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自身の愚直な姿を若い世代に知ってほしい|HIZUME デザイナー 日爪ノブキ

Mar 5, 2024
30歳目前で順調だった日本での仕事をすべてキャンセルし、過去の挫折を精算する意味でフランスへと渡った<HIZUME(ヒヅメ)>帽子デザイナーの日爪ノブキさん。
帽子部門でM.O.F.(フランス国家最優秀職人章)の称号も取得するほどの地位を築きながら、モノづくりにおいては「愚直であること」を哲学としている。
華やかにも見えるファッション界だが、成功を収めている人ほど泥臭いぐらいの努力をしているもの。そんな想いを若い世代のデザイナーに伝えていくことに力を入れたいという日爪さんの声を聞きつけ、QUI編集部では急遽のインタビューをお願いした。

自身の愚直な姿を若い世代に知ってほしい|HIZUME デザイナー 日爪ノブキ

Mar 5, 2024 - FASHION
30歳目前で順調だった日本での仕事をすべてキャンセルし、過去の挫折を精算する意味でフランスへと渡った<HIZUME(ヒヅメ)>帽子デザイナーの日爪ノブキさん。
帽子部門でM.O.F.(フランス国家最優秀職人章)の称号も取得するほどの地位を築きながら、モノづくりにおいては「愚直であること」を哲学としている。
華やかにも見えるファッション界だが、成功を収めている人ほど泥臭いぐらいの努力をしているもの。そんな想いを若い世代のデザイナーに伝えていくことに力を入れたいという日爪さんの声を聞きつけ、QUI編集部では急遽のインタビューをお願いした。

常に胸に秘めていた「トップを目指す」という強い想い

—日爪さんがファッションの世界へと進んだ理由を最初にお聞きしたいです。

日爪:ファッションそのものには中学生、高校生の頃から興味は持っていました。僕は最終的に文化服装学院を卒業したのですが、自分が高校生の頃にそこの出身の大先輩ともいえるデザイナーの方々がパリコレでセンセーショナルな活躍をされて、絶大な評価を受けていました。それを見て自分も世界の舞台に立ちたいと思うようになったんです。

—日本人が世界でスポットライトを浴びていることに衝撃を受けたんですね。

日爪:僕はインターハイにも出場するぐらいスポーツに打ち込んでいたので、「トップを目指す」という意識は漠然ではありますがずっと持っていました。あくまで個人の意見ですが『アジアは欧米よりも劣っている』という感覚があって、そのヨーロッパで日本人がクリエイションを評価されているという状況にすごい憧れを抱きましたね。ただ、当時は高校生だった僕に文化服装学院に入学するという選択肢は皆無でした。ファッションは好きでしたが世界で評価されることを叶えるのはスポーツでもよかったんです。

—では文化服装学院へはどのような経緯で進まれたのですか。

日爪:「ファッションをやっていく」と決意したのは高校を卒業する頃でした。でも両親は大学進学を望んでいましたし、自分もファッションを学ぶために東京に出ていく気概まではなくて大学は大阪でした。それでも大学生活の期間も無駄にはできないと服について教えてくる人のところに習いに行ったり、いろいろな動きをしていました。そのなかで学院長も務められて文化服装学院を世界レベルにまで押し上げたといっても過言ではない小池千枝先生と個人的な出会いがありました。それで上京して文化服装学院に入学するという気持ちが固まったんです。ファッションの夢を少しでも早く実現するために卒業のために必要な単位は大学3年までにすべて取って、東京には大学4年の時に出てきました。

—自分が決めた夢や目標の達成のための行動力、実行力がすごいですね。

日爪:これは自分の人生を左右したエピソードなのですが。大学1年生のときに友達とお茶をしていたら、そのお店にすごく派手な服装の女の子がいたんです。きっとファッション関連の専門学生だろうと思って話しかけてみたら、驚くことにまだ14歳だったんです。当時19歳の僕からしたら子供ですから、ちょっと偉そうにファッションの夢について語ったんです。そしたら、その女の子は「ファッションを目指していて、どうしてそんなに小さな夢なの?」って返してきたんです。自分が見ていた世界はとても小さかったんだと中学生の女の子に教えられました(笑)。ファッションで世界を目指すという僕の進路が明確になった瞬間です。

真似をしたくなるロールモデルとなるような人になれたら

—最近の日爪さんは「日本のファッション文化の底上げになるような活動をしていきたい」と話していると日爪さんをよく知る方から聞いたのですが、その真意はなんでしょう?

