「ブルガリ ホテル 東京」に日本の家具ブランドとして唯一採用。福岡発のブランド、リッツウェルとは
高みを目指しつづける姿勢に、“生きているエネルギー”を感じた
ブルガリ ホテルからファーストコンタクトをいただいたのが5年ほど前。リッツウェルの既存のテーブルとスツールを採用したいというお話からスタートしたと記憶しています。それからデスクのデザイン依頼を受け、その後他のアイテムもデザインして、最終的には15種類ほどの家具を納入しました。
当初既製品を採用予定だったテーブルとスツールも、最終的にはデザインをし直して、オリジナルのものを製作しています。あまり凝り固まったやりとりというより、ホテルの開業直前まで常に“動いている”感じ。そこに一流の仕事のすごさを感じました。
私も経営者としてさまざまな決断を迫られる場面がありますが、高みを目指して軌道修正をしつづけるというのは、非常にエネルギーのいること。周囲に影響を与えますし、それも踏まえて現場を仕切っていく手腕が問われます。
黒澤明監督は、何百人ものエキストラが参加する撮影で、数週間天気待ちをしたといいますよね。ふとそんなことを思い出しました。そのこだわりを貫き通す精神力はもちろん、そこまで徹底してつくりあげたものが「さすが!」となるから一流と評価されるし、人がついてくる。少し大袈裟かもしれませんが、そういう“生きているエネルギー”を感じました。
自然と感じ取った“美意識”が、滲み出るようなものづくり
私は25歳から2年間イタリアに留学して、クラシックな家具工房で働きながら勉強をしていました。イタリアは街そのものが芸術みたいな国ですし、感性の育ち方が違うんですよね。イタリア語では「良い」という意味の言葉が「美しい」という言葉と同じだったりする。そのくらい美しさという概念が深く根付いていると感じました。
料理の世界で例えれば、いくら技術が高くても味覚が確かでなければいい料理人とは言えませんよね。家具職人も、技術があるだけでなく、美に対する感性がなくてはいいものはつくれないのではないか、自分はこんな人たちに勝てるのだろうかという焦りのような気持ちもありました。まだ若かったですし、当時は「イタリア人に負けたくない」という思いが強かったのかもしれません。
イタリアから帰国して感じたのは、自分が日本の文化についてあまりにも知らないということ。京都に出向いて改めて寺や仏像を見たとき、日本もまったく負けてないと感じました。意識して日本の文化に触れるようになったことで、だんだん誇らしげに思うようになった。美意識というものは会得するために学ぶこというのではなく、自然と感じることが大事なんでしょうね。本当に日々の積み重ね。
以前、辻村史朗さんという陶芸家が、「どんな器をつくりたいか」という問いに「何をつくりたいかより、どう生きるかだ」と答えていらっしゃいました。結局滲み出てくるものなんでしょうね。毎日どういう暮らしを送っているか、心がどういう状態なのか。そこから素直に出るものがすべてなのかなと考えています。
楽しさのなかから生まれるエネルギーを大切にしたい
よく、リッツウェルの家具には和の要素を感じる、と言っていただくことがあるのですが、家具はもともと西洋のものですし、意識して和のテイストを加えることはありません。でもそれは、いまお話したように、私の日本人としての美意識が滲み出ているのかもしれない。私自身としては、日本ブランドだからといって和というものにとらわれるのではなく、もっとオリジナリティのある世界観を出していきたいと考えています。
ピカソは初期の写実的な作風からどんどん変化を遂げ、晩年には子どもが描くような作品を残していますよね。完璧につくり込もうとすることにおもしろみを感じない。もっと自由だったり、楽しいという感情を大事にしたいという気持ちがあったのかもしれない。私もそれにとても共感します。
昨年、ブランドの30周年を迎えるにあたって、これまでのプロダクトを一覧する機会がありました。そのとき一番感じたのが「これは楽しさのなかから生まれたものだな」ということ。
楽しいことをやろう、ほかでやらないようなことをやってみようというある種の楽観的な視点から生まれたものがいいものだし、好きなことをやるというエネルギーがとてつもないことを知っている。そのエネルギーを味方にしたいと思うんです。
家具の可能性を追求し、情熱をもってものづくりをつづけていく
今回ブルガリ ホテルにお声をかけていただいたことは素直にうれしかったです。ディレクションを担当したパトリシア・ヴィールのパートナー、アントニオ・チッテリオは、僕がデザインを志してから憧れの人でしたし、事務所に挨拶に行ったときには感動しました。
日本というもともと家具文化のないところで家具づくりをつづけて、いつかはミラノサローネに出ること目指していた。2008年に初めて出展してから、いまでは名だたるブランドが集まる「HALL5」に出展することができるようになりました。我々も徐々に成長して、それを認めてもらえたということに素直な喜びを感じています。でもそれが目的や目標ではなく、ありきたりですが通過点にしかすぎない。サローネに出たい、海外で仕事をしたいというシンプルな想いを、強く持ちつづけられたことが結果につながったんだと思います。これからも、製品そのものを研ぎ澄ましていくことはもちろん、ブランドとして世の中にどんな価値を提供できるのか、家具にはどんな可能性があるのか、それを考えつづけ、情熱をもってものづくりをつづけていきたいです。
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ブルガリ ホテル 東京
- Text : Midori Sekikawa