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Cycle for the future — Cycle by myob COMIインタビュー

Oct 25, 2021
<Cycle by myob>デザイナーのCOMI。

彼女と出会ったのは8年前、私がまだ大学生のとき。当時私は高円寺キタコレビルにあった「GARTER」でアルバイトをしていた。
当時彼女らが手がけていた<M.Y.O.B NYC>は他にはないエネルギッシュ且つ目新しいデザインで瞬く間に多くのファンを獲得し、ラフォーレへの出店も果たした。その後娘・ヤイちゃんが生まれ、2020AWシーズンから<Cycle by myob>の活動をスタートした。

彼女はいつも周りに笑顔が溢れる太陽のような人だ。本撮影で初めて会った娘のヤイちゃんはその点お母さんにとてもよく似ていると思った。

<Cycle by myob>は、環境に配慮した素材や技術を用いてものづくりを行い、デザイナーCOMI自身も環境問題についての啓蒙活動を行っている。このタイミングでインタビューを行った経緯は、5年、10年とこれからヤイちゃんが成長していく中で現在の彼女の活動を伝えたいと考えたからである。

Cycle for the future — Cycle by myob COMIインタビュー

Oct 25, 2021 - FASHION
<Cycle by myob>デザイナーのCOMI。

彼女と出会ったのは8年前、私がまだ大学生のとき。当時私は高円寺キタコレビルにあった「GARTER」でアルバイトをしていた。
当時彼女らが手がけていた<M.Y.O.B NYC>は他にはないエネルギッシュ且つ目新しいデザインで瞬く間に多くのファンを獲得し、ラフォーレへの出店も果たした。その後娘・ヤイちゃんが生まれ、2020AWシーズンから<Cycle by myob>の活動をスタートした。

彼女はいつも周りに笑顔が溢れる太陽のような人だ。本撮影で初めて会った娘のヤイちゃんはその点お母さんにとてもよく似ていると思った。

<Cycle by myob>は、環境に配慮した素材や技術を用いてものづくりを行い、デザイナーCOMI自身も環境問題についての啓蒙活動を行っている。このタイミングでインタビューを行った経緯は、5年、10年とこれからヤイちゃんが成長していく中で現在の彼女の活動を伝えたいと考えたからである。
Profile
COMI
Cycle by myob デザイナー

ニューヨークに滞在中、独学ながらアクセサリーブランド<M.Y.O.B NYC>を立ち上げ、帰国し仲間と共にラフォーレ原宿に旗艦店をオープン。ニューヨーク、ロサンゼルス、ロンドン、台北、上海、韓国などでポップアップを開催。Paris Fashion Week Showroomに参加した。2020AWコレクションから独立、リブランドを行い<Cycle by myob>を立ち上げる。再生生地、リサイクル太陽光発電、フェアトレード、環境汚染、人との繋がりや縁 = cycle。このプロジェクトを通し、環境問題をファッションを通しユニークに表現していくことで、何かのきっかけを生み出したいと考えている。現在は、草木染めや藍染、泥染めを研究中。

ものづくりの原点を作ったニューヨーク

地元滋賀でエステティシャンの仕事をしながらシンガーをしていて、歌のトレーニングのためにボイストレーニングの先生と渡米することに。渡米先をロサンゼルスかニューヨークか迷い、デパートの屋上の占い師に「ニューヨークの方が良いだろう」と言われたことからニューヨークへ行くことを決めました。

ニューヨークでの4、5年間の生活は今のものづくりに大きく影響しています。当時住んでいたブルックリンのエリアは、ラスタマンが多くレゲエ文化の強い場所。そこで見たもの、感じたものは今でも根付いています。NY中を歩き回って色々なストリートカルチャーも見ました。道にいる子、すれ違う人々、ストリートアート、ヴィンテージショップ、週末のフリーマーケット、本屋などインスピレーション源があちらこちらに山盛り状態でしたね。

お金がなく深夜バイトをしながらエアコンが無い部屋で最小限の生活を営んでいました。あまりの暑さに冷蔵庫に頭を突っ込んだこともありますが、今では良い思い出となっています。

