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THE TOKYO(ザ トーキョー)│柳沢英則のアーティストはじめて物語

Dec 10, 2019 - FEATURE
日本のロック史に名を連ねるバンドを数多く輩出してきた老舗のライブハウス「新宿ロフト」で店長を務める柳沢英則が、いま見てほしい気鋭のバンドやミュージシャンを紹介する対談連載。はじめて楽器に触ったのはいつ?はじめてのライブはどうだった?など「はじめて」をキーワードに、アーティストの魅力、音楽性のルーツにせまります。第2回目は、2019年12月15日に約2年ぶりのワンマンライブを行うTHE TOKYOとの対談です。
Profile
柳沢 英則
新宿ロフト店長

1979年生まれの40歳 。ホワイトルーザーのベースや月狼レコードを主催。2001年に渋谷屋根裏のブッキングとして勤務。半年ほどで退社し、蕎麦屋や警備員などをして2011年に下北沢GARDENブッキングとして勤務。2013年に退社し、同年に新宿LOFTの遅番アルバイトスタッフとして入社。2014年にブッキングの社員になる。2016年に下北沢SHELTERに移動し、2017年に新宿LOFTに副店長としてカムバック。2018年8月に新宿LOFT店長になり1年と2カ月が過ぎてせわしない日々を過ごしている。サバイバル番組・酒・旅行・温泉・幕末・格闘技・映画・動物・ドキュメンタリー・探検・珈琲・チョコ・整体が好き。川崎CLUB CITTAで開催したLOFT MUSIC & CULTURE FESTIVAL  2017・2018の製作を担当し、現在も歌舞伎町爆音祭 / ええじゃないか歌舞伎町 / バッテキ! / 東京STREETなどの自主企画を新宿LOFTで毎月開催している。

新宿ロフト:〒160-0021 東京都新宿区歌舞伎町1丁目12−9 タテハナビル

THE TOKYO
ミュージシャン

コダマアツシ(Vo)、こだまたいち(Gt)、ハリケーンハマー(Gt)、ドン・タカシ(Ba)、ミヤシタツカサ(Dr)。

懐かしいのに、なんか新しい。煌めいていて、ギラギラしていて、そして、切ない。日本のロック・フォーク・歌謡曲が放つ土着臭を継承しながらも、懐古主義にどっぷり浸かるのではなく、「現在」に昇華させる。いつまでも錆び付くことのない、エバーグリーンな楽曲を搔き鳴らし続ける5人編成バンド。

2013年にベース以外の現メンバーが揃い、これまでにミニ・アルバム2枚、ライブ・アルバム、カバー・アルバムをリリース。

今年2019年は、配信限定シングル「気ままにグッドラック」「SAYING」を2ヵ月連続リリースや、YouTube番組「ザトーキョーの元気を出せテレビ」開始。そして12月15日、1年8ヶ月振りとなるワンマン・ライブを下北沢SHELTERで行う。

HP:http://thetokyo.jp/

Twitter:https://twitter.com/the_tokyo

Instagram:https://www.instagram.com/the_tokyo/

YouTube:https://www.youtube.com/user/TheTokyoAsBand

連載第1回目の999999999をとりあげて数週間後、柳沢さんから連絡があった。THE TOKYOというバンドがすごくかっこいいから、ぜひQUIで紹介したいとのことだった。実際に曲を聴いて驚いた。昭和のノスタルジックな雰囲気の中に、どこか都会のシティー感も感じさせる楽曲やミュージックビデオを見て、第2回はTHE TOKYOでいくことに決定した。今回はTHE TOKYOから、ボーカルのコダマアツシとギターのこだまたいち(2人は兄弟)、同じくギターのハリケーンハマーと対談を行った。

全員昭和のカルチャーが好きだった

ーまずは柳沢さんから、THE TOKYOがどんなバンドかご紹介いただけますか?

柳沢:ロックンロールを主体にしていて、昭和の映画の銀幕から飛び出してきたようなバンドですね。メロディがすごくいい。

ーオリジナル曲の曲調や、『気ままにグッドラック』のMVなど、昭和の世界観で作られていますよね?これは誰かの趣味なのですか?

