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1980-1990年代クラブキッズが熱中したファッショントレンドをプレイバック!

Feb 21, 2024
いつも自分流のおしゃれを追求してきたクラブキッズが熱中したファッショントレンドはどのようなものだったのか。
今回クラブキッズのリアルな生態を知るために協力を依頼したのは、東京の若者とファッションを研究してきた「ACROSS」編集室。
「ACROSS」は、株式会社パルコのファッションとカルチャーのシンクタンク部門が運営するメディアで、1980年から2024年現在まで43年にわたり、渋谷、原宿、新宿の路上で若者とファッションを「定点観測」する他、わたしたちの日々の生活から消費・社会を考察する「消費生活」など、ミクロな視点にこだわり、調査・研究を行なっている。
現在発売中の最新書籍「ストリートファッション1980−2020 定点観測40年の記録」では、約40年にわたる東京のファッションとカルチャーの観測から見えてきた若者の生態やファッショントレンド、街の変化などが詳細に記載されている。
今回は調査を行ってきた40年の中でも、カルチャー色がより濃く出ていた1980-1990年代のクラブキッズにまつわるファッショントレンドにフォーカス。「ACROSS」シニアエディターの高野公三子さんが、当時を振り返りながらトレンドを解説をお願いした。
自身のファッション遍歴を振り返ったり、スタイリングの参考にしてみたり、現在のストリートスタイルのベースとなったファッショントレンドをそれぞれのフィルターを通して、お楽しみいただきたい。

1980-1990年代クラブキッズが熱中したファッショントレンドをプレイバック!

Feb 21, 2024 - FASHION
いつも自分流のおしゃれを追求してきたクラブキッズが熱中したファッショントレンドはどのようなものだったのか。
今回クラブキッズのリアルな生態を知るために協力を依頼したのは、東京の若者とファッションを研究してきた「ACROSS」編集室。
「ACROSS」は、株式会社パルコのファッションとカルチャーのシンクタンク部門が運営するメディアで、1980年から2024年現在まで43年にわたり、渋谷、原宿、新宿の路上で若者とファッションを「定点観測」する他、わたしたちの日々の生活から消費・社会を考察する「消費生活」など、ミクロな視点にこだわり、調査・研究を行なっている。
現在発売中の最新書籍「ストリートファッション1980−2020 定点観測40年の記録」では、約40年にわたる東京のファッションとカルチャーの観測から見えてきた若者の生態やファッショントレンド、街の変化などが詳細に記載されている。
今回は調査を行ってきた40年の中でも、カルチャー色がより濃く出ていた1980-1990年代のクラブキッズにまつわるファッショントレンドにフォーカス。「ACROSS」シニアエディターの高野公三子さんが、当時を振り返りながらトレンドを解説をお願いした。
自身のファッション遍歴を振り返ったり、スタイリングの参考にしてみたり、現在のストリートスタイルのベースとなったファッショントレンドをそれぞれのフィルターを通して、お楽しみいただきたい。
Profile
ACROSS
メディア

1977年に設立したパルコのファッションとカルチャーのシンクタンクが運営するメディア。1980年8月より毎月、渋谷、原宿、新宿の路上で、若者を、観察・インタビューする「定点観測」を基礎研究とし、世界の若者とファッション・カルチャーを研究している。

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1980年代前半:ニューウエーブスタイル

ー 1980年代前半といえば「黒の衝撃」がファッション業界を席巻したタイミング。その頃生まれたニューウエーブスタイルとはどのようなトレンドだったのでしょうか?

「ニューウエーブスタイル」は、ロンドン・ニューヨークで始まった音楽から派生したファッションスタイル。日本の若者たちのあいだではポストパンクスタイルとして黒をベースとした服装が台頭しました。それまでの上品なニュートラスタイル※を否定するようなファッションスタイルが原宿を中心に浮上。当時は「トンガリキッズ」とも呼ばれていました。

PARCO出版『ストリートファッション 1980-2020—定点観測40年の記録』
P19 アクセサリーを多用したNWの女性2人組(1984年)

※ニュートラスタイル:「New Traditional」の略。1970年代〜1980年代にかけて女子大生たちの間で大流行した。高級ブランドのバッグをメインに、シャツやプリーツスカートで上品で女性らしいスタイル。

ー コアなスタイルが、ファッショントレンドに昇華するまでに何かきっかけがあったのでしょうか?

