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大人とはなんだろう。映画『向こうの家』

Oct 15, 2019 - FILM
大人になるとは、どういうことだろうか。そもそも大人ってなんだ? はたして自分は大人になれているのだろうか?
映画『向こうの家』は、一風変わった角度からそんな問いを投げかけ、そして同時に、そうした問いに優しい眼差しで答えようとしてくれる作品だ。

緻密に設計された人物像・演出・ロケーションの調和

自分の家庭は幸せで、ごく普通の毎日を過ごしていると思っていた高校生の森田萩。しかしある日、萩は父親の芳郎から、芳郎にはもう一つ家があり、そこには不倫相手の瞳子という女性が住んでいることを明かされる。それどころか、芳郎の頼みでなぜか萩は自分の父親と不倫相手が別れるのを手伝わされる羽目になってしまう。海沿いの町を舞台に、自分の家と瞳子の家、二つの家を行き来する萩が、個性豊かな大人たちに囲まれて成長していく様子を描く。

毎年、話題作とともに期待の映画人を輩出する東京藝術大学大学院の修了制作。『向こうの家』も、監督の西川達郎が修了制作として初の長編に挑んだ作品だ。主人公の萩を演じるのは映画『五億円のじんせい』(文晟豪監督)での主演や日本テレビ系ドラマ『3年A組―今日から皆さんは、人質です―』への出演で注目される望月歩、ヒロインの瞳子は『娼年』(三浦大輔監督)での好演が高い評価を得た大谷麻衣が演じる。

父親の不倫、さらに不倫相手との対峙という、ともすれば家庭崩壊の危機でもあるシリアスな状況を、登場人物たちは絶妙な鈍感力で軽快にかわしつつ、時折クスリと笑いさえ誘いながら、物語は奇妙なほど穏やかに展開していく。

ところどころクセのある古風な演出や、芳郎のややレトロな風貌が醸す旧世代的な雰囲気によって、萩がこれまで見ていたはずの大人と、実際にはちゃんとしていない大人とのギャップがより一層強調される。どこか懐かしい映像の中に、ノスタルジーだけではない新しい家族の風景が描かれている。

そして、瞳子の住む高台の家と、萩のいる町が臨む海の存在が、この物語を象徴的に支える。細く長い石段を登った先にある家に住む瞳子に会いにゆく萩は、さながら大人の階段を登っているかのようにもみえる。そして、いつもそこにある海は、萩を、そして頼りないすべての大人たちを、優しく見守るようでもあり、なにより波間に照り返される淡い光は、本当にただただ美しい。

それぞれの登場人物の個性と、彼らの軽妙な会話が紡ぐコミカルな展開、そして萩が過ごす二つの家と、静かな海。それらが何層にも重なりあうことで、家庭崩壊の危機という状況を忘れるくらい不思議な爽快感を放つ作品に仕上がっている。

 

不器用で愛おしい大人たちへの眼差し

映画『向こうの家』では、主人公の萩がこれまで思っていた大人とは違う、不器用な大人たちの姿が描かれている。というより、周囲の大人が抱える不器用で愛おしい部分が、萩の目線を通して映し出されるというほうがより正確だろう。

大人になるとは、どういうことだろうか。芳郎は、大人でいること、そして父親でいることに、ときどき疲れていたのかもしれない。瞳子は、芳郎や萩の前で、ほとんど無意識に相手の理想に応えるように、相手にとってもっとも魅力的な姿で振る舞っているようでもあった。

同じように私たちも、誰かの前で大人を演じることが少しずつ上手になっていくということ以外に、“大人”になれているのだろうか。瞳子や芳郎がそうであったように、正しくないと知りながらもときどきは寄り道したり間違えたりして、私たちは毎日を過ごしている。

唯一、萩の母親だけがつねに正しさを貫く大人として映るが、そんな彼女もまた正しさに固執するが故の生きづらさをはらんでおり、やはりどうにも放っておけない不器用で愛おしい大人の一人だ。

作中で描かれた夏の日々のあと、大人に対する、あるいは他者に対する萩の眼差しは、きっとこれまでとは大きく違っているだろう。なにかと正しさを強要される現代を生きる私たちの肩にはいった力を、そっと取り去ってくれるような、エンドロールのあとにはそんな優しい感覚を残してくれる作品だ。

 

 

『向こうの家』は、シアター・イメージフォーラム(渋谷)で公開中、その後全国で順次公開予定。
公式サイト:https://mukonoie.com/

©東京藝術大学大学院映像研究科

 

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  • Text : Masayoshi Yamada