中野裕太 − 自らに光をともすように
音楽オバケに立ち向かって、自分の無能さに打ちひしがれながら必死で食らいついた
— 2020年10月2日にリリースされたmillennium paradeの『Philip』に作詞とラップで参加されていますが、この作品が生まれた経緯を説明していただけますか?
さかのぼると結構前になるんですけど、昔から絡んでいた常田大希っていう人がいるんですね。彼と僕の弟(作曲家、ピアニストの中野公揮)と僕で、GAS LAWっていうバンドも組んでいたこともあって。それ以外にも大希から頼まれて詩を提供したりとかラップをしたりとか2人で曲を作ってみたりとか。あとは、僕がドラマや映画をやる時にその音楽を頼んだり。
もう本当に当時はもう一人の弟みたいな感じですよね。毎日のように一緒にいたし。ただ、ここ2年ぐらいは彼もKing Gnuで忙しくなって…っていうのでそんなに連絡をとっていなかったんですが、大希から急にまた連絡が来て。GAS LAWをやってたころに、大希の個人プロジェクトとして別にやってたSrv.Vinciで一緒に作った『Stem』っていう曲をリメイクしたいと。当時から変わってmillennium paradeっていう自分の広場も作ったし、裕太君と一緒にやれる状況ができたと、わざわざうちにまで来て誘ってもらえて。
僕も音楽からは離れていたのでかなり本腰据えてやらないと失礼にもなるっていうので慎重だったんですけど、大希の熱い思いも伝わったので、「じゃあ久しぶりにモノ作りを一緒にやってみようか」っていうところから始まりました。
— 6年前にリリースされた『Stem』を、今セルフリメイクすることにどういう意味があるのでしょうか?
それは大希の感情的な部分とか、精神的に今見えている景色みたいなものによるのかなと。
たぶん、King Gnuでメジャーとしてしっかりアピールができて、その上でいったん原点回帰じゃないですけど、インディーズというかアンダーグラウンド的な、自分たちで好きなクリエイションをやっていたような時期に作ったものをもう1回世に出してもいいんじゃないかとか、当時のメンバーともう1回違うフィールドでやりたいとか、そういう思いがあったんじゃないですかね。
— 音楽は暫くやってなかったという話ですけれども、どれぐらいブランクが?
GAS LAWは2012年か2013年ぐらいに始めて、2~3年ぐらいは結構インテンシブにやってて。で、公揮がパリに行くことになって休止になったんですけど。
その後たぶん音楽として最後にやったのはmillennium paradeの前身、Daiki Tsuneta millennium paradeの『http://』っていうアルバム。それに4~5曲、僕が詩を書いたり声をサンプリングしたり、あとラップしたり。
— 『http://』は2016年ですね。ではさらにさかのぼって、まず常田さんとの出会いがあったわけですよね。
僕が大学に進学するとき、公揮が桐朋っていう音楽の高校に入って。大学一年生と高校一年生が同じタイミングだったんで、東京で一緒に住み始めたんです。僕もずっと芸術や哲学を志向してたし、公揮は当時ピアノ科でしたが、クリエイションにもすごく興味があるタイプで曲作りも好きだったんで、割と自然発生的に2人で一緒に音楽をやり始めたんですよね。
— 兄弟で?
兄弟で。僕が詩を書いて歌って、公揮が曲を書いて。当時のアルバイトの同僚とかを家に誘ってミニライブをやったり、それが高じてライブバーみたいなところでやったり。僕が芸能界に入っていろんなことをやっていた時期も変わらず一緒に住んで、一緒に曲を作ってということをやっていました。
当時からライブに弦のカルテットを入れたりしていたんですが、いつもお願いしていたチェリストが来れないことがあって、知り合いの知り合いみたいな感じでヘルプとして来てくれたのが大希だったんです。その時には、公揮が芸大の作曲科に入っていて、大希はチェリストとして器楽科に入っていました。公揮はピアノ科で高校を卒業した後に、より作曲に転向していったんでちょっと浪人期間があるんですけど、2人はそのタイミングでちょうど同じ1年生だったんですよ。
— 年齢は違えど、同じタイミングで芸大に。
そうです。キャンパスではすれ違ったことがあったみたいですが、そのライブで公揮と大希が繋がって。公揮はちょうどその時にたとえば、レディオヘッドのような…エレクトロを入れたような音作りをやってみたいっていう時期だったし、大希も当時からサンプラーとかループステーションとか、エレドラも叩けて、エレクトロニックな音の出し方、ジョニー・グリーンウッドみたいなことを俺はできる、みたいな感じで。
公揮が「じゃあ、ちょっと曲を書いてみよう」となって、僕と公揮と大希ともう1人チェリストの4人のための音楽を公揮が作曲してライブをしたのがたぶん2012年ごろ。それが結構おもしろくて、そのライブの打ち上げで「GAS LAW」として本格的にバンド活動をすることになりました。そのバンドを始めたことが大希と仲良くなったきっかけですね。
— そのころ、中野さんは芸能の仕事もしつつ?
