プロに訊くフレグランスの魅力の紐解き方|EDIT(h) 葛和建太郎
朱肉に香りづけをする技術がフレグランスにつながった
QUI:葛和さんは朱肉メーカーの「日光印」を手がけるモリヤマの6代目ですが、フレグランスブランドの<EDIT(h)>を立ち上げたのはどういう経緯からでしょうか。
葛和:僕は20代はレコード会社でディレクターをやっていたんですけど、弊社が創業100周年を迎えるタイミングで家業に合流しました。そこから10年間は先代や職人から経営やモノづくりについて学び6代目として受け継いだのですが、デジタル化が進んでいる時代のことを考えても朱肉だけで次の100年を目指すのは難しいと思っていました。
QUI:私も朱肉を使う機会は減っています。
葛和:家業に合流したときから「日光印」ならではのイノベーションは必須だと感じていました。「日光印」が手がけているものに書家などが使用する高級朱肉の練朱肉というのがあるのですが、そこに香りづけをしているのはうちだけだったので、最初はその技術への気付きがあったんです。
QUI:練朱肉の香りというのはどんな感じなのでしょうか。
葛和:純和風といった感じです。その香りをもう少しモダンにアップデートすれば朱肉でありながら置いているだけで空間に香りを放つルームフレグランスにできるのではないかと思いついたんです。それで調香師に「練朱肉に配合している香料を必ず使用すること、さらに現代にマッチする香りにすること」という開発オーダーを出したんです。それでサンプルが上がってきたのですが、それが全てリキッドでこれはまずいなと。
QUI:リキッドの何が問題なのでしょうか。
葛和:それまで朱肉に混ぜていた香料は粉末状でした。なので液体を混ぜながら従来の朱肉の粘度を実現するためには配合なども見直す必要がある。組成から考え直すには大変すぎると思ったんです。でも、調香師は僕のオーダーに応えて新しい香りを開発してくれた。そこで気がついたんです。僕の目の前に並んでいるリキッドは「朱肉香料が含まれたフレグランスだ」と。
QUI:確かに朱肉をルーツとしたこれまでにないフレグランスですね。
葛和:僕は個人的にフレグランスが好きで高校生の頃から「自分らしさ」の表現のために愛用していました。ハンコってシグネチャー(署名)であり、フレグランスも自分のアイデンティティにつながるものだから、「日光印」を手がける会社がフレグランス事業を起こすことは意味と理由があると思い<EDIT(h)>をスタートさせました。
QUI:<EDIT(h)>というのは綴りもユニークですが、ブランド名にはどういう想いが込められているのでしょうか。
葛和:「どうして朱肉メーカーがフレグランスなのか」に次いで多い質問です(笑)。英語のEDITには「編集」という意味がありますが「6代目である自分が会社の技術や歴史を編集して再構築する」というのがブランド名の由来のひとつ。さらに新規事業は最初からグローバル展開を考えていて、それがフレグランスに決まったことで本場のパリでデビューを果たしたいと思い自分の前職が音楽ディレクターだったことからフランスとその地を代表する歌手のエディット・ピアフへのオマージュを示しています。ブランド名の最後が「h」なのはエディット・ピアフの名前の綴りが「Édith」だからです。
QUI:ショップの場所として神楽坂を選んだのは理由はありますか。これも何度も聞かれているかもしれませんが(笑)。
葛和:神楽坂は歴史ある花街であるにもかかわらず、戦後にはインターナショナルスクールも近かったことから多くのフランス人が住んでいました。繁華街と生活空間が同居することから「東京のモンマルトル」とも呼ばれているぐらいで、実際に神楽坂とフランスのモンマルトルは風景や空気感が似ているんです。過去と現代が交差する神楽坂という街は「会社の歴史と技術を活かして現代的なフレグランスを生み出す」という<EDIT(h)>の思想と一致すると思って、この地にショップをオープンさせました。
誰かに導かれて運命のフレグランスと巡り合うこともある
QUI:私はフレグランスが好きなのですが、「香りを纏う喜び」を伝えるのがいつも難しいと感じています。葛和さんは「香りを纏う喜び」というものをどう捉えているのでしょうか。
葛和:現在はアーティスティックなニッチフレグランスが業界のメインストリームといわれています。そのニッチフレグランスは大手のブランドに所属していた調香師が独立することで次々と誕生した経緯があります。創設者たちは自分がやりたいことを追求しているのでコンセプトやストーリーが明確なんです。なので今は作り手の美学を感じながらフレグランスを選べる時代になっています。その香りが生理的に好きということに加え、美学に共感した香りを自分が纏っているという高揚感もプラスされる。自分のアイデンティティに深みをもたらしてくれることが「香りを纏う喜び」だと思います。
