イマジンとサプライズ ー mister it.デザイナー 砂川 卓也
パンデミックの状況を静観しながら迎えた快晴の朝、ブランドのアーカイヴピースを抱えた彼がスタジオに現れた。撮影日の数日前である。すでに郵送で到着していたアイテムを含めると、100着ちかくはラックにかかっていた。シーズンの境界を超えて一堂に会したコレクションが明らかにしていたのは、カラーパレットと色彩のトーン、素材の選択とそのコントラスト、洗練されたシェイプ、柄やディテールといった全方位に、砂川の一貫した視点が向けられてきたということだった。そして、一着の中に、人の面影と、砂川の、私たちのこわばった頬を緩ませるイマジネーティブの力が宿っていることだった。
大阪生まれ。パリのエスモードを主席で卒業。2012年よりメゾン・マルタンマルジェラで3年間メインコレクションに携わり、以降はオートクチュールラインである“アーティザナル”のデザイナーチームに。帰国後の2017年より自身のブランドを発表。http://misterit.jp/
雨降りの当日、カメラのレンズの前に招かれたのは、小学生の男の子、ふたりのティーンエイジャー、親友同士の大学生、一線で活躍するキャリアウーマンに、コレクションピースを纏うモデル。無数の洋服の中から砂川のビジョンを汲み取って、スタイリストの早川すみれが、7名それぞれのパーソナリティにmister it.のエッセンスを澱みなく、しかし、ひとつまみの違和感をもって内包させていく。書き割りの背景に凛と佇み、軽やかに拡張された彼らの存在感を、写真の中にとどめていくようだった。
スタジオに響くシャッター音を耳にしながら“特定の誰かをイメージしてデザイン”するアプローチを貫く砂川が口を開いた。「僕もすっかり忘れていましたが、彼が履いている“歩けないパンツ”はパリにいた時に作ったものですね。新しいことをやろうという切迫感に苛まれていた時に“立ち止まりたい”と思った自分に向けて作ったんです。それを早川さんが今、こうして過去をまざまざと振り返るタイミングで引っ張り出してくれた。素直に嬉しいです(笑)」。そう言って、数年間のうちに作り出されてきた一着一着に込められた背景やストーリーを思い起こし、反芻し、思いがけないサプライズに喜んでいるようだった。私たちは、ヘムラインの数ミリのズレを見過ごさない彼のルーツを知るため、テーブルを囲み、彼自身の時間を遡ってみることにした。
23歳まで大阪で生まれ育った彼は、幼い頃から「とにかく、他人と一緒であることが嫌だった」という。小学6年生の時は、ロン毛にカチューシャで、足元は下駄。「ずっとサッカーをやっていたので、アルゼンチン代表の選手だとかの影響はありましたね。長い髪にヘアバンドをしたりするじゃないですか。ただ、今考えるとやばい格好ですよね」と笑いながら、ファッションに心が向き始めた頃を回想していく。
「一つ歳上の兄が履いていたかっこいいスニーカーを見てジョーダンやナイキ、ポンプヒューリーといった足元からファッションに入り、そこからデニムが好きになって、Tシャツ、キャップ……と段々と興味が拡がっていきました。親も自由にさせてくれるタイプでしたし、『かっこいい』を共有できる同級生がいたことも大きかったですね」
クラスでも、活発に前に出るタイプだったというが、「なんというんですかね。目立ちたいけど、恥ずかしいという矛盾した感情はありましたね」という。「自分のために作った」という目元が隠れる深めのツバが付いたキャップのデザインの理由が見え隠れしながら、そのチグハグな心の機微を噛み締めるように「人がどう思っているんだろう、は当時から今も変わらず考えていることかもしれません」と話を続ける。
「大阪って面白い人が結構いるんですよ。特に、下町。まだ小さい頃の記憶に、兄と一緒に道ゆく人を観察しながら、彼らの姿から引っかかるポイントを探して言い合うっていうちょっとしたゲームみたいなシーンがあるんです。『あのおっさんのシャツの感じが面白いね』だとか、『歩き方に癖があるね』だとか。今思うと、“その人のキャラクター性を探す”ということが、まさに今の自分がやっていることとリンクしている。今でも地元に帰ると、駅前でノーヘルのおっちゃんに睨まれて、通り過ぎたなと思ったら引き返してきたりする。意味がわからないじゃないですか(笑)。でも、実際にあったこと。そういうことを僕は面白がっちゃうし、こうやって鮮明に覚えているのも自分なんだと思う」
洋服に関わる仕事が心の中で具現化してきたのは、高校2年生のころ。油絵をやる母と、スカーフや扇子を作る父の背中を見て、「感覚的に、普通のサラリーマンにはならないだろうと幼心に思っていた」という。きっかけは、忘れがたい挫折でもあった。