アツシ:バンド全員の趣味ですね。戦略的に昭和でいこうっていうのはなくて、全員の好きなものが昭和のカルチャーだったんです。70年代の日本のドラマとかに影響を受けていることが多いですね。

柳沢:前にツアーを一緒に回ったときも、すごい昔の曲ばっか聴いていたよね。

アツシ:『陽気なステップ』というアルバムを販売したときに、ヤナさんと一緒にインストアライブめぐりをして。

ハマー:ヤナさんはワゴンの一番後ろに座っていて、『悲しい色やね』が流れた瞬間これいい曲だよねって(笑)。

 

THE TOKYOの基盤を一緒に作ってくれたのがヤナさんだった

ー柳沢さんとTHE TOKYOは、どのような経緯で出会ったのですか?

柳沢:もともと「KITAZAWA TYPHOON」っていう下北沢のサーキットイベントをやっていて、荒川さんっていうCAVEBE(下北沢にあったライブハウス)の店長だった人が、会議でTHE TOKYOってずっと言っていたんだよね。

YouTubeでPVはなかったんだけど、ライブの音源だけ上がっていて、聴かせてもらって良かったのでブッキングしたんです。そのイベントがはじめての出会いかな。アツシくんが一番印象強かったね。目力が強い人だなぁって(笑)。

アツシ:俺らもすごく印象深くて、初対面だったんですけどベロベロで、勝手に店にあるウォッカをボトルでラッパ飲みしていて、第一印象はすごい怖かった(笑)。

柳沢:このあいだも言われた(笑)。そのときから仲良くなって、共同でイベントをやろうって話になったんだよね。それで企画したのが、当時下北沢GARDENで「色男サリバンショー」だったね。

アツシ:エド・サリバンショーみたいに、MCに男女をおいて、そのMCにアーティストを紹介してもらって演奏するみたいなイベントをやったんです。

柳沢:その後、僕がGARDENをやめることになって、新宿ロフトに移ったんだけど、最初バンドのツテとかもなかったから、THE TOKYOに声かけたんだよね。一緒に面白いことやりたいねっていう話をずっとしていたから。それで2015年、「オレたちしんじゅく族」っていう月1回のレギュラーイベントを1年間一緒にやることになったんですね。自分の中で、毎月定期イベントで、無名なバンドが500キャパを埋められるかっていうチャレンジでした。普通のバンドだったらやらないと思う。500キャパの会場で、毎月やるイベントなんて、相当つらいから(笑)。

アツシ:でも、あのイベントを走りきったのが本当に良かった。ヤナさんには感謝しかないですね。でも、この間ヤナさんと飲みながら、あのイベント続けてくれて本当にありがとうございましたって言ったら、結構あがりは出てたから言われてちょっとホッとした(笑)。

俺らが一番無名だったのに、ザ50回転ズとかTHE NEATBEATSとかTHE BOHEMIANSとか当時から有名だったバンドを差し置いて、いつもトリがTHE TOKYOなんですよ。THE TOKYOの演奏が始まる直前にお客さんがどんどんいなくなっていくから、ハマーは心折れて辞めようとしていたね(笑)。

ハマー:それがきっかけで今の路線に変えたよね。

アツシ:そうだね。それまではロックンロールみたいな感じだったんだけど、もっと自分たちが好きでとがっている部分をやろうっていう話になった。ヤナさんもそういうのすごいおもしろがってくれる人なんで、この話したら吉川晃司に果たし状送りつけようとかいいだして(笑)。

実際はやってないですよ。ただ俺たちが好きなものを貫いていくことを、肯定してくれるので、原動力になりました。本当に、THE TOKYOの基盤を一緒につくってくれた人がヤナさんでしたね。

ー「オレたちしんじゅく族」の経験が、今の音楽性の原点になったのですね。

アツシ:ヤナさんと知り合ったのが、ちょうどTHE TOKYOの転換期だったんです。当時はクラブとかでライブをやることが多かったんですけど、ちゃんとライブハウスでやっていこうとしていた時期で、ちょうどヤナさんも下北沢GARDENを辞めて、新宿ロフトに移るときだったんです。ヤナさんは「俺はロフトの店長になる」って息を巻いていたころで、たまたま転機となるタイミングが重なったんです。でもその後本当にヤナさんはロフトの店長になって、勇気をもらいましたし、励みになりました。