QUI:神楽坂のショップでは葛和さんがセレクトした海外のニッチフレグランスも取り扱っていますが、それらのブランドの美学に共感する部分があったのでしょうか。
葛和:そういうわけでもないんです。僕は海外のフレグランスマーケットにはバイヤーではなくプレーヤーとして足を踏み入れたので、海外ブランドからはライバルでもあるけれど、フレグランスを一緒に盛り上げる仲間として迎えてもらったんです。僕も好きな仲間がグローバルで活躍してくれたらうれしいので、日本でもファンがつくと思えるブランドをセレクトして神楽坂のショップに置いています。<EDIT(h)>のフレグランスからは見つからなかったとしても、海外ブランドでライフスタイルに取り入れたい香りが見つかればそれでいい。<EDIT(h)>のお店ではフレグランスに連動したカクテルやフレーバーティーも愉しむだけでもいい。そうやってフレグランス文化が日本でも定着して欲しいです。
香港発の香水ブランド<TOBBA PARFUMS(トバ パルファン)>
QUI:私がフレグランス好きということもあって、「どうやって香りを選んでいるのか」と聞かれることもあります。葛和さんはフレグランス選びに慣れていない初心者にはどのようなアドバイスをされることが多いですか。
葛和:まずは専門店でも百貨店でもいいので、フレグランスに精通するスタッフが在籍しているショップに行くことです。知見も経験も豊富なスタッフは香り選びに迷っている方の服装や髪型や趣向などからその人の好みにフィットするフレグランスに導いてくれるはずです。僕も「こういうファッションが好きなら、こういう香りが似合いそう」とおすすめすることが多いです。「自分の好みの香りを選べばいい」というアドバイスもあるかもしれませんが、そもそも一般の人は10種類以上の香りを嗅ぎ分けることは難しいと思うので、香りの種類が膨大に揃っているショップであればあるほど、そこから好みを選び出すのは至難の業です。
QUI:自分でたくさんの香りを試すのではなく、フレグランスのプロに絞ってもらうというのは考えたことはなかったです。選択肢が多いほど、自分の好みの香りに出会える確率が高いと思っていました。
葛和:フレグランスとの出会いは縁ですから。誰かに導いてもらうことで、自分にとってナンバーワンの香りに運命的に巡り会えることもあるんです。
<EDIT(h)>のオリジナルフレグランスは、2026年6月現在、全13種を展開している。
QUI:「いい香り」というのがあるのなら、「悪い香り」というのも存在するのでしょうか。
葛和:僕がレコード会社でCDジャケットのアートワークを製作したときにグラフィックデザイナーが「デザインの正解は無限にあるけれど、確固たる不正解も存在する」と言っていたのを今でも覚えています。フレグランスもこの考えが当てはまると思っていて、<EDIT(h)>も無限にある正解のひとつに落とし込めたからブランドとしてやっていけているんだと思います。
QUI:では不正解のフレグランスとは?
葛和:誰にとっても馴染みやすく、受け入れやすい香料を程よくブレンドして、ラベルやボトルを隠すとどこのブランドなのかわからなくなるようなフレグランスは不正解といえるかもしれません。それは香りとして不正解というよりも、思想や哲学が見当たらない香りを生み出す姿勢としてです。そのような香りが氾濫する国では、フレグランス文化が醸成されていくことは難しいと思います。
香りに気づいてほしいなら適量と思える倍の量を纏うこと
QUI:<EDIT(h)>はオンラインストアも展開されていますが、香りに直接触れることができない状況でフレグランスの魅力を伝えるために工夫などはしているのでしょうか。
葛和:自分たちにできることはビジュアルや文字による情報発信を積極的に行っていくことぐらいです。オンラインストアで購入してもらえることはありがたいですが、自分のアイデンティティにつながるような香りを選びたいということであれば、まずはやはり直に香りを体感することをお勧めします。
QUI:先ほどから「アイデンティティ」という言葉が出てきますが、葛和さんにとっての「アイデンティティにつながる香り」はあるのでしょうか。
葛和:「これこそが僕の香りだ!」と最初に思えたのは18歳のときに出会った<Jean Paul Gaultier(ジャンポール・ゴルチエ)>の「ル・マル」です。10年間愛用したので僕の20代は「ル・マル」とともにありました。でも今は20代の頃の僕のように毎日同じ香りを使い続けるのではなく、今日はこの香り、今日の気分はこの香りとファッションのように着替えるのがフレグランスのトレンドだと思います。