日本のストリートファッションに大きく影響を与えたのは、1984年に「ライクアヴァージン」の大ヒットをきっかけとして世界中に広まった「マドンナ現象」でしょう。彼女が着ていた<Jean-Paul GAULTIER(ジャン=ポール・ゴルティエ)>による下着のような衣装はセンセーショナル。アクセサリーをジャラジャラ付け、華やかなウエーブヘアというマドンナルックがふつうの女子大生たちのあいだでも大流行しました。

最近の「Y2Kファッション」のトレンドでいえば、裾を引き摺るほどのロングコート、クラッシュ感のある加工、ほつれなどの過剰なディテールには「ニューウェーブスタイル」の片鱗が見えるように思います。

1990年代半ば:フェミ男/ソフトパンク

ー 1990年代に流行っていたブランドは今も人気が根強い印象です。ストリートではどのようなスタイルが登場したのでしょうか?

当時の渋谷センター街は毎日女子高生で大賑わい。学生鞄にキティやマイメロなどのマスコットをたくさん付け、造花をコギャルブームへと発展しました。そんなコギャルカルチャーに憧れる男の子たちは<SUPER LOVERS(スーパーラヴァーズ)>など可愛いブランドのアイテムを身につけるように。一方、武田真治やいしだ壱成などが主演するドラマのヒットもあり、彼らのパンクっぽい=ソフトなパンクスタイルが流行しました。

PARCO出版『ストリートファッション 1980-2020—定点観測40年の記録』
P61 ソフトパンク・スタイルの男性(1994年)

当時のフェミ男/ソフトパンクスタイルの特徴は身体にピタッとフィットした服。当時の「定点観測」で、茨城から千代田線で原宿に出てきたという男性にインタビューしたのですが、ウエストシェイプが自分の身体にフィットするからという理由で、イトーヨーカドーで買った婦人ものの白シャツを購入して着ていたことは今でも印象に残っています。

この頃から、メンズ・ウィメンズを問わず、自分に合うものを自由に探して、たとえば彼のようにスーパーのプライベートブランドであっても自分でスタイルに取り入れるなど、ファッションと自分の距離感をわかっている若い男性が増えました。
当時のストリートファッションの主役は高校生。限られたお小遣いで工夫をしてファッションを楽しむスタイルが次々と登場していきました。

PARCO出版『ストリートファッション 1980-2020—定点観測40年の記録』
P59 表参道の路上で自作の服やアクセサリーを売る若者たち(1998年)

ー ファッションに貪欲な若者が増えたのですね。

この流れで言うと、インディーズブランドブームも欠かせません。この写真に写っているのは現在表参道ヒルズのある路上です。毎週末、全国各地から自分が作ったものやリメイクしたものなどを展示・販売したいという若者たちによる自然発生的な路上フリマが展開されていました。おそらく、当時の高等教育に専門教育としての側面が強化され、服飾科や美術科など、専門学科が設けられるよう改訂されたことも影響していると思われます。服飾専門学校や美容学校などに進学する若者も少なくなく、精力的にクリエイティブな活動を行う若者が目立ちました。

さらにこの勢いは原宿に止まらず、ある日、代官山の駅前の路上で服を販売している若者たちに遭遇。思わず彼らのリメイクデニムを購入しました(笑)。大阪のアメリカ村にある三角公園もそういう若者たちの溜まり場になっていました。

当時は、クリエイティブ=「面白い」、「キテレツ」、「見たことがない」、そして「ファッションは楽しい」というユースカルチャーが爆発していました。そういった価値観を背景に、トイカルチャーやキャラクターとファッションが一緒になったような<UNDERCOVER(アンダーカバー)>、<beauty:beast(ビューティービースト)>、<20471120(トゥオーフォーセブンワンワントゥオー)>が生まれました。これらのブランドのメインストリームへの登場が、その後の東京ポップカルチャーの始まりだと思います。

1990年代半ば〜後半:渋谷系

ー 「渋谷系」の音楽は現在海外にまで広がり、今でも耳にすることがありますが、当時の若者はどのようなファッションを身にまとっていたのでしょうか?

