ライフスタイルではないファッション — BASE MARKデザイナー 金木 志穂
BASE MARKの味は残しながらも、また新しいBASE MARKの一面が見えるコレクションに仕上がっている。
今回はBASE MARKデザイナー金木志穂氏に、今までのキャリアについて、今だから思うこと、発表されたばかりの2021年春夏コレクションについて聞いた。
デザイナーとしてのキャリア、今考えること
—デザイナーを志したきっかけは?
14歳くらいのとき、90年代のスーパーモデルブームに影響を受けました。
その時にフィガロやシュプールなどの雑誌に興味を持ち始めて、メゾンブランドの存在を知りました。
当時は特にジルサンダーに感銘を受けたことを鮮明に覚えています。
その時から漠然とファッションやメゾンブランドに対しての特別視という感情が生まれていたことは確かです。
デザイナーになりたいと強く思っていませんでした。
服飾の学校には進学せず、英語を勉強していました。
ニューヨークへ語学留学をする際に、英語はひとつのツールにすぎず、何か核となることを見つけたいと思い、そんな時にファッションだと思い出しました。
2003年に留学の目標をニューヨークのFITに入ることに決め、留学する理由探しみたいな形ではありましたが、そこからファッションデザイナーを志すようになりました。
デザイナーになった今では、英語が話せることが自分の強みになっています。
—BASE MARKを始めるまで様々な経験をされていましたね。
最初はデニムのOEMの会社でパタンナーアシスタントをしていました。
デニムジャケットやデニムパンツに特化し、縫製から加工までを担う会社でした。
その後、仕事で繋がりのあった森本容子さんがやっていたKariAngというブランドに生産担当として入社しました。
その次は、マークスタイラーでUndridの立ち上げから3年間やらせてもらい、途中からはチーフデザイナーをやらせてもらいました。
当時はタッチミーなどランウェイを行っていたので、一番いいときに様々な経験をさせてもらいました。
—そこからニューヨークでBASE MARKを立ち上げます。
2014年にタキヒヨー株式会社からでデビューしました。
ただ今のBASE MARKとはコンセプトなどは全然違っています。
2014年の立ち上げの際はタキヒヨーのニューヨーク支店とチームでブランドをやっていました。
ニューヨークにはサンプルの出来の確認など出張ベースで行き来していました。
当時のコンセプトは、ニューヨーク立ち上げのアメリカのブランドでアメリカ人のライフスタイルに合わせるというものでした。
私自身その当時アメリカに住んでいた訳ではなく、誰か特定の人種、人物のために洋服を作るよりは、自分の中から「作りたい」、「着たい」と思うという感覚を優先してモノづくりがしたかったのです。
自分たちの意思でやっていたブランドではあったものの、コンセプトと自分の考えていることに違和感を感じていました。
あまりコレクションもうまく進みませんでした。
自分がいる東京ベースで自分発信のブランドにしたいと思い、2017年秋冬シーズンに生まれ変わったBASE MARKを発表しました。
—BASE MARKの作品は異素材の組み合わせ、独自のバランス感覚で表現されるレイヤードスタイルが特徴だと感じています。金木さんが考えるブランドとしての軸は?
もともとBASE MARKはウールギャバを軸に服作りを行っています。
自分の好きなスタイルがストリートやミリタリーに代表されるいわゆる「カジュアル」と言われるスタイルで、
そこにウールが入ってくることにより、カジュアルなものが「ライフスタイル」として着ているのではなく、「ファッション」としてアップデートすることができると思っています。
カジュアルなところにウールの素材をミックスしてくるという世界観を作りたかったんです。
ただ一言でウールでと言うと、セットアップ、スーチングで、と捉えがちですが、そうではなくて、そこに異素材カジュアルなものが入ってくることによって、出来上がるのがBASE MARKの軸でテーマになっています。
男性が礼服やフォーマルとしてスーツとして着ている素材が好きなので、通勤中に会社員を見かけると「それにパーカーを合わせたい」と思うことや、「あのおじさんの着ているパンツそのまま欲しい」と思うこともあります。
それでできたスタイルがBASE MARKにあります。
—デザイナーとしての信念は?
特にコロナで思ったことは自分の感覚を信じるということです。
—将来の展望は?
