万葉集恋愛解説 #1 – 打ち明けられない恋のフォーマット –
千年以上経っても変わらない、普遍的な恋のあり方を確かめる。
連載序文〜『万葉集』とは
日本に現存する最古の歌集『万葉集』には、主に7世紀後半から8世紀後半にかけて詠まれた約4,500首の和歌が編纂されている。その最大の特徴として挙げられるのは、天皇から貴族、兵士の防人や農民まで、詠み手の身分が幅広く、さらに性別を問わないことだ。
和歌の主題は様々で、天皇への忠誠、親子や兄弟、師弟といった対の関係、追憶や辞世もある。特に対の関係においては男女間の恋を題材としたものが多く、極めて私的なメッセージが、なかなかストレートに詠まれているから驚きだ。それらは歌中に散りばめられた単語や文法、文字数などを手がかりに読解できる。では、今回の一首を取り上げたい。
恋ひ恋ひて 逢へる時だに
愛しき 言尽くしてよ 長くと思はば
第4巻(661) 大伴坂上郎女
ずっと、あなたが恋しかったから。
やっと逢えたひとときはせめて、愛の言葉を惜しみなく聞かせて。
二人の関係を、このまま願い続けるならば。
名門貴族のゴッドマザー・大伴坂上郎女の人物像
『万葉集』に84首と、女性最多数の和歌を残した大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)。外交・防衛の要として機能した太宰府の長官・大伴旅人の異母妹であり、『万葉集』の最終編纂者と考えられている大伴家持(718年〜785年)の叔母・義母にあたる貴族だ。
10代半ばで親子ほど年の離れた皇子の寵愛を受けて結婚するも、死別。後に藤原家の権力者の側室となるが、安定した関係とは言えなかったようで、後に異母兄の大伴宿奈麻呂と結婚した。当時、特に貴族の女性においては、年齢差や婚姻回数よりも「家を支える像」が強く求められたが、彼女もそれを全うした一人だ。晩年の彼女は妻を亡くした旅人のもとで大伴家を支え、家持らには和歌の教養を授けるなど、一族の頼れるゴッドマザーとして貢献したようだ。
才気煥発な彼女は一方で、「恋多き女」とも語られる。84首のほとんどの主題が恋、しかしすべて配偶者に向けたものではなく、秘めたる恋、さらには許されざる恋の描写もうかがえる。そして、この歌もその一つと言えよう。
人には打ち明けられない恋のフォーマット
「やっと逢えた時くらいは、ちゃんと好きって言ってよ」ともシンプルに訳せる歌。可愛らしいつぶやきのようにも感じられるが、そもそも「やっと逢えた時」とは何を示すのか。
当時、恋人の逢瀬には「夜になると男性が女性の部屋に訪れ、朝に帰る」という形式があった。基本的に女性は男性の訪問を待つのみで、自らの意思のもと行動できない。つまり「やっと逢えた時」とは、「やっと逢いに来てくれた時」なのである。原文中の「だに」は「せめて」とも訳されることから、大伴坂上郎女の切実な心情が伝わってくる。
さらに彼女は「二人の関係を、このまま続けるならば」と、相手に今後の選択肢を差し出している。なかなか逢えない、だから言葉も交わせない、それなら、あなたは一体どうしたい?といった具合に。実に曖昧で不安定で、おそらく周囲には公表できない関係だったのだろう。様々な制約があるなか、客体的な存在でしかいられない女性が今後の選択肢を問うことは、相当な勇気と覚悟が必要だったに違いない。望まない未来を早める可能性もあるのだから。
「恋の和歌を詠む」という行為には、「相手との絆の確認作業」という意味合いが含まれるという。その観点に立つ時、この歌は、大伴坂上郎女が当時の思い人へ向けた、最後のラブレターのようにも読めるのだ。
名門貴族の娘として生まれ、三度の結婚を経ながら、気丈に家を守り続けた大伴坂上郎女。そんな彼女にも成就しそうにない恋があり、悩み、見えない未来に震えた。どんなにタフでも、強気でも、人はきっと「惚れたが負け」。それが今とさほど違わない恋煩いのフォーマットであることを教えてくれる歌だ。
監修 _ 吉田裕子(国語講師)
東進など大学受験塾で古文など国語を教える。大人向けの古典入門講座も行い、NHK学園・毎日文化センターなどのカルチャースクール、各地の公民館・図書館、企業のリベラルアーツ研修など、多数の講座に登壇。『万葉集がまるごとわかる本』(晋遊舎)ほか様々な書籍も監修・執筆する。
- Text : Megumi Nakajima (STUDIO UNI)
- Photograph(Top Photo) : Kei Matsuura (STUDIO UNI)
- Design : Makiko Higuchi (STUDIO UNI)