after the sunset. — kudos 工藤司インタビュー
早稲田大学を卒業後、アントワープ王立芸術学院に進学。中退後、服作りの基礎を学ぶ為にパリにてパターンの学校に通いながらジャックムスやJW アンダーソンでデザインアシスタント、Y/PROJECTでパターンアシスタントとして経験を積む。 自身にとっての”ヨーロッパ卒業コレクション”として作品を制作し、2017年4月に帰国。2017-18年秋冬シーズンにデビュー。2020年、出版事業「TSUKASA KUDO PUBLISHING」を始動し『TANG TAO by Fish Zhang』を出版。
WEB:https://kudoskudos.co/
Instagram:https://www.instagram.com/tsukasamkudo/
『tomorrow’s kids』というタイトルがタグに記された服と、フォトシークエンス(連続写真)の手法で彼自身が撮影した写真があった。齢の違うふたりの少年が、袖が異様に長かったり、カフスやネクタイが誇大化したり、テーラードジャケットの肩が外れ、スリーブが3本もある、ある種の“イレギュラー”を受け入れた佇まいをしている。メンズウェアのコアなポイントを射抜きながら、細部と全体の両方からディフォームしたコレクションと、被写体への優しい眼差しを感じさせる写真に、「情緒纏綿で美しい」と感じたのだった。それらは、今思えば、kudosにおけるもっともエッセンシャルな部分なのではないかと勘ぐりたくなる。軽やかで優しい表現と反目せず、メンズウェアのコードに対する、エクスペリメンタルなマインド。コレクションを重ね、ブランドネームが(新しい価値観の出現への)賞賛の意味を持つわけが徐々に湧き上がってくるようだったからだ。
彼をディレクターに招き、kudosのシューティングを行うとなって、テキストを交わしながら脳裏によぎっていたのが、『ドイツ零年』と『たぶん悪魔が』の2本の映画の主人公の、若き自死の“明日”を想像したという、あのファーストシーズンのことだった。それぞれ激動の時代を生きた少年たちの「失われた彼らの明日」に、新しい価値観を照らし合わせながら明るいカラーパレットとともに描いた彼の眼差しは、パンデミックによって大小問わない価値観の転換が日常に潜んでいる現在とゆるやかに連なっているように思えたのだ。
撮影を終えてしばらく経った快晴の日、9シーズンを経て、新しいコレクションを制作している彼のもとを訪ねると、おもむろに一枚の写真を見せてくれた。夜の、パリ。壁に沿って並ぶデスクで絵を描く人がひとり、ミシンを叩く人がひとり、彼らの後ろでは服地を手に何やら作業をする人がひとり。彼らの、きっと“ホーム”のような一室で、それぞれが、それぞれの仕事に勤しんでいる写真だった。『tomorrow’s kids』を制作しているワンシーンだという。そして、「最近、この頃の服作りに近づけようとしているんだ」と口火を切った。
「あの時の全部の服は、自分たちで生地を買い、絵を描いて、パターンを引いて、友達に着せていた。帰国してからの2〜3シーズンはこの方法を踏襲する部分が多かったけど、ブランドを始めて勉強していくにつれ、良いこともあれば、失われていくものがあると感じるようになって。人の手を借りて服を作ってきたけど、介する手が増えるほど、それが足枷になって服が単純化していく。そうして、逆に難しいことが増えていった感覚。自分たちだけで服作りが完結していた時の方が、実はもっと複雑なことができていたんじゃないかって思うんだよね」
photo by Tsukasa Kudo
「そもそも……」と言葉に力を入れながら、「自分は服を作れる前提でコレクションを作っているのに、なんでこんなに多くのプロセスを踏んで、たくさんの人に説明しなきゃいけないんだろう。自分たちのようなスケールでやっているのにあべこべなことをしている気がして」と話を続ける。「だから、最近のムードは、自分ができて、自分が楽しいことをシェアするってこと」
それは、ゲリソル(パリ中にある格安の古着屋)で服を買ってきて、手を加えながらも、「このボタンの仕様が良いからそのまま使ってみよう」と自分の志向に忠実になって服を作っていた頃のマインドセットと、ぴったり合致するのだという。「今回撮影したコレクションから始めて、今作っているシーズンも数型、あの頃と同じような方法で作ってる。絵は描かず、たんぽぽハウスで300円の服をいっぱい買ってきて、あくまで僕のデザインとして切って、繋げて、ドレーピングして形を作り……その“マスターピース”のようなものをパタンナーさんに渡す。一緒にやっているパタンナーの人が、自社に数人のお縫い子さんを雇っているから、そこでサンプルも作れちゃう。ある種、プチ・メゾンみたいな(笑)。そういうコンパクトで、コントロールできるプロセスで服を作ることができると、今までやりたくてもなかなかできなかったことにも手が届くと思う。たとえば、残布を使う、デニムを生地化して、リプロダクトやリデザインといったこともね。だから、基本は、自分が服を作って、それを渡して、kudosのコレクションのデザインに落とし込む。“自分”が実験できるし、そのほうがシンプルでしょ?」
スタイリストや写真家としての顔を持つ彼は、これまで、コントリビューターを招くのではなく、自分自身でモデルをキャスティングし、コレクションを着せ、写真におさめてきた。一方で、「今は、『作りたい』が先行してるんだよね」と話す。自身の「手の感じ」が服に残せず、それを埋めるかのように写真やスタイリングを通して爪垢を残そうとしているようにも思えてきたのだという。「だから、この2シーズンくらいは服そのものに注力しながら、シュンワタナベさんやフォトグラファーに、彼らのフィルターを通して自分が作った服を最後にまとめ上げてもらってコレクションを作ってきた。写真をインスタのストーリーズで見せるけど、今季がなんなのかも発表してないから色々なことがふわっとしてる(笑)。でも、今はそういうことに興味がないんだ」
