PUMAが「SUEDE HOUSE」で示した「SUEDE」の歩みとその先
PUMA SUEDEの歴史

まずは、「SUEDE」がスポーツやストリートカルチャーとともに、どのような歴史を歩んできたのかを振り返ってみたい。
「SUEDE」は、1960年代に誕生したトレーニングシューズ「CRACK」をルーツに持つモデルだ。1968年のメキシコシティーオリンピックで、200メートル走に出場したトミー・スミスは、このシューズを履いて金メダルを獲得。その表彰式では、同シューズを左手で掲げ、黒の革手袋をはめた右拳を突き上げるパフォーマンスで人種差別への抗議を示し、その姿は当時世界中に強い印象を残した。
1973年、当時NBAで活躍していたプロバスケットボールプレイヤー、ウォルト・フレイジャーとともに、「CRACK」をベースにしたシグネチャーモデルがリリースされる。そのモデルは、フレイジャーの愛称にちなんで「CLYDE」と名付けられた。以降、アップデートを重ねながら、アッパー素材に由来する名称として「SUEDE」が定着していく。
1980年代に入ると、ブレイクダンスやグラフィティといったヒップホップカルチャーとともに支持を広げ、アメリカのストリートシーンで多くの若者の足元を彩った。さらに、アメリカでの人気を受けてイギリスへと展開。現地では、「SUEDE」ではなく「STATES」の名称で親しまれた。
1990年代には、Beastie Boys(ビースティー・ボーイズ)やNirvanaのKurt Cobain(カート・コバーン)といった時代を象徴するアーティストが次々と着用。プロスケーターの間でも人気を博し、「SUEDE」はストリートカルチャーの中で確かな存在感を築いていった。
こうして現在に至るまで、「SUEDE」はスポーツやダンス、ミュージックといった多様なカルチャーとともに歩みながら、その時代ごとの表現や価値観を受け止めてきたモデルだと言える。
SUEDE HOUSE REPORT
サブカルチャーを軸に構成された展示空間
会場となったパリ・マレ地区の7 Rue Froissartに設けられた「SUEDE HOUSE」は、2026年秋冬コレクションの限定ショールームであると同時に、「SUEDE」が歩んできた歴史をひもとく体験型スペースとして構成された。

入ってすぐの展示では、1968年の誕生から現在に至るまでの「SUEDE」の変遷を、陸上競技、バスケットボール、スケートボード、ヒップホップといったカルチャーの文脈とともに年次順で紹介。スポーツシューズとしての出自から、ストリートへと広がっていく過程を、来場者が自然にたどれる導線が設計されている。
映像と音でたどる「SUEDE」の軌跡

会場内で印象的だったのが、点滅するテレビモニターと重低音の音楽が流れるインスタレーションだ。1968年のオリンピックでの登場、1970年代のNBAシーンでの採用、そしてスケートボーダーやダンサーの足元で長年にわたり愛されてきた「SUEDE」の軌跡を、映像と音で表現したこの展示は、アーティスト・Samutaro(サムタロウ)とのコラボレーションによる作品となっている。

会場中央にはバスケットコートを模したインスタレーションが設けられ、その両サイドには「SUEDE」のルーツでもある「CLYDE」の過去映像を投影。ウォルト・フレイジャーが<PUMA>とともに、競技者でありながらファッションアイコンとしても活躍していた当時の姿が映し出され、「SUEDE」がカルチャーと交差してきた歴史を立体的に伝えていた。

一方、反対側のエリアでは、ニューヨークのビルに挟まった「SUEDE」のインスタレーションが登場。都市とストリートカルチャーの文脈の中で育まれてきた「SUEDE」の存在感を象徴的に表現している。
クリエイターとともに立ち上がる「SUEDE」の世界観

会場演出には、Samutaroのほか、Welcome(ウェルカム|スケートボードブランド)、114 Index(ワン・フォーティーン・インデックス|パリ拠点のカルチャープラットフォーム)といったコラボレーターが参加。それぞれの視点から「SUEDE」を解釈し、空間演出や展示を通して表現した。
こうした多層的なアプローチを通して、「SUEDE HOUSE」は過去のアーカイブをたどる場であると同時に、カルチャーとともに歩んできた「SUEDE」という存在が、現在、そして未来へと引き継がれていく可能性を感じさせる空間となっていた。
- Edit : Kawamoto Tetsu Charles(QUI)
- Text : Ryota Tsushima(QUI)