柳沢:ライブハウスの仕事ってどうしてもルーティンワークが多くなってきちゃうことが多いんだけど、THE TOKYOのようなバンドと出会って、一緒に夢に向かって、いろんな感情を分かち合えたっていう経験が自分にとっても財産になった。そういう付き合い方をしたバンドは、THE TOKYOがはじめてだったから。THE TOKYOだけじゃなく、ライブハウスの店長として、関わるバンドとはそういう関係性じゃないといけないなと思う。

 

THE TOKYOは俺たちのイメージをぶつけていける架空の場所

ーTHE TOKYOは結成されてからどのくらい?

アツシ:たぶん来年、2020年で10周年です。2009年からコダマファンクラブとして活動していまして、THE TOKYOに名前が変わったのが、2010年くらいですね。

ーTHE TOKYOというバンド名は印象的ですよね。なかなか名乗れないというか。そこに込められた思いはありますか?

アツシ:人によって説が違うんですよね(笑)。たいちとかはどう?

たいち:僕は全然しっくりこなかったです。最近ようやくその字面にも慣れてきたけど。

ハマー:最近なんだ!ずっと違和感あったの!?言ってよ(笑)。

たいち:最初からずっと違和感ありました(笑)。

アツシ:実はだれがどう決めたかよくわからないんですよ。コダマファンクラブをやってた時期に、メンバーからコダマファンクラブはちょっと嫌だっていう話が出てきて(笑)。その流れでTHE TOKYOに決まったんです。今思うと、いい名前だったなって。俺も弟(たいち)もドラムのミヤシタツカサも地方出身で状況してきて、ハマーとかベースのドン・タカシとかは都民だったんですよ。それがちょうど、都民の構成と似ているんじゃないかって。あくまで、東京っていう街のことではなくて、THE TOKYOという俺たちのイメージをぶつけていける架空の場所だと思っています。東京を代表するとかは思っていないですね。

ハマーはどういう由来だと思っていたの?

ハマー:あんまり考えたことなかった(笑)。加入したときはすでにTHE TOKYOだったので、 THE TOKYOってなんだろうって。僕は服飾関係の専門学校だったんで、大きなショーとかやっていたんですよね。そのショーにTHE TOKYOが観に来てくれたので、ショーが終わったあとにTHE TOKYOの曲を流していました。僕もライブに行ったりしていましたし。

アツシ:昔働いていたクラブで、ハマーはブルースの弾き語りとかやってたよね。

ハマー:孤独だったんですよ(笑)。

ーそのころからノスタルジックな雰囲気の曲が好きだったんですね。

ハマー:そうですね。新しいのよりは古い方が好きでしたね。

アツシ:たいちも、もともとフォークの弾き語りをやってたんですよ。

たいち:そうですね。ルーツ・ミュージックが好きだったんです。

ハマー:一回たいちが偵察に来たことがあったよね。僕を誘うかどうか迷っていたらしくて、ライブに遊びにいっていいですかって連絡がきたことがあった(笑)。偵察のていではなかったんですけど、すぐに気づいたんで渋い音楽をいっぱいかけて、俺はブルースとかジャズの人なんだぞっていうのを見せつけてやりました(笑)。

アツシ:そしてほどなく弟子入りしたっていう(笑)。

たいち:本当に偵察のつもりはなくて、単純にギター教えてもらいたかっただけだったから(笑)。

アツシ:シンガーソングライターが2人いて、それぞれブルースとフォークやっていたっていうのが、うちの特徴になっているかな。ライブでそれぞれソロでやるってことはないけど、曲の始まる前とかちょろっとブルースやフォークを弾いたり。

一方で、ヤナさんは思いっきりニューウェーブとかそっち系の音楽が好きだったんで、お互い好きな音楽のジャンルが全然ちがったっていうのも面白かった。

ー柳沢さんはフォークとかブルースはあまり聴いてこなかったんですか?