日爪:まだまだ自分なんかが日本のファッションをどうこうできるとは思ってないです。ただ「学ぶ」の語源は「まねぶ」といわれるように、あらゆるジャンルで頂を目指すとしたら真似から始まることもあると思っています。ロールモデルになるような人物の思想や思考とリンクできたら、その人が獲得してきた世界が見えてくると僕は考えているんです。僕はそんな誰かが真似をしたくなるような人間に自分がなれたらいいなと思っています。自分はこれからもファッションの世界で、帽子というカテゴリーで頑張っていきます。その姿や行動を見て、ファッション界で活躍を夢見る次の世代が何かを感じ取ってくれたらうれしいという考えです。

—頑張れば、人一倍努力をすれば必ず報われる、自身の制作活動を通じてそんなことを伝えたい?

日爪:そうですね。僕はこれまでは自身は多くを語らずとも結果を出せば誰かが見ていてくれると思っていましたが、そんなことはないと最近になって気づき始めたんです。そういう意味で自分の声を出していきたいなと思っていますし、若いファッションデザイナーの声をもっと聞きたいです。

—若い世代の声が日爪さんのところにまで届いてこないというジレンマはありますか。

日爪:多少はありますよ。僕は文化服装学院を卒業したときに一人だけに贈られるデザイン賞というのを受賞しました。対外的な評価としては最も優秀な生徒だということですが、あきらかに僕よりも優れた才能を持っていた友人がいました。僕はその友人には絶対に敵わないことがわかっていたので、自分が持ち合わせている能力をどこまで最大に引き出せるか、考えていたのはその一点だけでした。その友人ではなく僕がデザイン賞を受賞できたのは、とにかく熱量だけは負けないと必死だったからだと今でも思っています。

—その必死さというのは学生のときだけではなく、現在も継続されているということですね。

日爪:僕はフランスの前にイタリアで1年間ほど自分のブランドをやっていたのですが、そこで未熟さゆえの問題というのをすべて経験したと思っています。だから「このままではダメだ」、「何をやっても上手くはいかない」と自分の仕事に向き合う姿勢を根本から変えていく努力をしました。海外での失敗経験というのは自分が必死であり続ける、変わり続けるという意味ではすごく大きかったです。

自分を追い込むために言い訳ができない状況に身を置く

—日爪さんとしてはファッションで生きていくなら海外を知るべきだという考えなのでしょうか。

日爪:海外ありきだとは思っていません。海外であっても日本であっても、言い訳ができない状況に自分の身を置くことがいちばん大事だと思っています。僕が活動の場をパリに移したのもそれが理由です。日本では自分の仕事に高い評価をいただいていました。このままでも十分に安泰だったのですが僕にはやり残したことがあって、それがイタリアでの大失敗、大後悔をうやむやにしないことです。イタリアの汚名返上をパリでやり遂げたかったんです。だからこそ日本のクライアントも、日本での評価も、すべてを投げ捨ててパリに渡りました。

—言い訳ができない状況で仕事をすることになったら覚悟も変わりますよね。

日爪:僕は帽子のデザイナーであり職人でもあるので、難題と向き合ったときにどちらかの思考を優先させてちょっと楽をしてしまいそうなとこともあります。そのときには周囲のスタッフから「それは逃げだよね」と必ず言われてしまいます。デザイナーである自分も満足する、職人でもある自分も納得する、そんな帽子を作り上げることは地獄のような苦しみのときもあります(笑)。でも僕は言い訳を最初に探すのではなく、最善の方法があるはずだという希望を見つけるようにしています。パリコレのブランドの粘りってすごいですよ。締め切りを優先して70%の完成度を目指すという考えもあるとは思いますが、パリのデザイナー達は時間の許す限り限界まで最善を追求します。コレクションの発表に絶対に間に合わないのではとこっちがヒヤヒヤするぐらいです。でも最終的にはきちんと作り上げているんです。世界で活躍するデザイナーは華やかに見えるかもしれませんが、実際にはものすごく自分を追い込んでいる人が多いんです。それは人間の底力みたいなものを経験から知っていて、信じているからこそだと思います。僕も帽子部門でM.O.F.(フランス国家最優秀職人章)の称号を持っているので簡単に諦めることはしないです。