「実はサッカーのプロ選手になろうと思っていたんですよ。でも、『自分はプロにはなれない』と悟ったタイミングがあった。とにかく悔しい思いをしたから、次に何かを始めるなら絶対に負けたくないし、後悔したくなかった。16歳で、“洋服で何かをしたい”と思い始め、その頃、なんだか日本にいたくないと思うようにもなっていて、世界を駆け回れるバイヤーになることを想像していました。海外でファッションで何かしたい。安直なんだけど『ファッション+海外=パリ』みたいな方程式が僕の中にあったんですね(笑)。コネクションもなく、辿り着く方法のひとつ思いついてないのに、ひとまずお金を貯めようと500円玉貯金箱の外側に『この中から1円でも取り出したらパリにはいけない』とマジックで書いていたんです。なんかのお釣りだとか、バイト代だとかを入れ、貯金箱に書かれた“パリ”の文字を毎日見ていて、貯金箱が重くなっていくにつれて自信が湧いてくる感覚もあった。語学を勉強できる大学に進んだのもそのためです……と言うけど、正直、遊び呆けていましたね(笑)。ただ、大学3、4年生でみんなが就活に四苦八苦し始める時に、現実が目の前にやってきた。思い悩むことの多い日々でしたが、安い古着をリメイクしたり、服を燃やしたらどうなるのか実験したり、思うがままに切ってみたらどうなるのかを試してみたり……いつの間にか、そういうことにのめり込んでいきました。『これで何かしたい』と、感情が湧いてきたんです」
「独学にはやっぱり限界がある。サッカーだってなんでもそうだと思うけど、基礎を知って初めて面白いことができる」と思い至った彼は、専門学校に進む道を選ぶ。が、「相当に学費がかかるじゃないですか。だからまずは、両親に僕の姿勢を見てもらいたくて、部屋にこもってとにかく服を作った。『コレで無理だったら自分の人生は終わり』くらいに思っていたので、作業量も半端なかった。とにかく手を動かし、自分が思ったものをひたすら形にする作業。そして『そう言うと思ってたよ』という一言で、両親は僕を送り出してくれた」
エスモードに進学し、長く思い描いていたパリに留学したのは専門学校3年目のことだ。国内コンペの賞を取った後に進学したのは、エスモード·パリのオートクチュールのクラス。のち、課せられたのは3体だったが、8体の卒業コレクションをもって首席で卒業した。
卒業後もパリで働くことを選び、「自分のブランドをやることは早々に決めていた」砂川の、デザイナーとしての大きな転機は、彼が10代の頃に京都国立近代美術館で開催された「ラグジュアリー:ファッションの欲望」展でマルタン·マルジェラの異質なクリエイティビティを目の当たりにしたこと、そして、メゾンのアトリエで働いたことにある。
「あの展覧会で無類の空気を発していたのが、レコードを砕いて服にしているアルティザナルのベストでした。記名がなくてもマルジェラとわかることが凄いし、僕たちが今いる空間を真っ白に塗るだけで“マルジェラ”になるじゃないですか。洋服以外の部分でも、それを定着させた巧みさ、見せ方、そうしたことすべてを尊敬しています」
あの時の衝撃があったからこそ、「他とは違う」服を作り続けることを切望し、アトリエの門を叩いたのは必然的だったのだろう。数年間を過ごしたアトリエワークを通し、現在のmister it.に連なるインフルエンスについて尋ねると次から次へと列挙されていった。
「一番は『ブランドとは?』という最も基本的なところです。洋服の作り方以上に、ブランドはどうあるべきなのか。例えば、デザイナーの立ち振る舞い方から、作り手の人たちとどういう関係性でやっていくのかまで。デザイン画を描き、アシスタントがアトリエに持っていって形にするのではなく、その造形の理由から素材を選ぶわけ、今シーズンの“気持ち”の部分までを作り手にしっかりと伝える姿勢があった。何もない日にコーヒーやケーキをアトリエに持参して、家族やプライベートの話をしたりする。他愛もない日々の会話が信頼関係を築くことも知りました。自分がリスペクトしてるデザイナーってみんなそうなんですよ。人と一緒にいる時間にかける熱や愛情が大事だと学んだし、なんというか、コレクションをやるたびにチームがどんどんファミリーになっていく感じがあった。mister it.で大切にしていることもアトリエで自然と身についたことなんでしょうね。自分らしいブランドをしたい、他にはないアプローチをしたいという気持ちもあったけど、無理に新しいものを引っ張ってくるより、自分の中に既にあるものを掘っていくという考えは強く意識したところです」
mister it.の現在に連なる最初のコレクションは、当時もっとも身近な存在だった10人のアトリエスタッフやデザイナーのことを思い、パリで制作された10体の一点ものの洋服だったといいう。タイトルは“collection zero”。ゼロからイチに移行するまでに自身の中でしておくべきことがあると思い名付けられた。
