過去のコレクションから、デザイナーズファッションの“創造性”を探求する|Maison Martine Margiela 1992AW COLLECTION 「soutan coat」
1980年代〜2000年代初頭のデザイナーズアーカイブを収集して、独自の解釈でキュレーションしている、ファッションの美術館型店舗を運営。SNSでは独自のファッション史考察コラムを投稿。メディアへの寄稿や、トークショーへの登壇など、活躍の場を広げている。
33年も前に発表されたコレクションライン「白タグ」のアイテムで、1990年代初頭の白タグランウェイピースはオートクチュールラインに値するアーティザナル同様、なかなか日本でお目にかかれる機会はないミュージアムクラスの希少なアーカイブ。Archive Storeでは現在展示中(2025年6月現在)なので、この機会にぜひ目に焼き付けて、記憶の中でアーカイブして頂きたい。そして、今回も筆者なりの視点でアーカイブ作品の背景を紐解いていき、ファッションの見方や思考プロセスを共有していこうと思う。
服から生まれた再構築——「スータン」という原型

まずはこの作品についての概要を説明すると、スータンコートは現在のレプリカに相当する『リプロダクション』の作品。服のベースとなったネタ元は『1930年代のスータン』で、スータンとはキリスト教カトリックの司祭が平服で着用している衣服のことを指す。スータンはフランス語で、英語では『キャソック』と呼ばれている(今回の表記はスータンに統一する)。スータンはカトリック教会の司祭が普段着として着用しているユニフォームであり、司祭からすれば日常的なワードローブだと言える。
特徴的なのは前身頃に多数付けられたボタンで、数は何と31個(Archive Store所有の作品は、ボタンが1個欠損しているため30個)。現存しているピースで筆者が把握している作品は全てボタンは31個。しかし、コレクション開催当初のランウェイピースのボタンの数は33個だった。33個という数は、実際のスータンに付いているボタンの数で、イエスキリストが地上で過ごした年数を表している。リプロダクションのプレゼンテーションは、元ネタを一度忠実に再現することで、服本来の持つ意味の解像度を上げてくれる。つまり33個のボタンを採用したことは、リアリティを追求した衣服の再現というリプロダクションのコンセプトを見事にクリアしている。(販売する際に31個に変更したことについての考察は最後にまとめている。)
倉庫をランウェイに変えた夜──黒のルックと赤い髪が醸したロンドンパンクの気配

作品の元ネタとコンセプトが理解できたところでもう一段階解像度を上げるために、メゾンマルタンマルジェラの1992年秋冬コレクションはどのようなコレクションだったのかを整理してみる。1992年3月に開催されたパリ13区のコレクション会場は、救世軍の倉庫だった。救世軍とは所謂アーミーとしての軍隊ではなく、キリスト教プロテスタントの一派で、慈善団体としての活動を行っている。多くの不要品を寄付してもらいバザーを開催し、その売上を世界中に支援が必要な人々のために使用した。
そんなチャリティー活動を行っていた倉庫を、マルタンはランウェイショー会場に選んだのだ。まさに蚤の市や古着好きなマルタンらしいといえる。会場には寄付された多くの家具や家電、古着などがランダムに置かれており、それを観覧席として白衣のスタッフの指示の元、自由に選んで見てもらう方法を取った。座席表や観覧エリアを事前に決めないのも常識やルールに縛られないマルタンらしいランウェイショーの演出だ。
ルック全体的に黒やダーク系をベースとしたルックが多かった印象。モデルの髪は全体的に赤で統一され(中には黒や茶も数名いた)、シックな服とマッチして1970年代〜1980年代のロンドンパンクのムードを醸し出していたように感じる。初期のメゾンマルタンマルジェラの中で目立つコレクションではないかもしれないが、アーカイブ視点でファッション潮流の歴史を多角的に捉えるためには、1992年秋冬の時代背景の解像度を上げて加える必要がある。
“黒”が映した時代の気配──1992年秋冬コレクションを読み解く

そこで、スータンコートが発表された1992年秋冬のパリ・プレタポルテ・コレクション全体のムードを見てみよう。毎年カラーやシルエットなどがファッショントレンドの軸になるが、1992年秋冬のパリ・プレタポルテ・コレクションは『黒』がキーワードとなっていた。
黒などのシックなトーンが流行になったのは世界情勢とも大きく関係している。1990年代初頭は世界情勢的には転換期。ソ連の崩壊や湾岸戦争勃発、日本でもバブル崩壊など様々な事象により世界的に景気後退が加速していった時代で、ハイファッションの世界ではシックな『黒』や『モノトーン』が流行のキーワードになっていた。それに加え、前年までに流行していたミニからの脱却で、ロングのアイテムが多く見られた。
マルタンマルジェラはアンチモードなファッションデザイナーとして語り継がれているが、実はトレンドもしっかりと押さえているからこそ、メゾンマルタンマルジェラの作品をアートとしてだけでなく、リアルクローズとして着用するファンが絶えないのかもしれない。
メゾンマルタンマルジェラとコムデギャルソンの共鳴