柳沢:長渕とか好きだったんで、フォークは好きでしたね。ロックンロールとかブルースとかはハマーから教えてもらった。

ハマー:いや、教えたことないですよ(笑)。

アツシ:ヤナさんが好きなジャンルではないのに、いいって思ってもらえるということは、どんな人が聴いてもいい音楽なんじゃないかなって思える。

たいち:その感覚はすごく大事だと思う。

アツシ:ヤナさんがイベントをやるっていうときには、ルーツ・ミュージックをやっている人の目線で提案したり、お互い高めあえている感じがすごく楽しいですね。

柳沢:営業のやり方とかも教えてもらったりしてた(笑)。2016年に「東京ストリート」っていうサーキットイベントをTHE THROTTLEの高岩 遼くんと、アツシの3人で一緒に企画してたんだけど、企画書を出す段階で、アツシに自分がやりたいことを文章にできないとだめだよって説教された(笑)。

アツシ:絶対ありえないと思うんですけど、ライブハウスの人が企画書を書いて、それをバンドマンが添削して、イベント会社に営業かけにいくっていう不思議な関係性ができあがったんですよ。

柳沢:自分のやりたいことばっかり言うんじゃなくて、人の話を聞かなきゃいけないっていうのを学びました(笑)。当たり前のことなんですけどね。

ーはじめてバンドでやっていこうと決めたきっかけは?

たいち:それは人によって違うと思うんですけど、僕はもともと音楽がやりたかった。

アツシ:今でも覚えてるんですけど、俺は会社を辞めて田舎にひっこんでいたときがあったんです。その時からTHE TOKYO自体はあったんですけど、普段は物静かな弟に、「兄貴は何をしに東京に出てきたの?」って言われてハッとした。俺は歌を歌うために上京したんだって思い出した。そこからは早かったですね。鬼のような勢いで、ハマーを口説きにいって。ハマーは最初は2年だけならやるって(笑)。

たいち:何回も強めに要所要所で、2年って言ってたね(笑)。

ハマー:ずるずるここまできたね。そういう意味ではまだ契約社員だから(笑)。2年にこだわりがあったわけではないんだけど、軽やかにやりたかったっていうのはある。

たいち:1年たってもあと2年って言っていたから、この人辞めないんだろうなって(笑)。

カラオケで歌っていたら他の部屋から人が集まってきた

ーはじめて楽器をさわったときのことをお伺いします。ハマーさんいかがでしょうか?

ハマー:今思えば、自然に音楽が好きになっていましたね。両親も音楽はやってなかったけど好きだったし、ギターも昔から家にありましたね。今でも覚えているんですけど、弾きはじめたのは中2でした。友達の家に行ったら、その友達がガットギターでB’zの弾き語りをしだしたんですよ。それが超おもしろいなって思って、そのあとすぐ家に帰ってはじめましたね。

最初に練習したのは長渕剛の「とんぼ」です。昔はインターネットにコードがあったわけではなかったから、コードが書いてある月間歌謡曲みたいな本を買って練習してました。もともと長渕も好きだったので、乾杯とかも。

ー続いてたいちさんお願いします。

たいち:ギターをはじめたのは、はっきり覚えているんですけど中1ですね。兄が音楽の先生からギターをもらってきて。

ハマー:くれんの?

たいち:ちょっと変な先生で、くれたんです(笑)。夕方くらいに家で、兄が「これがCだよ」って急に教えてくれて。夕日が逆光になっててすごく印象深く覚えてる。それで興味をもってはじめました。

フォーク大全みたいのを読んで、藤井フミヤのTrue Loveを弾いてましたね。そういう意味では好きでもないけどなんとなく弾いてた。ギターがかっこいいものとも思っていなかった。

ハマー:それわかる。はじめはなんとなくなんだよね。

たいち:ギターをはじめるまでは、小さい時から歌うことが本当に好きで。おじいちゃんも歌うのが好きで、スナックとかについていったりしてました。僕声変わりするまでものすごい美声だったんですよ。ウィーン少年合唱団に入りたくて、先生にも歌手になりなよって言われたりしていたんですけど、声変わりしてからは見る影もなくなりました(笑)。でも好きだったんで、歌うことは続けていました。

ー最後にアツシさんお願いします。

アツシ:自分が音楽はじめたきっかけはカラオケでしたね。地元がけっこう田舎だったんで、放課後やることといえば、ゲーセン行くかカラオケ行くかみたいな感じだったんです。それで、俺がカラオケボックスで歌っていたら、お上品な女の子からヤンキーまで、だんだん人が集まって聴きにくるんですよ。そんな気持ちいいことないなと思って、そこから中学校卒業するくらいまでカラオケで歌いまくっていました。

たいち:すごい行ってたよね。モテたかったの?

