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性別を超えた美しさを表現 — Nyteデザイナー 榎原 大知

Oct 19, 2020
歌舞伎役者の経歴を持つ異色のデザイナーが手掛けるNyte。
歌舞伎役者時代の話、デザイナーのしてのキャリア、Nyteについて、デザイナーの榎原大知に聞いた。

性別を超えた美しさを表現 — Nyteデザイナー 榎原 大知

Oct 19, 2020 - FASHION
歌舞伎役者の経歴を持つ異色のデザイナーが手掛けるNyte。
歌舞伎役者時代の話、デザイナーのしてのキャリア、Nyteについて、デザイナーの榎原大知に聞いた。
Profile
榎原 大知
デザイナー

2000年、15歳で市村萬次郎氏に師事。その後、歌舞伎俳優として活動。2006年、「Night」を発表し、ファッションデザイナーとしてデビュー。2010年、ブランド名を「Nyte」と改める。2010年10月、パリで開催された経済産業省主催の展示商談会「tokyoeye」にて、東京を代表する次世代のファッションsデザイナーとして参加。2013年、Mercedes-Benz Fashion Week TOKYO 2013-14 A/W のキービジュアルに衣装提供
2014年9月、JFWによる若手デザイナー支援プロジェクト「Istitute Marangoni Scholarship-Supported by THE FASHION POST Tokyo」に選出され 同年 MBFWT 2014-15 A/W会場にて開催されたゲリラショー「HAPPENING」に参加
現在はレディス&メンズウエアの国内での展開をはじめ、様々な媒体やアーティストへの衣装提供など活動の場を拡げている。 

—幼少期から日本舞踊のお稽古をされていたのですね。


5歳から習い事で日本舞踊のお稽古を始めました。どうして日本舞踊だったのかは分からないですがその頃バレエにも興味がありましたが僕は日本舞踊のほうがしっくりきたようです。
中学2年生までは、学校帰りにお稽古をして、長いお休みには泊まり込みでお師匠さんの身の回りのお世話やお稽古をつけてもらっていました。
当時は踊りが日常生活の一部だったので自分にとってはとても自然な事で舞台に出ている時も出たいというより、ずっとやっているからという感覚でした。

—中学では美術部に所属していました。


美術品の収集をしていた祖父が油画を趣味にしており、たまに教えてもらっていました。
身近に山口長男さんや東郷青児さんの作品があり芸術に触れる機会に恵まれていたと思います。
中学2年生の頃から美術部に入り、絵画教室に通ううちに芸術家を志すようになりました。 

—中学卒業後、社会に出る決心をしました。その経緯は?


当時から自分で表現したい世界観は何となくあったので、技術とは違う感覚そのものを教わる必要があるのかなと感じていました。
一時は美術の強い高校への進学も考えましたが、同時に漠然と早く社会に出て仕事に就いたほうが多くのことを吸収できるのではないかと考えていました。 

—歌舞伎界に足を踏み入れたきっかけは?


進路に悩んでいたとき、雑誌「演劇界」で弟子募集の記事を見つけ応募しました。
歌舞伎の俳優に詳しくはなかったので、後に師匠になるその方を知らなかったのですが。
演劇の雑誌だからきっと何か舞台に携わる方なのだろうと思った程度で。
とにかく表現したい気持ちが強かったのでしょうね。
その後、入門と言ってもお給料は頂けると伺い、すぐに職に就けるならばと中学校卒業後上京する事を決意しました。
東京に出てきた次の日に「東銀座駅に歌舞伎座があるでしょう」と言われて。
そこではっきりと、「ああ自分は歌舞伎の世界に入るのだな」と実感しました。 

—歌舞伎役者として7年間活躍されました。


僕の師匠が海外公演が多く、エストニアなどのバルト三国、台湾、香港、スペイン、UAEなどで公演に同行しました。
早いうちから海外経験をさせてもらえたので、コミュニケーション力に関しては自分のスキルになったなと感じています。
当然ですが国によって歌舞伎を見る目が違ったことは、面白いなと思いました。
平成中村座や三谷幸喜さんのパルコ歌舞伎、蜷川幸雄さんの演出する舞台などに出演し伝統芸能の形や様々な感性に触れられた事も今の自分に繋がっているなと感じます。

—海外における観客の反応が気になります。


伝統芸能歌舞伎は他国に浸透していると思っていたのですが、意外にもその存在を知らない国が多い印象でした。
歌舞伎の舞踊にはあらかじめ荒く縫い合わせておいた糸を取り、上に着ている物を引き抜き一瞬で衣装替えをする演出があるのですが、
脱いでいくという発想に結びついてしまい宗教上の問題で振り付けや演出を変えるなど、単に芸術として伝える事の難しさがありました。
反応は様々ですが特にアラブ首長国連邦はびっくりしている印象でしたね。 

—歌舞伎役者時代は女形として活躍されていました。


日本舞踊をお稽古していた時から女性役が多く、女形は歌舞伎の大きな特色でもあるので希望しました。
女性の仕草や立ち居振る舞いを観察していて、女性は元々持っている美しさや個性を覆い
隠したりせずもっと引き出しても良いのではと感じていましたが、
それがウィメンズのデザインを始めるきっかけになっていると思います。
 

—もともとファッションに興味を?