ニューヨーク在住時

リアルの出会いが全てのきっかけ

シンガーを諦め人生模索していた時に思い浮かんだことは、ずっと好きなファッションでした。そうとなれば「とりあえず何かしよう」と思い立ち、一眼レフのカメラを購入し、作品作りのため、様々なファッションシュートを敢行しました。友人のヘアメイクアップアーティストと二人でテーマやアートディレクションを考え、道端でモデルハント、スタイリング、ヘアメイクアップを施し、撮影からレタッチ、コラージュまで二人で行いました。スタイリングの中で自分達の理想とするアクセサリーを作って着けていたところ予想以上の反響があり、WEBショップで売ってみようと思ったことが<M.Y.O.B NYC(エムワイオービー エヌワイシー)>設立のきっかけとなりました。

ニューヨークで行ったファッションシューティング

後にアメリカのコスチュームデザイナー、スタイリストのPatricia Fieldのショップ「Patricia Field ArtFashion Gallery」や、東京の「CANDY」でも取り扱いが決まり広がっていきました。当時の生活を思い返すと毎日家でアクセサリー作り漬けの日々でしたね。

帰国後、東京で名刺を配っていたらそれを見て連絡をもらい、高円寺にあるキタコレビルでのポップアップイベントを開催することに。そこで後のパートナーとなるTAKUさんが現れ、<M.Y.O.B NYC>を大きくしていこうとタッグを組み、すぐにラフォーレ原宿でのポップアップや出店が決まりました。そのタイミングでアパレルの製作も開始し、台北や韓国でのポップアップ、パリファッションウィークの参加、上海でショーを行うなど国内外あちらこちらに行って活動していました。

2014年に発表された<M.Y.O.B NYC>コレクションより

ブランドが広まる一番のきっかけは国内でも海外でも毎日外に出て誰かと飲みながら話していたことだと思います。毎日新しい友達ができ、また繋がって友達になって気が付けばそこで出会った人々からでお仕事をもらい、人との繋がりがきっかけで大きく広まっていきました。当時はSNSも全然なかったので、自分で足を運んでとにかく人に会いに行き、自分のスタイルをアピールしていました。

今の私を形成している重要なピースとして、高円寺のキタコレビルの存在も欠かせません。異色な雰囲気をムンムン出すアングラなファッションビルでした。もちろん集まってくる人たちもやべえかっこいいアングラな人ばかりで衝撃を受けたのを覚えています。そこで出会ったファッションオタクのみんなとの濃すぎる日々とニューヨークで過ごしてきた日々をミックスしたものが今の私だと思っています。

WANTから導き出したファーストコレクション

M.Y.O.B NYC>を立ち上げ、お店を構えて7年経ち、年齢も重ね、みんなが見ている方向や作りたいものが違ってきていると感じ始めました。沢山話し合いを行なった末ブランドを終了することに。今後の身の振り方を考える中で全く違う職種への転職も候補に挙がりましたが、熟考を重ねた末にもう1回だけファッションをやりたいと思いました。厳しい世界だとは分かっていましたが、ダメならば辞めれば良いし1回一人でやってみようと奮起しました。その際自分は何を発信したいかを初心に立ち返り考えました。

出産を経験し子育てをしながら環境問題について深く考えるようになり、そのタイミングで偶然にも環境問題についてのインタビューのオファーがあり、そこでパズルのピースがハマったような気がしました。それから環境問題とファッションを上手く発信できないかと考え始めてからは、リサーチの日々が始まりました。まずは自分ができるところから始めようと思い、リサイクル、アップサイクル、再生ポリエステル、再生エネルギーに着目しファーストコレクションを製作しました。

<Cycle by myob>2020AWコレクションより

デビューコレクションのインスピレーション源は<Sonnen glass(ソネングラス)>のソーラーランタン。ランタン蓋の部分に付いているソーラーパネルで太陽の光を充電しランタンの光となります。そしてそのランタンはフェアトレードで作られ、ここからフェアトレード制度にも影響を受けました。また、そこから派生するようにコレクションにペットボトルをリサイクルして作った生地を使い、古着をリメイクしたものを作り、ソーラーパネルが付けられる服を製作していきました。セカンドコレクションのテーマは”earth energy”。母なる大地をテーマに更にEco生地や自然染色を取り入れました。