迷いのようなものから解き放たれた人がもつ、潔く、快活な声の色を聴いていると、彼が手がけるもうひとつのコレクションラインで、文字通り、鏡写しになっているsodukの話にシフトしていった。「自分の中で、kudosで実験したものをいかにウェアラブルに、広く着てもらえるかという視点も含め、sodukは、実験で得た知見を披露するイメージなんだよね。だからこそ、kudosの“実験”のレンジが狭くなるほど、sodukの幅も狭くなる感覚がある」。深く、柔軟に結びついている両者の関連性に向き合いながら、服を作ることに、一脈の意味を見出しているようだった。
「売れない服もあるけどね」と笑いながら、「kudosは、sodukのためにも“強い服”である必要がある」と彼はきっぱり口にした。「kudosには、提言みたいなものが絶対に必要。たとえば、穴が空いた骨のシャツは、日本の文化の中で、こういう“センシュアル”をやるメンズウェアがあってもいいんじゃないかという、最初期からの考えの延長にあるもの。そこに説得力が宿るとしたらやっぱり自分の手で作った時なんだと思ってる」
「今回の撮影で、自分でスタイリングして、一緒にキャスティングして、久々に自分の服をどういうふうにアウトプットしたいのかに向き合いながら、『あ、自分はこの服をこういうふうに見てたんだ』とか、『この服をこういうふうにレイヤーさせたかったんだ』っていう自分の意見を整理できたんだよね。ちょっと懐かしいくらい(笑)。人に着てもらってるのを見るのが一番感動するってことはずっとあるから、自分はそこまでをデザインだと思ってるってことも思い出した。それが、素晴らしいライティングとまっさらな視点で、フォトグラファーさんが撮ってくださって、男の子とkudosの服が浮かび上がってくるハッとするような美しさが喚起してくれたことのひとつかもしれない」
photo by Tsukasa Kudo
この日は、『before the sunset』も展示された、代官山蔦屋書店で行われた彼のエキシビジョン『me with someone』の会期が終了した翌日だった。「終わるとどうしても寂しいよね」と本音をこぼしながら、「ほぼノーアイデアで展示することだけが決定し、『QUI』の撮影の日に、韓国でも同じく撮影されて……そういうのを考えた時、以前の自分だったら絶対にやらなかっただろうなって思ったんだよね」と言う。
「でも、むしろ、やってみたいとさえ思ったのは、今関わっている人たちに確かな信頼があるし、関わり合いの中でいつも発見があるし、素直に面白いと思えるから。2つのブランドでデザインしながら、色々なことをやってる。自分という意味では同じなんだけど、同じじゃないことをも許容されているというか、そういうところを含めたkudosの流動性があるように思ってる。kudosがいて、sodukがあって、自分がいる。それと平等に、自分の友達がいる。自分のところでとどめ続けていた何かが解かれていっているなと今、感じてるんです」
kudos ws21 collection “SHRINK AND TWISTED”
ファッションストーリー、『before the sunset』で4人のモデルが身に付けているのは、“SHRINK AND TWISTED”と名付けられたコレクション(と、KOTA OKUDAとコラボレーションした一部のアーカイヴピース)だ。時代を生きる人々の、心の機微にも直観的な眼差しをむける彼は、こう話してくれた。「コロナ禍になって、自分自身の行動もそうだけど、外出することとか、ネットでの発言だとかも、全部監視されているように思えてきて。全世界的に立ち向かわなくちゃいけないことがある一方で、その全体感のせいで、個人が歪曲され、縮こめられる不自由な辛さがある。個人的な話って、巨大なストーリーとはまた違うじゃん。それを、そのままやろうとしたコレクションですね」
「もともと、四つ目のある“Oops!”のグラフィックは笑ってるんだけど、この時代に生きたことで、『トムとジェリー』がぶつかった時みたいに、ふたつの目がいっちゃってて、頭もラリっちゃってる。パンツも歪んでいて、ニットのホールも監視を思わせる覗き穴のメタファー。デニムも、全部内側に重ねられてて、ジャケットやブルゾンの型も内側に向かってて、どこかみんな縮こまっている。自分も外に出ている時間があるけど、写真に写されたくないし、ストーリーズにも上げない……そういう否定感のあるネガティブな感覚は、今はどうしようもないから受け取るしかないから個人的にすごく辛かった。ジップを(オクダ)コウタくんと作ったニットや、セットアップのステッチにもある、『お前はダメだ』とでも意味ありげなバッテンも、三つ揃うと“kiss, kiss, kiss”の意味になる。手を動かしたくてしょうがなかったタイミングでたんぽぽハウスで見つけたミリタリーのワッペンと、スターウォーズの“May the Force be with you”のパロディーで作った“kudos the F.O.R.C.E”だとか……。ここに、良い悪いの尺度を持ち込みたいわけじゃなく、こういう雰囲気感の中にもどこか立ち戻れるようなホームがあると思いつつ、あくまでフラットに服にしていったら気持ちのわりに、そんなに暗くならなかった。そういうことも含めて、kudosとしての実験もあるし、自分が現在形で思っていることが投影されたコレクションですね」
- Text : Tatsuya Yamaguchi
- Photograph : Kei Matsuura( STUDIO UNI )