—M.O.F.(フランス国家最優秀職人章)としての心構えのようなものはありますか。

日爪:僕が生み出すものはフランス最高峰といわれるようなピースでなければいけないですし、後世に残っていくようなモノ、見本となり続けるようなモノを作り続けなければならない立場だと思っています。あとは合理性とは真逆のような
クラシックな技術を継承していくのも僕の重要な義務であり使命です。


モノづくりと真摯に向き合うことの大切さを伝えたい

—日爪さんがフランスでクリエーションの拠点としてきたことで得たことはなんでしょうか。

日爪:フランスはクリエイターチームとマーケッターチームがあったとしたら、クリエイターの方が圧倒的に立場が上なんです。クリエイターたちはマーケッターたちの分析をもとにモノづくりをしているわけではないので売れる、売れないは二の次なんです。正義は「世界を驚かせること、感動させること」、それに尽きます。日本の場合はこれが逆で「それを作ったらどれだけ売れるの」という意見が先に来ているような気がしています。最初にお話しした僕が高校生の頃にパリコレで活躍した日本人デザイナーの方々は「世界を震撼させること」が最優先だったはずです。それが日本はどこかのタイミングで正義の優先順位が変わってしまったのかもしれないですね。クリエイションありきでいいんだというのはフランスだからこそ得られたことだと思います。

—優先順位が変わってしまっているというのは日本のブランドを見て感じることでしょうか。

日爪:変わったなと感じることはいい意味もあって、30代半ばぐらいのデザイナーがやられているブランドは僕らの時代の頃よりもすごく自由になっていると思います。ただ今はちょうど昔の考え方と現代の考え方がせめぎ合っている時期のような気もしていて、これからの日本のファッション、ブランドがどういう未来を描いていくのか、僕自身が現時点では見えていないですね。誰からも制約を受けずに自由にやっていい時代だからこそそのままでもいいよとも言ってあげたい一方で、ど根性の精神論のモノづくりを叩き込まれた世代の僕としては、血の滲むような努力は経験するべきだとも伝えたい。そんなことを言うとブラックだといわれちゃいそうですけどね(笑)。今日のインタビューの本題はそこです。自由で楽しいのがクリエイションという時代なのでそれを満喫してほしいし、逃げ出したくなるぐらいの難題を自らに課しながら愚直なまでにモノづくりと向き合うことも大切にしてほしいです。

—クリエーターにとって令和になっても昭和の精神論は大事ってことですね(笑)

日爪:作り手が苦労しながらも真摯に生み出したモノには人間の息吹というものは宿るんです。それは自分の帽子作りにおいても実感しています。ひたすら自分の手を動かし続ける。それは愚直なまでにモノづくりをしてきた人間にしかできないことのはずです。職人の神がかったような技術は場数と鍛錬によるものです。昭和の考えを押し付けるつもりはないですが、モノづくりにおける昭和の愚直さにも見習うところはあるので、いいとこ取りができたらいいのかもしれないです。

—「日本のファッション文化に貢献できるような活動」というのは、日爪さんが経験してきたこと、大切にしてきたことを生の声で伝えていきたいということなんですね。

日爪:先日、文化服装学院の生徒が研修でパリを訪れたときも皆さんの前で話しましたし、日本に帰国したときもスケジュールが合えば文化服装学院を訪れるようにしています。自分が夢を実現するために構築してきたことを話すと、生徒の皆さんは目をキラキラさせて聞いてくれますよ。話が終わっても僕の前には質問したい、相談したいと長蛇の列が毎回できます。若い世代ほど本当のことを言ってくる人に飢えているんだなって感じています。僕も自分の考えを話して、それに対して意見をもらうことは、また成長のきっかけにもなると思っています。

—このインタビュー記事を読んだら、日本で勉強している若いデザイナーも日爪さんのお話を直接聞きたいとなるような気がします。

日爪:望まれるならもちろんお話ししますよ。でも、自分から「僕の話を聞いてくれ」と押しかけるようなことはしないです。聞きたくないと思っている人もきっといますから。QUIさんがオーガナイザーとなって、日本でセミナーでも企画して、日本のファッション界のために役に立てるなら僕はいつでも全力で人前に立ちますよ。いつでも声をかけてください(笑)。

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  • Text : Akinori Mukaino
  • Photograph : Kaito Chiba

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