<Cycle by myob>2021SSコレクションより

環境問題緩和につながるベジタブルダイ

友達からベジタブルダイを教えてもらったことをきっかけに興味を持ち始め、沢山リサーチを行いました。実際に玉ねぎとアボカドで染めたらなんとも綺麗に染まっていて感動し、一気にのめり込みました。そこから「organic table by lapaz(オーガニックテーブルバイラパス)」に廃棄のコーヒーの粕を譲り受け、コーヒー染めを行い、その後も紫キャベツや最近では藍染にトライしました。家でも藍染ができるので、いざ家で染めてみたところ、空気と水にも化学反応を起こして色が変わり感動しました。最近は泥染めにもハマっています。

野菜染め、草木染めの可能性は無限大だと思いますし、沢山の環境問題の緩和に繋がる一つだと考えています。<Cycle by myob>のアイテムの染色は野菜か草木、または泥を使っています。

自分で染めているのでアイテムを量産する際にも手間はかかります。最近は40cm鍋を買い、色止めのミョウバン漬けを自宅の浴槽でやっているので家族からクレームも来ていますが、楽しいので止められません。

Cycle by myob としてのゴール

今まではとにかく自分が「かっこいいな」「いけてるな」と思う服を作り続けてきましたが、<Cycle by myob>を立ち上げてからはリサイクルで作り、再生生地を使うなどしていると+αの楽しみが見つかりました。きっと買ってくれるお客さまも同じで、かっこいい服を買うことに+αの価値が付いてくる意味のあるお買い物になっていると思います。「この服を買うと一部は寄付されるんだ」「これはビーガンレザーなんだ」「再生生地なんだ」と。

量産の草木染めは時間と労力がかかります。時間給で考えると利益はありませんが、オーガニックコットンを玉ねぎで染色している服、藍染、泥染めの自然のパワーを感じてもらおうと製作に励んでいます。そこから少しでも自然が持っているエネルギーや、可能性、環境問題などに興味を持ってもらえたら嬉しいですね。現在は染色のワークショップをやろうかと企んでいますのでお楽しみに。

母としてデザイナーとしての変化

初めは大変でしっかりと切り替えられるようになったのは本当に最近だったと思います。<M.Y.O.B NYC>のコレクション製作中にに産休を取り、娘が7ヶ月の時に保育園に預けて復帰しました。3歳と8ヶ月なので、慣れるまで2年くらいかかりました。私はデザインだけでなくブランドの柱となる全てをディレクションしていたので、責任も大きく今思えば常に気を張って良いものを創ろうと日々奮闘していました。ただ、子育てに頭もエネルギーも全て持っていかれるので、リサーチや製作をする時間もなく、仲間と共有し指示することで精一杯のなか無理矢理コレクションを作っていたような感覚はありました。絶対に妥協したくなかったので無理をして体壊すことも多々ありました。その反面、小さい娘のことだけを1番に考えてあげられていない自分や今の状況に対して嫌になることも。「もっと仕事したい」「仕事が終わっていない」と思いながら保育園に迎えに行き、寝かしつけてから家で仕事をする日々の繰り返しでした。<cycle by myob>の立ち上げ時期は大変すぎて全く記憶がありません。 

独立してからも妥協を許さず隅々までしっかり突き詰めるタイプでしたが、ハードスケジュール+ブランドのことで頭がいっぱいで、自分を追い詰めてしまっていました。最近では自分の中で変化があり、「妥協してもいいんじゃないか」「できないことは無理してまでやらなくていいさ」「今日は娘といっぱい遊ぼ」と思えるようになったことで以前よりも随分楽になれました。この変化には娘がかなり影響しています。娘が居ながら常に意識の半分はブランドのことでしたが、娘にとってお母さんは私しか居なくて、毎日愛をくれるこの小さい愛おしい子が横にいるこの一瞬一瞬をちゃんと感じて生きていきたいなと思うようになりました。私も精一杯愛を与えたいなと。毎日成長するので見逃したらもったいないなと思います。そこにプラスで気持ちよく仕事ができるよう自分でペース配分しています。そこからはクリエーションにもかなり変化が出ている気がしています。