GAS LAWとして本格的にやり始めたのは、その芸能の仕事との向き合い方をすごく変えたタイミングで。やっぱり急に仕事量も少なくなるし大変な状況で、その時期に今度はGAS LAWっていうプロジェクトが立ち上がって。公揮も大希も芸大生で、音楽オバケみたいなもんじゃないですか。そこに立ち向かって、自分の無能さに打ちひしがれながら必死で食らいついていましたね。
でも彼らは彼らなりに僕のことをおもしろがってくれていて。僕の書く詩だったり、純音楽的でない僕の表現方法だったりが楽しくて、僕をボーカリストに置いてたんだと思うので。でももちろん音楽的要求にも応えられるように自分のスキルを上げながら、それをみっちり2~3年やってました。
— 音楽的なスキルというのは、たとえば?
GAS LAWでは少し変わった音楽を公揮が書いてて。あれ全部譜面に起こしてるんですね、
当時は公揮がイスラエルジャズとかの影響を受けて、変拍子にこだわってた時期でもあり、小節ごとに8分の11、12、13と全部拍子が変わってたり、裏で流れてるトラックのビートが全部頭ズレてるように聞こえたり。だから拍をとるのがすごく難しいし、メロディ自体の音の運びもクラシックをベースにモディファイしてあって音程の取り方もすごく難しい。
その譜面を読まなきゃいけなかったし、それに英語の詩をすぐあてなきゃいけなかったし、それを歌としても練習しなきゃいけなかった。公揮も大希も異常なこだわりでやってたので、それについていくのがもう必死で。そういうスキルは自然と勉強せざるを得なかったですね。
— 歌詞に対する要求もあったりするんですか?
それは完全に自由でしたね。もともと僕が小さい時から詩を書いてて、公揮がそれをすごく気に入ってて。大希も当時から「裕太くん詩を書いてよ」と、GAS LAW以外でも何回も一緒にやってて。詩に関しては制約を1回も受けたことはなく、いつも自由に書いていました。
— 小さいころに書いてた詩というのは?
幼稚園の頃から俳句を書いてたり、特に大学生以降は20世紀初頭の退廃的な芸術や哲学、詩だとボードレール、ランボーのような世界観にのめり込んで、そういう作風だった。大学は文学部だったんですけど、卒業論文の最後の締めくくりを自分の詩で1ページ埋めて、教授には「変なやつだな」って言われましたが(笑)。
いけよ、フィリップ。好きなように。大丈夫さ
— 同じ詩でも、ポエムとリリックはまた違いますか?
ポエムには韻律がある形式もありますが、僕は自由な散文詩を書くのが好きだったので、感情のパルスを特に大事にして書く。でも音楽には音楽のパルスがもちろんあって。ただ、例えば、人間の心臓の鼓動ってもともと一定じゃない。その点、イスラエルジャズもそうだし、実は民族音楽には変拍子が多かったりするんですね。現代のポップミュージックの規則的な拍子とは違う。GAS LAWでは公揮がそういう音楽を書いていて、その中で、ラップ的なポエトリーリーディング的な感じで僕が喋るパートもあったりしたんですが、その場合は、変拍子だからこそ、感情のパルスで書いた詩が音楽のパルスにものりやすかった。
今回に関して言うと、『Philip』のように小節感と拍子感がしっかりしてるものに感情のパルスで書いた詩を合わせると齟齬が生まれてくるというか、それを音楽的要求に合わせなきゃいけない部分がある。そこは若干大変でしたね。
あと、僕は自分をラッパーだと思ってないんで、いわゆるラッパーのように韻を踏むのも違うかなと。例えばケンドリック・ラマーの韻の踏み方とか言葉の嵌め方もすごく研究しましたけど、逆に意図的にずらしたいっていうのもあり、感情のパルスで書いたものを音楽のパルスにしっかりアダプトさせていくような、最後の作業を大事にしました。
— かなり推敲するタイプですか?
めちゃくちゃしますね。『Philip』は時間が限られてたんですけど、かなりやりました。ラップになると意外と自由で、自由じゃなくて、だからこそ難しくて。
— 『Philip』の歌詞は『Stem』とは変わっていますよね?歌詞には関連があったりするんですか?