「渋谷系」という言葉は、HMV渋谷の名物バイヤーだった太田浩さんが言い始めたと言われています。テレビの音楽番組が増え、レコード/CDショップが続々とオープンしたことをきっかけに高校生のあいだでDJがかっこいい存在として大流行しました。当時レコードショップのショッパーを持つことはおしゃれの象徴。

男子高校生を中心としたクラブキッズのファッションは、大きく2通りありました。美容師たちが自ら企画した”美容師ナイト”やファッションショーなどが開催されるイベント系のクラブには、先のソフトパンク系のファッションを好む若者たちが、一方、プロのDJやファッションやデザインなどの仕事をする人たちの趣味としてのDJが多く企画された音楽系のクラブには、スウェットにゆるっとしたパンツを着て、<VANS(ヴァンズ)>や<Red Wing(レッドウィング)>のアイリッシュセッターを履く音楽業界人スタイルの若者たちが毎晩集まり深夜まで賑わっていました。

「渋谷系」の本来の概念でもあるさまざまなジャンルの音楽を時代を超えて自由にリミックスしたスタイルは、今のクラブキッズのスタイルにも近いように思います。ちなみに今流行している大きなヘッドホンをつけたスタイルも「渋谷系」の象徴でした!

PARCO出版『ストリートファッション 1980-2020—定点観測40年の記録』
P63 西麻布のYELLOW、CAVEを梯子して朝を迎えたというキャスケットの男性2人組(1993年)

ー 高野さんも当時クラブにはよく行かれたのですか?

編集部や仲間とよく行っていました。新しい音楽、居心地の良い空間を求めて朝までハシゴをしたこともありました。当時たくさんあった雑居ビルの地下や上層階が、ある日突然クラやDJバーなどとしてオープンすることもありました。各クラブにはDIYのフライヤーがたくさん置いてあり、それらを束ねて編集したインディーズメディアもたくさん創刊され、それらをチェックしていろんな街のクラブの情報を得ていました。

PARCO出版『ストリートファッション 1980-2020—定点観測40年の記録』
P64 学校帰りに渋谷のレコードショップをめぐるのが男子高校生のあいだで大流行(1995年)

1990年代半ば〜後半:バナルスタイル

ー 近年再熱しているレイヴが日本に入ってきたのも確か1990年代でしたね。

クラブやライブハウスなどのアンダーグラウンドなカルチャーから派生したレイヴやフェスというカルチャーが日本に本格的に入ってきたのも90年代でした。ヒッピーカルチャーとインターネットカルチャーが結びつき、英国やスペイン、米国など世界のフェスを移動しプレイする外国人DJやアーティストもたくさん日本に入ってきました。中でもテクノミュージック系のイベントでは、バブルガンで大量のシャボン玉を飛ばすなど、ナチュラルハイな雰囲気が若者の間で人気に。そういう自由なファッションやカルチャーに魅せられる若者たちも急増。古着やSPAなどを自由に組み合わせるナチュラルなスタイルが流行しました。

PARCO出版『ストリートファッション 1980-2020—定点観測40年の記録』
P93 キャップの後ろ被りがツウな印象の男性と黒のバイカラーがクラブっぽい3人組(1996年)

ー 1990年代後半では、今のクラブキッズのスタイルに繋がるファッショントレンドはあるのでしょうか?

90年代後半のファッショントレンドとして欠かせないのは「バナルスタイル」です。当時の<PRADA(プラダ)>がミラノファッションウィークで披露したスタイルで、過去の流行を時代をズラすことで新しさに繋がった成功例。90年代は70年代のスタイルがリミックスされ再流行したわけですが、ちょっとダサいけどかっこいい=ださかっこいいファッションの流行は、ダークなパープルやマスタードイエロー、エナメルなどの色や素材感、サイケデリック柄などを模した平成ブランドも登場。一気に全国に広がっていきました。 最近だと、クラブキッズとの親和性が高いセレクトショップで扱っているブランドに、ちょっとダサい「バナルスタイル」というような新しいバランス感覚を感じることがあってワクワクします。

写真は全てパルコ「ACROSS」編集室提供(www.web-across.com

『ストリートファッション 1980-2020—定点観測40年の記録』
・編著: 「ACROSS」編集室
・発行元:  PARCO出版
・発行:  2021/08/12 → 2023/6/13、5刷に
・版型: A5判変形/352PS
・ISBN:978-4-86506-367-7
・本体:  ¥3,080(本体価格:2,800円)

PARCO出版のページからAmazonでも購入可能。

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