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2019.10.09

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パターンからお客さんの手に届くまで、すべて。山本剛|GOU YAMAMOTOデザイナー

文化服装学院でパターンを専攻した後、パタンナーとして活動。19年SS シーズンから自身のブランドをスタートさせた山本剛。ブランド立ち上げまでのストーリーと、パタンナー出身だからこその服作りへのこだわりをきいた。

Profile

  • 山本剛(やまもと・ごう)

    GOU YAMAMOTOデザイナー

    2014年文化服装学院服飾研究科卒業後、外注パターン会社に入社。2018年退職後、フリーのパタンナーとして活動しながら、2019SSシーズンから自身のブランドSOUを立ち上げる。現在ブランド名をGOU YAMAMOTOに変更して活動中。

ミシンにはじめて触れたのは小学生の頃

はじめてミシンを使ったのは小学校の家庭科の授業。ティッシュケースを作ったんです。もともと手先は器用で、作業も人より早いほうだったかな。みんなより早く作り終わったから二個目を作ろうと思って、他の人の余り生地をもらってパッチワークみたいに作ったんです。すごく楽しくて、よく覚えてる。

着るものを作ってみたのは中1とか中2とか。型紙を買ってきて、自分でシャツを作りました。部屋で汗だくになりながら夢中になって作ってましたね。楽しかったな。祖母が洋裁をやっていたり、母親もバッグを作っていたりして、そういう影響があったかもしれないですね。家にミシンもありましたし。

ファッションというものに興味をもつようになったは、高校3年生のときです。学校で目立つようなタイプではなかったんですが、服はちょっと好きで。部活を引退した後、原宿に買い物に行くようになって、あるとき古着屋さんでクラスのイケてる男子3人グループとばったり会ったんです。その時は「おぅ、山本じゃん」みたいな感じですれ違っただけなんですが、後日学校に行ったら、「山本って意外とオシャレなんだね」みたいに言われていて、案外見た目で人からの印象って変わるもんなんだなと思って、そこから服が好きになりました(笑)。

その頃にはもうデザイナーになりたいと思っていて、明治神宮の絵馬に「ファッションデザイナーになる」って書いてましたね。

パタンナーとして、あらゆる種類のパターンを引いた

だから高校卒業後は文化服装学院に行きたかったのですが、親から反対されて、一度大学に。やっぱりアパレルやったことない人から見たら、デザイナーやるって想像つかないですよね。歌手になるって言ってるようなもので(笑)。

結局4年間大学に通いましたが、それでも気持ちは変わらず、卒業後に文化服装学院に入学。デザイン、パターン、オートクチュールとコースがある中で、僕はパターンを専攻しました。

うちは父親が建築士の仕事をしていて、その影響があるのか、ないのか…。家で製図もしていましたし。考えてみれば、製図のデスクとミシンがあった家ですね。

僕はなんだか要領がいいみたいで、文化の時も人の倍くらいのスピードで作業してました。仕事が早いっていう、取り柄はそれだけ(笑)。

文化を卒業して、パタンナーが30人くらいいる会社に就職したんです。デザイナーズブランドやセレクトショップのオリジナル商品、手頃なメーカーのものまで、あらゆる種類のパターンを引くことができたので、そこで得たものは大きかった。高齢者に向けたものとか、子供服とか、サイズの小さい婦人向けとか、メンズとか、とにかくいろんなものを手掛けていました。

お客さんの手に届くまで、作るものに責任をもちたい

尊敬できる先輩がたくさんいていい環境でしたし、持ち前の要領のよさでガンガン仕事をしていたのですが、あるときから、自分がやりたいと思っていた服の仕事とちょっと違うかなと思うようになったんです。

僕らは外部のデザイナーさんが起こしたデザインのパターンを引いて、それを工場さんが縫って、サンプルが戻ってくる。そのサンプルを見てデザイナーさんが修正をかけて…、という流れでもの作りが進むのですが、パタンナーは完成する手前のものは見られても、完成したものは見られない。お店に並ぶところとか、お客さんが試着するところとか。

もちろんそういう仕事であることは理解していましたが、実際その服が売れたかとか、お客さんが着てどう感じるかまで、パタンナーにも責任があると思ったんですよね。自分が作るものに無責任になりたくないというか。それで、自分でブランドをやるという道を選んでしまいました(笑)。

いま一番興味のあることをテーマにする

でもいざはじめてみるとなると本当にわからないことばかりで…。パターンと仕様の部分はわかるけど、ほかのところはほぼ知識ゼロですからね。縫製の工場はどこにするかとか、生地はどこで買うかとか。ルックの写真ってどう撮るの?メイクは?とか。考えなきゃいけないことはいっぱいあって、ひとつひとつ自分で調べて、本当にもぅえらいことでした。

最初のコレクションのテーマもぜんぜん決まらなかったですね。コンセプトを決めてコレクションを作るのもはじめての経験でしたし。そしたらあるとき、知り合いに「剛くんすごく楽しそうにタイの話するよね」って言われたんです。

僕、パターンの会社辞めてすぐ、タイに遊びに行ったんですよ。それがはじめて一人で行った海外旅行で、すごく刺激を受けて楽しくて。そうか、自分がいま一番興味のあることをテーマにすればいいのかと思って、そこからテーマを決めました。

調べてみるとタイには大きな生地の市場があって。今度は本気で生地を探しに行こうと思って、1カ月後に再びタイへ。おもしろい生地もいっぱいあって、1週間くらい熱中症になりながら必死に生地を探しました(笑)。

2019SSコレクションより

タイで買い付けた生地から作ったファーストコレクションはSOUというブランド名でスタートしたんですが、2019のAWからはGOU YAMAMOTOにブランド名を変更することに。はじめはブランドに匿名性をもたせたかったのですが、服作りに責任を持つということを考えたとき、やっぱり本名で打ち出したいと思って。

パタンナーだからできる、意味のあるデザイン

僕は、自分の家族や友人のために服を作るような気持ちで服作りをしたいと思っているんです。自分の周りにいる人からインスピレーションをもらうことも多いですし、19SSで受注会をやったとき、誰かに着てもらって、そのシーンを見るのってやっぱりいいなと思ったんですよね。反応も見られるし、それが一番うれしい。服を通して、人と人との関わりを持ちたいんです。

「友達がめちゃめちゃかわいいブーツを履いていて、そのヒールを見せるためにデザインしたパンツです」

僕はパタンナーなので、デザイン画を書きながら頭の中でパターンが考えられます。ここが何センチで、ここが何センチで、とか。ほかのデザイナーさんと違うところがあるとすると、効率のいい、意味のあるデザインができるというところ。たとえばバストの切り替えも、デザインとして効いていながらキレイにふくらみが出るよう計算されていたり、襟の立ち上がりを美しくコントロールすることができたり。

そういう僕ならではの部分もお客さんに伝えながら、ただ消費されるものではない服の価値みたいなものを感じていただけたらいいなと思っています。これからもパターンはずっと引いていきたいですね。パタンナーの仕事は楽しいですし。

 


 

すべて手探りといいながら、周囲からさまざまなサポートを受けてもの作りを加速させている山本さん。彼の魅力的な人柄と、服作りに対する情熱がそれを支えているのだと強く感じた。まだスタートしたばかりのGOU YAMAMOTO。そのクリエーションに、これからも期待したい。

 

あなたにとってファッションとは?

「理想と現実」

 

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