ありませんでした。
俳優の7年間はほぼ和服でしたし、ファッション誌を見ることもありませんでした。
先輩が着ているレザージャケットが素敵でGUCCIだけは知っていました。 

—歌舞伎役者からファッション業界へ転向しました。経緯は?


日本の文化や技術に強い想いがあり、その魅力を自分なりの解釈で表現して伝えたかったんです。
舞台に立ち俳優として伝えていくのではなく、もっと広い範囲で伝えていきたいと思ったんです。
表現する為のツールを模索する中でファッションのフィールド、人の生活に密着しているものは洋服だと考え、とにかく知りたいと思いました。
その頃はまだデザイナーになりたいとは思っていませんでした。 

—独学での服作りにおける勉強法は?


僕は働く必要があったのでまずはニーズを知る為に販売員をしながら専門学校には通わず、独学で勉強していく事にしました。
今となってはきちんと勉強しておけば良かったと思う事もあります。
歌舞伎では先に教えられることが少なくて急に「やれ。観てただろ。」と言われます。歌舞伎座に行った初日から舞台にあがったほどでしたのでその頃は現場で学ぶ以外に考えが無かったのだと思います。
販売ではオリジナルが強いセレクトショップ、ドメスティックブランド、ラグジュアリーブランド、セレクトが強いセレクトショップで働きました。知らない事ばかりで毎日ワクワクしていたのを覚えています。
販売員を辞めるまでの三年間は、夜な夜な持っている服を解体しては作り直してを繰り返していました。 

—Nyte立ち上げの構想はいつから?


2009年に原宿のセレクトショップXANADU TOKYOのオープニングと共に本格的に展開を始めました。
XANADUの本橋さんやヴィンテージショップEVAの宮崎さん、沢山の方と日々意見交換をして様々な物を共有するうちにファッションデザインにはデザイナーの人格やバックボーン、独自の世界観も必要であると考え、その頃からブランドのコンセプトがより明確になりました。 

 —ブランド名「Nyte」には強い希望が込められていますね。


僕は夜遅くに友人とお茶するのが好きなのですがわざわざ着替えて出掛けたりします。TPOのある装いで自分なりにドレスアップをして何気ない日常に少しだけドラマをプラスしたい、そんな理想があります。
江戸時代までは、夜出歩く文化が一般的ではありませんでした。
一方、西洋では夜家に帰って服を着替え、パーティーに出かけるなど、夜出歩くことが盛んだったそうです。
日本は日が沈んだら家に帰り、寝巻きに着替えて寝るだけという生活で「夜用の服」はありませんでした。
また西洋は洋服の歴史が長いので同じステージに立つ必要はないと感じ、「和服」という既にあるものを再構築する、長い歴史のあるものから使っていくほうが裏付けがあり安定した表現が可能になると考えました。
長い歴史をもつ西洋の美しい被服文化と同じ様に和装の文化や技術を独自のエレガンスで切り開き新しい日本の夜、夜の服を創り出したいと想って初めに「Night」と名付けました。
今は「Nyte」の綴りに変わっていますが、その理由は内緒です…。 

—Nyteのお洋服はお着物のお作法が随所に散りばめられています。


和服のベースは一つなので基本的には性別がありません。
曲線が一切無いことも特徴だと思います。
直線で平たい布がそれぞれ着る人、着方によって変化する部分に魅力を感じています。
男性には女性的な部分があり、女性には男性的な面があります。
性別を超えた美しさ、個性を最大限に引き出す為に構造に性別の無い和装の考えを取り入れています。
僕は生地を無駄にすることや、ゴミが出ることがすごく嫌なので、直線的なパターンやカッティングで無駄の出ない着物の構造を採用しています。
素材そのものが美しいのでなるべく手を加えたくないという思いもあります。 

—米『Harper’s Bazaar』誌のCarine Roitfeld氏をはじめ、スタイリストや業界関係者の間に「Nyte」のファンやコレクターも多く、Nyteの作品は国内のみならず海外の業界人からも高い評価を得ています。


あまり意識した事はないのですが、Nyteの被服発想の原点が西洋服からではないので、海外の方々は珍しく新しいものだと感じているのかと思います。
どんな評価でも光栄に思います。

2014年9月にはイスティテュート・マランゴーニ パリ校にて1か月間スペシャルプログラムを受講されていました。感じたことは?


パリに限った事では無いと思いますが、時には集団の中で協調する事、何よりコミュニケーションの大切さを学べたと思います。
パリの学生は作りたい!自分を出したい!というより関心の有無は関係なく知らない事は学びたい!と言う意思が強かったです。百聞は一見にしかずといった印象でした。
またビジネスとクリエイティブのバランスを重視しているなと感じました。 

—将来の展望は?


ブランドのコンセプトは守っていきたいですし、継続していくこと、努めて変わらないことが大切だと思っています。
日本のファッション全体が西洋のファッションとは違う軸で評価されるようになるといいと思いますし、
そのためにも東京のファッションシーンが世界の中でより重要なものとして位置付けられる様に、まずは自分にしか出来ない事を続けていきたいと思っています。 

FASHION
NEW COMMON SENSE – Seiya Ohta × Nyte
Oct 19, 2020

Nyte
Instagram:https://www.instagram.com/nytetokyo/

  • Photograper(Portraits) : Kei Matsuura
  • Writer : Yukako Musha

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