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デザイナーデュオの新風。ヤシゲユウト&ビアンカ|TENDER PERSONデザイナー

Apr 18, 2019
デザイナーのヤシゲユウトとビアンカが、文化服装学院に在学中の10代でスタートしたTENDER PERSON(テンダーパーソン)。確かなオリジナリティとクオリティを追求することで、6年目を迎える現在、東京のファッションシーンの一翼を担う新世代ブランドとして頭角をあらわしている。
デザインやパターンの制作からブランドの運営まで、ときに手を取り合い、ときにぶつかり合いながら走りつづけるヤシゲとビアンカ。24歳の2人が描くTENDER PERSONの軌跡を辿った。

デザイナーデュオの新風。ヤシゲユウト&ビアンカ|TENDER PERSONデザイナー

Apr 18, 2019 - FASHION
デザイナーのヤシゲユウトとビアンカが、文化服装学院に在学中の10代でスタートしたTENDER PERSON(テンダーパーソン)。確かなオリジナリティとクオリティを追求することで、6年目を迎える現在、東京のファッションシーンの一翼を担う新世代ブランドとして頭角をあらわしている。
デザインやパターンの制作からブランドの運営まで、ときに手を取り合い、ときにぶつかり合いながら走りつづけるヤシゲとビアンカ。24歳の2人が描くTENDER PERSONの軌跡を辿った。
Profile
ヤシゲユウト
TENDER PERSONデザイナー
ビアンカ
TENDER PERSONデザイナー

2013年文化服装学院入学。翌年2014年よりTENDER PERSONを立ち上げる。同年原宿にて展示会形式でコレクションを発表。2016-17AWより本格活動を開始。日常生活から得る物事をさまざまな角度から捉え、時代感、空気感を独自に追求し、ファッションを通して自分たちらしさを表現し続けることをコンセプトに掲げる。

ファッションの原体験

ヤシゲ:自分は神奈川県出身で、小さいときは活発な野球少年でしたね。自分で服を買い物に行きたいと始めて思ったのは小学4年生ぐらい。そのころはショッピングモールでエイプ(A BATHING APE®/ア ベイシング エイプ)のパロディアイテムがよく売られていて、猿のプリントがかわいいなと。当時はエイプというブランドの存在は知らなかったんですけど。ちゃんとブランドのことを認識したのは小学6年生ぐらいだったかな。

中学3年生ぐらいには、「良い服ないかな」じゃなくて「こういう服が着たいな」と思って買い物するようになりました。でも自分が思い描いた服ってあくまで想像の世界だから、流行とぜんぜん違うし、やっぱり見つからないわけですよね。中学生のときは将来エイプの販売員になりたいという夢があったんですが、高校に入ってからは自分が着たい服を作ってみるのも楽しそうだなと思うようになりました。

TENDER PERSONデザイナー ヤシゲユウト

ビアンカ:私は埼玉県出身で、ヤシゲとは違ってそんなに活発な子どもじゃなく、図書館で本を読んだり、お絵描きをしたりしている、友だちが少ないタイプでした。というのも、親が外国人ってことにすごくコンプレックスがあって、自分からも友だちを作りに行こうとしないし、向こうからも来ないし、結果一人でいることが多かったですね。

お父さんがイタリアとドイツのハーフ、お母さんが日本とブラジルのハーフで、両親ともにブラジルで育ったので、小さいころは私も1年に1回はブラジルに行っていました。高校に入ったあたりからは全く行けてないですが、今でもブラジルは好きな国のひとつです。

TENDER PERSONデザイナー メンドンサ・ビアンカ・サユリ

ファッションに興味を持った理由として一番大きかったのは、お母さんが服を作ってくれたこと。子どものころにパリコレとかを放映していたTV番組『ファッション通信』をお母さんと一緒に観ていて、私が「こういう服が欲しい」って言ったらお母さんが私に合わせたサイズで作ってくれていたんです。日暮里とかで生地を買ってきてパターンを引いて作ってくれるところをいつも見ていました。