「『あなたはこうだから、こういう服を作りました』という、僕が抱いている気持ちでストレートにぶつけたいと思ったんです。服を介して自分の想いを伝えたらめちゃくちゃ喜んでくれて、中には泣いてくれる人もいたりして……シンプルに嬉しかったです。本当に楽しかったし、やって良かった。服を作ってプレゼントするという、アホなことをやったのでめちゃくちゃ貧乏生活をおくっていたんですけどね(笑)。一人ひとりの顔を思い浮かべて作るので、アイデアを振り絞るのではなく、それぞれとの思い出がフラッシュバックしながらデザインする。明らかに今のやり方につながっていて、『こうしたらこの人は喜んでくれるだろう』『こういうのが似合うだろうな』と、素直に、無理なく作るっていうポイントは変わっていません」
パリから帰国し、2018年春夏からプレタポルテとしてmister it.をスタートさせるまでは「とにかく自分を掘り下げる時間」を過ごしていたのだという。「まずは基本を抑えながら、アンダーグラウンドな空気感をあるけどしっかりとやるのが自分に合っていると思ったんです。大阪に帰って母や祖母に幼少期の自分について聞いたり、実家の部屋を漁り、昔の写真を見返したり。そういう時間を過ごすにつれて、先ほど話したような、兄と街中に“キャラクター”を見つけるゲームをよくやっていたなだとかを思い出したんですよ。繰り返しになるけど、人ありきっていうのが大前提にあるんです」
mister it.のコレクションは、砂川が直接知る友人、知人のキャラクター、あるいは、癖や仕草、彼女たちとの間に実際にあったストーリーが服作りの出発点になってきた。「髪を切るタイミングがわからない彼女」に贈るシャツもそのひとつ。特定の誰かを脳裏に描きながら作るプレゼントのようなデザインが、その人ではない誰かのシンパシーをも生み出してきた。一方、2021年春夏からいくぶんチャレンジしたことがあるのだという。
「服の背景やストーリーをあえて伝えないことにしたんです。というのも、mister it.の服って色んな着方ができる。買った人が自由に予想したり、考えて着ることも面白いんじゃないかと思ったからだし、僕が想定していた着方じゃないのも積極的に受け入れてみたくなったんです。コレクションとしてとても大切なポイントですが、アイテムの最初のアイデアとしてストーリーを入れているだけで、その後は、着る人のモノになってほしいという思いが強くなっています」
私たちのリクエストに応じて、たくさんのアイテムを紹介してくれた。中でも、最初期からアップデートを続けている定番のシャツのカフスに刺繍された1cmほどのハートマークが、彼がファッションデザインに向かう眼差しを、すべからく表象しているように思えた。
「人と会うことって貴重じゃないですか。SNSで誰とでもコミュニケーションできる中で、実際に会うと会話が楽しくなって、洋服によって会話が弾むのってすごくいい。握手した時にシャツのカフスが見えたり、ご飯を食べる所作の中でちらっと見えたときに『これ何?』っていう一言が生まれるかもしれない。コミュニケーションツールとして洋服が存在できたら本望なんです。このシャツは唯一、特定の人ではなく、みんなを思い描いたもの。だから、アイテムの名前は『みんな』。ブランドが続く限り作っていきます。使っている糸は同じなんですが、織り方を右と左で変え、羽織ったときに自分だけがわかる特別感を出したり、ちょっとした気遣いで汚れやすい襟の内側に汚れにくい素材を使ったりしています。また、僕たちのスタンダードとして、図書館で本を借りるのをイメージしたスタンプでいつのシーズンかわかるようにしています。もしかしたら最初のシーズンと最後のシーズンで全然違うかもしれない。そのときの思いを反映されているはずですから、mister it.らしいですよね」
「自粛中でずっと部屋にいたので、自分の部屋のカーテンを使ったりしています。今回のコレクションでは、人が歩いているだけの動画を作りました。『なんで歩いてるんだろう?』『どこに向かっているんだろう?』という、当たり前のことに疑問を覚えたのは人生で初めてのことで、その感覚をビジュアルにしたかった。自然の中に街灯や影があったりと違和感だらけなのですが、今とリンクしているなと感じます」
「ヴィンテージ素材や、生地の端を使っています。生地のキャラクターは、生地の耳に詰まっているとも思っていて、一般的には裁断してしまうところをデザインとして落とし込みたかった。スカーフは、今だからこそしたいと思う柄を作りました。つまり、柄がどのようにできているのかというプロセスを、レイヤーにしている。この『プロセス』というのが、自分の中でポイントになっています。今、多くの人と共有できることは『これからどうしたらいいか?』という曖昧さ。そのプロセスを探っていると思うんです」
- Text : Tatsuya Yamaguchi