QUI:フレグランスの選び方や楽しみ方が変わってきているとして、現代における「香りを纏う価値」ってなんだと思いますか。
葛和:香りを纏うことがネガティブに作用することってないと思うんです。朝、出かける前にフレグランスをつけることで「今日も自分はいい香りに包まれている」というポジティブな感情も生まれますし、整った状態で1日をスタートさせることができるので、それが自信につながることもあります。自分だけが気づけるぐらいのつけ方でもいいし、誰かに気づいてもらうためのつけ方でもいい。香りは添えてもいいし、盛ってもいいんです。
![]() |
![]() |
QUI:おすすめのつけ方やつける場所などもすごく興味があります。
葛和:例えばネットで検索などをすれば「足首や首筋に控えめに2から4プッシュ程度で」と出てくるかもしれませんが、ヨーロッパでは全身に服の上から20プッシュぐらいは普通です。日本は電車通勤などもあって、周囲にまで香りを強く放ちたくないという声が多いと思います。僕は服の内側の地肌で、香りは下から立ち昇るので体温が高めの内もも、お腹、背中につけるのをおすすめしています。手の甲は汗をかかないし、服で擦れることもないので香りが落ちにくいことから、つける場所としてグローバルスタンダードになってきています。
QUI:朝につけた香りはどれくらい持続するものなんでしょうか。
葛和:6時間前後のものが多いでしょうか。ただ、その6時間後も残り香としてあるのはラストノートだけで、フレグランスの世界観の中心といわれるミドルノートは消え去っています。なのでヨーロッパの人はミドルノートを持続させるためにいつでもつけ直せるようにフルボトルを持ち歩くことも珍しくありません。僕は誰かに香りを気づいてほしいと思ったら自分が適量だと思っている倍をつけてください、さらに朝につけるだけではダメです、このふたつを必ず伝えるようにしています。
QUI:私は朝つけたものとは別のフレグランスを持ち歩いて、それをつけ直すことはよくあります。
葛和:僕もレイヤードは好きなので、別の香りをつけ直すのはよくやりますよ。レイヤードは他の人とかぶらない香りを生み出すことができるのでアリですが、異なる香りを同じ箇所に重ねるのは上級者テクニックなのでおすすめはしません。もしも同時に異なる香りを纏いたいなら下半身は重めのウッディ系、上半身は軽やかなフローラル系やグリーン系にするというのもテクニックのひとつです。
QUI:最後にお聞きしますが、ファッション好きのQUIの読者に葛和さんがおすすめしたいフレグランスはどれでしょうか。
葛和:モード系ファッションが好きな方におすすめしたいのが「メタリック キス」という<EDIT(h)>の新作フレグランスです。「恋する心を持ったロボット」が香りのイメージで、第一印象ではスチールのような香りが漂いますが、奥底にはフルーティな香りが潜んでいて、そのバランスがトップノートからずっと続きます。
QUI:冷たさと甘さというのはわかります。でも、あまり嗅いだことのない香りです。
葛和:ファッションでは強気に見せていても、実は甘い恋に落ちている。そんな世界観の香水です。
QUI:今日はフレグランスについての専門的な講義を受けたような気分です(笑)。興味深いお話をたくさん聞けて楽しかったです。ありがとうございました。
✏️ エディター's メモ
香りを纏(まと)う本当の喜び
自分のアイデンティティに、さらなる「深み」をもたらしてくれること。
迷ったときの解決策
専門店や百貨店など、フレグランスのプロ(専門スタッフ)が在籍するショップに駆け込むのが一番の近道!
今のフレグランス界のトレンド
その日の気分やコーディネートに合わせて、ファッションのように香りを「着替える」こと。
香水を仕込むおすすめの場所(ボディ)
香りは下から上へと立ち昇る性質があるため、服の内側の地肌、特に体温が高めの「内もも」「お腹」「背中」につけるのが効果的。
世界基準の新たなおすすめスポット「手の甲」
手の甲は汗をかきにくく、服で擦れることもないため、香りが長持ちする場所としてグローバルスタンダードになってきている。
香りのレイヤードの極意
OK:「下半身に重厚な香り、上半身に軽やかな香り」を纏うこと。それぞれの香りがぶつかることなく調和し、心地よい奥行きが生まれる。
NG:異なる香りを同じ場所に重ねると、別の香りの構成になるため初心者にはおすすめしない。
- Photograph : Junto Tamai
- Text : Akinori Mukaino(BARK in STYLe)
- Edit : Miwa Sato(QUI)





