QUI編集部が未知なる才能を追い求めて|GURTWEIN デザイナー 長谷川照洋 & ウィング・ライ
今回取り上げるのは<GURTWEIN(ガーウィン)>。クリエイションについて、デザイナー自身について、バックボーンについて。知られざる魅力を深掘りし、強く発信してみたい。
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「セントラル・セント・マーチンズで学びたい」と建築から方向転換
—<GURTWEIN>というのは造語だそうですが、ブランド名にはどのような意味が込められているのでしょうか。
長谷川:ブランド名からデザイナーの出自などが想像できることもありますが、そうしたくはなかったんです。メンズなのかウィメンズなのか、どの国のブランドなのかもわからなくしたかった。<GURTWEIN>というのは僕とウィングの名前のアナグラムで、意味を込めたというよりはむしろ意味を排除したという感じです。
— 長谷川さんとウィングさんの出会いはセントラル・セント・マーチンズですよね。
長谷川:知り合ったのはウィメンズデザインコースです。
— 現在は一緒にブランドをされているということは、長谷川さんとウィングさんは学生時代からファッション感などは一致していたのでしょうか。
長谷川:セントラル・セント・マーチンズ(以下:セントマ)で学びたいという共通の思いがあったので僕と彼女だけに限らず周囲のみんなと考え方などは近かったと思います。ウィングについて学生時代の印象などは覚えていないことの方が多いです。彼女もその頃の僕のことはあまり覚えていないんじゃないかな(笑)。
— セントラル・セント・マーチンズで学んだことで印象に残っていることなどはありますか。
長谷川:自分で考えて、自分なりの方法でミッションに臨むという方針でした。表現として正しいかどうかわかりませんが、自主性を重んじるために何も教えない学校という印象です。
— セントラル・セント・マーチンズはお二人にとってのファッション業界への入口だと思いますが、その世界を目指したきっかけはなんだったのでしょうか。
ウィング:ドレスアップをしたり着飾るのが大好きだったので、原点はそこだと思います。小さい頃からファッションへの憧れのようなものはありました。
長谷川:僕はもともとは建築家になりたくてイギリスに留学したんです。でもさまざまな理由から現実的ではないと判断して、次に何をしたいかと考えたときにセントマで学びたいと思ったんです。
—ヨーロッパのデザイナーは学生の頃は建築を専攻していたというパターンもよく聞くので、構造を考えるという意味ではファッションと建築は近しいのかもしれないですね。
長谷川:そう言われると建築から方向転換するときにファッションに意識が向かったのは偶然のようで必然だったのかもしれません。でもセントマに集まっていたのは僕のようにファッションとは無縁だった人も多くて、ウィングのような根っからのファッション好きは少数でした。
— セントラル・セント・マーチンズへの進学が偶然だとしても、その決断がLVMHプライズの学生部門の「グラデュエード・プライズ」の受賞につながっていることを考えると人生を左右した分岐点とも言えます。
長谷川:僕は「グラデュエード・プライズ」の第1回の受賞者ですが、当時は創設されたばかりだったので情報もあまり持っていなくて、どれぐらい狭き門なのかもよくわかっていなかった。でもリカルド・ティッシに声をかけられて卒業後に<GIVENCHY(ジバンシィ)>で働くようになったのは受賞がきっかけなので、大きな転期であったことは間違いないです。
— 長谷川さんとウィングさんは<GIVENCHY>でも一緒でしたが、ウィングさんはどのような経緯で<GIVENCHY>で働くようになったのでしょうか。
長谷川:<GIVENCHY>で働くようになって半年ぐらい経ったときにリカルドから「お前がトップに立つ部署を作れ」と言われたんです。リカルドは僕とダイレクトに仕事ができるような環境にしたかったみたいです。それでメンバーを集めるときに僕が信頼できるスタッフとして別の会社で働いていたウィングに声をかけました。
—ウィングさんは会社を移ることはすぐに決めたんですか?