叶える結果よりもそこに向かっていく過程が楽しいと思っているので、一歩ずつ行けるところまでいきたいです。
何よりBASE MARKを一人でも多くの人に知ってほしいですし、BASE MARKというワードが当たり前になってほしいと思っています。
21SSコレクションについて
—2021年春夏コレクションが発表されました。構想のきっかけは?
去年の11月に父が亡くなりました。
父は野菜やフルーツの卸売をしており、亡くなった後の2020年秋冬でイメージの中に極楽浄土というワードを入れていました。
理由は自分でもよくわからないのですが、父のことを自分の中で消化したかったんだと思います。
今回は、父が携わっていた世界と触れ合いたいと思い、野菜やフルーツに因んだテーマにしたいなと真っ先に考えました。
最初は一つのネットに入ったグレープフルーツから構想を始めることにしました。
それからは父が働いていた市場に行って写真を撮影するなどイメージをまとめました。
そんなこんなで今回はシトラス系のカラーをテーマにしようと決めたんです。
—編みが特徴のバッグやアウターウェアが目を惹きました。
フルーツキャップ・ネットから着想を受け、今回は編む・結ぶをテーマにある様に、縫製する代わりに紐で接ぐ仕様を取り入れています。
紐はパラコードと呼ばれるアウトドアで多く使用されるコードを2色オリジナルで作製する事からスタートしました。
切替部分をコードで接続したカットジャガードのコートとスカートは代表作となります。
また、編みと結びのみの手法で作製したバッグはベースマークで始めて展開するバッグとなりました。
—映像作品は梨農園で撮影されていました。
卸の市場で撮影するか、実際に生産を行っている畑や農園で撮影を行うかの2軸で動いていました。
ただコレクションを並べた時に、シトラスの色、梨色のような色が多いことがわかり、梨園に視察に行ったところ、全てがバッチリで今回のコレクションに合うことを確信しました。
実は、撮影の4日前まで群馬で記録的な大雨が降っていて、果樹園の人からびちょびちょで水が浸水している写真が来て、当日まで乾かないかもしれないと言われたが、その後晴れてくれて、なんとか地面もギリギリ乾いて、快晴で無事撮影しました。
—工場の残糸を編み合わせて柄にしていました。サステナブルの取り組みとして検討していることは?
サステナブルって私たちの規模感だとやっていてもやっていなくてもあまり変わらないと思います。
やっていても先方の助けにはならないので。
ただもともと自分自身サステナブルであるべきだという考えは持っていました。
今の時代、サステナブルを表現することが評価に繋がるいう流れは良いことだなと感じています。
今回は微力ですが、工場の残糸を使う取り組みをしました。
次のコレクションに向けて今動いているものとしては、定番として出しているウールギャバをオーガニックウールでできることがわかり、開発の話を今進めています。
次の秋冬にはオーガニックウールのギャバで定番的なジャケットパンツを作っていきたいなと思っています。
—サステナブルを表現する上での苦労は?
ニットの残糸の企画に関しては、ニッターさんの残糸を集めるというものなので正直面倒だろうなと思いました。
電話ではなかなか伝わらないと思ったので、実際に山梨の工場に行って、残糸を見させてもらい話を進めました。
微々たるものですし、こちら側も熱量を示さないと面倒なことをしてまでやってもらうので。
どちらかというとメリットにはならないので、伝え方は工夫をしないとと感じました。
—コロナ禍での人々の価値観の変化が見られますが、コレクションを発表する上で考えたことは?
BASE MARKとしては何も変わっていません。
自分のいたいところにいて働くことをしていたので、私自身自粛で大きく変わったこともありませんでした。
ブランドとしては、ライフスタイルではないファッションを目指しているので、コロナの影響でよりファッションの必要性が明確になったことは良い変化だと考えています。
自分たちが「ファッションってこうあるべきだよね。」と思っていた方向に向かっています。
家にいる時と外に出る時のメリハリを感じたことは、ファッションとライフスタイルが離れてきたということだと思います。
いつも着る洋服を買うという感覚ではなくて、特別なものを買うという感覚で楽しんでもらいたいです。
BASE MARK
https://basemark.jp/
- Writer : Yukako Musha