完全に変えてます。
今もう1回『Stem』を聞いて詩も見直すと、当時の混沌の中にいる自分の膿みたいなものをぶちまけたようだなって思った。
それから比べると、やっぱり数年経っていろんなことを勉強して、経験して、精神的な重心が移動してるというか。せっかく大希みたいな大切な人から誘ってもらったし、精神的な重心が移動して見える景色が変化した部分っていうのもきっちり反映させたいなと思って完全に書き直したんです。
— YouTubeでの再生数もすごいのですが、コメントも見たりします?歌詞の解釈の争いもあったり……。
友だちから言われて見たりもしましたけど。いろんなふうに解釈してもらえるようにと思って書いた詩でもあるんで、それはそれぞれの解釈でもいいのかなって。
— 自分の中では確信めいたものがもちろんあるわけですよね?
自分が感じてること、考えてることを結晶化したっていうのはもちろんありますね。ただ今回、大希から大勢と連絡できるような感覚は意識してくれと。どういうことかというと、GAS LAWの時とかは自分たちが思い思いにクリエイションをしてたけど、今は彼もかなり大勢の前で演奏するようになって、それぐらいの人数と対峙できるような、連絡ができるような感覚ではいて欲しいっていうことを言われたんですよ。
でも自分の声のトーンや、音楽に対してのスタンスも大勢の人に向けた中で培ってきたものではないので、まずそこを探す作業から始めないとなと。例えば最近ヒットしたチャイルディッシュ・ガンビーノの『This Is America』とか、ビリー・アイリッシュの『bad guy』とかもすごく共感を得ているとは思うのですが、僕のスタンスではないし。
じゃあ、どういったスタンスで臨むと一番自分にしっくりくるのかと丁寧に考えていったときに思いついたのが、サマセット・モームという小説家が書いた『人間の絆』という小説。そこに、海老足のフィリップっていう主人公が出てくるんですね。先天的に足に障害を持っていて、海老足…足が曲がっているコンプレックスを抱えてた少年が大人になっていろんな困難にぶつかって成長していくという小説です。そういう肉体的な要因に限らず、いろんなコンプレックスだったり社会とミスフィットする感覚を持っている人っていっぱいいると思うんですよ。
そういうフィリップみたいな人とすごく個人的に…うららかな午後に、小川のそばのベンチに座って会話をしている。「何を気にしてんの?いけよ、フィリップ。好きなように。大丈夫さ」みたいにしゃべっている感じはすごく想像できて。それって自分らしいし、解釈によっては大勢とそのまんま繋がれるんじゃないかなと。だから海老足のフィリップと2人で会話してるようなスタンスを設定して詩を書き始めました。
— できあがった時、手ごたえはどうでした?
大希からの音楽的な要求とも照らし合わせながら何回も推敲しながら作ったので、自分としては納得してお客さんと大希に捧げられる詩になったかなと思います。曲に関しては、最後のミックスまで携わっていて。朝方までかかって…最後には大希と顔をあわせて「おぉ」と、すごい曲ができたなみたいになったのはなんとなく覚えています。
— MVも格好良いですよね。
そうですね。ただMVはほとんどノータッチで、もう自由にやってもらってという感じで、僕もギリギリまでどういう仕上がりになるのかわかってなかったです。
アニメーションってやっぱりめちゃくちゃ時間かかるから。そんな中で詩の世界観を彼らなりに解釈して、がんばって仕上げてくれたんだなぁと。
小さなところから優しさが波及していくようなことが、もっと大事になっていく
—『Philip』では作詞、あとラップも担当されているんですけど、中野さんは俳優でペインティングもするし、あとはデザインとか写真とか詩とか脚本とか、もうめちゃくちゃ表現活動の幅が広い。ここまでってのはちょっと珍しいですよね。
これは僕もよくわかってないんですよね。その時その時に真剣に向き合ってきたら、自然とついてきたスキルがいっぱいあって。
絵と詩に関しては本当に小さい時から大好きでした。お芝居をやることになってからは芝居のことを勉強して、そんな中で映画や動画自体の制作にも携わることになって編集やカラー・コレクションをするようなスキルも身につけて。写真に関していうと『ヌメロ』っていう雑誌に2年間連載ページを持たせてもらったことがあって、当時出会った仲間と毎月クリエイション、ディレクションしていく中で、写真のことも知っていった。音楽も弟から求められてやっているうちに身につけていったわけで。
今思うと「捧げる系」でしたね、求められるとものすごく誠実に、くそ真面目に捧げてしまう。側から見ると、側から見なくても自分でも「お前は何屋なんだ?」と訝ることもあるんですけど、でも僕の中で何か一貫してるものはあります。
— お仕事としての軸足は俳優になるんでしょうか?
そうですね。中学生ぐらいから俳優になりたいなって漠然と思っていたので。うちの父親が昔、俳優になりたくて諦めた経験があるんですけど、その影響も少しあるかもしれない。
詩を書いたり絵を描いたりは自分の意志だけでもできますが、俳優ってやっぱり求められてやるものですよね。だから一番謎があっておもしろい。あと身一つでやるということが、今は純粋にワクワクできるなって。
他に、今はアートを会社にしてしっかりやっていこうというプロジェクトも進めていて。僕としては表現活動において、基本的には俳優とアートっていう2本柱がありながら、あとは自分の人生に風が吹いて連れて行かれたところで、その都度徹底的にオーセンティックな表現ができてればいいかなと思っています。
— 表現すること自体に快感を覚えるのでしょうか?それとも何かを伝えたくて表現を?
