてほしいとオファーしてくれたり、仕事につながる話が生まれてきた。服作りは音楽関係の衣裳提供からはじまった感じです。壁に描くグラフィティと衣裳って違うものだけど、もともと落書きをやっていたから、キャンバスにこだわりがなかったていうのがよかったのかもしれないですね。人の服に描いたこともあるし、人の顔に書いたこともあるし(笑)。そういうのが全部生きてきたのかなって。あと、字を描くことに関しては、書道をやっていたことがすごくよかった。タギングっていって、自分独自の字を描くんですけど、基本的な字の作り方とか、どこでどうはらえばかっこいいかとか、そういういことにすごく生きていると思うんです。
ブランドをはじめたのは、服というかキャップを作りたかったからなんです。イベントに出るときいつもキャップをかぶってトレードマークにしていたので、自分でデザインしたものをかぶりたいと思って。それでアパレル関係の友人に刺繍職人さんを紹介してもらって。そうするとけっこうまとまった数ができるので、じゃあ展示会をやってみようということになって。やってみたら300人くらい来てくれたんですよ。キャップとTシャツしかないのに(笑)。それで、もの作るっておもしろいな、と思っちゃたんですよね。それが2016年の11月のこと。
ほしいけど、世の中になかったものを作る
走り出したら止まれないというか、一回はじめたことをやめるのはイヤだったので、少しずつアイテム増やしていって。自分がほしかったけど世の中になかったものを本気で作ろうと思って。今日着ているジャケットも、群馬県の刺繍職人さんが一生懸命作ってくれたんですけど。毛の風合いとかすごくよく表現できているでしょう?刺繍の絵もプリントの版も全部自分で描いて…ということをやっていたら、自然とグラフィックが強化された服が増えていった感じです。
デザインのテーマは、ヒップホップとかモータースポーツとか車とか、自分が生きてきた中でかっこいいと思ったものからインスピレーションを得ていることが多いですね。男の子の発想ってみんなそうなのかな?なんか、昔から好きなものが変わらないんですよね、やっぱメカっぽいのかっこいいよなとか、なにも変わってない(笑)。
いい意味で“変わらない”ことが原動力
小学生のとき、昼休みに机で絵を描いていると、みんな集まってきて、「おまえ、うまいなぁ」って。それが気持ちよかった。それが僕の原体験。だから僕は、絵を描いているところを見てほしくてライブペイントを続けているし、ブランド名のRAKUGAKIも、グラフィティは落書きじゃなくて楽描きだって、15年前から言ってることがそのままブランド名になっている。いい意味で変わらないことが原動力になっていると思っています。
僕の服を買ってくれて、それを今日着ようと選んでくれる人がいることがなによりうれしいから、値段以上の価値がないとダメだと思うんですよ。その価値がずっと続いてくれるように、絵を描くこともやめないし、服を作ることもやめない。とにかく歩みを止めないことが大切だと思うんです。
音楽や車など、自分が生きてきた中でかっこいいと思ったものからインスピレーションを得てもの作りをするというAZIさん。子供の頃から好きだった絵を描くことだから続けていられる、自分がほしいと思うもの、女の子に着てほしいと思うものを作っている、と話す彼からは、もの作りに対するとてもピュアな情熱があふれていた。
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- text : Midori Sekikawa
- Photography : Miyuki Kuchiishi