ウィング:<GIVENCHY>のチームはパッションにあふれていたので声をかけてもらえたのはうれしかったです。<GIVENCHY>で働けることは楽しみしかなかったです。
ブランドを始めるうえで着手した信頼できるチーム作り
—リカルド・ティッシが<BURBERRY(バーバリー)>に移った際には長谷川さんも行動を共にしています。ヨーロッパでのキャリアも順調だったと思いますが、どうして日本でブランドを始めたのでしょうか。
長谷川:僕が急遽帰国しなければならない理由ができたので、パートナーのウィングと一緒に日本に戻りました。帰国について会社に相談したときには「ウィングはこっちに残ってもいいんじゃない?」と言われましたが(笑)。
—帰国しなければならない理由が生まれなければ、いずれはヨーロッパでブランドを立ち上げていましたか。
ウィング:セントマ時代から「いつかは自分のブランドを」という思いはお互いに強く持っていたので絶対にやっていたはずです。ヨーロッパでも日本でも、どこで始めるかはそんなに重要ではなかったです。
—<GURTWEIN>のクリエーションは日本の産地や職人との取り組みも特徴ですが、そのようなスタイルに理由はありますか。
長谷川:<GIVENCHY>では縫製だったりパタンナーだったり、オートクチュールのチームと密接な関係にありました。日本でブランドをやるにしても同じような働き方をしたいと思って国内でパターンをお任せできる職人、テキスタイルを依頼できる機屋などを探したんです。
—産地との取り組みは<GURTWEIN>が目指すクリエーションを叶えてくれるチームということなんですね。ジャパンクオリティへのこだわりなのかなと勝手に思っていました。
長谷川:もちろん日本の伝統技術や品質へのリスペクトもあります。ただ、もしもフランスでブランドを立ち上げていたら同じように信頼できる職人や工房を現地で探していましたし、それがアメリカだったとしても同じです。僕とウィングと意思疎通ができるチームを作るというのは最初に決めたことでした。
ウィング:一緒に仕事をしたいと思える方々を探すというのは決めていましたが、そこがいちばん難しいところでもありました。その時点で私たちの全てのキャリアはヨーロッパで培われていて、日本のファッション業界には知り合いと呼べる方は少なかったです。
長谷川:<GURTWEIN>として本格的なコレクションデビューは2023年春夏でしたが、会社を立ち上げたのは2020年でした。それがちょうどコロナ禍でファッション業界のネットワークを広げようと思っても世の中のあらゆる活動がストップしていたので身動きが取れないような状況でした。
—2023年のデビューから2シーズンの展示会はパリのみでしたが、それはマーケットとしてヨーロッパを意識されているからでしょうか。
ウィング:それも先ほどお話ししたのと理由は同じです。展示会にバイヤーやエディターを招待しようと思っても日本のファッション関係者のアドレスを多く知らなくて、かつてお世話になった方や元同僚というのは全員がヨーロッパだったのでパリを選びました。
—ブランドを立ち上げるという夢が叶って、まずはキャリアがスタートした地でお披露目をしたいと思うのは自然なことですね。かつての上司や同僚からはどんな声がありましたか。
長谷川:服そのものやデザインについてというよりも、ブランドをやり続けていく大変さを身をもってわかっている方ばかりなのでエールをたくさんいただきました。
ヨーロッパでの経験を活かしつつニュートラルでありたい
—<GURTWEIN>でのお二人は役割を教えてください。
ウィング:ブランドとしてまだまだ規模も小さいので、現時点では役割などを分ける必要を感じていません。それぞれの肩書きは特に決めていなくて、シーズンコレクションの方向性なども話し合って決めています。
—新しいコレクションを考えるときに何からインスピレーションを得ることが多いですか。
ウィング:これまでに働いていたのがブラウスからイブニングドレスまで作っていたブランドだったので、自分たちもコレクションを考えるときはジャケットからシャツ、ブラウス、スカート、パンツまでトータルのルックが自然に頭に浮かんできます。