最初はごく自然に詩を書きたい、絵を描きたい、役者をやりたいなってところから始まって、殴りつけるように「とにかくやりてぇ」みたいな時期もありました。でも最近は表現をするということが、エゴよりも使命感というほうに近い。先ほど「捧げる系」みたいな話をしましたけど。
— その変化はどこから?
たとえば筋トレで鏡を使って筋肉の細かいところをチェックするように、心に鏡を置いたら自然と使命感が生まれてくるということに最近気づいて。細かく自分の今の心模様をチェックしてみると、当然そこには他の誰かも映り込んでくる。人間ですから。そうすると、自分自身と偶然的な外の環境との必然の相互作用というか、自分の周りにいる人、在るものたちのおかげで何の因果か自分はこういう場所にいるんだから、次の一歩は今こうあるべきなんじゃないかって自然に出てくる瞬間がある。そうなったらエゴだけではもう完結できない。むしろ、そんなものもうどうでもいいってなることもある。
— 表現とエゴは近いイメージがありますが。
まずは、表現と生活が近くないといけないと思っています。エゴももちろん近いんですけど、エゴを乗り越えていく過程っていうのも生活の一部じゃないですか。自分を消すわけでは決してなく、自分の生活そのものを見つめる。エゴ中心な表現ももちろんあっていいし、僕だって退廃的な芸術を志向していた時期はエゴまみれだったりしたんですけど、今はある意味進化してるのかなっていう気はしています。
— 最近はグローバルにも活躍されていますが、新型コロナで感じたこと、価値観に影響したことはありますか?
2年前ぐらい、精神的にめちゃくちゃ落ちてた時期があって。その時にもう一回文明史とか人類史をさらったんですね。ダンテの神曲をはじめとして、ひたすら本を読んだり。
そうやって歴史を追っていくと、今、時代が変わり始めてるなという感覚があって。それがコロナまできていよいよ変わるなと。逆に言うとその当時から新しい波に向けて準備はしていたんで、それをさらに洗練させていくというか。
— なるほど。
人間は宗教だったり、イデオロギーだったり、国家やお金だったり、そういった何かを光として設置してそこに向かって連帯してきたんですよね。だけどそのどれもが今崩壊してきてて、超個人主義的になってきてるなって思うんです。じゃあ、そんな時代に何を光にすればいいのと。
これからは、アートが持ってるフィクション性とか匿名性がより一層心のよすがになり得る時代になってくるのかなと思っていて。音楽や絵に触れて感動する気持ちを大事にして、そこで気付いたものを自分の周りの愛する人たちに波及させていくような感覚。その感動って、日々なおざりにしがちな生活の真実の姿を、アートによって原体験するようなことだと思います。アートって、そういう装置のようなもの。そこで得るものはつまるところ、各々の生活の中で、家族や自分自身の中に光をともすような、すごくベタでミニマムなところに帰結していく。そういうものをもっと大事にしなきゃいけないなと考えています。
— すごくわかります。
そういう意味でも今回の『Philip』では、自分の隣にいる海老足のフィリップと普通に会話するという感覚はすごくしっくりきました。ものすごく小さなところ、そして匿名的なところから優しさが波及していくようなことが、今後はもっともっと大事になっていくんじゃないかな。それがコロナ禍で確信に変わった部分はありますね。
— 小さな優しさが波及するというのは素敵ですね。一方、SNSなんかを見ると悪意のようなものが波及して炎上したりしていることもありますよね。
SNSって諸刃の剣的な部分があって、どこにいるかもわからない誰かと何となく繋がってるからこそ、炎上とか含めて変なムーブメントが起きちゃうことってあるじゃないですか。だからこそ、自分の周りの人を大事にする気持ちっていう小さいところが正しく素敵な形で波及していくといいなとは思います。
『Philip』を聴いてくれたり詩を読んでくれた人が、少しでもそういうところに気づいてくれると嬉しいです。
Profile _ 中野裕太(なかの・ゆうた)
1985年生まれ、福岡県出身。早稲田大学第一文学部卒業後、2011年に「日輪の遺産」で映画デビュー。近年は、アジア、ヨーロッパなどの海外でも映画出演。また、さまざまなアート制作を手がける。「C0Y1N」旗揚げ予定。
- Model : Yuta Nakano
- Photography : Takako Kanai
- Styling : Masaki Usami
- Hair&Make-up : Toru Sakanishi
- Edit&Text : Yusuke Takayama