ここで、角度を変えた話として同年の1992年秋冬『コムデギャルソン』のコレクションに注目してみる。『リリス(Lilith)』というテーマで、コムデギャルソンらしい『黒』で全体を構成した内容だった。ランウェイの後半には『白』のルックも少し出てくるが、全体としては『黒』がテーマのコレクションだ。更に見ていくと、ほぼ全てのルックが『ロング』を意識した作品だった。
ここでもやはり当時のトレンドをしっかりと反映させながら、ブランドのアイデンティティーやスタイルを曲げずに提示するコムデギャルソンの哲学を感じる。偶然なのか、ここでもモデルたちの髪は赤く、ここでも1970年代〜1980年代のロンドンパンクや当時のヴィヴィアン・ウェスト・ウッドを連想させた。
このように、メゾンマルタンマルジェラのコレクションとの共通点がいくつか浮かび上がったが、驚くべきはコムデギャルソンのファーストルック。黒のロングコート(レイヤードしているためコートに見える仕様)で、カフスが大きくロールアップされていた。ここでメゾンマルタンマルジェラのスータンコートに視点を戻すと、コムデギャルソンとの共通点として袖を大きくロールアップしていた。
このような共通点を踏まえると、川久保玲とマルタンマルジェラのクリエイティビティには類似性があるように思えてくる。1982年の『黒』の衝撃以降、コムデギャルソンやヨウジヤマモトがファッション界に与えた脱構築的なファッションデザインは、1990年代以降にマルタンマルジェラなど創造性と表現力の高いファッションデザイナーへと脈々と受け継がれていったのだ。
ユニフォームに新たな意味を──マルジェラのアート思考

作品の背景を多角的に捉えた上で、マルタンマルジェラのスータンコートの意図について分析してみる。あくまでも筆者なりの考察なので、ご理解いただきたい。
リプロダクションつまりレプリカの本質は、『脱ユニフォーム化』にあると言える。つまり本来のユニフォームを、ユニフォームではない服へと変容させること。
なぜ脱ユニフォーム化が必要なのか。それは人々が無意識のうちに衣服をカテゴライズし、様々な種類の衣服を『ユニフォーム』として分類しているという特性にある。自分の置かれている環境やライフスタイルの中で、最適なユニフォームを選択し、その他の環境にあるユニフォームとは、無意識的に距離を取っている。
特にスータンコートのようなキリスト教カトリックの司祭が着用している服は、司祭ではない人にとっては日常において着ることのない無関係なユニフォームだ。しかしながら、服飾史における様々なユニフォームを、マルタンマルジェラのリプロダクションのように、モードとして再構築して提案することで、人々は日常において環境のカテゴリーを越境して、ファッションとして着ることができるのだ。
そこで、今回何故スータンコートのボタンを31個にして提案したのかを自分なりに考察した。リプロダクションやレプリカの本質を追求し、リアルに再現しすぎるとユニフォーム本来の意味から脱却できず、ファッションとして着用する難易度が高くなってしまうという懸念点がある。その課題を踏まえた上で、違和感のない程度に、少しディティールを変更することで、ユニフォーム本来の意味を無効化させ、ようやくファッションとして着用可能にしたというのが筆者なりの解釈だ。
31個の意図としては、想像の域は越えないが、イエスキリストが地上で過ごした年数の33個だったことを踏まえると、1957年生まれのマルタンがブランドを設立した1988年までがちょうど31年間なので、自身が生まれてから、ファッションデザイナーになるまでの期間を表しているのでは。。。ロマンを求めるとしたらこのような推察が個人的には納得できる。これもアーカイブ考察の醍醐味。
また、スータンコートのようなカテゴライズされた衣服は、ファッションデザイナーのフィルターを通して再構築し提案することで、全くの別物へと変容する効果もある。素材やシルエットの本来の美しさは残しつつも、本来の衣服そのものに込められた意味を無効化することで、新たな別の価値を創造する観点で見ると、マルタンマルジェラはまさに現代アート的なファッションデザイナーだと言える。
現在、マルタンはアートの世界で活躍している。今年の3月に行われた『ART FAIR TOKYO19』で、現在のマルタンマルジェラのアート作品が展示されていた。作品を見ると、やはりマルタンがファッションデザイナーの頃から創造してきた哲学がそのままアート作品にも反映されていると感じることができた。日常的に存在している物に、新たな見方を加え、変化を与え、再構築することで、マルタンマルジェラの作品は、唯一無二のアートとして創造されていくのだ。
過去をアーカイブし、未来へと繋ぐストーリー
最後に、メゾンマルタンマルジェラのスータンコートを考察した結果、リプロダクションまたはレプリカの手法は、服飾史において過去に存在した様々な衣服に時間を与え、現代に甦らせることで、現代の人々に認知させることができるのだ。これはファッションをアーカイブしていく観点においても重要な意味があると捉えている。我々は現在を生きながら、未来を創造していくためにも、過去から脈々と繋がっている時間や意味を理解し、現代流に再解釈することで、ストーリーが生まれて、ようやく未来にアーカイブとして残していけるのだ。
- Text : Tatsuyuki Suzuki
- Edit : Ryota Tsushima