中学生のころからはレディー・ガガが大好きになって、ダンスを習ったり、厚底靴を履いたり。ということで、高校に入学してからも誰よりも目立ちたいと。高校は服装も髪形も自由な学校だったんですが、みんな意外と黒髪になんちゃって制服でというのが多いんですよね。私は金髪にしてハデな格好をしていて。でもファッションの道に進みたいとまでは思っておらず、当時の夢はキャビンアテンダント(笑)。それで大学受験に向けて勉強をしていたんですが、「本当にこれで良いのかな」と悩んでいたときに、先生や周りの友だちから文化(文化服装学院)を勧められたこともあって、親に相談して文化への進学を決めました。

 

TENDER PERSONの始まり

ビアンカ:文化に入学して、ヤシゲと出会ったときは覚えています。当時あったストリートスナップサイトの『リッドスナップ』や『チューン』などにヤシゲとその周りの人たちがよく載ってたんですよ。学食で、いつもその尖った人たちが集団でお昼を食べていたのをハデだな〜って見てて(笑)。

ヤシゲ:ビアンカとは文化祭で初めて会いました。文化の文化祭ってドレスコードが全身ブラックなんですよ。ビアンカはそこにほんとめちゃくちゃ高いヒールを履いていて、この見た目なんですごいワールドワイドだなって(笑)。第一印象はそんな感じでした。

ビアンカ:1年生の終わりぐらいに、ヤシゲから友だちと展示会みたいなことをやるから一緒にどうって誘われて。おもしろそうだし良いよって軽いノリで答えて、そこからTENDER PERSONが始まりました。

ヤシゲ:自分のブランドをやりたいと思って文化に入学したけれど、専門学校にいるから服が作れるようになるわけでもなく、デザインできるようになるわけでもなく。知識は詰め込まれていくんですけど、実際にやるとなったらできなくて。本当は普通に就職してある程度学んでから自分のブランドを立ち上げるのがいいなと思っていたんですが……。

文化の2年生になった2014年の夏、最初の展示会を開きました。原宿の知り合いのお店だとか、いまでいうインスタグラマーのようなインフルエンサーに来てもらったりとか。そうすると意外と次もやれるぐらいの反応はありました。そこでちゃんと本気でやるか、それとも辞めるかをビアンカと話し合って。中途半端ならやりたくなかったので。

 

ブランドとともに成長していくこと

ヤシゲ:TENDER PERSONというブランドネームは、自分の名前に由来しています。「優人=優しい人」を英語にするとTENDER PERSONっていう。最初はコンセプトというよりも、ストリートで着られる服、おしゃれな人が着たいと思ってくれる服を目指して作っていました。

3回目の展示会、2016-17AWからはシーズンコレクションとして発表していったので、そのタイミングでブランドコンセプトを2人ですり合わせて見つめ直しました。またショップにもアポイントを取りに行ったり、スタイリストさんに来ていただいたりといったことも始めました。ブランドの育て方は学校で勉強できないので、まずは周りブランドの真似をして、あとは人に教えてもらってといった感じですね。

TENDER PERSON 2016-17AW COLLECTIONより

ビアンカ:学校で勉強した服を作るための手順や行程は、ブランドをやっていくことでやっと実感へと繋がってきました。ただ、こういう服にはこういう生地が良いっていうことは分かっていても、いざ作るとなったら、デザイン的にはこんな生地が使いたい、こんな加工がしたいと、セオリー通りには進みません。今でも学ぶことは本当にたくさんあります。一緒に仕事をしている人たちに優秀な方が多いので、いろいろ教えていただきながらシーズンを重ねるごとにより良い服作りができていると思います。

今までは2人の役割分担も全然決めていませんでしたが、最近では商業的な面を含めての全体のビジョンや企画をヤシゲがメインで、メディア対応などのプレスを私がメインで担当しています。お互いデザインもするしパターンも引くしっていうのは今もぶれておらず、2人ですり合わせながら作っていくスタイルです。

デザインするときのテーマは2人で共有しますが、最初は抽象的でフワッとしていますね。お互い意見を持って、たっぷりディスカッションします。たとえば2018-19AWで『バッドボーイズ』っていう映画をテーマにしたときにも、ヤシゲは「この人がこのシーンで着ていた服」みたいに細かい部分に着目していて、私は「ここの壁の色がかわいい」みたいな感覚的な印象が気になっていて、それぞれが違う視点だから面白いなって。お客さんからは「この服作ったのビアンカでしょ」とか結構言われるんですが、それ逆だよっていうときもあります(笑)。