青虫が教えてくれた環境問題

ある日、たまたまベランダに置いていた山椒に青虫が5、6匹いて、そこから蛹になりアゲハ蝶になるまで見届けてからは完全に青虫の虜に。山椒がなくなったので近所花屋でレモンの木を買ったら食べた青虫たちが溶けていきこれは完全に農薬だなと確信しました。実際にその後無農薬のものしか与えないようにしたところ溶けることはなくなりました。これをきっかけに農薬や普段口にしているものに関心が湧きました。それだけでなく、温暖化から雨量が増え、雨量に対応できていない青虫は何匹か葉っぱの上で溺れ死んでいました。

青虫の死は私たちの見えないところでも温暖化で息絶え、絶滅している動物沢山いるだろうと考え色々発信するきっかけになりました。青虫はとても無力な生き物だなと思います。蜘蛛やハチに殺されるし農薬、雨、鳥にも食べられる観察していると蝶になれるのはほんのひと握りなことがわかります。蛹になっても孵化できないものもいますし、蝶になっても奇形で出てくる子もいます。

ヤイはその全てを見て小さいながらに理解していて、奇形で出てきて飛べない蝶をお花畑に一緒に放しに行ったこともありました。無事に飛び立ったアゲハ蝶は必ずまた卵を産みに戻ってきます。そしてまた育っていきます。まさに”Cycle”ですね。

娘・ヤイちゃんがもたらしてくれたもの

ヤイがもたらしてくれたものは膨大で、人生も世界も変わりました。独身の頃は自由奔放に生きていました。毎晩飲みに行って、行きたいところに行って気が済むまで仕事をしていましたね。娘が産まれて特に生後6ヶ月くらいまでは勿論自由はなくなりました。やりたいことができなくて何もかも自分の都合では動けなくなり、仕事にも制限がかかりストレスを抱えた時期もありました。でも娘が大きくなっていくにつれ自分も大きくなったと実感しています。3歳半になった今は楽になってもはや友達のような感覚で、自分の分身のような大切な存在。仕事していても夕方には「早くヤイに会いたい」と毎日思っています。

ヤイが教えてくれることは日々沢山あります。どんなに落ち込んでいてもヤイは全力でチョケてくるので、気がついたら忘れてゲラゲラ笑っています。ちょっと気が重い朝も娘は関係なくハイパワーなので、笑って追いかけ回していたらいつの間にか元気になっていることも。人の温もりや、愛おしさ、を娘が教えてくれました。あれも欲しいこれもやりたいと貪欲でしたが、娘と居るとシンプルでいいんだと思えます。極端に言えば毎日元気に目覚めて健康に暮らせれてたら幸せだと思うようになりました。

独身の頃は子供を産んで自分や環境が変わってしまうことに恐怖を感じていましたが、子供を産んだら新しい第二章が始まったと実感しています。小さい愛おしい我が子と共に歩む第二章はとても楽しいです。でもあまり子供ばかりに合わせすぎず、時には大人に合わせてもらうことも大切だと思っています。ヤイは7ヶ月でスペインのマヨルカ島&イビザ、1歳でパリに連れていきました。

「これから出産する人も、出産したばかりの人へ。子供を産んだからって急にお母さんになれるわけないですからね。上手くいかなくて当たり前。初めてのことばかりでつらくて当たり前。子供と一緒に貴方もゆっくりお母さんになっていけばいいと思います。焦らずゆっくり成長していきましょう!そして周りに頼りまくりましょう!」

5年後・8歳のヤイちゃんへ

未来へのサイクルのために伝えたいこと

環境問題が今よりももっと緩和され、全ての生き物たちがみな気持ちよく生きていて、自然が美しく平和で1人1人がもっとに溢れている未来を望んでいます。過度な発達や進化には沢山の犠牲が伴っています。これ以上便利にならなくていい。スーパーに陳列する食品をもっと減らしてもいい。魚を大量捕獲しないでほしい。動物を食肉にするために大量に殺さないでほしい。木を切らないでほしい。もっと最小限に地球と生き物と共存していきたいです。人間が1番ではないのだから。これ以上地球を苦しめるのは辞めたいですね。

Cycle by myob
Web / Instagram

  • Photograph : Naoto Ikuma(STUDIO UNI)
  • Text : Yukako Musha(QUI)

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