アツシ:当時意外とよこしまな気持ちはなくて、すごいって言われるのが純粋にうれしかったんです。リクエストされるがままに、Mr.Childrenとか福山雅治とかサザンとかなんでも歌っていました。

どうしたらもっとうまく歌えるか考えていましたね。他のやつらもやっぱりそれなりにうまいやつはいたから、どうしたらもっと自分の歌声をカラオケボックスに響き渡らせるかとか勝手に競っていました(笑)。

中3の文化祭で歌って、音楽やっていた先生から「お前は俺の次くらいに歌がうまいな」って言われた時に、自分の歌は大人もわかるうまさなんだって(笑)。それで気を良くしてバンドを始めました。

ーカラオケの十八番は?

アツシ:これ歌ったらみんな来てくれたっていうのは、Mr.Childrenの『星になれたら』ですね。そのあとに、福山雅治の『Heaven』とかちょっとセクシーな雰囲気の歌をいれて、こんな一面もあるんだっていうのを見せて、最後に久保田利伸の『LA・LA・LA LOVE SONG』で、圧倒的な歌唱力をみせつける(笑)。

カラオケもプレゼン形式なんですね。

アツシ:カラオケで培われた営業力なのかもしれないです(笑)。

たいち:ヤナさんの音楽の目覚めは?

柳沢:Hi-STANDARDとかだね。ちょうど世代だったし。当時ミュージシャンって選ばれた人たちだって思って音楽をすごく遠くに感じていたんだけど、ハイスタとかを見て自分でもやったら楽しそうだなって思えてベースをはじめた。自分で楽器やるのもそうだけど、いい曲を発掘するのも好きで、CDショップでCDをあさるのは楽しくてずっとやってたね。

ハマー:YouTubeとかもなかったですもんね。CDを買って帰るっていう体験が本当に楽しかった。

アツシ:東京はCDショップがいっぱいあって、うらやましいな。地元いたときはなかったから。ディグるっていう行為自体が存在しなかった。

人間としての強さがメンバー個々にあってほしい

ーこのあと外で撮影するのですが、『浅草キッド』の歌詞の雰囲気で取りたいなと思っています。

たいち:みんながどうかはわからないんだけど、僕はひとりひとりの個性というか人間としての強さがメンバー個々にあってほしいし、大事にしたいと思っているんですよ。芸人でいうと芸人魂みたいな。それを強く感じる『浅草キッド』の歌詞の雰囲気っていうのはうれしいです。

ー宣材写真で着ているスカジャンをご持参いただだいたのですがすごくかわいい!もともとバンドグッズだったんですよね?

アツシ:最初は別のスカジャン来てライブに出ていたんですけど、裏にNEW YORKって書いてあって(笑)。それを見かねた方が、うちで作らないかと。しかも出世払いで。最終的なデザインはRoyal Pussyっていうブランドの当時の社長が提案してくれました。

2年間の集大成を見せつけたい

ー最後に12月15日(日)のライブについてお伺いします。

アツシ:「都立!!ワンマン学園(2019)」というお察しの通り思いつきでつけたライブ名なんですけど、久しぶりのワンマンで、約2年ぶりになるんですよね。その期間中ずっとライブをよくしようとがんばってきたので、その集大成を見せられるかなと思っています。それこそ前回のワンマンに来てくれた人もびっくりするんじゃないかな。だいぶ修行をしてきたっていう自信はあります。

 

<ライブ情報>

THE TOKYOワンマンライブ「都立!!ワンマン学園(2019)」

12月15日(日)

開場:18:00 開演:18:30

場所:下北沢シェルター

チケット:前売 2,500円 当日3,000円 ドリンク代別

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