長谷川:ウィングが話しているのを聞いて、確かにそうだなと僕も思いました。過去に働いていたブランドでの経験というのはコレクションに反映されていますね。
—<GURTWEIN>のシグネチャーになっているようなアイテムはありますか。
長谷川:ファーストコレクションから作り続けているジャケットがあります。シーズンテーマによって素材やパターン、ディテールに変化を加えてアップデートしているのですが肩を落として、ウエストを絞ったシルエットは大きく変えていません。ハートドレスと呼んでいるアイテムも必ず制作していて、ハートの表現はシーズン毎に工夫を凝らしています。
ウィング:アップデートはさせながらも<GURTWEIN>らしい雰囲気というのを守り続けています。
—「<GURTWEIN>らしさ」というのを言葉にするとしたら。
長谷川:「いかにクールであるか」ということです。どこかで見たことがあるような服はクールではないと思うんです。
— 長谷川さんのようにヨーロッパでデザイナーとしてのキャリアを積んだ方にインタビューしたときも同じような意見でした。向こうはクールか、クールじゃないかが全ての判断基準だと。
長谷川:可愛いも美しいも全て「クール」のひと言で表現するのはヨーロッパならではの概念でしょうね。新しいことに挑戦し続けないとクールな服は生み出せないので、<GURTWEIN>もその姿勢を保ち続けたいです。
—<GURTWEIN>が掲げている人間像のようなものはあるのでしょうか。
長谷川:イメージのようなものはありますがそれを言葉にするのはすごく難しく、あえて言葉にしたくないという思いもあります。皆さんがコレクションを見ていただいて、素直に感じたことが<GURTWEIN>が掲げている人間像ではないでしょうか。
—言語化することでブランドのイメージが固定されてしまうこともあるからでしょうか。
長谷川:僕もウィングも<GIVENCHY>で働いたことでゴシックには大きな影響を受けていますが、ひとつのテーマに寄せすぎずもっとニュートラルでありたいという気持ちは持っています。
—国内では<GURTWEIN>はどこのショップで取り扱っていますか。
長谷川:伊勢丹新宿店は立ち上げと同時に発表したコレクションから取り扱っていただいています。ブランドをスタートさせたばかりで未知数だらけにも関わらず伊勢丹のバイヤーの方がパリの展示会にいらしてくれて本当にうれしかったですね。
—ブランドとしての本格デビューが2023年と位置付けるなら4シーズン目になりますが、やりたかったことはできていますか。
長谷川:一緒に服作りをしている産地や職人など、チームとしてのまとまりは強くなっていると思います。そのおかげでシーズン毎に作りたいもの、届けたいクオリティというのは実現できているという手応えはあります。
—これから目指していきたい方向などはありますか。
ウィング:会社として立ち上げたわけですから、ビジネスとして長く続けていくことはひとつの目標です。
長谷川:ファッションブランドだからクリエーションありきかといえばそんなこともなくて、ミーティングがあったり、資料の隅々まで目を通したり、僕たちも組織の運営というものを経験しているのでビジネスとクリエーションのバランスは大切にしていきたいです。
GURTWEIN
セントラル・セント・マーチンズの大学、大学院を卒業した長谷川照洋とウィング・ライによるブランド。大学院の卒業コレクションで第一回「LVMH graduate prize」を受賞。卒業後は、<GIVENCHY (ジバンシイ)>にてリカルド・ティッシの元でキャリアを積み、デザインディレクターとしてランウェイ、オートクチュールなどに幅広く関わる。その後リカルド・ティッシと共に<Burberry(バーバリー)>に移りブランドの刷新に関わる。日本に帰国後<GURTWEIN(ガーウィン)>を設立。2022年春夏シーズンからパリにて展示会形式でコレクションを発表する。
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@gurtwein
- Photograph : Kaito Chiba
- Text : Akinori Mukaino(BARK in STYLE)
- Edit : Miwa Sato(QUI)