TENDER PERSON 2018-19AW COLLECTIONより

 

影響を受けたカルチャー

ビアンカ:今のクリエーションに影響を受けたものは……文化に入って少ししてからロンドンを訪れて、Vivienne Westwood(ヴィヴィアン・ウエストウッド)のお店や彼女の通っていた図書館、インスピレーション源になったさまざまなものに触れられたことはすごく強く残っています。

ヤシゲ:自分はエイプもそうですし、浅く広くいろんな服を着てきて、それらに影響を受けています。時代的にも、コレクションブランドにストリートテイストをミックスすることが多かったので。

自分の中で本当に好きだなって思ったブランドは、Maison Margiela(メゾン マルジェラ)とSONIA RYKIEL(ソニア リキエル)。自分が着る側の人だったら一番着たいブランドはCOMME DES GARCONS(コム デ ギャルソン)でしたが、服作りを始めてからだとマルジェラとSONIA RYKIELが心地良いというか一番刺さりました。

ビアンカ:あと、私はファッション以外だと本が好きです。この作家が好きとかはあまりなくて、宇宙に関する本だったり、悪魔に関する本だったり。気になってハマると止まらなくなっちゃう。

ヤシゲ:ってやばいですよね。TENDER PERSONのダークサイド(笑)。アトリエにブックカバーがかけられた本が置かれいてパラパラめくってみると、宇宙人とか、タロットカードのイラストが描かれてたりして「え、これ大丈夫?」みたいな。

ビアンカ:でも、ヤシゲは最近ワンピースばっかり見てるんですよ。それもやばい!

ヤシゲ:ワンピースを見返してみたらすごい良くて。今季はワンピースで奮い立っています!

 

過去と、現在と、その先と

ビアンカ:TENDER PERSONはずっとユニセックスでやっていて、スカートを作っても、男性でもパンツの上に穿いたりという提案をしています。お客さんの男女比はほぼ同じです。

ヤシゲ:定番として毎シーズンリリースしている型はないですが、ディテールやアイテムの特徴などはブランド初期からほとんど一緒です。表側に裏地を出したりとか、デニムを使っているとか、フレアパンツやバギーパンツをずっと出しているとか。

ビアンカ:あとはビッグサイズですよね。トップスも大きくて、ボトムスも太いみたいな。ボテッとしたシルエットがTENDER PERSONらしいのかなと思います。

思い入れのあるコレクションは……2018SSのルックを成田空港で撮影したこと。私たちでもできるんだって感動しました(笑)。

TENDER PERSON 2018SS COLLECTIONより

ヤシゲ:自分は2017-18AW、下北沢のライブハウスで撮ったシーズンかな。モデルはみんなバーガーキングでハントして。ルックの撮影をずっとお願いしている小見山峻さん馴染みのライブハウスで、アーティストと入れ替わりで閉店後に撮影っていう。すげーワクワクしました!

「ランウェイはやらないんですか」というのも良く聞かれる質問なんですが、ランウェイじゃなくても今は表現できていると思っていて、それが写真です。動画じゃなくても写真で魅力が伝えられているかなって。もちろんランウェイをやりたい気持ちもありますが、今はまだやってもやったこと自体に満足して終わっちゃいそうで。もっと見たいって声がいろんなところで聞こえてきたら、いつかやりたいですね。

TENDER PERSON 2017-18AW COLLECTIONより

ビアンカ:遠い未来の話かもしれませんが、いつかお店をやりたいっていう夢がずっとあって。TENDER PERSONが提案するファッションや家具、本などを集めて、服好きの人たちが集まるような場ができればいいなとずっと思っています。

ヤシゲ:近い将来でいうと海外で展示会がしたいです。ちょっとだけですがブランドがフックアップされ始めたのかなって感じはあるので。まずは英会話行こうかなって(笑)。

 

あなたにとってファッションとは?

ヤシゲ:「仕事とか趣味とか習い事とかそんなんじゃなくて、人生」

ビアンカ:「24年間生きてきた中での一番の宝物」

 

その他のデザイナーインタビューはこちら

  • text : Yusuke Takayama
  • Photography : Mitsuo Abe

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